私も… 21歳の頃 観れたら良かったなァ この映画。 むしろ自分探しをしない旅。 自分を探して迷走する子に観せたいと思っていた。 きっと自分には“旬”を過ぎた感のある内容だろうと予想していたから…。 “ノスタルジー”。  やっぱり私には若い日の、特にあんまり好んで思い出したくない記憶に ダイレクトに重なってしまう。 けれど “嫌悪”ではない。 「あの時、あの言葉が欲しかったなア」なんて… 今では冷静に のんびりと回想出来るスズコの姿に 「今度はきっとうまくいくよ…」と、 心の中で そっとエールを送る。   …と、静かに余裕を持てるのは、スズコに対してで、      彼女の弟くんのケースは、自分的に違います。   いじめは犯罪です。心を殺す殺人です。      どんなに時が経っても、このダメージは薄れません。   直に対峙し、ぶつけて、解決しなければ   “苦い思い出”なんて軽々しく終わったりはしません。   それは、永遠に心の枷となって、自身を侵蝕し続けるのですから…。 冒頭のシーンに少し動揺させられる。 「もしかして 私、番館まちがえちゃった?」 顔をあげた女の子が、主演の蒼井 優なので間違ってなかった と、ホッとする。 「でも、何で ここ?」と、思わず引き込まれてしまう。 蒼井 優ちゃんは『ハチクロ』の時みたいな女の子よりも こっちのスズコみたいな女の子の方が、断然 光っている。 …と見えたのは、映画の出来のせいなのか、はたまた自分の好みのせいなのか…(笑)。 それまで、どうでも良かった女優さんが好ましく見えてくるから不思議。 自主制作映画のようなカメラワークと編集、そして演技と演出。 大袈裟に演技じみてないのが、 逆に他人の私生活を覗いているみたいで妙なリアリティがある。 ハリウッドの特殊技術と凝ったカメラワークを駆使した映画も劇場ならでは かもしれないが こういう映画こそ 劇場ならではの最たるモノではなかろうか? 失礼かもしれないが、テレビ画面では、きっと観れたものではない…と思うし、 どんなに映画として良くても、DVDで自宅のテレビモニターでは観ないと思う、たぶん…。    そう言えば、以前、『だれもしらない』をDVDで観たとき、    世間での評判の域ではないなアと感じたけど、    映画の出来と言うより、映画としてベスト環境で観なかったせいかもしれないと思う。    今更ながら、劇場で観たかったなアと残念に思ったり…。(また、脱線した…すみません。) その時つけられた傷を、そのまんまにしていたら どんなにイヤでも、どんなに逃げても、形を変えて、自分を制約し続ける現実。 逃げなくても、苦労して やっとひとつ越えても また越えなくてはならないものは必ず目の前にやってくる。 どんなに係わりたくないと思っていても、 生きていれば必ず係わりが生まれてくる。 「自分のコトを知らない人間のいるところで暮らしたい。」 スズコの願いは、心の傷を抱えた者の真実の叫びだ。 けれど、暮らすことは知ること そして知られること。 “結局、やってきた様になってしまう” ならば“自分探し”なんて名目は無意味だし そんな まんまな自分を受け止めて、欲しい言葉と態度をくれる繋がりに魅かれて求めるのも自然だ。 だって、褒められること、認められることが こんなにも嬉しい。 越えなければならないモノを越える力は、 きっと そんな人との繋がりを経験していくことで築かれていくんだろう。 まんまな自分を受け止めて、やがては人を受け止め信じる側に立つために…。 だからこそ、今はスズコの“別れ”に 「今度こそ!」のエールを送りたいのだ。 この映画でもらったモノ。 若い日の 辛くて切ないノスタルジーと 自分は、全ての目覚め始めたスズコと戦う決意を表明した彼女の弟を 認めて受け止める側にあるのだと自覚する現在。                               08.10.29 鑑賞