供養の原語は、尊敬をもってねんごろにもてなすことと辞書にあります。一般には、亡き人の御霊に対していろいろなものをお供えするこ
とと捉えられていましょう。
島崎藤村に『りんご』と題する短い童話があります。
三人の兄妹の子供がありました。兄の子供はりんごを一つ持っていましたが、弟にそれをくれたらどんなにか喜ぶだろうと思いまして、弟
のところへ持っていってやりました。ところが弟の子供はまた、小さな妹にそれをくれたらどんなにか喜ぶだろうと思いまして、兄さんから いただいたのを妹のところへ持っていってやりました。そうしまし たら、小さな妹は自分でそれを食べてしまわずに、「私はそれをお母さ んにあげましょう。」そう言いまして、その一つのりんごをお母さんのところへ持っていってあげました。
子供らのお母さんはたいそうよろこびまして、自分の女の子を抱きしめながら、
「神様は、お前たちといっしょにいてくださる。」
と言いましたそうです。
何と、親子や兄弟がこんな心持ちで互いに暮らせたら、どんなにしあわせでしょう。
微笑ましい内容ですが、島崎藤村自身の家庭と照らしてみると更に学ぶべきことがあります。
27歳で冬子と結婚した藤村は34歳までに一男三女をもうけますが、女の子三人は亡くなってしまいます。その後、二人の男の子に恵ま
れ、38歳の時に女の子を授かります。しかし、女の子の誕生と引き替えに、妻・冬子が亡くなるのです。男手一つで三人の男の子と一人の 女の子を育てなくてはならなくなった藤村の家族の姿と、童話『りんご』の家族の姿が重なります(童話では男の子は二人ですが)。する と、女の子がお母さんにりんごを持っていったのは、お仏壇にお供えにいったことになるのです。そして「子供らのお母さんはたいそうよろ こびまして、自分の女の子を抱きしめながら、『神様は、お前たちといっしょにいてくださる。』」というのは亡き母の思いを忍んだフレー ズなのです。
饂飩(うどん)供えて 母よわたしも いただきます
この句を詠んだのは種田山頭火。幼いとき、目の前で井戸に投身自殺した母、その母の位牌を抱きながらの行脚。母の命日に、どこかのお
宅で頂いたうどんを位牌のお供えして詠んだ句だと言われています。
『りんご』と山頭火に共通するもの、それは供養のあるべき姿です。特別なことをすることが供養ではなく、自分と同じものを一緒に頂く
姿です。
「あなたもわたしも同じいのち」を実感できる供養を務めたいものです。
和田 牧生
|