その時々に「いいなぁ~」と思った短歌を
セレクトします。

【マイ・セレクト】 vol.211
雨夜(うや)にたつ枝垂れ桜は人間の孤独に増(ま)さる孤独を持てり

長くながくかかりて選ぶ夏帽子卒寿の母に気力のわきて

破水して生み落とさんとするまでの子の腰さする噓つきながら

さみしくはないと言い切るときにわくさみしさを知る娘の前に

みどりごはかぶせた帽子を投げ捨てて歩きはじめるそれでもいいよ

天球儀ながめておれば人間を小さく感ず夏の光に

コハクチョウが羽を休めに湖
(うみ)に来るまでを思いて駅頭に立つ

ハロウィンの仮装の魔女の児が駆ける元より仮面のおとなの前を

散る気配なくて散りゆく桜ばな近づきたれば刃をもつごとし

蜘蛛の巣がジューンベリーの枝先にかかるくらいの嫌な感じだ

独り住まいの母の庭先どくだみがぎっしりと咲くあきらめるまで

蓮の葉の上を雨滴はころがるにどこかへ行ってしまおうと言う

(いち)、二(にい)、三(ちやん)、四(ちい)、六(ろく)、八(はち)と声聞こえどこかへ散歩す五と七の数

冬の陽といえど海面
(うなも)の反照をすればカモメは光の番人

母がわれにのこししもののさみしさよ硝子コップの二藍の色

鈴虫と閻魔蟋蟀
(えんまこおろぎ)、言の葉の持つ迫力の差を思いたり

     中川佐和子『夏の天球儀』角川書店より

新しい命と死に向き合った時期。お孫さんの誕生とお母さまの逝去、また岡井隆さんを見送る。桜やコハクチョウ、ジューンベリー、どくだみ等々、自然とともに感情が動く。

【vol.210】
天上の蒸籠
(せいろ)の蓋(ふた)がひらくごと名古屋の夏がまた始まりぬ
やる気なきイースト菌の言ひ分を聞いてやりたし冬日のけふは
黒日傘くるくる畳みまだ暑さ残るまひるの空丸めたり
冬の月ほそき笙の音
(ね)ふりこぼす事務所の灯りすべて消すとき
新年度始まるあした走りつつわが靴の音追ひ越すわたし
かたちよき栗は褒められ甘くなり褒めつつ母はきんとん作る
八百光
(やほみつ)の手書きの値札怖かりき〈キャ別〉〈人肉〉右上がりの字
水撒きのホースのあをき暴れ蛇すつかり巻かれホースのふりす
まなこなき蛭のまつしぐらの速さひたすら進む方が前です
借り物の電卓どこか打ちにくく借り物の指うごかして打つ
河合育子『春の質量』短歌研究社より
COCOONの仲間の歌集が次々出て嬉しい。『春の質量』は河合さんの第一歌集。河合さんの歌は、常に美しく、光があり、前を向いている。韻をふむような歌が多くあり、リズムが良い。五感を使い表現しており、共感覚の歌も多い。

【vol.209】
アップライト・ピアノの下に早世の子猫が遊ぶ ああ居たんだね
届きたるメールを読んで掃除機の胸をひらけばまだ温かい
大戸屋のばくだん丼は早口のごゆっくりどうぞを背に受けながら
宇宙船ドッキングのごと丼を近づけて煮玉子を分け合う
都市に呼吸しつづけること 真夜中の加湿器のため汲む水はあり
弁当をまっすぐにせんと立ち止まり背骨を冬にかたむけている
「頭すすってあげてください」活海老の握りを出して板前が言う
ダブルベッド用の布団をとりこんで春の匂いの一本背負い
ふすまを開けてホットケーキを勧めおり電話会議を終えたる君に
夫婦ともに異動になればリビングで「どうもどうも」と名刺交換
寝てしまった夫の顔から外しゆく老眼鏡と課長っぽさを
AからE 家族五人が一列に運ばれてゆく〈とき〉六号車
鯨井可菜子『アップライト』六花書林より
第二歌集。結婚のため福岡から上京し、転職もする。少し重なる部分があり、共感する部分が多い。
歌柄は明るく、温かい。歌人家族ということで景が目に浮かび微笑ましい。どことなく夫婦の歌柄が似ているような気もする。


【vol.208】
からだのなかを暗いとおもったことがない 風に痙攣する白木蓮
切り株があればかならず触れておく心のなかの運河のために
嵐の海を嵐のこころが描いたとはかぎらないけどターナーの海
その頬は夜空あおぞらうつす頬 いらないよ、一輪挿しの言葉は
エスカレーター振り向きざまに八月のいつ見ても光りたての眼球
さびしさの単位はいまもヘクタール葱あおあおと風に吹かれて
妬むことは花束のようなくるしさだ そうだとしてもさらに束ねて
泣く前は顔がだんだん重たくなる縄文時代がそうだったように
おとなしく顔におさまる眼球をますますおさめて湖
(うみ)を見ている
ふとぶとと水を束ねて曳き落とす秋の滝、その青い握力
輪郭をこわして鳥は飛び立てりわが二十代終わりの冬を
きさらぎよわたしを羽交い絞めにして胸の十字路に雪をふらせて
青空へわたしはろくろっくび伸びてくちづけしたし野鳥のきみと
うつむいて髪あらう夜たくさんの岩がぶつかるからだのなかで
釘のようにわたしはきみに突き刺さる錆びたらもっと気持ちいいのに
てのひらはやすやすと背景になるタマムシの死をひとつ載せれば
檻のなかあゆむ丹頂その赤をまなざしに揉むごとく見ており
傘の骨、と言うときのわがくちびるに傘の肉赤黒くふくらむ
寝室の埃を見つめているうちに寄り目になった、みたいな秋だ
録音に拍手は残るもういないひとたちの手の熱いさざなみ
マスキングテープは走馬灯に似て冬の曇天へわれを導く
席ひとつ空けて映画を観る五月ふたりに透明な子のあるごとく
鉛筆になりたし青きゆうぐれに鉛筆のわたし細く泣きたし
息のみに膨らんでゆく紙風船わたしのようで激しく憎む
大森静佳『ヘクタール』文藝春秋より
身体とはいったい何なのか。大森静佳の身体は、常に自然と一体化している。運河が流れていたり、雪が降ったり、岩がぶつかったり…。また、かたちを変えて(あるいは魂だけ)他者や自然に入りこみ、実に自在である。野鳥のきみに首を伸ばしてくちづけたり、釘になって突き刺さったり。
さまざまなものに感情が表出しているが、「泣く」「死」「くるしい」「憎む」等々、喜怒哀楽で言えば、怒や哀が圧倒的に多いのも特徴。


【vol.207】
赤い火がときおり起こるうなぎ屋の小さな窓を雨の日に見た
いちめんの白詰草の中に立つアパートは詩か目を閉じて見る
いくつかの主語をわたしにして話す企画書にある近い未来を
白球がいま打ち上がる公園のヒマラヤスギの背丈を越えて
くるぶしの近くに白い花が咲く靴紐を結い直す時間に
上を向く蛇口を下に向け直すやさしさにさえ暴力がある
ほんのりと西の言葉がわれに出る濁音のないひらがなの音
火の文字のように両手を上げたままわが子は眠るわたしの前に
珈琲のふたを開いて冬の夜に出てゆくまでに少し含んだ
猟銃の照準器
(サイト)のようにプルタブの楕円の穴に月を合わせる
似ているとは違うということ河口からそう遠くない空気の匂いも
自動車の赤いランプの連なりが橋の終わりでほどけ始める
嶋稟太郎『羽と風鈴』書肆侃侃房より
1988年宮城県石巻市生まれ。言葉や空気の匂いなどに、北の風土をまとっている。景や人物の描き方が、小説風である(散文ではなく)。日常のなんでもない場面を切り取り、「ただごと」に懐かしさが感じられてほのかにエモイ。

【vol.206】
心臓を体にをさめ誰よりもしづか 逢瀬の帰りの我は
はるかなる処より矢が放たれて地に突き刺さりをり曼珠沙華
「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言はれた妻の衝撃
実母から「アイロンぐらいかけてあげたら」と言はれた娘の衝撃
義両親から「アイロンをかけてやってほしい」と言はれた嫁の衝撃
「ワイシャツのアイロンがけはしません」と妻に言はれた夫の衝撃
このうへもなくいとほしい鳳凰の夢を見た後いのちが宿る
胎児よりあなたの体が心配と母は言ひたり母のみ言ひたり
身籠ればわたしが宇宙 身の洞に星またたかせ胎児に見せる
おつぱいを飲ませゐるとき百獣の王のごとくにわれ誇らしき
産み終へた日の夜のわれは深々とプルシャンブルーの地球に眠る
授乳中きみのおでこは隙だらけ好きなだけキスをさせてもらふよ
〈夫への苛立ち〉有効活用はできないものか発電などに
ミサイルが家に落ちなければオーブンのケーキはまもなく焼き上がります
スーパーで時々見かける泣き喚く子は、本日は私の子です
いつまでも電車を見る子 いつまでもなんかぢやないと風は囁く
人を恋ふときの眼差し 死を想ふときの眼差し カノープス燃ゆ
片岡絢『カノープス燃ゆ』六花書林より
コスモス、COCOONの仲間である片岡絢さんの第2歌集。恋をして、結婚して、妊娠して、出産して、子育てして…という30代女性の人生。一昔前なら、プロトタイプと思われた人生だが、今は逆に特別な存在かもしれない。しかし、現代の結婚事情は、やはり昔とは違う。夫婦共働き、家事の役割分担等々、「衝撃シリーズ」は特に注目され、各所で話題となった。
大胆で歯切れの良い文体にユーモアが加わり、時にしーんと宇宙へ飛ぶ。魅力的な歌集だ。


【vol.205】
果てしない夜をきれいに閉じてゆく銀のファスナーとして終電
隣席の拍手にならってする拍手のように市営団地の点灯
花びらがひとつ車内に落ちていて誰を乗せたの始発のメトロ
くちびるに触れるあたりをつと触れて盃ふたつ買う陶器市
一対のナイフとフォークのようになり傷つけ合っても並んでねむる
云い過ぎてしまった舌を冷やすためすみれの切手ひとつ購
(あがな)
かえりなよ、二十五時ってアコーディオン伸ばし切ってる場所なんだから
空を突き抜けずに落ちる噴水のあきらめ方はこんなにきれい
三面鏡じっと見つめてそのなかでいちばん強いわたしを選ぶ
焼香の煙はやがて分母から分子へ隔てる線を超えゆく
なんだって盛れる大きな皿なのにカレーライスの皿と呼びたり
雨音は雨でなくなるときの音まばたきを繰り返し過ごした
toron*『イマジナシオン』書肆侃侃房より
『イマジナシオン』とは、フランス語で「想像」。多く比喩を使い、現実の先を想像する。日常の場面を切り取っているが、独自の見立てにより、詩に昇華している。世界を肯定的に捉え、言葉も美しい。twitterで短歌に出会い、2018年~2021年で4000首作った歌の中から山田航さん監修により一冊にまとめたという。すごい歌数だ。性別も年齢も明らかにしていないが、今後が楽しみな一人。

【vol.204】
あなた・海・くちづけ・海ね うつくしきことばに逢えり夜の踊り場
てのひらの一点熱し独楽まわる、まわるときのみのひとりだち
泉のようにくちづけている しばらくはせめて裡なる闇繋ぐため
きまぐれに抱きあげてみる きみに棲む炎の重さを測るかたちに
雨ののち……も晴れずむくめる運動場
(グラウンド)に行方不明の足跡ばかり
鏡の中いまはしずかに燃えている青貝の火か妻みごもれり
灯を避けて密殺のごと抱きしかば背後の闇ににおうくちなし
森閑と冥き葉月をみごもりし妻には聞こえいるという蟬よ
超然と檸檬が一個置かれいる いつかナイフを刺さんと思う
耐えるべきことのみ多し塀の上かっと明るき辛夷がある
かなしきというにあらねどゆうぐれの空にむかいて咽喉あらいおり
永田和宏『メビウスの地平』現代短歌社(茱萸叢書)より
前月に続いて永田和宏。今回は初期の作品を読む。1975年(28歳)刊行。この時代のかっこ良さを求めて詠んでいるなぁと今読んで感じる。かっこEじゃなく、かっこCなところも少し感じるが。
また、高野公彦と互いに影響し合っていると思う。灯を避けて密殺のごと~の歌は、『汽水の光』(1976年)の「はまゆふのそよがぬ闇に汝を抱き盗人のごと汗ばみにけり」とかなり似ている。


【vol.203】
この地下に吹く風いつもなまぬるしアトランティスに吹く風のごと
あなたにはなくてわたしにのみ続く死後とふ時間に水仙が咲く
置きざりと置いてきぼり差の少しありてあなたが置きざりにした
ソーラーパネル敷き詰められし畑地なりパネルの下の陽の差さぬ土
五〇年を新と呼ばれて古びゆく新丹那トンネルまだ抜けきらず
吸へなかつたのか吐けなかつたのか あの夜の君の最後の息を思へる
ゆふぐれの麦の畑が焦げてゐるぢりぢりぢりぢり死にたくなつた
一本の雌蕊を雄蕊取り囲み昼のひかりのなかのやまゆり
天井のひとところ色の変はりたり夜ごとあなたに線香を焚く
あなたとふやさしき呼び名に呼ばるることこの後
(のち)われに無きを思へり
「一歩前へ」と注意のあれば疑わず一歩踏み出し小便をする
もうわたしを包んでくれる人なくて庭のコスモスを切る人もなし

永田和宏『置行堀』現代短歌社より
第十五歌集。どのページを開いても河野裕子の気配がする。「水仙」の歌など、まるで世界が二人きりだ。時空を超え、陽の差さぬ方を見詰め、時にストレートな感情の吐露があり、「死」について考え、短歌の王道を走っていながら、テクニカルを超えた魂を揺さぶるメッセージがある。

【vol.202】
かなしみに触れたるごとし電流がわがてのひらを走り去るとき
森のうへに雲ひくく垂れ乳母車をまつすぐに押してくる妻を待つ
死ぬ気になれば死ねる岸壁をのぼり来て開けたりうねりの高き日本海
生活に追はれゐる日にひらきたるむらさきあやめ丈
(たけ)低し低し
充電をされゐるごとし素足にてふみゆくときの土あたたかく
作業の手休めるまでは気付かざりき蛍光管がうなつてゐるよ
午後の仕事は火つきの悪いバーナーをばらばらにしたところで終る
外塚喬『喬木』短歌新聞社より
「多摩」「形成」で歌を詠み続けてきたお父さまの勧めにより「形成」に入会した外塚さん。「コスモス」の親戚のようで、源流をたどるように読んだ。
COCOON有志の読書会で読んだが、労働の歌、口語の歌など、当時と現在では評価が違うのではないかという意見が印象的であった。評価は相対的なもので、時代に応じて変化するものだと。


【vol.201】
屋根よりは風の領域 朝顔は伸ばした蔓をしならせている
ストッキングと笑顔で氷河を渡らんと挑戦したり若きわたしは
吐く息の白さのなぜか懐かしき北緯43度に降り立つ
木犀の香に満ちる秋をパッケージして渡したし北のあなたに
ふるさとを持たぬわたしのうぶすなは風 どの土地もなつかしく嗅ぐ
一生をかけ悔いることまだあらず鉄柵にからむ枯れ蔦は美し
シュトレンに冬の星降り想うというゆたかな時にこころを放つ
「残さずに食べよ」とはもう言われない レジにてもらう先割れスプーン
万華鏡よりもはかなくまわる日々 日傘を閉じて銀行に入る
独り身を選んで父を消費して母を浪費して生きおりわれは
朱鷺色に翼ひろげて夕映えは捕獲をされることなどあらず
クローンではあるまいかiPhone11はわたしの過去も記憶するなり
心いま針のようなりひとすじの糸通さねば慰められぬ
一生分詠いつくして出がらしの人称としてしまいき「きみ」を
あの雲はいちどきりなる夏の雲思い切りよく崩れてゆきぬ
小さきもの愛でつつひとりを準備する長生きというリスクヘッジに
遠藤由季『北緯43度』短歌研究社より
同世代の働く女性として共感する部分が多い。
そして、しんと静もるさみしさがある。遠藤さんの歌は、横線があるとすれば、決してその上に出ない印象がある。その、たたずまいが好きだ。


【vol.200】
しちぐわつは光の浴槽
(ゆぶね) のうぜんの花もこずゑも幹も浸りぬ
梅雨明けの空いつぱいに少年はこゑとかひなを広げたりけり
雪の息聞
(きこ)ゆるといふ嬬の耳やさしく咬みてそを聴きてをり
玄関のたたきにゆきのかたまりのごと太葱の置かれてゐたる
はくれんは命のかたちひとりづつ死者の命のしろくふくらむ
放射線量基準値超ゆる藁を食ふ出荷されない牛たちがゐる
帰還
(かへ)ること叶はぬ胸に降り鎮む雪はか黒き測錘(おもり)となりぬ
幸福といふべしわれの身のうちをゆつくり垂
(しだ)る桃といふ水
近づけば近づくほどに見えざらむこころといふは十月の雨
「一枚の□のごとくに雪残る」空欄に合ふ一字を記せ。
ふるゆきは誰のてのひら 瓦礫より骨の見つかる七歳の子の
赤椿
(せきちん)の赤きいのちの白椿(はくちん)の白きいのちの香ににほふ夜
いのちもつものは寂
(さぶ)しききぞちりし桜のいのち泛かべたる水
小さきはな集まりて咲くあぢさゐはテロ等準備罪にあたるか
東北
(とうほぐ)は二千五百四十六(にせんごひやぐよんじふろぐ)のゆぐへふめいのいのちをさがす
本田一弘『あらがね』より
200回目!今月もCOCOON有志の読書会より。
徹底した文語・旧仮名で古語も多く、流麗な韻律。カタカナ語はほぼなく、私の3つ年上だが、かなり落ち着いた読みぶりだ。
東北・福島・雪・方言・震災を繰り返し詠い、土地に深く根付いている。教師の歌、嬬の歌も多い。あまり自己の内面(寂しさや孤独など)は詠わず、常に他者に向かう視線がある。


【vol.199】
バス停でひととき虫に懐かれてどうせ誰にでも降る雨だった
海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した
あの星は? と問えばあなたは見えないと言えりいちばん明るい星を
このラジオはいつか鳴りだす公園の鳩たちみんないなくなったら
心臓と心のあいだにいるはつかねずみがおもしろいほどすぐに死ぬ
三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった
絵葉書の菖蒲園にも夜があり菖蒲園にも一月がある
似合う、ってきみが笑ったものを買う 生きてることが冗談になる
わたしのからだに鏡はひとみしかなくてこんなにきみを好きだというのに
切り口のような蛇口が吐く水の下で揃える両手に十指
観客はじゃがいもと言われたじゃがいもの気持ちを考えたことがあるのか
すこしだけ隣の部屋を見てくるときみ言い置いてからの千年
平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』本阿弥書店より
COCOON有志で読書会を行った。一人では解釈が難しい歌が多く、詠みの一助になるかと思ったが、更に様々な読みが広がり、分からなさが深まった。解釈が定まらない。短歌のリズムで読めない。歌集に収められているからと言って、これを短歌と言っていいのか、という意見も出た。「悲しいだった 悲しいだった」が私は平岡の代表歌だと思っていた。意図的に日本語を壊すことで、感情の破綻を表現しているのだと思った。しかし、これも他のメンバーから、そんなに深い意味はなく、単なる幼い言い方をしただけではないかとのこと。音楽も演歌からクラシックまで様々なジャンルがある中、短歌にもジャンルがあるという。違うジャンルの短歌なのか。

【vol.198】
海風のよき日は空もひるがへりあをき樹木に結ぶその端
身ごもりて次第に花芽となる臍に触れればやはき春の感触
白百合は横顔のよき女ゆゑ秘密ひとつを打ち明けてをり
水底に異なる世界あることを隠さむとして川は流るる
観光バス次々と過ぎわれもまた見らるる土地の一人となりぬ
駅のなき街に住む子がリビングに六両編成列車走らす
万歳と降参の似て晴れわたる空へ伸ばした両の手寂し
埋められてゆく辺野古なり日本でU.S.A.が踊らるる世に
長きものに縁ある島種子島 鉄砲、ロケット、サーフボードと
黒猫にも魔女にもなれるハロウィンの一日
(ひとひ)をわれはわれとして生く
ハンバーグ作りつつ思ふ先の世に小判使ひしこときつとなし
朱に朱重ぬる苦しさ首里城は燃えてゆきたりその身を崩し
寂しさは天よりも地にあるものか夕べ床など磨きつつ思ふ
海風に顔をさらして産みしのち永遠
(とは)に母なるわたしと思ふ
通園のバスは男
(お)の子らばかりにてジャンケンをしたがる勝ちたがる
佐藤モニカ『白亜紀の風』短歌研究社より
沖縄での子育てというのが特徴的な一冊。明るい風土と抱える闇が静かに混在している。辺野古、万歳と降参、鉄砲、サーフボード、首里城、海風など、沖縄に住んでいるからこその素材の捉え方だと思う。身ごもった身体の変化、永遠に母という存在の不思議、駅のない街のわが家の六両編成列車、勝ちたがる男の子など、素通りしてしまいそうな小さな気づきを掬い上げることにも長けている。

【vol.197】
白よりも欲深さうなそれゆゑに悔い深さうな紅
(くれなゐ)のばら
あさがほの明日咲く花はどれかしら夜空にひそむ死者たちの指
亡き父はどうしてゐるか月の夜の唐黍ごはんひげまで炊けり
冷えわたる夜の澄みわたるかなたよりもうすぐ天
(てん)の雪麻呂(ゆきまろ)が来る
白鳥の池に雪ふりゆきのなかにやはらかく立つ天然の頸
(くび)
その蜘蛛はわれにあらねど蜘蛛の巣を攫ひし風のゆくへ見てをり
愛に似てさくらはしろしはるかなる憎しみに似てさくらはしろし
母の食
(じき)ささやかに炊く春暁をノートルダム大聖堂燃え上がりたり
海老は海老のかたちしてをり面妖なるこの世の頭はづしては食む
感情はけものなるゆゑ夏くれば青葉の闇に毛づくろひする
ゆつくりでいいからいいからくりかへし母に言ふなり急ぐわたしは
雨の日は雨のにほひの 風の日は風のにほひの 聖かたつむり
七月の蟷螂に似て歯科医師はきらきらとピンセットあやつる
あなたとてもつかれてゐるわ ゐるわゐるわ 蝶が言ふなりわたしのこゑで
南極の氷刻々溶けつづけ どの蛇口からも水はすぐ出る
とつぷりよりどつぷりが好きどつぷりと日は暮れ猫はどつぷりすわる
冬晴れはをんなの首の冷えやすく大根甘きころかとおもふ
歳晩は梯子をのぼる人多しなんのためにと問ふひまはなし
さざんくわの花をのぞけりをさなごは隠しカメラをまだ知らなくて
散る花をふりあふぐときひさかたの春は巨大な落とし穴なり
小島ゆかり『雪麻呂』短歌研究社より
「究極の単純化」さくらやかたつむりの歌がその最たるものだと思う。単純なのに単調ではない、これが一番すごいところ。非現実も映像化でき、現実とひと続きだ。花や昆虫など詠まれている素材もすべて身近なもので、調べないと分からないものはない。それでいて、日常生活に喜怒哀楽が表現されている。目指したいと思う。

【vol.196】
オーボエの音色のやうな水明かり浴みて豆腐屋の前を通りぬ
鼻炎にてくしやみ止まらずくしやみする度に〈はやぶさ2〉遠ざかる
群れ歩くスマホゾンビらそのうへに豪雨のごとく電波降るらし
針止まり三月
(みつき)過ぎたり腕時計使はずに済むこれ晩年か
悪を隠蔽してゐるごとし火発
(くわはつ)には煙突あれど原発に無く
宰相は〈忖度誘発ロボット〉のやうな人にて国を統
(す)べゆく
ゆたかなるイグドラシルの葉のそよぎ、膨らむ宇宙、星の死、わが死
わが怒り静まらぬとき柔和なる百姓マレーを心に呼べり
生命
(いのち)とはレコンキスタのできぬもの脳(なづき)古びて背丈縮みて
人前でルージュ、マスカラ塗る乙女汝
(な)が裡(うち)に住むポッパエア・サビナ
落暉
(らくき)、雲を食みて燃えをり滅びるもまた生まれるも時空(じくう)の遊び
ファックスとメールが時に来るのみの我の暮らしの門前雀羅
(もんぜんじゃくら)
「小水
(せうすい)の魚(うを)」なる我に水はまだ残りゐるらし朝日を浴す
断崖を大落下する一瀑布その純白は水の自画像
山頂の大き窪みのさびしけれ登山客なき富士山の夏
ドローンが種蒔きをしてローラーが麦踏みをして人無き地平
妻はナスわれはナスビと言ひしかど今残されて茄子煮を作る
冷蔵庫にあるのに玉子また買うた仕方ないのう年寄やけん
物忘れして茫と立つこの日ごろ〈うんてれがん〉といふ語に出会ふ
8光年かなたに点る繭ありて母への麗
(うるは)しきディスタンス
高野公彦『水の自画像』短歌研究社より
待望の第十六歌集。一貫して、原発を憎み、宰相を憎み、スマホ人・化粧乙女を憎み、酒を愛し、故郷を愛し、家族を愛し、なにより言葉を愛している。今回は、イグドラシルやレコンキスタ等、カタカナ語が増えた印象。高野さんの歌集で、また言葉を学ばせて頂いた。2018年以降のこの歌集に未収録の歌集出版を切に願う。

【vol.195】
「いつか」とは生者の言葉と知るわれに泳ぎはじむる緋色の魚
かたちなき怒りがつづく机にて小さき音たて紙を裂きけり
垂直に立つことのなき憂ひあり少年たちの手のひらの檸檬
校門を抜ければ空は生ぬるくサーモンピンクに武装解除する
生きる意味ふいに問はるる夏の朝 白き付箋を思春期に貼る
夏の夜のお店は光り検温を済ましたひとにおしぼりが来る
舌を良きくぼみにあてて揺れうごく背骨の終はりあなたの湖
(うみ)
秘密めく昼の読書は鍵穴がまなかにみえる壺の一字に
すこしだけ殴つてみたくなるやうな紅色の鶏頭が咲く
あまたなるソファならびてさびしさが流れけるかも秋のニトリに
木綿豆腐をみづに放せばいきもののやうに沈めり寒き夕べに
黙ながき生徒を憎みずたぼろに冬の大根煮詰めてをりぬ
目に見えて自傷はなくも雪の白さんささんさら教室に降る
根性はこんなところに使ふなよ机直せばふたつある穴
グラタンの皿にあふるるあの白いさみしさに似て春の握手は
野田かおり『風を待つ日の』青磁社より
常に平常心を保ち、常温。そんな印象の一冊。緋色や紅色が時々出現するが、あまり激しさが感じれれないところが不思議。プロフィールが少ないが、歌の内容から教師をなさっているようだ。生徒に対するまなざしも変わらない。この歌集は、構成が春夏秋冬となっており、新感覚。コロナ禍ならでは光景や時事も、平常時のように感じられるのは是か非か。

【vol.194】
子を乗せて軍歌にあわせ上下する回転木馬 軍馬還らず
それからはネコにルンバに監視されイヌにスマホに密告されよ
キュリー夫人の取り落としたるフラスコが床に砕けるスローモーション
「反抗する者は常に正しい!」そのテーゼわが若き日を支えくれにし
立川藤志楼放送禁止落語会笑いのめして毒こそ至福
ドリアンの腐臭ただよう午後なれば派兵、戦闘、苦戦、玉砕
若き日の挫折のごとき痛恨のコピー用紙に指切る痛み
新聞に宰相Aのしたり顔玩具の猿がシンバル叩く
ルーレット赤に賭ければ赤が勝ちうれしき召集令状の赤
KAMIKAZEは何処より吹く花電車、花ゆりかもめ軌道を走る
藤原龍一郎 歌集『202X』六花書林より

一滴も零すことなく浮かびたる静かの海へ手を伸ばしたり
傷つけず傷つけられず傷つかずそれが恋ならそれが淋しい
頷いていただけの午後シーソーの距離で座った丸太のベンチ
〈い〉の口はみがけています〈あ〉の口の奥歯をみがき直しましょうね
雨上がり人差し指で穴をあけ春の地球に種を蒔きたり
じっと手を見てもノルマは越えられぬ梅干し詰めて俵に結ぶ
鉄分を補うように歌うなり松任谷由実の真夏の夜の夢
「そこは聞かないでおくか」をふたりともバッグに入れる月を見つけて
ドーナツのように話をするきみに餡ドーナツを投げ込んでやる
風みたいに生きてみたいな時々はドンと背中を押したりもして
高橋千恵 歌集『ホタルがいるよ』六花書林より
藤原龍一郎さんの『202X』は、社会詠の切り込み方が鮮やか。過去、未来を考えさせられ、202X年がしずかにコワイ。
高橋千恵さんの『ホタルがいるよ』は、三十代女性がもっとも迷うテーマが興味深い。土屋文明の故郷、群馬県出身で、実家のある月夜野を詠んだ歌は美しい。家族との何気ない一コマが温かく、一コマ漫画の吹き出しのような「吹き出し短歌」が特長。


【vol.193】
水中では懺悔も口笛もあぶく やまめのようにきみはふりむく
ガーベラもダリアも花と呼ぶきみがコスモスだけはコスモスと呼ぶ
かき氷だったピンクの水を飲み全部殴って解決したい
火星人が金星人を口説くのを盗聴できた聴力検査
ゴミ袋の中にぎっしり詰められてイチョウはついに光源になる
青春にへんな音する砂利がありその砂利を踏むわざと、いつでも
雪の上に雪がまた降る 東北といふ一枚のおほきな葉書
おめはんど顔っこ上げてくなんしぇとアカシアの花天より降りけり
気まぐれだから雨はきらいと言うきみにとうもろこしのように抱かれる
ヘモグロビンごっこと称し一粒の軽自動車で渋滞にいる
未練って和菓子みたいな漢字と言うきみがまたかけはじめた眼鏡
杏露酒と発声すれば美しい鳥呼ぶみたい おいでシンルチュ
夜と死が似ている日には目を閉じてふたりで春の知恵の輪になる
シャワーヘッドを握りしめ白蛇を殺してしまったみたいに泣いた
混ぜながらどの感情か見失う夏の大きなフルーツポンチ
発作のごとくあなたは海へ行くとしてその原因のおんなでいたい
葉桜の葉言葉は「待つ」三つ折りのメニューをお祈りみたいに閉じて
アメリカ帰りの同級生がまぶしくてしなちくみたいな表情になる
もっつもっつゆぎふってらじゃだどもみぢでらでらってでおっかねへでな
青森で不良になるのはむずかしい電車の吊り輪もりんごのかたち
工藤玲音『水中で口笛』左右社より
久しぶりに、コスモスの若手歌人の歌集が出て嬉しい。啄木のふるさと、岩手県、渋民出身の26歳。まず、東北の風土をしっかり自分のものにしている点が良い。幼い頃から、啄木と共に育ち、自然と身についているようだ。口語短歌であるが、よくある字余りも少なく、定型のリズムも身についている。そして、旧来の花鳥風月から離れ、「やまめ」や「しなちく」といった、より日常的なアイテムで詩に昇華している。景もはっきりしていながら、発想は新しい。
エッセイや小説、俳句など、既に多方面で活躍されている工藤さん。コスモスの歌人として、またCOCOONにも戻ってきて欲しい。


【vol.192】
手袋は靴下よりもまざまざと表情もちて陳列窓
(ウィンドウ)にあり
しんしんと古墳にならぶ王族の柩のごとし〈地下駐車場〉
日本の春に会へるはあと幾度遠距離恋愛のやうなさくらよ
買物かごにゴボウはみ出し歩くときにはかに遠しマレーシアの空
清明の雪は悲報のごとくして留守居の猫に電話かけたし
「首輪
(ネックレス)」「腕輪(ブレスレット)」また「耳輪(イヤリング)」漢字でかけば部族めくなり
晩年のいまどのあたり 短夜の空調ふつと自動制御す
暖房を止めて室温下がるとき死後硬直をおもふ、たまゆら
アクアリウムのごとく深夜を灯る花舗花にひそけき階級
(カースト)がある
壊さるる空き家のなかの落書きの麒麟があふぐ初めての空
この秋に初めて父とならん子を想へば雪は花のやさしさ
妄想の字のなかにゐる亡き女しろあぢさゐとなりてそよげり
言ひすぎて悔いつのる夜は小
(ち)さくなれ、ちひさくなれと傘をたたみつ
造影剤の血管注入やや微温
(ぬる)く大白鳥を抱きたしふいに
「時」の上にクサカンムリの「蒔く」ありて光まばゆし春の棚田は
理不尽な、そしてあまたの死を斎
(いつ)くかすみ草あり天空の果て
渡辺南央子『天空のかすみ草』角川書店より
渡辺さんは、長くマレーシアで生活しており、今は帰国されているが、グローバルな視点が特長だと思う。さくらを見る眼差し、ゴボウを食べる日本人、部族の装飾品や、カースト制度を思う等、ずっと日本にいると気付かない視点だ。漢字に注目している歌もおもしろい。

【vol.191】
ちかづき来てまたたくうちに紫にかぎろい行くか 女・夏・恥
喜こびに遠く悲しみになお遠く一樹一樹
(ひときひとき)と咲き昇りけり
この部屋のどこか燃えつつ今朝死せる肝
(かん)のあかきを捧げて立てり
朝の妻の言葉を縦に割
(さ)いてゆく憤怒のような走行のある
刺す月のとがる夜ごろを そこからは噓に移るという境
(さかい)見ゆ
風のなかですべての扉閉じてゆく弓なりのわが心の扉
口唇の辛かりしかば想い出づ膝しびれつつ愛を重ねつ
父親がそびえて空をかくすときおさなき舌は歌詞を忘れて
肉のまなかに精神は立ちまこと神のごとく立ちつつ殺
(あや)めらるるかな
ああ父を追いしくことは難からむ炎昼蝶のはねもぎりつつ
やがてしずかに鏡のなかのくちびるにくちづけむとする刹那のかげり
極限のひとつへ到る数式が机上にありてたたかい終る
海岸線長しかぎりもなく長し少年素手もて迎え撃たむとき
少年を率
(い)て海を見る 跳ぶ波になりたし攻めやまざれば彼らは
宙に置く白桃一顆愛一顆稲妻の来て刺しとおすまで
なびきゆく一団を見て来ておもう椿の花にあざむかれたき
     岡井隆『眼底紀行』

昨夜
(きぞのよ)は月あかあかと揚雲雀(あげひばり)(はり)のごとくに群れのぼりけり
春の夜の紫紺のそらを咲きのぼる花々の白 風にもまるる
いずこより凍れる雷
(らい)のラムララムだむだむララムラムララムラム
しげりゆく卯月五月
(さつき)のさわさわと青かきわけて生きて喘ぎて
地下道をいでてひろぐる繊
(ほそ)き傘ふと行方なき旅に在るがに
鋪道には斑
(はだ)ら殖えゆく昼の雨愛ありて行く仕事ならずも
喘ぎいし雪の明りのくちびるはなに食
(は)み居らむこの夕まぐれ
八隅
(はちぐう)にあわきかげりを置きながら部屋はありありとわれを擁(いだ)けり
暗殺ののちの一夜
(ひとよ)と思うまで闇にしみみに何か繁れる
苦しみつつ坐れるものを捨て置きておのれ飯
(いい)(は)む飽き足らうまで
予定して闘争をするおろかさの羨
(とも)しかれども遠く離(さか)りつ
終着のとき告げている定型のややなまりある声ぞかなしき
若き眉たちのあつまる広場
(プラザ)までさかのぼるとき雲にちかづく
立つたまま食う握り飯人の眼のはげしきいろを読みわけながら
すこしずつこころ動きて百余体の臓器整理に立ちむかうころ
家兎
(かと)の群(むれ)さやさやと餌(え)をよろこべり羨(とも)しきかなや死まで束(つか)の間(ま)
カフカとは対話せざりき若ければそれだけで虹それだけで毒
     岡井隆『天河庭園集』
     岡井隆全歌集Ⅰ(思潮社)より
少しずつ備忘録として。これまでのCOCOON有志による読書会にて参加メンバーがあげた秀歌より抜粋。

【vol.190】

野良猫のオナカシロコの背中にも元(もと)成人の日の風がふく
はばたかず(とはいえ時に羽ばたきて)鳶は楕円を冬空に描く
野の鳥の春の食事を準備中木々は花芽をふっくらさせて
春の雨さしすせそそと降りそそぐ木々に花壇に畑に人に
はなびらを食べるから鳥は飛べるのと生徒会長きみは言いしか
多摩川にそそぐ朝の日うく鳥とながれる水を夏らしくせり
恋をする源氏螢の明滅を見て来て今宵ふたり静けし
靴下の黒の片方探すごとわけのわからぬ悲しみが来る
こちらへと鏡の中に招かれる銀の鋏を持ったおとこに
借財のごとくに壺をのこしたる父の痴呆の十三年間
ドーナツはどこから見てもドーナツと思う心を捨ててから 歌
ひりひりと雄しべ雌しべを痛めつつ彼岸花ゆれる秋風のなか
台風が大きく伝えられる朝 落した皿がふたつに割れず
金色にバターのとけて照るごとし婚約ののちカーテン選るは
「レスカって男女交際のことですか」若きに問われ「如し」と答う
今日は陽をあびて一番うえにある落葉も明日は落葉に敷かる
冬の日の電車に揺れる未消化の牛蒡てんぷら蕎麦と第五句
〈四度目の夫の入院〉四度目が夫に掛かると読めば楽しも
図書館のひそひそ声のように吹く風にさえ散る今朝のさざんか
藤島秀憲『オナカシロコ』ふらんす堂より

2019年の短歌日記。365日分の短歌とエッセイ。読みながら思わず声がもれるほどおもしろい。特にエッセイ部分。その日読んだ本の話、見た映画の話、子どもの頃の話、亡き父母の話、外食した店の話、作った料理の話、歌会やNHK学園でのお仕事の話、見た夢の話、変な話、オナカシロコと呼んでいる野良猫の話等々、読み飽きない。
人を笑わせるには自分が笑ってはいけない。そのことをよく心得ていらっしゃる。トーンを変えずに真顔で言うので、つい吹き出してしまう。お辛い思い出もあるが、優しいお人柄がよく表れている。
歌だけを引いたが、365日の季節の移ろいをスケッチしているようで、こちらも同じトーンで読みやすい。


【vol.189】
お客様番号・お客様ID・覚えられない文字が私だ
陽にむきて都こんぶを嚙みをればすつぱいままのさびしさが来る
老妻と押し合ひながら眠ることなんまんだぶつ夫のよろしさ
けふも雨きのふも雨の秋の日は降るだけ降つてからりとおしよ
天才は凡才をきらひ 凡才は天才をきらふ 凡才が好き
老優はものを語らず夜の更けをただ座りをり ドラマのなかに
三月は七十代の一年生さつそくに傘置き忘れたり
「まだやのに きふにあつうて満開になつてしもてん」はにかむ桜
洋服の古きをならべ売つてゐるメルカリとちがひ現物にして
「歳月」はなにも裁かずゆきたれば なるやうになりならぬものあり
からだからある日ことりと音がせりさびしさの芯がぬけてしまうた
池田はるみ『亀さんゐない』短歌研究社より
第七歌集。「文学の学の高さより文芸の芸の平らを」掲げている作者。笑ったあとに、さびしさや愛しさ、未知なる不安など、他の感情が湧き起こり、読者を更なる深みへ誘い込む。笑いの背景に「孤独」や「愛」「生」に関わる屹立した世界がある。芸の平らのなかで、世界を屹立させるのは、容易いことではないと思うが、見事にユーモアを詩に昇華している。

【vol.188】
100日後に死ぬワニのこと心配す あと100日は生きるつもりで
足元のヤドカリたちが動き出す私の気配が消えたしるしに
つぶやけば「庇護さ」「庇護どこさ」「黒塗りさ」つぶやき返すツイッターの声
ティラノサウルスの子どもみたいなゴーヤーがご近所さんの畑から来る
南国の島にもつかのま冬は来て「さむい」と「さみしい」少し似ている
制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている
食べながら思い出し笑いするはずだ「甘栗むいちゃいました」を送る
子ども服XLと紳士ものS並びおり息子の部屋に
波に乗るためには波を見ないこと背すじ伸ばして遠く見ること
音声翻訳機
(ポケトーク)あなたと試す昼下がり初恋みたいなもどかしさだね
知らぬまにインスタグラム始めたる子をフォローせず覗き見るなり
大豆から味噌を作るは忙しいことかゆとりかボーっと生きたし
経済のはじまりという交換の愛はいつでも不等価交換
俵万智『未来のサイズ』角川書店より
俵万智さんから始まった私の短歌人生。読まずに素通りできない第六歌集。読後、変わらないなぁと思った。どの歌も短歌に縁のない人でも、一読意味が分かる。やはり、大切なことだと思う。素材は、子の成長、島の生活、SNS等、時代にそって変化している。

【vol.187】
半分は春の空気を食べさせてシフォンケーキのおもはせぶりは
この星の晩年を生きてゐるならばくるほしからむこの柊も
公園の池に架かれるこの橋が選ばれていま夕日の舞台
からうじて糸のおしりに摑まれる釦のかほのいぢらしきかな
なめらかなシーツのごときワイシャツのひろき胸なりわがものならぬ
追想の沈黙ありてぼそぼそと過去を吐露する自動記帳機
さくらはなびら池の面
(おもて)を埋めつくし恋人たちのボート渋滞
買ひ物袋右手に提げて帰りくる夕べ地軸のかたむきのうへ
最速ですすむミシンの針の目にあらはれいづるわれの歪みは
地中よりとりわけ清きみづのみを集めてここに西瓜の奇蹟
服部みき子『シンクレール』六花書林より
1999年~2009年(「短歌人」所属)+2016年~2020年の14年間の作品をまとめた第一歌集。途中、短歌を離れた時期もあったということだが、時間的な違和感はない。それは、私事をあまり詠んでいないからだと思う。広い視野、独自の視点で詠まれており、近しい感覚も好感が持てる。

【vol.186】

二鉢の梅を枯らして三人のひとを憎みてこの冬終はる
舟に乗り花見するひと、船に乗り侵略するひと春の地球で
ふくろふを図鑑で見ればひさかたのアメリカフクロウは米国人がほ
桃の底ねまりてゐたりさなきだにくちびる濡らす堕落の甘さ
「厭」といふ漢字のなかに犬がゐて人咬み犬の角ばる面
(つら)つき
大都市の六道の辻に客を待つ穏しき顔のタクシードライバー
洗い朱に艶めく柿は横綱の座布団ほどにふくよかにあり
顳顬
(こめかみ)がしきり脈打ち頭痛来ぬ〈いたいあたまでまたあいたい〉医師
親分でげすなと鴉寄りて来ぬ襟の大きな黒コートのわれに
閻魔の「閻」は崩れし門の意、そしてまた麗しいの意あるを知りたり
「だるまさんがころんだ」と言ひ振り向けば知つてゐる顔ひとつもあらず
   
物の名「かきつはた」。
紫のにほへる妹
(いも)の絵を描(か)きつ肌は玉のごと髪は糸のごと
郭公が卵ではなく手榴弾うすわらひして置く百舌の巣に
朝が来て夜をむかへて朝が来て夜をむかへて永久
(とは)の闇に入る
菴没羅果
(あんもらくわ)、菴羅果(あんらくわ)、菴羅(あんら)マンゴーの呼び名いづれも妖しき呼び名
常の世に開放禁止
(アケテハナラヌ)の扉(ドア)ありて〈見るな〉は〈見よ〉と同義語ならむ
糸状のものは怖いよからみつくよぢれるもつれるしめつけるきれる
次郎柿の甘さこのうへなき甘さ主は成木責
(なりきぜ)めなどせしや
「胸」の字の中に凶あり人はみなその胸持ちて一生
(ひとよ)を生きる
古社
(ふるやしろ)の裏庭にある蟻ぢごく蟻堕つるのを待つのはわたし
夏の夜の厨
(くりや)にウスバカゲロウ科薄刃包丁一本垂るる
樹々しげる夏と朽ち葉の冬のあひ隠り世に咲く青曼珠沙華
天ありて海あらずして地がありて眼はあらずして耳と喉あり
一五八、一五七が一五六に縮みて白き壺に入らむ
パニエとは〈鳥籠〉のこと、われの身を籠に入れますレースのパニエ
水上比呂美『青曼珠沙華』柊書房より
第三歌集。言葉の感度が高く、言葉発想の歌が多い。枕詞や回文、物の名、折句など技巧的でもある。明るくユーモアもある。しかし、人間の持つ善意だけではないアケテハナラヌのドアを時々開き、静かに怖い。「死」へ向かう眼差しも多く見られる。

【vol.185】
菱の花小さく白く咲き出でて裏返るなき水面おもえり
冬の夜に栞ひとすじ挟むがに東の空を流星の落つ
濁音に青鷺一羽とびゆけり大き翼のひとかきの量
(かさ)
悲しくはあれど寂しくはなし母の遺稿を打ち込み続く
大いなる矛盾であるがそれ故に見せたかりしよ『蟬声』初版
君の好きな葛餅と颯の好きなウルトラマン持ち 361号室へ
泣きじゃくり転がりながら駆けゆくを玲
(れい)と呼び止む三連星(からすき)を見たか
夕曇る六月の空涼しけれ腕
(かいな)となりたる翼さびしむ
時やがて大きく盈ちて夏の夜の空へと咲
(ひら)く木槿白花
逆光の稲穂の上のアキアカネ生まるる前に落ちし原爆
秋は海そして絶えたる人声の 波に研がれて朽ちてゆく砂
その筆致に躊躇い見えず 原稿の展示さるるは一枚目多し
向かい合うわが前薄く膜をはり子は定規にて線を引きいる
紅葉がかすかに含むF音の わかきミズキの細きかがやき
子に丈を抜かれたる夜に祝杯をあげんと一人焼酎汲みぬ
永田 淳『竜骨
(キール)もて』砂子屋書房より
第三歌集。母、河野裕子への挽歌を含む大切な一冊だ。中でも、自ら母の遺歌集を作り上げてゆく場面は、胸を打つ。他の者には詠めない歌だ。母だけでなく、他の家族の歌も温かい。特に、父として子の成長を見守ってゆく具体のある歌に惹かれた。佐太郎に傾倒していた時期がある、とのことで自然詠も良い。

【vol.184】
何度でも夏は眩しい僕たちのすべてが書き出しの一行目
僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った
開けっ放しのペットボトルを投げ渡し飛び散れたてがみのように水たち
遠くその夜に触れたい一通のメールで君の画面を灯す
道端にカルピスの缶転がって爽やかすぎる過ちが鳴る
気付かないふりも疲れて保護フィルム剥がすみたいに言うさようなら
雪原に鳥が残した足跡の行き先と逆向きのやじるし
「訳あり」と呼ばれてもいい傷付かず生きるのは難しいよな、煎餅
値下げした肉を手に取る僕らたぶんぎりぎり選ぶ側に生まれて
こんなにも生きたいなんて赤信号の歩道を足早に渡り切る
傘の骨から剥がされたビニールが最期に風の身体になった
死者の目を閉じゆくように封筒の頭を撫でて糊付け終える
廃校となった母校をもっと消すように更新する地図アプリ
ため込んだ悲しみ不良少年のバイクが「タラレバタラレバ」と鳴く
赤信号が埋めてくれてる僕たちの合わない歩幅が生んだ遠さを
塩害で咲かない土地に無差別な支援が植えて枯らした花々
継続的支援が大事と書きながら続けば報道価値はなくなる
僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空
近江瞬『飛び散れ、水たち』左右社より
1989年石巻市生まれ。塔短歌会所属。眩しい青春短歌だ。青春は、開放的で無謀で躍動的で切ない。しかし、石巻に甚大な被害をもたらした東日本大震災を機に世界は一変する。作者は、石巻にUターンして、地元紙の記者となった。今後が楽しみな若手の一人だ。

【vol.183】
雨音のつつむ冷たき文鎮の銀の肌
(はだへ)にふと手触れたり
バラの木に赤き嫩葉
(わかば)のきざしつつ春は苦しみながら近づく
銃弾に似る実のあまた散らばれりしんと日の差す椎の林に
あをぞらに飛白
(ひはく)の雲の浮くけふを原子炉がまたひとつ目覚めつ
をりをりに海面
(うなも)にふるる海鳥はただよふ魂(たま)を拾ふならずや
進みがちな父の時計を合はさむと止めて一分時報を待てり
あばれ梅雨荒れて過ぎたる日の暮れをほつと花首あげる紫陽花
「ラスコーリニコスの斧」といふ唄が棲みついてひと日頭蓋にひびく
ころがれる落蟬ひとつ唐突に再稼働して飛び立ちにけり
銃向けるごとくリモコン突きつけて宰相ひとり消し去りにけり
中天にしろく照る月たれもたれもおのが死に顔を見ることのなし
うつし世の荷下ろしをしてかろき背をねぎらふやうな午後の冬の陽
ほうたるの去りたるのちのてのひらの宇宙にあえか星雲のうづ
弱りたる息づかひもて言ひくるる「元気での」を深くしまへり
喫煙歴五十年なるわが肺がまだ煙
(けむ)を欲る 仕方あるめえ
森あをく水きよく澄むフィンランド、フィンランドにも原発がある
死に化粧といふは酷なりつやつやと生き生きと死を許さぬごとく
孤絶感つのる夜ふけは海底の虎魚
(をこぜ)のすがたおもひみるべし
桑原正紀『秋夜吟』青磁社より
豊かな抒情、優美な世界、流麗な韻律は保ちつつ、鋭く社会に切り込んでゆく。社会詠は初期の作品を思わせる。宮英子さんやお兄さま、教え子への「挽歌」もあり、胸を打たれる。教職を辞め、奥様は終生を過ごせる老人ホームに移られた。「安堵」の後には深い「孤独」が感じられる。自然詠、時事詠、挽歌など読みどころ満載の一冊。

【vol.182】
その元気わけてと言えば抱きついてくる少女なり三日月を抱く
旧姓で検索すれば強運と人工知能に褒められている
修正のすごき選挙ポスターとキャバクラちらしが並んで笑う
まっすぐな足を持つ子らもっちりと並ぶ土曜のプールサイドに
雨粒の一つひとつにシロホンの音をとじこめ洗う五月を
マスカラを長く長くと塗るときに鏡の中に黒目狂気す
驟雨去り白き薔薇
(そうび)はひかりつつ干しっぱなしのシャツの顔する
十歳の吾子に初潮の話をし生物的には死んでいいわれ
まずどれが爆発するか段ボール積んだ荷台が息をひそめる
爆死とはこんな激しさわがうちに松永久秀いたことを知る
靄の夜をかえりきて湯に伸びるあし冷凍うどんがほどけるように
耳と耳ふれ合うように眠る夜は湖畔をわたる風のわたくし
ふくしまに花見山ありグーをしてパッと開いたような春きて
長くあるゆえに愛しく梟のぬいぐるみこのごろ夫に似ており
富田睦子『風と雲雀』角川書店より
『さやの響き』に続く第二歌集。2013年~2018年まで40代前半の作品を収めたもの。一人娘の8歳~12歳の時期とのこと。ある意味ぶつかり稽古のような、濃密な母子の時間を感じた。狂気する黒目やからだの裡にいる松永久秀など、日常の中に潜む激しさに惹かれる。

【vol.181】
アコーディオンちぢむ空気の力もて金銭うごく年末年始
砂のような時間のような重たさの冬のコートを着て会いにいく
いま祖父は流氷となり離れゆく見えなくなるまで見つめていたり
水面に水が溺れて川ゆけりときどき獣めく水のこえ
ふりだしに戻る、のような秋のそら鞄を提げてバスを待つとき
地に触れていれば霧、いなければ雲 私は霧でそのひとは雲
向かい風に胸押されつつ感情にS極N極あって渦まく
海に向く背中ばかりの海にきて海もまた後ろ姿と思う
体内に三十二個の夏があり十七個目がときおり光る
ライターの焔
(ほのお)とおなじ揺れかたでセキセイインコは止まり木の上
九階に暮らせば雨が打つ屋根のなくて無傷の雨を見ている
マンホールの五月磨り硝子の五月卵サンドの五月は来たり
雨粒をレンズにつけて桜見しあの日のままに汚れる眼鏡
寂しさに姿はありてきょうの日のこのさみしさは一頭の虎
雨降れば雨の向こうという場所が生まれるようにひとと出会えり
変わらずにいるのは寂しくさせること更地のように八月が来る
忘れられながら忘れてゆく日々の手足の先は海に繋がる
使わないけど持っておく合鍵の入り江のような窪みをなぞる
雪食べて死んだ俊成そののちも雪吐いて生きつづける空は
ひと冬の積雪量のあかるさと重さで君を思いし日あり
小島なお『展開図』柊書房より
2011年~2020年初めまでの約10年の作品を収めた待望の第三歌集。
まず「巧い」。何が巧いかというと「見立て」がいい。それも形のないものを見立てるのが巧い。梨は月のようだ、というような類ではない。「年末年始」は「アコーディオンちぢむ空気の力」で金銭がうごき、「秋のそら」は「ふりだしに戻る」ようで、「私」は「霧」で「そのひと」は「雲」で、「海」は「後ろ姿」をしており、「体内」には年毎の「夏」があり、「九階の雨」は「無傷」であり、「五月」は「マンホール」で「磨り硝子」で「卵サンド」であり、「さみしさ」は「虎」の姿をしており、「八月」は「更地」etc,あげればきりがない。花鳥風月と身体が一体となり、自由に行き来しているようだ。
24才~33才って人生で一番いい時のような気がするけれど、主体の姿は一冊通しても淡い印象である。「あの夏の君」は時々現れるけれど。


【vol.180】
三面鏡のなかに何人いるのだろうひとつに纏めこの世に立てり
平等と思えぬいのち缶のなかアンチョビーが平らに並ぶ
全力で四十週を守り抜く水を溢さぬ地球のように
言葉から本音がはみでてしまうから角が立つまで泡立てている
もしかして虐めでしょうか〈はずれ〉って焼印されているアイスの棒は
夕空に何度も右手を差し入れて家族の靴下拾い集める
神様はおひとりですか電柱は空を抱えておおいに撓る
少しだけわかる気がして貝になる一線越えない母だ。わたしは
やすやすと視線注ぐなもう同じ車に便座に乗ることはない
黙殺をされているのは人間だ瞳を閉じない人形多し
何を止めていたのだろうか伸びきった輪ゴムを拾う息子の部屋で
ストッキングに寄りたる皺を引き伸ばし引き伸ばし辻褄合わす
弁当の蓋で潰れる想定にケチャップで描くLOVEの四文字
嫌いではないが苦手な患者たち字余りだらけの返答をする
「限定」にわたしは弱いなぜ君が遊泳禁止の海なのだろう
尖りあう人に共通点多く二首がセットの三角定規
子は同じ看護師とはいうものの土偶と埴輪くらいは違う
恋はもうしないだろうなてのひらに巻き込んでゆく傘のつばさを
父さんが死んだら一緒に住もうよと背泳ぎに来る母の言葉が
ヨーグルトに時間をかけて沈みゆく木製スプーンは一艘の舟
平山繁美『手のひらの海』本阿弥書店より
平山さんは私より2つお姉さんで出身は香川県。今は今治市に住んでいるという。人生のいたる所ですれ違ってきたようだが、この歌集の中でようやく出会うことができた。
夫のDV、奪われた子供を取戻し育て上げる、という壮絶な人生だったようだが、日常の目の前の素材から、さまざまな背景を考えさせられるような歌がいい。平らに並ぶアンチョビーやはずれのアイスの棒、ストッキングの皺etc.後半少し入っている相聞もいい。いつかリアルにお会いしたいと願う。


【vol.179】
人の世の哀しみに似る石塊
(いしくれ)をまろくまろくと波は打ち寄す
ほの淡き口づけのごと体内の隅々にまで月光を浴む
胎内のふたりは何を伝へあふか夕べ交互に胎動しるき
バランスのとれて動かぬシーソーに双児のわが子しづかに乗れり
カノープスの星に六十年まへの原爆のひかり届くはこれから
くちづけをしながら鳩が回りゐる〈永遠の愛
(レール・デュタン)〉の香水の蓋
見なければ見えぬままなる暗闇の鍾乳洞に子らと入りゆく
わが内の白蝶貝にいつよりか真珠にあらず育ちゐし癌
マンダリンオレンジの粉ちりばめて月は聖夜の宙
(そら)に泛べり
この地球
(ほし)の空の蒼さを湛へゐるメコノプシスはヒマラヤの罌粟(けし)
靴磨き終へて立つときよみがへるきぞいだかれしときの君の香
排水口に吸はるるごとくつぎつぎと夕立のなか燕去りたり
乙女子がかたく閉ざせるくちびるの朱夏につぼみを巻くグラジオラス
「収入のためならやめろ」と言はれし子身捨つるほどの会社はありや
他言せずあたためてをりお好み焼ふたり分け合ふごとき時間を
温めてをらねばすぐに固まらんチーズフォンデュのやうなり 心
白絹
(しろきぬ)の薔薇の褥につつまれて青あまがへる夏の恍惚
山が好き湖も好きポリアモリーふたり同時に愛してしまふ
賞味期限過ぎた納豆食べました秋の夜長のこのじんましん
享楽はたぶん正義と対峙する生協
(コープ)ウインナーの色うとむ夫
久保田智栄子『白蝶貝』柊書房より

COCOONの仲間、久保田さんの第一歌集がついに出た!実に四半世紀分の歌が、人生が、凝縮した一冊!旧かな・文語のトラディショナルな歌の姿だが、「きぞいだかれしときの君の香」等、時々ドキッとする艶のある歌を詠む美しいお姉さんである。双子のお子さんを含む3人の子育ての歌、癌という大病の歌等々、いずれも単なる告白に留まらず、詩に昇華している。「原爆」や「お好み焼」等、広島という地域性のある素材もいい。

【vol.178】
一人が席を立ってふたりになる夜の空いたグラスにひかりが揺れる
感情のおもむくままに流れゆく水のゆくえを水とて知らず
溺れゆくとは思わねど海に降る光にあわく満たされている
満潮の時には海となる場所で語る遠くのふるさとのこと
画家の愛した人であるのか全身をくまなく見せて紫のひと
紫のひとは部屋から出て行きぬ絵のなかに私ひとり残して
るるるると巻き取るパスタ 正解を知っていながらいつも間違う
思い通りに生きることなどできなくて誰もできなくて水を分け合う
今きみがほんとにきれい感情を失くしたような横顔をして
やがてみな死ぬと決まっている日々の、それでも朝のシリアルを食む
白にしろを重ねてあわき色合いのふたりで食べるとろろ定食
一度しかない人生の一度目を生きて迷えり昼のメニューに
ゆるやかにけれど確かに崩れゆく砂浜の城 すなはまのしろ
みずからを器となして伊勢海老が目玉動かす舟盛りのうえ
松村正直『紫のひと』短歌研究社より

「静けさと不穏が隣り合う第五歌集」という帯文がしっくりくる。安定した巧さがあり、どこか艶もある。やや芝居がかったところも気にならなくないが、絵画の中の紫のひとが現実を行き来するという設定の一連は、やはり巧い。

【vol.177】
青白き水銀燈の光ゆゑ校庭の砂悲しげに映ゆ
悲しみを霜夜の月に射るがごと弓引く人よ汝が夢を見き
封筒の四角き白に触れむとする我が手の中のナイフが震う
あはあはと冬日ながるる部屋の壁に学生服を吊れば寂しも
掃除機に吸はれし画鋲がからからとはかなき音を立てをりたり
玻璃窓に夜の風音を聴きてをり明日は新しき十六歳われ
性慾のこと語りつつ友と吾れ揺れ止まぬ夜の羊歯を瞰
(み)てをり
汝がための未来光れと言ふごとく黒きコーラが泡立ちてをり
霧の夜を帰りて把手
(のぶ)を握るときあな滑らかに指は冷えをり
日の暮れの部屋埃の匂ひしてとぎれとぎれに自殺を論ず
声あげて暗き畳に倒れ伏しやがて静かに仰向きにけり
思ふこと成らず悔しき日の暮はセメント塀をたたきて帰る
捻りつつ寂しき音と思ふかな蛇口に夜半の水ほとばしる
冬木の影黒くひろがる歩道ゆく新しき年の日記を買はず
教室に乱雑にある黒き椅子が夕日射すとき骨のごとく見ゆ
物憂くて吾が見る窓に黒髪の如く光りて夜の雨降る
怒りつつ昨夜投げしもの紫陽花の咲く庭土に鉛筆一つ
杉山 隆『人間は秋に生まれた』東京美術より
2019年7月7日のコスモス東京歌会にて、49年前のその日18才の若さで亡くなったコスモスの先輩、杉山隆という人を知った。宮柊二をはじめ、歌壇からも認められ始めた若き才能。自殺とも事故死とも特定できない墜落死。その3日後、O先生賞受賞の報があり、杉山さんがその知らせを聞くことはなかったという。
貴重な遺稿集を影山一男さんからお借りした。短歌だけでなく、詩や創作、書簡や日記なども一冊にまとめられている。


【vol.176】
女だから駄目だと言われてくれるなと土砂降りの雨のように言わるる
手荷物を持ち換える間に吊り革は他人の指に摑まれている
親が見ても辛抱をかなり学んだと思えり成績を引き換えにして
夏風邪とは一桁違う医療費をカードで払いポイント貯めゆく
すぐに死ぬ病気にあらずば仕事して先の予定も手帳には書く
少しずつ眉毛とまつ毛の戻りきて見覚えのある顔となりゆく
三十年未だ忘れず食パンを積分せよとう夢を見しこと
満開の桜と小さな噴水と入学式の息子を写す
めそめそと泣けば良いのか元気そうと上司は言いて出向切り出す
辛夷咲き辛夷が散りてごろごろとスーツケース押して息子が出て行く
スーパーのポイントカードを作ったと息子よりLINEのメッセージ来る
養育費に相場のあるらし裁判所に家計簿のコピーを提出したり
癌患者への配慮と言いたるしたり顔 歌に留めおき天に任せる
息子連れ明日また来てと医師の言う成人であれば息子が保護者
薬選びは生き方選びかとりあえず普通に仕事がしたいと言えり
副作用が弱い経口薬から始めると「延命治療」と書きつつ医師言う
色素沈着はたぶんこの先治らないと言われて夏のサンダルを捨つ
ふらっとどこか旅に出たいと思いつつ職場の最寄りの駅で降りたり
森尻理恵『虹の表紙』青磁社より
「短歌という形式で綴った手記」この歌集の一番の印象だ。
地球物理学研究職に就きながら、一人息子を育てる忙しい日々の中で癌が見つかる。仕事、家族、病に正面から向き合い、その苦悩をまっすぐに表現する。


【vol.175】
窓一枚隔つ向かうの青空に行けねど走るランニングマシン
饒舌な沈黙ありぬ君あてにメール打つときまた開くとき
鯉のぼりだらりと垂るる昼下り先送り出来ぬことあまたあり
けんけんぱ、ぱでぱつと飛ぶ鴉をり黄櫨
(はぜ)のもみぢの零るる道に
長く握るマウスの熱を頬に当つわが熱なれど人のぬくもり
おほうみのおきそのやうなはかなさに春の水母は湾をただよふ
わがこゑは聞こえなくとも朝顔の枯れゆく音を父は語りぬ
われはまだ泣いてないのに見舞ふ人みな父を見て涙を流す
やはらかき甘藍
(かんらん)の扉(と)をひらいてもひらいてもひらいても父ゐず
いく筋も飛行機雲が伸びゆきて青空にいまバッテンがつく
食べこぼし、米粒の付く母の服いつしよけんめいの母ここにゐる
「おかあさん、どう?」に始まる兄からの電話、責められてゐる心地する
死はひとりかならず一人びやういんの庭を歩めば青葉闇ふかし
父逝きて母逝きて開く玉手箱私は急に老けてしまつた
だれからも愛されてゐる気がしない両親のなきこの世の茫漠
大野英子『甘藍の扉』柊書房より

かつてわが産みたる魚はうつくしくクロール泳ぐ男の子となりぬ
さみしくて寒くてひとは足を組む組みても寒くさみしきものを
子を叱りすつからかんとなりし身のジャングルジムに極月の雨
躓きて身ほとりに星あまた散り一光年ほど歳を取りたり
犬ならばむちやくちや撫でてやるものを中二男子にただ「お帰り」と
漣はむかし清音なりしとかささなみささなみ夕陽を洗ふ
みどりごの、幼な子の、また乙女子の娘の寝顔さほど変はらず
いつからか立てなくなりし鯉のぼり引つぱり出して眺めて蔵
(しま)
白菜を船首像
(フィギュアヘッド)にして帰る日没ちかく自転車こいで
塩するめ炙れば足がえんぺらがくるんと巻いて「抱いて」と言へり
春のあさ横断歩道の白い部分踏んで踏んで行く〈サンジェルマン〉へ
滝壺へ落ち込む水のうらがはに滝を見つむる暗き洞あり
ミサイルの射程圏内よく晴れて幸水うまし豊水うまし
君が待つ改札口に行かなくちやコンコースにはバイソンの群れ
肉まんやあんまんの住むマンションが灯りてぬくしコンビニのレジ
ピョンチャンに聖火燃えゐる半月間戦火消えざるシリアの市街
(ああ、これば夢か)と気付き(それなら)とブータンへ飛ぶ春のあけぼの
あさがほの莟ゆつくりひらき切り天空のオルゴール鳴り止む
悲しみがダイオウイカとなり泳ぐかつての母にもう会へなくて
生き急ぐつもりなけれど気が付けば全速力で歯を磨きをり
伊沢玲『雲のすごろく』柊書房より
増税前の出版ラッシュ!!つづく。今回はコスモスのお姉さま方の第一歌集を2冊セレクト。

大野英子さんは福岡の姉。『甘藍の扉』にはお父さまとお母さまの挽歌が中心に収められている。ご両親ともに歌人であり、ご指導を頂いていたので、本当に心に染みる。
伊沢玲さんは千葉の姉。『雲のすごろく』は暗喩による飛躍が多く、発想が自在。生活の周辺のもの、家族など身近な素材を、やさしくおおらかな眼差しで詠んでいる。


【vol.174】
横たわりくちづけを待つ人形が気道確保後四体並ぶ
でこぼこの根元で転ぶ生徒増えケヤキは「有罪」伐採決まる
高熱の我が子は家に置いたまま止まない咳の生徒看ており
体調が不良
(ヤンキー)なので早退をさせろとしゃがみこんでる少年
自分から逃げ出した犬は「落し物」警察会計係担当
「さんこいち」は三人一つのグループで「にこいち」と「いち」にすぐに分かれる
女生徒が書き続けたる「嫌」の文字 問診票の裏を埋めたり
「ご一緒にポテトはいかが」の気軽さで勧められたる子宮全摘
横たわり内科検診実施日に「徹子の部屋」を見る罪悪感
保健室 書類に埋もるる机あり「野村山脈←雪崩に注意」
返答を決めかねている夏の日にレモンスライスひとつの勇気
絞り出す少女の声は「わたしたぶん〈豆腐メンタル〉なんです」おぼろ
マイナス×
(かける)マイナス=(イコール)プラスだと言われてますますくじけそうです
おしいつくづく つくづくおしいと蟬たちが夏の名残を見送りて、秋
「まあいいか」お互い言えるようになれ(上書き保存でお願いします)
密室で焼かれるよりは飛び跳ねて朝迎えたき食パン二枚
定時制相談年間利用者の九割が女子五月に集中
マジ、ヤバイ、メンドクサイで事足りる生徒の口癖うつる ヤバイな
かなしみの単語の一つかもしれず生徒の「ウザイ」を置き換えて聴く
「骨折れた!」「誰の?」「傘の!」くびすじに生徒抱きつく(傘で良かった)
野村まさこ『夜のおはよう』六花書林より

「暮らすってボタン押すことだからね」と親指はちょっと誇らしげなり
月光がベランダに降
(ふ)り「憶い出をのせる木馬があります」と言う
群青の記憶の底の底にあるくじらの声を憶えている耳
左手はきっと生涯知らぬだろう鋏を握るかなしみのこと
正の字を書き連ねては昨晩の正しいだけの君思いだす
粛々と苺をフォークの背で潰し噓をつけないあなたを思う
うっとりと眠る鋏よいますぐに切りたい糸があるのだけれど
傘立てで待ってる傘よつつがなく今日という日を終えられました
「枯れることできないあなたが心配よ」薔薇はささやく造花の薔薇に
あの原で幼い君の指先を切ったすすきが私の前世
こうやって人は祈るの ガラス越し組んだ両掌をイルカに見せる
「太陽はきっと寂しい、僕だってすこし寂しい」蛍は呟く
蛍にもあらいぐまにも桜にもならずに私の子になった君
一列に水通しした短肌着いつから人は母になるのか
白さゆえ誰も悲しみに気づかない 白孔雀は尾をゆっくり開く
紫陽花がそっと笑って言いました 明日枯れても太陽が好き
マトリョシカの最奥に居るマトリョシカの心を想う子を抱きながら
切り株は幻肢の幹に枝に葉に風を受けおり静けさの中
昼休み 遮光カーテン閉めたあと内緒の話を大声でする
「胸」という字の中の×を書くときに力を込めてしまう日もある
島本ちひろ『あめつち分の一』六花書林より
増税前の出版ラッシュ?!仲間の歌集が続々出版。なかでも今回はCOCOONの仲間の歌集を2冊セレクト。

野村さんは、いわゆる保健室のせんせい。保健室にはいろいろな生徒が訪れる。現代の子供達が抱える苦悩をリアルに手際よく三十一文字に切り取っている。
一方、島本さんは20代最後の年に第一歌集と第二子を産んだ。あめつちの様々なモノと対話し、自在である。第一歌集には第一子出産の歌が収録。「いつから人は母になるのか」など若い母親の姿が等身大で表現されている。


【vol.173】

なが編みとながなが編みをくりかへし夏安居のごと炎暑を隠
(こも)
うまれ来むいのちつつむとひそやかに毛糸あみつぐ鶴の婆われ
〈抱き禅〉とこは呼ぶべきぞ新生児あやしてただに揺るる一時間
極小の黄の花壺にあたま入れ蜂はうごかず菩提楽
(ぼだいらく)といはむ
息子一家の温泉旅行に招かれぬここまで辿りつけたわが生
まつさをの空、まつきいの田を切りて心に貼ればさびしくはなし
くちなしの花のうへ這ふ黒蟻の愉楽にとほくひとの世はあり
川あそびの群れはなれ来て西明寺の鐘を打ちたり一音百円
鐘打てばもみぢひとひら散りにけるゆるゆると来よ秋、冬、老後
秋ふかき運動公園に呆とをりバスケのゴールは底抜けの網
開通は三十年のち新幹線とわが死が視界に入るこの春
天窓のあるがに路地にふるひかり 春を愛するひとになりたし
みちのくはチャグチャグ馬コの日といふに野山どしやぶり人馬びしよぬれ
木畑紀子『かなかなしぐれ』現代短歌社より
敬愛する木畑さんの第六歌集が出た。この歌集にサブタイトルを付けるとすると「ここまで辿りつけたわが生」だと思う。第一歌集からずっと読んできて、ようやく安堵の境地に至ったようだ。安堵とともに寂しさも感じるけれど。
お孫さんの歌は、一歩引いた視点から詠んでおり、甘くなっていない。従来の孫歌と違う点だ。また、モニカという洗礼名をお持ちの作者であるが、本歌集では仏教用語が多いのも特徴。


【vol.172】
歩みつつ振り返る視野昏(く)れてゐて海藻のやうに枯れ木がゆらぐ
(まつた)きは一つとてなき阿羅漢のわらわらと起(た)ちあがる夜無きや
橋杭に堰かれつつ流れゆくばかり河はつくづく海より寂し
石室の底
(そこひ)に睡りゐしごとし遠きしづくの音に醒めつつ
一角より崩しゆくほかなき仕事画家に会ふべく足袋を履き替ふ
合はせねば合はぬ歩調の寂しきに声はげましてもの言はむとす
葉洩れ陽を乱しつつ飛ぶ蝶見ゐて忽ちわれは眩
(くら)みてしまふ
二いろのルージュ日により使ひ分け残る若さををしみつつ生く
校正室のわれに幾度も来る電話かかる怱忙をいつよりか愛す
日傘もつ手も左手も汗ばみて連れ歩く子の無きこと淡
(あは)
はぐれゆく心をつなぎとむるごと受話器の奥に鳴るオルゴオル
かすかに罅
(ひび)の入(はい)れるグラス脅かすごとき音(ね)をたつ湯を注ぐ時
男手を久しく持たぬわが家か抽斗
(ひきだし)にドライバーも錆びゐて
凍るとも解くるともなし沢ふかく残れる雪の幾かたまりは
風あれば穂草吹かれてゆるるのみ疑ひを解かむなどと思ふな
沖をゆく船のあかりに執
(しふ)しゐしひととき過ぎて還るさみしさ
まざまざと憎みて塗りつぶしゐたりしが醒めては誰
(たれ)の像とも分(わ)かず
出口の一つふさぎて本を積める部屋究極
(つひ)の砦のごとき思ひす
夜をこめて抗
(あらが)へばかく波だちて凍らぬ沼と今朝は思ひつ
送られて帰りし記憶寂しきにいつまでも道に斑雪
(はだれ)は残る
少しづつ歪
(ひず)みの除(と)れてゆくごとくたゆたひて雲の塊(かたまり)流る
遠山のイワザクラここの河原
(かわはら)にひらく経緯もわれは知りたき
春めきてゆく朝々に着惑
(きまど)ひて変りばえせぬ服ばかり持つ
検閲のすみし帳簿を括
(くく)りゐて区切りつかぬ思ひいつまでか持つ
あやまたず雁は帰るや湖をおほへる夜半の狭霧をつきて
落ちてゆく眠りのなかにまざまざと見えて昇れぬ楷梯
(きざはし)を持つ
転勤を知らす葉書の一枚は日を経て届く妻のわが手に
わが合図待ちて従ひ来し魔女と落ちあふくらき遮断機の前
衿ぐりの深きさみしさ旅の夜に失ひしブローチのゆゑのみならぬ
同じ道を通ふほかなき朝夕に藍深めゆく常山木
(くさぎ)の実あり
風のなかに身を反
(そ)らしあふ冬の木々けぢめなく待つ時間流れて
みづからの吐きし言葉に縛られむ森ゆけば木々の生傷匂ふ
前髪
(まへがみ)に雪のしづくを光らせて訪(おとな)はむ未知の女のごとく
立ち直りゆき得ぬわれと思はねどしんしんと冴えて黄の杜若
(かきつばた)
     大西民子『不文の掟』四季書房より
「COCOON」12号「今読み返す一冊」で大西民子の第二歌集『不文の掟』を読みました。4号で『まぼろしの椅子』の評論を書きましたので、大西シリーズ第二弾となります。
第一歌集は作品というより、「帰らぬ夫をひたすら待つ妻」というその内容が話題となりました。第二歌集は、私小説的な告白から脱却しようと、新しい表現方法を模索したよう。その手法として「物や風景に心情を託す」等の試みがみられ、「脱まぼろしの椅子」を遂げ、告白からの脱却に成功したと思う。


【vol.171】
布一枚広げるように夜が来て縁のあたりがほら、ほの紅い
欠けてゆく欠けてゆくああ満ちてくる自ら太る女の肝胆
十二桁の数字届きて焼印を捺されたように背中が痛む
椅子とりゲーム何度やっても一人だけ残され続けている沖縄
美しき野のあちこちに穴はあり兎にあらぬものも潜めり
世界中の人が使えば地球ひとつ終わる温水洗浄便座
インド製ユニクロのシャツのほつれ糸手繰れば今日も少女売られる
人乳が臓器が売られ八つ目の大罪として長寿加わる
何かもう海に撒くこと前提で死後のことなど二人で話す
大鍋に放り込むのはかつての恋よくもよくもと木べらを回す
均等法以前のことだ #me tooと今も言えないこと二つ三つ
島の冬は暖かすぎてわたくしもブロッコリーも花芽が出来ぬ
わたしは木あなたは鳥と思うとき抱くことのない鳥のたましい
草原に置かれた銀の匙ひとつ雨を待ちつつ全天映す
鳥になるまでの時間を人として這わねばならぬ暗き大地を
松村由利子『光のアラベスク』砂子屋書房より
松村さんの歌を読むと2つの女をいつも感じる。それは「セックス」と「ジェンダー」。相聞の世界の甘やかな女と、社会の中で戦っている女。社会詠が鋭く、特にジェンダーの女については、松村さんを先頭に私はついていきたいと思う。「均等法以前のこと」まだまだたくさんあります!

【vol.170】
垂直が水平になるやすらぎのさびしかりけり人も梯子も
校庭にめんどりのごとうづくまり日をあびてをり昨日の如雨露
見るものと見らるるもののほかになし牡丹花さけぶごとく散りたり
ねぢ花のねぢれもどしてみたけれどやはりもどらぬねぢ花のねぢれ
生きすぎてしまつたと嘆く母の手は覚えてゐるか鋤や鍬や鎌
遮断機に断たれて待てば欲しきものすべて向かうにありとも思ふ
空はれず雨ふらず五月なかばすぎ影うしなひて地をあゆむ鳩
橋といふだけでドラマは生まるるに蓬萊橋はまして木の橋
咲き闌けて花つぎつぎとうつむきぬ向日葵はみな後姿
(うしろ)さびしき
どこにゐても蟬の声から逃げられぬ午後少年の噓は生まれる
かなしみはしんとしづかなゆふぐれの河原の石の陽のなごり熱
ほんたうは夫をわからずわからぬまま毛布でくるむやうにあいする
そよぐものみな脱ぎすてて枯れ蓮のごとく細りて逝きたり母は
流木の小枝ひろへば軽きかな母あらぬ世に寄する海波
小田部雅子『水と光』六花書林より
敬愛する小田部雅子さんの第三歌集が出た。教師を辞め、茨城から静岡県島田市へ転居。15年単身赴任されていたご主人と猫と一緒に暮らすようになる。自然に包まれた穏やかな生活。社会詠も多いが、私は梯子や如雨露、石や花など、物を詠んだ歌の方が好きだ。この間、お母様とお姑様を見送る。難しい心理も生の証として残す。

【vol.169】
ゆふぐれは白い兎が胸にゐてさささ、そそそと干し草をかむ
梅一輪ほころびはじめいづこかでストップウォッチの動き出す音
モンステラの気根さりりと切り落とし別居婚とふ婚に暮らせり
膝に背に幼子のここちよき重さありし思ふ 枝には雀
水鳥をともに見てゐた休日のあなたは鳥でわたくしは水
カレーうどん啜りをはりぬ これまでの嘘の数ほど染みがつきたり
「なんだっけ、あれ、あれ」のあれ解るまでくすぐつたくてやさしい時間
歳月のとある季節は色鉛筆ぶちまけたやうであつたよ 家族
プッチンプリンぷつちんとせず食べ終へて空のカップでプッチンをする
ははよ母あなたのなかでゐなくなる私はポトフを煮込んでゐます
うつかりと開いた手には冬の空 もう風船のゆくへは知れず
血を吸ふは雌の蚊ばかりなのだなと女のわれは平手打ちする
大切な一日
(ひとひ)は終はりいさぎよく破り捨てねばならぬ日めくり
させば天たてれば地なる傘のさき始めにぬれて最後まで濡れる
秋天の飛行機雲はつぶやきぬ おいてけぼりをくつちまつたな
パン・ド・ミの焼き上がるまで秋冷をひそとのせたる白いパン皿
花びらのすべてが「母はいません」とささやいてゐる今年のさくら
胴吹きの花のあとから枝のびて難しいのは終はりかただな
液晶の画面のなかに「AI
(エーアイ)」と打ちて「愛」とは変換させず
くぐもれる遠雷のそこ濡れたてのバスに金魚となりて揺れをり
中村敬子『幸い人』柊書房より
『幸い人』は、最近私が読んだなかで一番付箋がついた歌集です。近年、作中主体と作者は別として読むべし、というのが主流になり​つつありますが、一人称で読むと、作者の心情に寄り添って、感動する瞬間がありま​す。作中主体と作者が別ですと、感心はするけど感動はしないのですね​。
『幸ひ人』は感動した歌集でした。心が揺さぶられました。どのページを開いても好きな歌がありました。それは、淋しさが通奏低音のように、響いているからだと思いまし​た。


【vol.168】
傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく
死の瞬間をゐられなかつた なまなまと自転車に巻きつく泥とみづ
雨粒のひとつひとつに眼がひらく 空にみられぬよう傘を差す
太陽に雨は降らぬといふことをあなたの比喩として使ひたい
平衡を失ひさうな天秤にちひさな銀をのせる 秋空
人であらば胴のあたりで切られゐつ花瓶の水に挿さるる花は
夕空と夜空のまざりあふ場所をしづかにゆきて帰らざる鷺
絶望があかるさを産み落とすまでわれ海蛇となり珊瑚咬む
暗やみにふればしばらく明るみて雪の最期は溺死か焼死
さうだよねむりだつたよね林檎からしづかにらせん剝いでゐる夜
子が親に似るといふこと原子炉が人類に肖
(に)てゐるといふこと
なかゆびを立ててゆき降る窓をみるそのやうに愛してゐた何もかも
夕立を駅ターミナルで回避して冷水を買ふ 傘はかはずに
にせものの銀にせものの梅の花それでもよいとおもふのが愛
ゆきやめば傘をばさりと仕舞ふのみ死がくれば死と刺し違ふのみ
しかしだね憎み始めてからきみをはじめて見る桜のやうにみてゐる
あは雪はわが美
(は)しき蝶 頭にも肩にもとめて君に逢はむか
藪内亮輔『海蛇と珊瑚』角川書店より
2012年、角川短歌賞の4人の選考委員、永田和宏、島田修三、小島ゆかり、米川千嘉子が全員1位に推したという伝説の作者。受賞作「花と雨」が冒頭に置かれた第一歌集。「傘」は集中多く登場するモチーフ。「死」をテーマにした一連もある。1989年生まれの若い作者であるが、相聞であっても甘やかさはない。「愛」という大きなテーマに挑んでいるようだ。作品を創作しているという意識が感じられる。逆に言うとたとえ「あなた」が死んでも、読者は痛みを感じない。すべて詩に昇華完了している。

【vol.167】
許せないことのいろいろ重なれば白い服着たまま沼に行く
どこで切れるかわからない葛きりのよう透かして見れば転勤の町
簡単なシートベルトを着用し死ぬ時は死ぬ靴脱ぎしまま
いつもいつも相談相手させている夫をしばし天空に放す
祖母に似るわれは白玉だんご茹でつやつや祖母に会いにゆきたし
かぼちゃ色に照らされている誕生日のわれに醤油を足しているなり
陶製の首飾りしてフォーク置く求肥のような透け方の友
浜の白さがのこる靴もて歩みたり先に夫を陽にあてながら
白菜が昨日と今日を横たわり仕事辞めてもええよと申す
読まれざる手紙書くのもよきことか半透明の馬飼うように
山内頌子『シロツメクサを探すだろうに』角川書店より
第一歌集『うさぎの鼻のようで抱きたい』(2006年12月刊)から12年。待望の第2歌集だ。同年代の関西出身ということで、共感する部分も多い。いつも底抜けに明るく、楽しい方で、そのユーモアが歌に現れていると思う。透かして見るという物の見方が特長的で、「葛きり」「白玉だんご」「求肥」という和菓子が時々アクセントとなっている。

【vol.166】

抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ
きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい
クロールのように未来へ手を伸ばせ闇が僕らを追い越す前に
<青空>と発音するのが恥ずかしくなってきた二十三歳の僕
ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる
箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる
疲れていると手紙に書いてみたけれどぼくは死なずに生きる予定だ
非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている
シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず
完熟のトマトの中に水源のありて すなわち青春時代
歌という鳥を郵便ポストへと投函をして放ちたるかな
コピー用紙補充しながらこのままで終わるわけにはいかぬ人生
頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく
ずたずたとなってしまったミキサーのなかの人参みたいなのです
ポケットに手を入れながら待っている フランス行きの空飛ぶバスを
萩原慎一郎『滑走路』角川書店より

生きづらさとは何か。歌壇でも最近、このワードをよく耳にする。萩原慎一郎、享年32歳。
彼は飛びたかったのではないか。「抑圧」「闇」「底」「潰された」「頭を下げて」「ずたずた」等の圧迫感のある言葉とうらはらに、タイトルの「滑走路」をはじめ「鳥」「翼」「飛」という飛翔のイメージの言葉も多い。


【vol.165】
店灯りのやうに色づく枇杷の実の、ここも誰かのふるさとである
三階はプロミス四階はアイフル五階はレイク六階は風
ありふれた喩へときみは笑ふだらういいんだ目玉焼き、月みたい
墓石にかけようと買つてきた水の、ペットボトルに口つけて飲む
二晩の留守のあひだに届きたる封筒白し婚の知らせの
猫、みやあと坂のをはりでひとつ鳴きふたつなきわれはこゑを喪ふ
長崎の坂をよろこぶわが脚よあるいたところがふるさとになる
アルミ箔でくるんだだけの弁当を磯にひらいてまぶしさを食む
始まつたり終はつたりしない関係よとつとつとふたつしづかな鳩よ
昼は河、夜は港のかほをしてなつのはじめの涼し宍道湖
屋上へつづく階段あらざればようもなくながくトイレにこもる
ほむら立つ山に出湯のあることのあたりまへにはあらず家族は
気にかかる人目とは誰が眼差しか秋雨のなかを金借りるとき
逃げることがほとんど生きることなりき落ちて形のきれいな椿
車窓より見れば甍をわたりゆくひかりのなみのなぎさ・はつなつ
山下 翔『温泉』現代短歌社より
福岡時代、福岡歌会(仮)にて一緒に歌会をしていた時は、まだ九大の学生さんでした。Tシャツに短パン、大きなスポーツバッグを持ち、文学青年というより体育会系という印象の方でした。
第44回現代歌人集会賞を受賞した『温泉』。1990年生まれの山下さん。その若さに反して、「ふるさと」や「墓石」「甍」など素材に真新しさはなく、堅実な読みぶり。ずっと読み継いで欲しい。


【vol.164】
灰黄
(かいこう)の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ
(まき)植えて墓標の肩に触れんとすああその枝の重くはないか
両頬
(もろほほ)に刹那にあがる血の色を白衣の襟に埋めんとする
細部まで思い画きて憎むとき地平のごとく遠し彼らは
(のち)幾たび会わねばならぬ死のひとつ 暁(あかつき)ガスの火を閉じながら
清く身を退
(ひ)くなど次第に思わざる月の出近く汚(よご)れゆく空
自己批判の斉唱
(せいしょう)のなか又きこえいんいんと死者の忍び嗤い
朝鮮の戦い短く告ぐる宵写しつづけし骨模型図
(シェーマ)ひとつ
眠られぬ母のためわが誦
(よ)む童話母の寝入りし後王子死す
蛙の血シュルツェをとおし浸みながら問いかえしメモす毒投与量
岡井隆『斉唱』

渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで
つややかに思想に向きて開ききるまだおさなくて燃え易き耳
ゆつくりと椅子くだくだけの時間あり発
(た)ち去る部屋の壁にもたるる
家に嬬
(つま)待つこと一瞬を昏め過ぎ、……しずかに膿を吐く腫瘤(しゅりゅう)あり
熱き草ふみしだき来て直
(ただ)に対(むか)う死後胸廓の綾(あや)なす内部
のぼりつめて宙に肢
(あし)ふる飛蟻(はあり)あり唐突にああ挫折の予感
アイロンが一基海
(わた)なかの砲に似てむなしき〈戦いの明日〉待つ姿
(から)きスウプより顔あげてわれ見つむ土砂降りが撃ちまくる硝子を
眈々
(たんたん)たる視線もて貫(つらぬ)かるるとき何せんとわれ裁(た)ち鋏もつ
妻不意に鮮
(あたら)しく見ゆ、白昼の部屋ぬけてゆく風を抱きて
闘いの間隙
(かんげき)に居てするごとく午(ひる) あつき湯に頭髪(とうはつ)洗う
岡井隆『土地よ、痛みを負え』

肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は
おのずからまどろむ時の雨ぞふりふるえて開くとりどりの傘
或るひとりさえ愛しえて死ぬならば月光に立ち溺るるボンベ
手術室よりいま届きたる肺臓のくれないの葉が見えて飯
(いい)はむ
ネクタイを頸より抜きてはて知れずなりゆくおもい 風の死ぬ夜を
臓器刀
(オルガン・メサア) 洗うはつかなる水欲しも たたかわむためにのみ時間(とき)欲しも
楕円しずかに崩れつつあり焦点のひとつが雪のなかに没
(ぼっ)して
燃えおちる内なる橋の数知れず病む訴えのなかを行く時
マス・コミのつくる怒りを怒りとし矢印のとおり信じて来た母ら
抱くときうしろのくらき園見えて樹々もろともに抱く、轟
(とどろき)
病むものの心の綾をかきくぐりかきくぐり来て口漱ぐかな
あわれいま束を解かるる花茎のつゆけき交叉抱きあげむとす
気管支の枝ことごとく炎
(も)えわたる夕まぐれ病詩人を訪(と)えば
岡井隆『朝狩』
岡井隆全歌集Ⅰ(思潮社)より
COCOON有志で読書会を続けている。ここのところは、ずっと岡井隆を読んでいる。時代背景が違うと理解が難しく、また難解な歌は、やはり一人で読破することが難しいので、仲間の力を借りて読み進めている。歌の仲間は本当にありがたい。時代が変わっても相聞歌や医師としての歌は、普遍性がある。
……にしても、ルビが多い!!


【vol.163】
眼は老いてまなざし老いず遠泳のあの日の空につづくこの空
世の中によくあることがわが家にも起きて驚く鳩の家族は
塩パンを食べつつおもふ風の音
(と)のとほい手紙のやうなみどりご
やや、これは、やややや、まこと妊婦なる娘のお腹
(なか)せり出してくる
二日目のみどりごをガラス越しに見てしばらく立てり白い渚に
もの思ふ秋もへちまもありません泣きぢから凄き赤ん坊ゐて
みどりごにいまだ歯の無くたらちねにすでに歯の無し目眩
(めくるめ)く生
秋があんまり早く来たから大空にひとりの椅子を置くひまがない
後鳥羽院の遊離魂かと怖れつつくろこんにやくを湯にしづめをり
鳥獣園に来ればしんそこさびしきをまた来て春の帽子を失くす
老境も佳境に入るかこのごろの母はホントのことばかり言ふ
遊ぶ子のごとくあるいは死のごとくふりかへるたび月が近づく
をさなごに鼻つままれて「んが」と言ふ「んが」「んが」古いオルガンわれは
亀を乗せ石やはらかく濡れてをり未生・生前・死後の夏あり
亀は石に石はときどき亀になりとろりと瞑
(つむ)る時間のまぶた
黒を着て老いきはだてり白を着て寂しさきはだてるなり晩夏
素脚より秋に入りつつ風またぐやうにひつそり落蟬またぐ
あつけなく人は死にまたなかなかに人は死に得ず寒鴉鳴く
もの食ふはいのちの仕事寒の夜をやつさもつさと毛蟹食ふなり
われに似る小さき人よ今日の日を君は忘れよわれは忘れず
小島ゆかり『六六魚』本阿弥書店より
ゆかりさんの歌集を出すスピードと歌数には驚く。『馬上』から約2年で448首を収録した歌集が出せるなんて。しかも秀歌ぞろい。第14歌集と言えば、高野公彦『流木』と同じだ。この歌集には、娘さんの妊娠・結婚・出産により、祖母になるという歌と短歌研究賞をご受賞されたママ友の死を詠んだ挽歌が収められている。リアルでシュールでポエティックで、何度も繰り返し読みたくなる歌集だ。

【vol.162】
青春の終わりあたりをさまよって並ばずにすむラーメン屋に行く
だらしなく花おわらせるチューリップ女というのが面倒になる
きみはまだ帰ってこない冬の夜にアコーディオンを弾く真似をする
僕達と二人を括ることのないきみが見ている月を見ている
消音にして観るサッカー中継の動きはすこし鈍さを持った
はつなつの空はひろがり青色の洗濯ばさみはつぎつぎ割れる
待合室はさいしょに暮れてさかさまに戻されていた雑誌を直す
ソーラーパネルの土台ばかりが放置されあかるい方へ向かされたまま
さくらんぼひとつつまめば体内に血は巡りゆき色彩を得る
電線が太さを増して見える昼 失踪という消え方がある
黒﨑聡美『つららと雉』六花書林より


乳房まで湯に浸かりおり信じたいから測らない水深がある
どこにでも色はあるのに見えやすいものばかり追う色鬼ごっこ
わかりやすい言葉にしたら伝わらない音にならない口笛を吹く
手開きで鰯の腹を裂きながら母であるのに冷たい両手
飲み込んだ言葉はどこへ秋雨に濡れた新聞紙のもろいこと
Amazonがわらびを買えと言ってきて寒い 言葉は人を殺せる
携帯を家に忘れてきて自由わたしは橋のかからない岸
ポテト食べているのかケチャップ食べているのかどちらにしても満たされぬ夜
嘘をつくのも笑うのも嫌だからただ揺れていてクリスマスローズ
街から灯を分けて運んでいくように路面電車は光りつつ行く
生田亜々子『戻れない旅』現代短歌社より


水平線つまびけば鳴るといふ海を見るため昏き階
(きざはし)のぼる
原発も棺も一基と数へゐるこの世の夜をひたに眠りぬ
身じろぎもせず横たはるひとの辺に副葬品の眠りをねむる
左右
(さう)の耳はことなる音を拾ひつつどこに立つても風の途中だ
浴槽の栓をゆつくり引き抜けば水とはみづに溺れゆくもの
照らされて輝
(て)るレシートにわたくしのけふの命の値段を知りぬ
雨音ももう届かない川底にいまも開いてゐる傘がある
舌先に冷えびえとしてOFFICEとふ綴りのなかの溶けない氷(ICE)
花びらを涙と呼べば花びらはあとからあとから流れるばかり
両方のおやゆびを子に握らせて操縦されるわたしとなりぬ
飯田彩乃『リヴァーサイド』本阿弥書店より
30代~40代女性の第一歌集を3冊セレクト。それぞれ特長があり、一括りにすることはできないけれど、青春歌集というものではなく、満を持しての一冊という印象。娘、恋人、妻、母というさまざまな女性がさまざまな表情をみせる。女とは複雑な生き物なのだ。

【vol.161】
釘いくつ抜いても壁に消えのこるイエスのてのひらに雨が降る
祈り終えすこしふっくらしたような両手を薄いひかりにさらす
馬の腹に手を押しあてる少しだけ馬の裡なる滝を暗くして
月光は脈打つ傷のように来るあなたがあなたになる前の秋
わたくしが切り落としたいのは心 葡萄ひと粒ずつの闇嚥む
夕暮れは穴だからわたし落ちてゆく壜の砕ける音がきれいだ
曇天に火照った胸をひらきつつ水鳥はゆくあなたの死後へ
ふる雪は声なき鎖わたくしを遠のくひとの髪にもからむ
青い傘ひたと巻くとき感情を越えてやわらかな手首となりぬ
手をあててきみの鼓動を聴いてからてのひらだけがずっとみずうみ
たてがみに触れつつ待った青空がわたしのことを思い出すのを
風を押して風は吹き来る牛たちのどの顔も暗き舌をしまえり
冬の虹途切れたままにきらめいて、きみの家族がわたしだけになる
枝々に痩せた光をまとわせて眼が見たいものをわたしは見てる
するどく、深く、旋回する鳶のあんな高さに心臓は鳴る
明け渡してほしいあなたのどの夏も蜂蜜色に凪ぐねこじゃらし
欲望がフォルムを、フォルムが欲望を追いつめて手は輝きにけり
肉体の曇りに深く触れながらカミーユ・クローデル火のなかの虹
ひとがひとに溺れることの、息継ぎのたびに海星
(ひとで)を握り潰してしまう
彫ることは感情に手を濡らすこと濡れたまま瞳
(め)を四角く切りぬ
大森静佳『カミーユ』書肆侃侃房より
第二歌集が第一歌集より話題になるのは稀である。第一歌集の評価が高ければなおさらだ。『カミーユ』はどうだろう。目で見たもの、手で触れたものを一度心に取り込み、水の言葉、火の言葉、風の言葉にして紡ぎ直した、そんな印象を持った歌集だ。『てのひらを燃やす』からは確実にシフト、ギアチェンジ、異次元化したように思う。大森さんは“表現者”になったのだと思った。しかし一貫しているのは「てのひら」を詠んだ歌が多いという点。いや第二歌集の方がむしろ多いかもしれない。きっと、てのひらを燃やしながら、作歌されたのだろう。

【vol.160】
この春の異動さだまり白鳥の北をさすこゑはるけく響く
一人とは風を聴くことキリキリと幹を抱きつつのぼりゆく蔦
晴の日に降る雪のやうゆりの根がことりことりと鍋にゆらめく
東雲のそらにふたつの鳥の影はるかなるかなこのさびしさは
聞かざればさみしく聞けばなほさみし雪の暁わたる白鳥
長靴のなかで脱げたる靴下のほにやらほにやらに耐へて雪搔く
行く先は告げず出で来ぬ北上駅0番線に降る蟬しぐれ
ゆふべには降りくる雪かカーラジオにぢりぢりと音の網かかりたり
代赭色に染まるゆふべの街川に白鳥一羽また一羽降る
火を消すのは火じやないかしら草の香のするズブロッカひといきに飲む
おにぎりのアルミホイルを丹念にのばしてたたむ 捨てるのだけれど
もぎたてのキュウリそのままかじるとき胸をはしれる一本の川
泣ききれず泣きやみきれず六月の空こきざみに肩をふるはす
さみしくはないけれど猫、 猫を飼ひたくなつたさみしさ
あいまいな絶縁として「いつか」はあり六年積まれしままの除染土
とき・つがる・ほくと・せんしう・ゆきのした・いはひ・わうりん・ふじ・せかいいち
コンタクトレンズをやめて眼鏡に換ふ息がしやすくなつたやうだよ
「北」といへば不穏な気配ただよへる現代
(いま)の無念さ 北窓ひらく
パンなければ命つなげずパンだけでは心つなげず くりかへす冬
積む雪の底ひに湖
(うみ)のあるごとく青く灯れり錐寒(きりさむ)の朝
福士りか『サント・ネージュ』青磁社より
私は福士りかファンだ。特にりかさんの相聞歌には心がふるえる。しかし、この歌集は相聞を意識的に抑えてある。初出には確かにあった相聞歌も選歌で落としている。それでも、にじんでくるものがある。そのにじみ具合がまた絶妙だ。
雪と白鳥=白のイメージの『サント・ネージュ』。その裏側には白い炎がある。
集の後半は、大胆な破調や口語を活かした歌などが目立つようになり自在である。ある時「歌会に変な歌を出そう」と誘ってくださった。目標は宮英子さんの「もう充分にあなたのことを思つたから今日のわたしは曼珠沙華」だそう。コスモス東京歌会で酷評された名歌だ。りかさんの歌では、三句が丸ごと欠落している猫の歌など、名歌だと思う。


【vol.159】
会へぬ日は君のメールを読み返す新解釈が生まれるくらゐ
明確な使命を抱いて生きてゐるサラブレッドが我をみつめる
五分前投函をした一通を自分の力で取り戻せない
新しい小さな傷が痛むのでむかしの大きな傷を忘れる
煮つまつたおでんのたまごが悲しげに沈んでゐますすくつてください
もし明日だれかがなにかを起こすなら「前夜」と呼ばれる夜の静かさ
語り部の口から死者の声を聞く水をください水をください
とりあへずあさつてまでは生きてみてその日に決めるそのあとのこと
やみくもに戦ひ傷を増やすよりじつとしてゐるとふ選択肢
怒りもて投げし器の欠けもせで床の上にて冷たく光る
道のべにはりつく軍手に近づきて後出しなれど挑む左手
おとなしく主を待てる馬のごと駐輪場に並ぶ自転車
まづ君のぐしやぐしやをみな聞きしのち我がどろどろを君に伝へる
住所氏名年齢職業の途中にて突然書けなくなるボールペン
ひと切れのお好み焼きとあなたへのことばがのどですれ違ひたり
行く先のちがふ言葉が重なりてポストの中でひと夜を過ごす
いくつものバイトと四つの会社辞し街には元の職場があふる
警報機ひとつを首にぶら下げていつでも自爆できさうな春
この街のどこかに鍵をかくすからみつけて誰か訪ねてほしい
いつまでも売れぬおでんの大根を励ましながらひつくり返す
熊谷 純『真夏のシアン』短歌研究社より
熊谷さんは「真夏のシアン」で、第1回近藤芳美賞受を賞者。私は、その作品を見て、第2回に応募し受賞した。同じ、近藤芳美賞受賞者が活躍するのは嬉しい。この歌集で受賞作以外の作品を通読した。「原爆」や「お好み焼き」等広島の風土をまといつつ、いくつも仕事を辞めバイト生活し、自身の存在意義を自問自答しながら、小さな恋もして生きる現代人の姿が立ち上がってきた。応援したい。

【vol.158】

存在をときどき確かめたくなって深夜ひとりで立つ自動ドア
ゆら、とすら揺れない心を前にして関係に名を欲しがっている
ぺたぺたぺたカツカツカツと並ぶ音 あぁ女子力の差というやつか
こなざとう舞う朝は来て追熟のりんごの頬で駅まで歩く
血管の中に住みたいからだじゅう隅から隅まで知りたくなって
体温と気温と湿度の上がる部屋 しろいね、きれい、きらい、うそつき
あとはもう乾くばかりだマジックのキャップを失くしたような終局
生涯を終えた白熱電球のその温もりのような失恋
〈三番線発車します〉の声にすらすこし泣きたい〈ドア閉まります〉
「よく笑うひとなんですね」笑わせてくれるひとから言われてしまう
初めての小龍包の食べ方を教えてくれた人になるひと
いつか割れてしまう気がする暗闇を映して硝子窓は震える
距離を置く作戦実行中ですが月がきれいで話がしたい
これ以上誰にも出逢いませんようにたったひとりを待つ冬の窓
いろいろを省略すればほぼ妻と呼ばれてもいい四月の朝に
千原こはぎ『ちるとしふと』書肆侃侃房より

2010年~2017年の間に作った9800首弱から選び、新作40首程を加えて、組み直し350首としたと「あとがき」にある。1年に1200首強作っていることになる。すごい。上に15首のみひいたが、独り身の孤独→心の結ばれない肉体的な恋愛→失恋→安らぎのある愛、と物語が組まれていて、流れに違和感はない。合間にイラストレーターとしての職業詠もあり、リアリティーがある。私の『嫉妬の群生』時代を少し思い出した。

【vol.157】
ひとみ冴えてわれ銀河へと流れこむ両手
(りやうて)をひろげてひとりは重し
淡雪のひとひらうるみ葉牡丹の紅にかかれるつかのま白し
わがこころ下降にくらき日を夜を花ざかりの桃一樹が立てり
緑蔭は悲母のごとしもゆるぎなく人はまどろみ影を失ふ
ひまはりの黄なる内湖におぼれゐむ働き蜂の孤独を讃ふ
まなうらに雪ふるものを陽の射せばうつつに白くさるすべり咲く
夏の雷もとより慈悲にとほき夜の火に焼く魚の眼は澄みてをり
蜘蛛の巣は夜明けとともに耀
(かがよ)ひて無傷なるゆゑ濃密なりき
たまゆらの影さし澄める秋の日を瀑布なすごと瓶くだけたり
渡らむとこころはなやぐ罪もあれ夜の吊橋に身をゆらしつつ
小中英之『わがからんどりえ』角川書店より
COCOON有志で数か月に一回、読書会を開いている。一人では、なかなか読み進められない歌集を仲間の力によって補って読む。私は読書会の2か月程前に『わがからんどりえ』を読んだ。そして、読書会前日に印を付けた歌を読み返したところ、まったく2か月前の歌の印象が立ち上がってこなかった。(通常なら再読した時、ああこの歌この部分がいいよね等と思い出す。)
三十一音のカメラで場面を切り取ることが難しく、像が浮かびにくい。(上に引いた歌は比較的像が浮かぶ。)これは、先日「かりん」東京歌会で馬場あき子さんが「気分だけで雰囲気のある言葉を並べたってダメよ。曖昧で像が浮かばないじゃないの」とおっしゃった現代短歌にも通じると思う。今、読むとなんとなく良さそうだけど、四十年後には印象に残らないかもしれない。そんなことをふと考えた。


【vol.156】
少年のひとりの夜討ち 月の夜の公園に手もて光切りをり
(わたくし)は人ではないとあぢさゐが人のかほしてまつしろに咲く
山ゆ来たる山桜の花じつと観ればどの一輪もかんがへてゐる
断簡のごとき雲あり明るさがさびしさとなる春の晩照
つぎつぎに寄せてくれども続く波もたぬ殿
(しんがり)の波白くあり
砂浜に燃やす火 どこから眺めても正面となる裸形のほのほ
月見れば無垢もまた無苦も地上にはあらずと思ふ影踏みて行く
境とはへだつるところ境とはあひあふところ この世は境
稲妻は稲のみならず人の妻かく思ひつつ照らされてゐる
仏壇の一人となりて間のあらぬ人にとりわけ紅きさくらんぼ
光強き残暑の道を人間のきれはしのごとわれは歩めり
原形をとどめぬ家の廃材に赤とんぼ飛ぶ火を放つごとく
雲のなき日向
(ひうが)の空は青尽くし青を尽くして不意にしろがね
(つ)いてくる人のなきかと振りかへり誰をらぬ夕焼けの火の道
遠音より遠見よし春は 野への道ひとり行きつつ招かれてをり
伊藤一彦『遠音よし遠見よし』現代短歌社より
充実の第十四歌集。どこを開いても間違いなし。牧水ゆかりの地を旅しながら、心を寄せている。歌集全体に月光があたたかく時に鋭く射している。
福岡を発つ時「この世界(歌壇)にいたらいつかまた逢える」とお言葉をいただいたが、ずっと逢えないまま三年。ようやく年末の現代歌人協会の忘年会にてお会いできた。


【vol.155】
実家
(さと)に居れば心は憩ふ崖下にハゼ釣ると集ふ子等の声聞ゆ
ある時は壁の如くに想ひみつ一切の過去にかかはらぬ夫
夫の子の遺骨迎ふと人等来て一塊の土を互
(かたみ)にわかつ
そくばくの金ことづけて涙いづ父の経て来し一代
(ひとよ)知らずも
書画の類手放すと聞けり老いづきて子等を恃まぬ父を寂しむ
絵にかきし餅のやうなる男充ち吾に不惑の齢近づく
父の秘事なべて事なく過ぎけりと遺骸に添へる母を瞻
(まも)りつ
食はせものよと思ひゐし父の骸
(むくろ)となり吾に素直に指を組ませつ
結論を直ちに出してためらはぬ可愛気のなき女なりや吾
ずぶずぶと身を浸しゆく湯の面
(おもて)ひとりゐる時も吾は嘘つき
縁切寺の峡ふかく真杉静枝瞑
(ねむ)る女心徐々に鎮まりゆかむ
僅かなる借財を苦に死を選びし叔父の励める一生
(ひとよ)を憶ふ
こころ溺れて罪に奔れる哀婉を男なればかく演じ切りしか
俄かにもめぐりうそ寒し自己愛をはなるる愛のなしと思ふに
夏の冷えただよふ黒き梁の下病む母をへだてし心に佇てり
時頼の力拒みき僧忍性「有
(う)縁を厭ひ無縁を好む」と
人生はめぐり逢ひなり欺かず生きなむと老いし君が盃
(はい)を差す
放埓に酔はせて一度ききてみむ吾は如何なる本音をはくや
嫁ぎし吾に定期購ひ通ひ来し母が伝説となれり友らに
立てつづけに受話器より声を流しくる骨肉の愛を疑はぬ母
愚図な女二代ありけり母とたがふ生きざまのみがわが拠
(よりど)にて
母の心に起こす波紋の厭はしく表情にぶき女となりつ
四十年の過ぎゆきを想ふ小賢しく常に計らひて何を得しや吾は
ニヒリスト故語りたくなしと吾
(あ)を言ひし子の言葉次第に心をば占む
二五五万の男女差持ちて戦中派乙女の今や老いづかむとす
(し)が病ひ知らざる母は診療を待つ間赤児に笑みかけてをり
事後報告のみを対話となしきたる此のひとり娘
(ご)を母よ頼れる
評さるる言葉次第にわが性
(さが)となりゆきて鉄火の女生れむ
愛といふ語を執着に代へしかばいささか娑婆のすつきりとせり
母性なき吾とし想ふ園児らの声湧く道ゆゑ避けて来につつ
ひたすらに愛されし事も今終る五十代の兄と四十代の吾と
感動はあらねどひとり眺めゐつ異母妹と知りし従妹の写真
秘事もちし父を憶へりうちつけに喜怒哀楽を表はさざりき
父母
(ちちはは)もわが異母妹を生みしひとも逝きて葛藤(かつとう)の遺らぬあはれ
うす汚れしこととも思ふ寂しさに凡人は和を計りて生くる
委託加工に出せるが如き人生と省みおもふをみなの一生
(ひとよ)
思うても見ざりしが今愕然とす母は吾より仕合せなりき
理不尽に思へてならず娘より仕合せなりし母の一生
(ひとよ)
主婦われの健気ならむと努めしがあたふることは歓びならず
平凡な男を二人日本にふやししのみにわが世傾く
二十五年の時は流れつ長続きせぬと言はれし夫と吾とに
斃れゐる子の手握れるわがめぐり音消えて視野を人の行き交ふ
わが憂ひの根源なれど汝がもてる甘さは時にわれを慰む
五十歳を過ぎし頃ほひ悪縁の切れし想ひにうからら眺む
退屈な妻の時間に入りゆかむをとめ子かいま祝辞を浴びて
胸熱く見し日は過ぎて匂ひなき影のごとくに男らはあり
ひといきに残暑は去れり人並みの夢捨てたれば恐きものなし
汝が横顔厳しくぞ見ゆ受洗終へ浸りし水より身を起したり
そつけなき吾なりしかど亡き母の娘持ちしを今に羨
(とも)しむ
波立たぬこころとなれり愛憎の袋小路をぬけしかわれは
生殖のつとめ終ふれば虫は死すわが生きめやも残るいのちを
銃眼のごときに吾ものぞかれて子の家のドア重く開かる
メタンガスの如く心は呟けり一夫一婦は悪のみなもと
人生は自動扉にあらざれば努めよなどと子には言ひたり
面上げて寒気の中を裾さばき歩みゆくとも扶養家族われ
蓮本ひろ子『自動扉』伊麻書房より

敗軍をととのふるごとわが顔に彩色
(さいしき)なして表に出づる
人間関係いまだ白紙のままにして玻璃戸をへだつみどり児とわれ
無数なる微粒光らせ吹く風に砂の面を砂は走りつ
心欲するままに生きむか凡人の矩を超ゆともたかはしれゐつ
現し世は善人と悪人その間
(あひ)の浮動票のごときあまたの人ら
玉三郎朱唇ひらきて如何に死を忘れ生くるかが人生といふ
来世にも同じ連れ合ひを択ぶとふ数字の多さ吾をおどろかす
卒業後半世紀経つ公平に美女、才媛の区別なく老ゆ
とりどりの錠剤ならべレストランにデザートのごと老女らはのむ
行きあたりばつたりの生の続きにて「ばつたりの死」を願ひゐるわれ
生きてゐるこれも証かパンプスに苦行を強ひし足解放す
「さらし刑」執行されしこの広場林檎、ぶだうを積み上げて売る
結婚せしは今日と思ひて仰臥せる夫に眼をとめ病室を出づ
気道穿ち睡りゐる夫今ははや濡るることなし今年の梅雨に
常のごと聞き流したり気をつけて帰れといひし終の言葉を
何も知らざるままに別れしおもひせり半世紀を共に棲みたる夫の
夫のこころに如何なるわれの住みゐしや共に焼かれて知るすべもなき
なじみたる語の多くのる『死語読本』わが来し方の葬りの如し
ワゴン車より運び出されて次々に桜のもとに媼置かれつ
うからなど持ちたる記憶われに失せ師走のぬくき獣園めぐる
親もなく夫なく子らも離り住み二十四時間本音に生きる
半世紀近くを共にありし夫うせて孤独感あらぬはかなさ
本心を小出しに生きてぬえのやうになりたり人を竦
(おそ)るるあまり
「いい人」をやめると楽になるといふやめられないのがほんとにいい人
女房の仮面は燃ゆるゴミに出し親の仮面はときをり用ふ
さよならをいふ折もなく人ら去る流れ解散に似たるこの世や
共感を呼ばずともよし現し世に指紋のやうな歌遺したし
蓮本ひろ子『指紋』短歌研究社より
「コスモス」2018年3月号、65周年記念号で「コスモスと共に歩んだ人々」という企画があり、私は蓮本ひろ子について書かせていただいた。依頼では、自選30首を読んで歌風を述べよというものだった。自選歌を読み、「嫁ぎし吾に定期購ひ通ひ来し母」など尋常ではない母子の関係を感じ、また男性を「匂ひなき影」と表現したり「一夫一婦は悪のみなもと」とスパッと言ってみたり、かなり満たされぬものを感じた。最終歌は夫を看取る歌で「気道穿ち睡りゐる夫」と、恐ろしいほどの冷酷さが感じられた。このような歌を自分の代表作だといっていることを、どう解釈してよいか分からなかった。また、30首だけでは、離縁しているのか添い遂げたのかも分からず、歌集の歌に手を入れていたり、順番を入れ替えたりしているとのことで、貴重な二冊の歌集をお借りし、通して読むことにした。
通して読み、結婚し二人の男の子を産み育て、夫と添い遂げていると分かった(人生をまるごと創作しているとは考えにくいため)。その上で、母との確執、満たされぬ感情は、どうして湧いてくるのか。
私は次の一首で謎が解けたような気がした。〈感動はあらねどひとり眺めゐつ異母妹と知りし従妹の写真〉
この歌は、秀歌ではない。しかし、蓮本ひろ子の歌風を理解する上では重要な歌だと思う。このような歌を引くと、失礼だという人がいる。では、作者はなぜ発表し、歌集に収めたのか。
〈異母妹の従妹〉の歌があることで、母は実の娘である作者に相当入れ込み、作者は母の感情を掻き乱さないように感情表現の乏しい女性になってしまったのだと解釈できる。近親者との難しい人間関係のなか、感情表現をうまくできなかったが、短歌という形式に出会って、ストレートに心をさらけ出せたのではないか。
しかし作者は、母はもとより、夫からも愛されていたと思う。夫の終の言葉が「気をつけて帰れ」だもの。


【vol.154】
わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに
業務上発音をする必要のあつて難儀なきゃりーぱみゅぱみゅ
半年の通勤定期ちやんと買ふわたくしはいつも長女ですから
あきらかな誤字以外には手を入れず編集しました的なよこがほ
三年ぶりに家にかへれば父親はおののののろとうがひしてをり
置き傘のやうなわたしは曇り日にきみとはぐれてしまふ、おそらく
ああちやんとだめにならうよ切り花の枯れて視線を集めるやうに
なげやりに暮らしてゐるとおさいふの一円玉が増えてくるのよ
恋人はゐるのゐないのゐましたかゐればいいのにあきらめるのに
種を売る市場のためにあさがほは種の実らぬ種が売られる
なくしてはいけないものはありますかおあづかりするからだのなかに
左から右へ流れてゆく時間 再生ボタンはみな右を向く
もう一度触れてください 改札で声の女に呼びとめられる
本多真弓『猫は踏まずに』六花書林より
晩学とのことだが、岡井隆さんの解説に、花山多佳子さん、穂村弘さん、染野太朗さんによる栞と、華々しい第一歌集だと感じた。タイトルや装幀の通り、期待を裏切らず明るくユニークで、常に前向きに詠まれており、読後は笑顔になれる。自嘲的なところもよい。ひらがなが多く、常に若々しく元気な印象だ。

【vol.153】
夜の都市の出口はすべて閉鎖され逃亡者にもなれない我ら
不意打ちの雨にこころを潤はせ積極的にやさしくならむ
鳥雲の午後はむやみにせつなかり敗戦処理の投手か我は
号泣をする若さなし、あをぞらの色落ち着いてゆくまでを居つ
墨を磨るごとき時間のさびしさに無口でゐたい、あなたとともに
秋天をひと息ついて見てゐたりあなたを呼べば振り向くあなた
思ひどほりにならぬひとひに苛立ちて時雨のなかの傘、役立たず
長靴の子はみづたまり突き進み虹にゆがみを与へてをりぬ
病めば収入なくなることの恐ろしさ眠りの浅き夜半にうごめく
ゆとりなき暮らしはつづきかたはらに猫を飼ひたいといふ声のあり
子の生まれ不眠と無縁になりし吾の身体の仕組は説明できぬ
精一杯やつたつもりのいちにちを明るく批判されてしまひき
三島由紀夫の享年近づく僕たちは自決の秋の午後に生まれき
満月と関係あるか分からねど今宵の吾子は預言者めきぬ
劣化せし輪ゴムをあまた無造作に重ねゐたるは意味あるごとし
宇田川寛之『そらみみ』いりの舎より
満を持して出版された宇田川さんの第一歌集。編集者、出版社代表としての宇田川さんしか知らなかった私は、初めて歌人の宇田川寛之さんにお会いしたような気持ちだ。初期の閉塞感のある作品や最近の出版社代表としての苦悩を詠んだ作品などが特に良いと思った。空を詠んだ歌も多かったような印象。また、ルビがないというのも特徴だと思うが、意識的なものだろうか。
鶴田伊津『夜のボート』と一対のような『そらみみ』。妻の側と夫の側で、同じ家庭でも見え方が違う。お子さんを詠んだ歌は、どれも素直で優しい。


【vol.152】
見立てとは知りしものから「しんかんせん」と子は拾いたる石を走らす
走りゆくものの背中を追うたびに脱皮ののちの蛇を思えり
子はふたつわたしはよっつ右脛に蚊の残したる晩夏
(おそなつ)の地図
治る傷ならばいいのだ前世からつづく記憶のような手の相
子を叱りきみに怒りてまだ足りず鰯の頭とん、と落とせり
あらうあらうあらうあらいてあらいてもあらいてもまだ、あらう、洗いぬ。
葉桜を新緑と言いかえている四月しずかな朝のひかりよ
空気とはよむものとなりさむざむと全休符めく沈黙ながす
外れゆく星の軌跡のそのままに黒鍵のみの音をつらねる
改札を子の駆け抜けてくるまでは不倫の恋のつづき読みいる
秋、冬と過ぎれば吾子は「つ」でかぞえられない歳になるのだという
いつもここはかりそめなのだそれなのに今日のひかりの続きを信ず
「なつかしい」と子の言うたびにからからと缶のころがるわたしのなかに
刻まれしメトロノームの拍のなか干し椎茸を戻しておりぬ
ぼうりょくをしらないわたしの両の手がふるえる ふるえをおさえふるえる
鶴田伊津『夜のボート』六花書林より
同年代の歌集が出ると、仲間の歌集が出たようで嬉しい。『夜のボート』は、鶴田さんの第二歌集。『百年の眠り』以降、十年間の歌をまとめたもの。お子さんが二歳から十二歳の時の作品だ。子育ての中での新しい発見や、葛藤などを詠んだ歌が多い。音楽に関する言葉を取り入れた歌や、上に引いていないが関西弁を詠みこんだ歌などがアクセントとなっている。

【vol.151】
雪とけて町汚れゆく親しさよ汚るるはやまひ癒ゆるにも似て
枝よせて木苺を食ふ女ありふりむかば美しき鬼となるべし
一瞬の衝撃! …そして血溜まりにころがりて止まる玉葱一個
「ダイジョーブ?」「意識ハアルカ」「救急車呼ンダカ」誰も生き生きとして
冬の空きつぱり晴れて手のひらに増血剤の錠剤の赤
いつからかハンドバッグが大きくなり鍵束の鍵ふえて、中年
除夜の鐘止みたる夜の一隅に空の出口のごとく月澄む
おちついて風呂にも入つてをられぬと言ふ受験の子泣いてしまへよ
黒マグロ鉄光りして巨大なる砲弾のごと水中を行く
ひとつ大きく吸つて止まりしちちの息 しろく雨ふる朝がきてゐし
夜のゆびをしとどに朱くぬらすまでさびしく熟れてゐる柿である
他国支配の「他国」でありし一国の一人として聴く 真夜のアリラン
中年は酔ひやすくまた覚めやすく窓に見てをり雪にふる雨
小田部雅子『正しい円』より
引き続き小田部さんの第二歌集をセレクト。『正しい円』は2001年出版。またまた、この歌集を読むまで知らなかった。小田部さんが三度も手術し半年も療養しなければならないような大事故にあわれていたとは。年齢的には40代の作品、今の私に近く共感する。はやく第三歌集が読みたいものだ。

【vol.150】
園児らは傘をかついで帰りゆき子の欲しきわれ花束を買ふ
ゆふぞらに春の音叉のあるごとく竜ケ崎しんと三月を待つ
見ゆるものは見えざるものに触れてゐてさくらの花がはらはらこぼる
日に灼けて太きわが腕子を抱かば相応
(ふさ)ふ太さと人思ふべし
二人乗りの少年のほそき自転車がわが目前
(まなさき)を突つ切りて、春
わが胸の涙
(テイアーズ)(・)(ヴアレイ)に生まれつぐひと恋ふる風、かなしみの風
性愛の極みと知らず死を欲りて二十二歳の夏はありにき
なめらかに昨日と今日はつながりて床
(ゆか)に落ちたるままの耳かき
甲種兵士として山
(さん)西(しい)を駆けたりし足裏白く、老いて父病む
父死にてわれ遺りたりわれ死なばのこるものなし月覗く部屋
濡れ竹のごとき冷たき足首が父のからだの最後の記憶
混沌のおもひことばにせしときにゆれてゆがみてはじけて愛は
夭折の子らが歌へりゆふぐれのジャングルジムを止まり木として
ハンドバッグの底に冷えつつしろがねのナイフ微光すいだきあふ夜は
身がまへて今日も生きてたいつだつて坂道はすこし身をかたむける
うしろの正面だあれといふにこたへずに目かくしのまま消えたるわが子
蝶ふたつもつれつつ飛ぶ夏まひる河原は白くもえたつほむら
小田部雅子『春の音叉』より
2017年コスモス賞を受賞された小田部さんの第一歌集をセレクト。この『春の音叉』は1992年に出版。コスモス入会の1982年(30歳)~1991年(39歳)の作品。次の第二歌集『正しい円』は2001年に出版。
私のコスモス入会が2001年であるので、小田部さんの歌集を読んだことがなく、この度切望して読ませて頂いた。
小田部さんとは、私が「桟橋」に入った2003年からの縁だ。いろいろな話をして、小田部さんのことは知っているつもりだった。でもこの歌集を読むまで知らなかった。小田部さんがこんなに「子欲り」の歌を前面に詠んでいたなんて。歌に出来なかった様々もお察しする。一人称の文学である短歌は本当にむつかしい。


【vol.149】
われの手が日々伝えたる体温の跡形もなく蛇口冷ゆらむ
空の壜捨てるこころは痛みおり婚解きにゆく霜月の朝
入り組んで降る雨のなかひとすじのさみしさは貫けり怒りを
夜空飛ぶ鴉まぶたに浮かぶとき夜空は黒くないと気づけり
手を振って別れしゆうべはせんべいの気持ち表も裏もあらざる
頭ぶつけながらも登るジャングルジムそんな言い合いしてみたかった
逢わずいて薄れゆくもの何と呼ぶインターネットで服を選びぬ
エスカレーターぐるぐるのぼり汚れなき生活用品売り場に着けり
指先は微妙に向きを変えて取る軸ひとつずつ違える葡萄を
街灯は参考文献みたいに並ぶ 誰よりあなたを知ってみたかった
一葉が質屋に行く昼カロリーなきゼリーを食べるわたしのランチ
カステラの弾力のうえで休みたし働いても働いてもひとり
まだ硬きバターを塗りて窪みたるトーストを食む冷えた素足で
表面に種浮き立たせ真っ赤なる苺を模様にして可愛いか
スカイツリー届かぬものを最初から視野に入れない生き方もある
くだものは甘く形も良くなれり誰が詠んだかわからぬ歌増ゆ
冬の枝はレースのようだ甘いのは悪いことではない、逢いにゆく
白き車両、黄の車両ある多摩湖線三分乗るため十分待ちぬ
嘘つかず心も込めずこの秋も国勢調査票塗りつぶす
遠藤由季『鳥語の文法』より
現代短歌新人賞受賞の『アシンメトリー』に次ぐ第二歌集。遠藤さんとは1歳違い、結社に入った年も同じ、千葉在住ということで、仲間の歌集が出たように嬉しい。消そうとしても消せなかったという〈私性〉。しかし私は、それで良いと思う。婚を解くというところからこの一冊は始まる。この「婚解きにゆく」歌がなかったら、他の歌の鑑賞も変わってくるだろう。読者の心の寄り添い方も違ってくるだろう。日常の生活の中に痛みがある。さみしさがある。怒りがある。後悔がある。諦めがある。明日がある。

【vol.148】
岸、それは祖母の名だったあてのなき旅の途中の舟を寄せゆく
六月の青葉を透けてくるひかり素肌のように硯をあらう
病む父のつづりし文に雨粒のにじめるような誤字脱字あり
あんまり思い出したくないんだ戦争は、血を噴きそうな先生の喉
美しいのは毒、きよらかなのは骨、声はしたたる熱のごときか
おしみなく噴水の穂は砕けゆく私がだれであってもいい日に
十分で心をしずめねばならぬチョークの箱に入れる青色
とれそうなコートのボタンのままだった炎がくらい震災のあさ
石に石くいこみたりし歳月に降るかなしみを故郷と呼ぶ
この家の隅々までを知りつくしぷつんと掃除機うごかずなりぬ
だれひとり殺せなかった父の手が葡萄のような蛍をつぶす
あげるものが何もないのと言う姑の寝台は川ひかりを反す
長い間よくしてくれてありがとうと言われて君はさみしい息子
カステラのうすがみ剝がすひるさがり多幸感ってこんな感じか
それじゃあね私はここで降りるから明るい車内の人に手を振る
岩尾淳子『岸』より

岩尾さんは1957年生まれ、神戸市在住、「未来」所属。『岸』は第二歌集。私と同じ「淳子」さん。「古家にじゅんこさあんとちりいぢりに我が名を呼べる父母います」など、私の歌かと思いました(^^)
教師としての苦悩、また年老いてゆく父母との日々は哀しい。


【vol.147】
呑むための器ばかりが増えてゆく四十(しじふ)半ばの白い白い闇
われを見てンンンッ?と言ふ一歳児ぶだうのことば話すみたいに
しあはせ?と訊いてチャアセ!と言はせたりああ言はせたり一歳半に
ホッチキスはづして二枚捨てたりき海を見て海に触れざりし夜
どんな親不孝を君はしてくれる? みかんを五つ剝くだけ剝いて
豚肉がジュジュッと跳ねる豚肉は(人間なみに)水分多く
青春は燃えながらゆくいつぽんの汗の濁流、夢の清流
ボール持つおまへの孤独感じながらわれらひとつの燃えあがる雲
ゆふぐれの渡り廊下の鰯雲 天職なのか辞めず二十年
われを見る生徒だけ見て授業せりのつぴきならずあられもない日
盗まうとすれば盗める長ねぎの箱あり朝の蕎麦屋の前に
四歳をぐぐつと抱けば背骨あり 死にたくないな君が死ぬまで
かしこまりました!と言つたことがない 祈る姿の蟷螂がゐる
(お)りますととなりの席にささやけり相対死(あひたいじに)を迫れるやうに
大松達知『ぶどうのことば』より

お子さんの1~4歳頃の作品。言葉を覚え、人となりゆく時期であり、貴重な瞬間を短歌に切り取っている。英語教師として、ルビなどを巧みに使い、言葉を探求し、時に遊び心もある。酒の歌、妻の歌もこれまで通り充実しているが、教職も20年という区切りをむかえ、40代半ばの悲哀とともに、深みが増している。

【vol.146】
池の月鏡の中に映る花見てゐるだけの他人
(ひと)の子育て
仁池
(にいいけ)のほとりに住みて仁(じん)の人らしからず生き泥鰌汁食ぶ
横たはる象のすがたの象頭山 臍下丹田
(せいかたんでん)に金毘羅祀る
海わたる快速マリンライナーで連絡船を知るからだゆく
さみしいのさが付くことば三昧場さむいさかみちさざんくわの咲く
地名には地霊のありて三豊市に多くの顧客もちたりわれは
子の無きに互みに父ちやん母ちやんと呼び慣はしし日々が終りぬ
夫の席ありて夫なき空しさに座ればわれの視界あたらし
ベッドより「おいで」と招く日のありきホテルのごとき病室の中
夫在りし日に似て非なるこの孤独ひとりひとりと雨垂れの音
死に近き夫おのづから葬儀屋に予約を入れき 万遺漏なく
生きてゆくことに意味などなくていい水引草を野辺に見てゆく
「だいじょうぶ!」こゑ上げて言ひ本当に大丈夫だと思ひ始めぬ
綾歌郡綾歌町の宮西に嫁ぎぬ「宮」あり「歌」二つあり
ひとりなん?空より降りて来た鴨が池の一羽に近づきゆけり
宮西史子『仁池』より
宮西さんは、私のふるさと香川県在住。方言を用いたり、地名を取り入れたり、私にとってはかなり懐かしい歌集だ。『仁池』は声の聞こえる歌集だと思う。宮西さんの、懐かしく柔らかなイントネーションがよみがえる。泥鰌汁は知らないが、私の体は連絡船を知っている。宮西さんの「だいじょうぶ!」という声に、何度励まされただろう。ご自身もお辛かっただろうに。

【vol.145】
今は誰にも見することなきわが素顔霧笛は鳴れり夜の海原に
かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は
何に乱れてゐたる心ぞ沖遠きいさり火もいつか消えて跡なし
帰らざる幾月ドアの合鍵の一つを今も君は持ちゐるらむか
山裾の湿原をさまよひ来し一日帰らぬ人にまたこころ寄る
木蓮の落花一ひら拾ひ上ぐ女一人生きてゆかねばならぬ
折り合ひのつかぬまま今日は別れ来つ夕べの霧に耳がつめたし
池の面に白鳥下りて浮ぶ日よ別れむと決めし安らぎにをり
アマリリスの花の香にふと蘇へる印象薄れゐしかの日の言葉
合歓の花の梢に昼の月はあり展けゆく未来もありと思はむ
今一たび夢を見むとも願はねど追ひつめて寂し遠き日の思慕
夜の間も人生は流れるものをとて読書に更かす夫にわれも縫ふ
バス降りて十字路をよぎり来る君よ夕陽の中のわれに手あげて
大西民子『まぼろしの椅子』より
「帰らない夫をひたすら待ち続けたかわいそうな妻」。短歌を始めた頃の大西民子の第一印象だ。私の母と同姓同名だったので、どうしても歌集を読みたいという気にならなかった。しかし、いつか向かい合わなければならないと思っていた。COCOON4号の評論で書く機会を与えて頂いた。少しでも、かわいそうでない人であって欲しい、そう願いながら読んだ。

【vol.144】
白旗をあげてゆるしを乞ふごとくハンカチ翳す炎帝に向け
妻病みて七年たちぬ非日常が日常となるまでの歳月
りんだうの花にちかづく唯一のまして一度のいのちたふとむ
生徒用の太宰治年表は小綺麗すぎてこれではだめだ
われの生
(よ)に降りこし幸のおほかたはつましけれどもそれぞれが金
妻といふほかなけれどもこの人を妻とし呼べば何かはみ出る
遊星が引き合ふごとく花と水かたみに恋ひて今し触れなむ
咲く花の水に触れむとするのみに触れえぬさまをながく見つむる
水の上に身をひろげつつしんしんと夜ざくらはみづに恋ひわたるかも
花とみづ婚
(まじ)はるごとく夜の水はくきやかに白きさくらを映す
きはまれるおもひの果てにおのづからみづに散りゆくひとひら、ふたひら
身を捨てておもひを遂げしやすらぎにさくら花びら水面
(みなも)をうづむ
食べてゐることを忘れて呆とせる妻よ頬つぺがリスのやうだよ
春の雲ひかりをためてふくらむを見上げつつ妻はすこやかに病む
うつむいてばかりゐる妻ほら顔をあげてごらんよ空がきれいだ
あきかぜや悟達のひとのかたはらに一生不悟のわれ立ちつくす
夜の思ひやさしくやさしく定まりてゆきてやさしく蜘蛛を殺めつ
ひとりひとりの名前呼び終へ心中
(しんちゆう)に(そして私)と付け加へたり
桑原正紀『花西行』より
短歌は韻律。そんなことを改めて思った桑原さんの第8歌集。特に桜の一連が美しく惹かれた。
奥様の看病は11年にもなる。語りかけるように妻を詠む歌には、やさしさがあふれているが、第7歌集までとは、少し様子が違うようだ。「この人」などと妻を他人のように詠んでいるものもある。どんなに献身的に接しても、新しい記憶が留まらないのだ。哀しい。教職も定年退職され、一区切りついただろう。多くの心境の変化がありそうな今後にも注目したい。


【vol.143】
すでに老いて父の広げる間取図のセキスイハイムの「キス」のみが見ゆ
ぐいぐいと引っ張るのだが掃除機がこっちに来ない これは孤独だ
まっ白なカップの縁
(ふち)にこびりつくカフェラテの泡 これは悔しさ
夕焼けに手を振るような恥ずかしさ君が欲しいと強く思えば
雨は好きだが紫陽花が嫌いだと低き声するバスはまだ来ず
君を思う気持ちにも似ていくたびもガスの元栓たしかむる朝
諦めは負けじゃないのに 折りたたみ傘の雨滴をばさばさ払う
花瓶からそっと引き抜きひまわりを折りたり枯れているはずだった
心音のすこしはやまることのみがいやそれすらもきみのつく嘘
痛点のひしめくからだ横たえて君が寝ているもう朝なのに
射してきて陽があたためる狂えずに朝をむかえた電波時計を
待ちたくて待っているのに夜の窓に映った顔のこの醜さは
扇風機の羽の埃のようだったあなたを責めるあの感情は
幸せになる覚悟とは コーヒーに浮きたる泡が唇に付く
母という欲がことばを吐くときの婉曲がまたわたしを責める
死ねばいい、と号泣しつつ飲む人のその宛先になりたかったが

  *1 父
父の揚げた茗荷の天麩羅さくさくと旨しも父よ長生きするな
父を今日も怒鳴りつけたり今日父は炊飯釜をぼくに投げたり
父とぼくが怒鳴り合うときいつも母がみっともないからやめてとぞ泣く

  *2 元妻
あなたへとことばを棄てたまっ白な壁に囲まれ唾を飛ばして
眠れぬと呟く人を怒鳴りつけオートロックの向こうへ帰す

  *3 君
尾鰭つかみ浴槽の縁
(ふち)に叩きつけ人魚を放つ仰向けに浮く
尾鰭つかみ人魚を掲ぐ 死ののちも眼
(め)は濡れながらぼくを映さず
朝の陽にあたためられてこの指はカラスアゲハの翅を引きぬく
翅のなき蝶飛ばざるをこの意思は君をもとめるもとめては消ゆ
君の手の触れたすべてに触れたあとこの手で君を殴りつづける
君を殴る殴りつづける カーテンが冬のひかりを放ちはじめる
染野太朗『人魚』より
フェミニンなタイトル、装幀と思い読み始めたが、読後しばし呆然とした。著者略歴は生年と第一歌集刊行のみで「あとがき」もない。〈私性〉を消したかたちだ。作中主体をどう読めばよいのか。
短歌における〈私性〉を消すことが、かっこいいとされる昨今。それでもやはり短歌は一人称で読んでしまうことが多い。

よいと思った歌は上部16首。
*1~*3は〈憎悪〉の感情を詠んだもの。高野公彦は「後で家族が読んで悲しむような歌を作るべきではない」という。私も基本的に賛成だ。それにしても、短歌における作中主体は、こんなにも残虐にならなければならないのか。それとも、抑えきれずに溢れた感情か。

〈怒り〉を短歌に詠むのは難しい。〈怒り〉は瞬間的な感情であり、怒り続けることはできない。例え瞬間的に怒りの歌を詠んだとしても、推敲し発表するまでには冷静になっている。まして歌集をあむときには、選歌し何度も校正する。
著者は、かなり冷静に怒鳴ったり殴ったりしている歌を発表していることになる。
〈怒り〉が解消できない場合、その感情は〈憎しみ〉へと変わる。〈憎しみ〉は持続可能だ。いずれにせよ、この強い憎しみは強い愛情の裏返しだ。こんなにも作中主体は、激しく人を思っているのだ。


【vol.142】
ゆふがほの蔓伸び続けつやつやと育ついのちの太さを持てり 浦河奈々
夏からのいのち保てるらんちゅうは滲むことなく水中にいる 遠藤由季
けふどこで傷ついたのか穿きかへて脱ぎ捨ててゆくナイロンの脚 岸野亜紗子
妻でありき短き日々のひとところ麦茶を沸かす大き薬缶あり 後藤由紀恵
あ、まちがえた、とつぶやく子どもの鼻濁音嬉しくてぽんと咲く木瓜の花 齋藤芳生
草のはら深くゆかむとをさなごは靴を脱ぎをり鳥になるとて 高木佳子
乗るものでなく見上げゆくものとなりわれは観覧車をただ見上ぐ 鶴田伊津
うす蒼き静脈透けるまぶたもち少女はねむるはつ秋の繭 富田睦子
胸底に舟をいくつも沈ませて四十代の夕なぎにいる 錦見映理子
つねに笑む猫の口もと 散りし土 銀色の虫の脚の一本 沼尻つた子
陶製の首飾りしてフォーク置く求肥のような透け方の友 山内頌子
硝子
(びいどろ)の器のH2O(水)に落とされしH2O(氷)の気泡(あわ)は空をめざしき 玲はる名
『66』より
年明け増刷された『66』を読んだ。角川も40代特集を組んだりしている。コスモスのO先生賞も上位は40代女性が占めた。今、40代に何が起こっているのか。今、なぜ40代なのか。「66」には、離婚の歌、お子さんの歌、老いてゆく父母の歌、変化してゆく自分自身の歌など、40代女性の様々が詠まれている。今のメンバーが心惹かれる女性歌人の歌の座談会も、とても興味深かった。

【vol.141】
塩豚と冬瓜を煮る夕暮れのとろりと融けて遠し名古屋は
同じ向きに揺れたるひとらそれぞれに惰性を持ちて家へと向かう
心臓を二つ持つ身のしずけさにくらくら夏が翻りゆく
ファイティング・ポーズをとりて泳ぎいる胎児はもはやひとのかなしみ
誰も彼も自信に満ちた顔をせりマタニティーヨガ午後のコースは
もう二度とわれの一部にならぬ子の爪はつめたく乳房
(ちちふさ)を掻く
ゆうがたを綿毛追う子に日照雨
(そばえ)降る金のかぎ針銀の縫い針
うで枕きらいし男ながき陽を敷きておさなご腕に眠らす
母は子の付属物なり子の名前のみを記して首から下げぬ
二番から歌い始めるおさなごの消えたるままのしゃぼん玉かも
闇に目が慣れゆくようだこの町の誰にも名前で呼ばれぬことも
ドトールとミスドが隣り合う場所のドトールにいる母性を拒む日
きぬさやのさやの響きを愉しみて湯よりあげれば湯気立つわが子
富田睦子『さやの響き』より
昨年末『66』というアラフォー女性だけで作った同人誌が発行され話題になった。なんと年明け増刷するという。そのメンバーのひとり富田睦子さんの歌集をセレクト。同年代ということで共感する部分が多い。結婚し、出産、育児の歌が中心。仕事を辞め、親戚知人もおらず、「まひる野」の支部もない地での生活。不安や孤独、さまざまな違和感が詠まれている。

【vol.140】
草原に火を芯として建つ包
(パオ)のひとつひとつが乳房のかたち
(くち)もとのオカリナにゆびを集めつつわたしは誰かの風紋でいい
土の底から風の唸りはひびきくる土にからだを横たえるとき
たくさんの窓がからだのなかにひらく心地して風ふかぶかと聴く
風を押して風は吹き来る牛たちのどの顔も暗き舌をしまえり
犬の死骸に肉と土とが崩れあう夏。いつまでも眼だけが濡れて
大森静佳『サルヒ』より  
※サルヒはモンゴル語で風
文フリで仕入れた一冊。2016年8月にモンゴルに行った時の短歌30首と写真をまとめたもの。写真も大森さんとご主人の土岐さんが撮られたという。この写真がプロの仕上がり(ここでお見せできないのが残念)。モンゴルでは遊牧民の包(パオ)に二泊三日のホームステイをしたという。なぜ、モンゴルに?と聞くと「5日で行って帰れるところを探した」とのこと。雄大な空と草原の写真と構成の余白によって、30首がゆったりと感じられた。


【vol.139】

今宵またタイミングよくこの靴が赤提灯のまえで躓く
三十年使い馴れたるぐい飲みの罅にかぐろき酒焼けの渋
高級車が(赤)で止まったゼブラゾーン大手を振って家内と渡る
茜雲にあこがれるのかひたすらに塀よじのぼるのうぜんの花
ミジンコに銀のまなこのあるらしく古がめの水たまゆらひかる
あかつきにしろき躑躅のかえり花ひんやりとあり狂えるものは
かいわれを特売として十円で売るスーパーに十円拾う
キューピーの瑠璃の瞳に混沌
(カオス)なくときに癒され時には疎む
(く)ゆるもの美(うるわ)しと思(も)う今われが銀の匙もて掬う茶碗蒸し
なにも無いということはない……今しがた千両の実がひとつこぼれた
冬街に信号を待つひとびとの背中
(そびら)ひぐれて墓石のごとし
すいっちょが「スイッチオフ」と鳴いている川内
(せんだい)原発再稼働の夜
藤村学『ぐい飲みの罅』より
藤村さんは北九州の方で、コスモス特選欄の常連だったので、お会いしたことはないが作品はよく知っていた。ちょっとしたウイットがあるのが特長。小さな発見の歌もいい。しかし、<あとがき>によると四十歳で突然不安神経症を患い、十年近く外出もままならない状態だったという。見かねた奥様が短歌教室に誘い出してくれたのだそう。知らなかった……。作品にはユーモアが溢れている。

【vol.138】
新緑の風と自転車走り去りシャツのしろさが残るはつなつ 河合育子
諦めたことの喩
(ゆ)のごと靴箱に履かぬサンダル、紐多き靴 水上芙季
くもり空刺して真白き野間灯台ときには風になびきたからむ 山田恵里
シースルーエレベーターが火星まで伸びるきほひに庭のたけのこ 有川知津子
せんそうせんそう口のなかにはさはさはとアルミニウムの擦れる音す 大松達知
まばたきのような明滅、街灯がしずかにおきる夜のはじまり 月下桜
斧で木を伐るような間の生まれたり碁盤に父が石を置くとき 三和今日子
まづは爪そして右腕左足うばはれてゆくげん ろん のじゆ 飯ヶ谷文子
コーラをまだ飲んだことなき娘らを横に並ばせ素足を拭ふ 柴田佳美
〈ものづくりのまち〉の浜松〈ものうりのまち〉とは呼べぬ接客態度 白川ユウコ
をんなだからなめられたなどと前時代的に思ひぬベガ光る夜 斎藤美衣
賞味期限切れのリンゴのまだイケる部分をかじるテロ怖れつつ 松井竜也
貝殻があるのだと言ひ夏草の奥へ奥へと子が吾を引く 松井恵子
掌にのせる朝顔の種ひとつぶの種より鳴れるぱいぷおるがん 小島なお
ひとりひつまぶしする人専用のカウンターではだれもしゃべらず 早川晃央
マトリョシカの最奥に居るマトリョシカの心を想う吾子を抱きつつ 島本ちひろ
ひさびさに家族のそろふ食卓に気恥づかしさうにマヨネーズ立つ 岩崎佑太
『COCOON』 Issue1 より

創刊号より何首か抜粋。冊子になったのは初めてだが、この前に4回の批評会があり、各12首ずつ読んでいるので、既に各人の作風は知っている。らしいなあと思いながら読んだり、今回はどうしたんだと思いながら読んだり。皆にもそうやって、長く読み続けてほしい同人誌だ。23の繭から、今後どんな蝶が生まれるのか楽しみ。

【vol.137】
いま湧けるこのあたたかき感情は要注意、また思ひ出がくる
蝉はもう何かに気づき早く早く生ききつてそして死にきれと鳴く
〈らーめん〉の行列の女子の割合は女性管理職の割合ほどか
終はれよと思ひ終はるなと思ふ介護のこころ冥
(くら)き火を抱く
街はもうポインセチアのころとなり生老病死みな火と思ふ
右奥歯痛し右手首痛し父は昏睡三日目に入る
苦しみの息まだあれど父の手の足の指先、壊死
(ゑし)はじまりぬ (※)
洗面台で泣けば石鹸のにほひせり父もう覚めぬ冬の病室
生まれ来てギイと鳴きをり全身に夏の雪ふるゴマダラカミキリ
一叢立
(ひとむらだ)ち藪くわんざうの花あかく女は多く生き残る生
雨の夜の月こそあやし月を恋ふこころはやがて月を身籠もる
馬上とはあきかぜを聴く高さなりパドックをゆるく行く馬と人
病むままにいのち衰へ死ぬことの自然
(じねん)を猫に許さずわれは
父ふたり看取り終はればかたはらに片翼
(かたはね)のごとき母ふたりあり
早すぎる死はあるものを遅すぎる死はなし英子さん美加さん、会ひたし
渓川の石間
(いはま)を走る夏のみづ若きとかげのやうに光れり
黒潮の海みてあれば百万年生きてわたしになりたるごとし
小島ゆかり『馬上』より
2013年夏~2015年夏の作品519首。この期間にゆかりさんがどんなに多忙だったかは、歌の数をみればわかる。そしてこの期間には、多くの大切な方々を見送った。特にこの歌集の核となっているのはお父様の死。42ページ1首目(※)で涙が溢れた。50代最後の歌集ということもあり、生老病死の、特に死にまつわる歌が多かった印象だ。あげきれないが、巧みなオノマトペやウィットもあり、我々を泣き笑いさせてくれる。

【vol.136】
東京湾波きらめけりわたつみは南極海まで無縫
(むほう)で続く
日だまりの馬酔木の白き花の鈴 逢ひて逢はざる恋のひそけさ
群れて咲くいぬのふぐりの瑠璃浄土そのかたはらにわが一つ影
川べりに桜ひともと咲き満ちて一糸まとはぬ命のかがやき
白つつじゆたかに昼の日は射して蝶、蝶を追ひ人、人と行く
池ありて風わたりゐて水べりの藤のむらさきを水光
(みづひかり)撫づ
黄の林檎天地に小
(ち)さき凹(くぼ)ありて一天体のごとし机上に
見ることのありて触れたることのなき虹、さるをがせ、白き耳たぶ
青白き月のひかりに涵
(ひた)されて硬き地球と固き梨の実
群雲のその間
(ま)の空の青く澄み柩に小さき窓のあること
土手のうへを漂ふいのちきららかに蜻蛉
(あきつ)は軽き天衣を広ぐ
通帳のところどころにある利息よりも幽
(かそ)けくオリオン座見ゆ
をみな欲しをみなと居たしある時は若き日よりも激しく思ふ
あらたまの年の涯なるおほぞらに我しか見えぬ風鳶
(ふうえん)を上ぐ
高野公彦『無縫の海』より
2015年、ふらんす堂のHPにて365日更新していた短歌日記。2015年は私達が福岡から千葉に引っ越すことになった年。宮英子さんが永眠した年。激動の一年を、高野さんの短歌日記とともに懐かしく振り返った。

【vol.135】
春のそら一角獣座が光るころ深くなりゆく砥石の呼吸
ひつじ雲ほつほつと浮く渋谷街〈さみしさ〉の元素記号教へて
〈治療中〉〈障害残存〉より薄く〈死亡〉の資料がファイルに残る
どのひとも遺言状を書いてゐるやうな顔してパソコン打てり
「病原体です」と名乗つて席につく病原体等管理係われ
〈エア恋人〉隣に立たせ「見て」と言ふ夕紫
(ゆふむらさき)の空を「見て」つて
芝生あれば幻想的に蜻蛉
(あきつ)とび〈思い出になる今〉を見てをり
家のかぎ以外は持たず川に来て水底に揺れる月光
(つきかげ)見をり
送別会課
(くわ)でいちばんに書く色紙とむらひ扇のごとき真白さ
大小のクリップばらまいてしまひ遠文
(とほもん)みたいとしばし見てゐる
人生は一瞬で変はることもあるカンブリア紀から鳴つてる電話
水上芙季『水底の月』より
COCOONの仲間の歌集が出た。嬉しい。芙季さんの歌は小さな気づきから生まれていることが多い。特に職業詠。薄い死亡のファイル、係名を略して「病原体です」と名乗る違和感。また「とむらひ扇」「遠文」等古来の言葉を生かした歌も秀逸。30代半ばにさしかかり、独りのさみしさが随所に滲んでいる。

【vol.134】
朝の道「おはよ! 元気?」と尋ねられもう嘘ついた 四月一日
履歴書に濁った嘘を連ねよと進路指導の先生は言う
白々となにもかなしくない朝に鈍い光で並ぶ包丁
目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ
爪のないゆびを庇って耐える夜 「私に眠りを、絵本の夢を」
水筒の中身は誰も知らなくて三階女子トイレの水を飲む
振り向かず前だけを見る参観日一人で生きていくということ
母は今 雪のひとひら地に落ちて人に踏まれるまでを見ており
あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか なんで死んだの
君が轢かれた線路にも降る牡丹雪「今夜は積もる」と誰かが話す
あたたかく見える言葉に手を伸ばす真暗な部屋光るPC
手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた
鳥居『キリンの子』より
2才の時両親が離婚、小5の時目の前で母が自殺、その後は養護施設での虐待、ホームレス生活など体験。友の自殺も目の前で目撃。義務教育がまともに受けられず、拾った新聞で文字を覚えたという。鳥居の中の言葉はこのようにして形成された。にもかかわらず、いやだからこそ鳥居の言葉は真であり、しなやかで強く、決してひとを傷つけたりしない。特に母の歌は、美しく柔らかく優しい。

【vol.133】
死にし子を見ざる母犬かなしみは天性にそむくと読みたる空穂
面接は六次面接まであると聞くとき出づるマトリョーシカは
枯野、否、東京ゆけば憂愁はぱちんと割れて憂鬱となる
リクルートスーツの若者公園のさくら浴びまた黒く飛びたつ
ワスレグサ属ワスレグサ科のワスレグサ日本を埋めるはつ夏の黄
(きい)
若者の歌集にひとときあらはれたたくさんの〈神様〉、この豪雨の粒
「ほやけん」と夫
(をつと)はたまにつぶやくとふ秘密のごとき伊予弁聞かず
豪雨すぎし断崖の上
(へ)の鳥屋(とや)の菰やぶれて空はそこへしたたる
氷解け北極海航路あらはるる そのやうには人仲直りせず
今治を出でて関東に老いふかむ義父は知るなしバリィさんのこと
シーソーの沈みやすくてをみな子が爪先やはく蹴る秋日かな
今日われは隣の孤独に声かけず大き焦げある土鍋をあらふ
湯豆腐がぷるぷるぷんとふるへればわたしが真実を話す番
三十六色ペンの出できて十歳の息子の色をみな塗つてみる
死にてわれ死者に逢へると思はねば今日葉桜のなかに偲ばむ
青梅雨や二十年ぶりに逢ひたれどかたつむり語をもう話せない
女房とたぶん言はれたことはなくふつくらぬくき房
(ふさ)をおもへり
いつまでの子の手のひらを知りゐしか革手袋を送りたけれど
米川千嘉子『吹雪の水族館』より
家族を詠む時のあたたかなまなざしを感じる。ご子息は、リクルート活動し、就職、そして巣立ってゆく。土鍋や湯豆腐という主婦らしいアイテムを使い、主題に転換するその飛躍がすばらしい。女性歌人として手本にしたい一冊。

【vol.132】
階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅
空にゆくには小さすぎやしないかと教授あわれむ初夏の紋白蝶
(モンシロ)
空をゆく鳥の上には何がある 横断歩道
(ゼブラ・ゾーン)に立ち止まる夏
一度にわれを咲かせるようにくちづけるベンチに厚き本を落として
理想像回転しかけ笑う昼友と向きあいあぶり餅食む
真逆さまに落ちゆくものをいまだ見ず恋の時間はたわいなく淡し
あやしげに加茂大橋に灯はともり弱きこころをとがらせ帰る
新じゃがを茹でたる湯気は立ちのぼり青春にいまだ異変はあらず
飛び込みしのちにちぎれる思いして春のプールは逃げ場のひとつ
青き葉の殖えゆく空の苦しさを北の母には告げずにおりぬ
バケツの中に水着洗えば匂いたつ塩素 もっと苦しめという
君を恋うおんなの声のきしきしとノエルのあかき花を憎みぬ
梅内美華子『横断歩道
(ゼブラ・ゾーン)』より
『コスモス』2016.4号に河野裕子・梅内美華子・大森静佳の第一歌集に関する評論を書かせて頂きました。梅内さんは同年代の同志社大学の先輩。構内ですれ違っていたかもしれません。当時の私は、まだ短歌に出会っていなかったのですが、この歌集を読んであの時代の空気を懐かしく振り返りました。

【vol.131】
冬の駅ひとりになれば耳の奥に硝子の駒を置く場所がある
カーテンに遮光の重さ くちづけを終えてくずれた雲を見ている
祈るようにビニール傘をひらく昼あなたはどこにいるとも知れず
もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見に行く
プリンタが白紙を垂らす睡蓮の絵をともに見た日の遠ざかり
部屋に雨匂うよ君のクリックに〈はやぶさ〉は年度も燃え尽きて
蛍光ペンかすれはじめて逢えぬ日のそれぞれに日没の刻あり
喉の深さを冬のふかさと思いつつうがいして吐く水かがやけり
忘れずにいることだけを過去と呼ぶコットンに瓶の口を押しあて
遠い先の約束のように折りたたむ植物園の券しまうとき
言葉より声が聴きたい初夏のひかりにさす傘、雨にさす傘
つばさ、と言って仰ぐたび空は傾いてあなたもいつか意味へと還る
あなたの部屋の呼鈴を押すこの夕べ指は銃身のように反りつつ
生きている間しか逢えないなどと傘でもひらくように言わないでほしい
ひらくもののきれいなまひる 門、手紙、脚などへまた白い手が来る
言葉にわたしが追いつくまでを沈黙の白い月に手かざして待てり
大森静佳『てのひらを燃やす』より
大学在学中に角川短歌賞を受賞した大森静佳さんの第一歌集。この歌集で現代歌人協会賞、日本歌人クラブ新人賞、現代歌人集会賞ともに受賞し、3つの新人歌集賞を史上初で全制覇した。
服部真里子さんの出版記念会で初めてお会いしたが、皆の会話の隅にいつの間にか加わり、やさしく微笑んでいる、という静かな方だった。歌も全体的に落ち着いた詠み口だが、時に目を見張るような大胆な歌、シュールな歌がある。「詠うことは自らの手を燃やすような静けさの行為である」と述べる彼女。裡なる炎を表に現す手段が短歌なのだろう。


【vol.130】
土くれがにおう廊下の暗闇にドアノブことごとくかたつむり
天は傘のやさしさにして傘の内いずこもモーヴ色のあめふる
人は血で 本はインクで汚したらわたしのものになってくれますか
ふる雨にこころ打たるるよろこびを知らぬみずうみ皮膚をもたねば
乾くよう乾かないよう洗い髪つめたい月にさらして歩く
されこうべひとつをのこし月面の静かの海にしずかなる椅子
薔薇十四、五本をくるむ〈溶融〉の文字あたらしい新聞紙にて
涙とはうつくしい事故 ひさびさに人と会いたる四月二日の
みどりごの爪伸ぶるやわらかさもて総身を芽吹きやまざる公孫樹
冬の日のさびしさ知らずさんさんと空にはパルス地には赤い実
あなたの耳は入り江のかたちあかつきの星を波打ちぎわにとどめて
ながあめに誰のものでもない月のような男とすれちがいたり
まんまるな月ほどいては編みなおす手のやさしくてたれか死ぬ秋
もう誰も月を覚えていない昼はるじおん咲きひめじょおん咲き
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』より
2001年角川短歌賞受賞作家の第四歌集。「かばん」会員。「かたつむり」「傘」「雨」「みずうみ」「洗い髪」「海」「涙」「波」等々、常に水のにおいがする。また「月」「星」を詠んだ歌も多く、歌集全体の印象は「月の雫」といった感じ。静謐で瑞々しく柔らかな歌世界だ。

【vol.129】
赤き薔薇ささげて待てる青年を過
(よぎ)りて我ら旅のはじまり
水鳥が水発つごとき羽ばたきの鼓動打つ児
(こ)よ妻の胎より
壁の色貧しくなれば膚の色あふれだす春寒
(はるざむ)のロンドン
サハリンと北緯等しき朝を鳴くユリカモメ 父になるぞよいのか
吾は児の尿
(しと)に濡れつつ醒めぎはの水に蓮咲くレディオヘッドよ
サイレンの止まざる夜を川の字の棒と呼ぶには短き吾児よ
ピーナッツバターを掬ふやうに便削ぎ落としわが青年期果つ
児の洞
(ほら)に落とすべきどれ 十二種のポテトの前に立ち尽したり
国出でてはや一年
(ひととせ)か風奔るうへを風ゆくストーンヘンジ
うへしたに前歯揃へてわらひをり取り換え児
(チェンジリング)であらうとも吾児
妻と児があれば吾など誰でもいいひかりを諾
(うべな)ひ生きゆかむかな
黒瀬珂欄『蓮喰ひ人の日記』より
  
※短歌のみをセレクト
日記と短歌で構成された短歌日記。「六の月」から始まり「十の月/一の月」を経て「九の月」まで。そう、これは奥様の妊娠・出産と吾が子の成長の記録だ。母子手帳ならぬ父子手帳を読んでいるよう。しかも、舞台がダブリン→ロンドンであり、『冷静と情熱のあいだ』の辻仁成バージョンみたいだ。
それにしても、なんと幸せな短歌日記だろうか。眩しすぎて痛いほどだ。


【vol.128】
三月の真っただ中を落ちてゆく雲雀、あるいは光の溺死
前髪へ縦にはさみを入れるときはるかな針葉樹林の翳り
人の手を払って降りる踊り場はこんなにも明るい展翅板
傷ついた眼鏡をはずし仰ぎたり青空の傷、すなわち虹を
たったいま水からあがってきたような顔できれいな百円を出す
あまりにも輝かしすぎる水切りを友は身投げのようだと言った
ひとごろしの道具のように立っている冬の噴水 冬の恋人
感覚はいつも静かだ柿むけば初めてそれが怒りと分かる
地方都市ひとつを焼きつくすほどのカンナを買って帰り来る姉
光……と言いかけたまま途絶するアオスジアゲハからの交信
服部真里子『行け広野へと』より
出版記念会へ行ってきました。注目の歌人という事で、20代~40代前半を中心に100名ほどが参加。パネリストの水原紫苑さんがあげた「傷ましいまでの日向生」と染野太朗さんがあげた「クリスチャニティ(キリスト教性)」が心に響いた。分からないことを一生懸命知ろうとするのは愛。宇宙の謎を解きたいと人々が集うように、服部さんの歌は愛されているのだろう。

【vol.127】
なにゆゑに妻の引きたる〈夕化粧〉ぬばたまの辞書の履歴に残る
いちにちの果てに〈伊佐美
(いさみ)〉のあることを光(リヒト)と思ひ春を働く
長ネギを二センチ残ししまひおく愛妻
(はしづま)のこころいとほしむかな
嫌ひつて三回言へば好きになるまじなひは効かず蕗の土佐煮に
〈ここだけの話〉のやうに咲いてゐる紅梅だけに失言
(ほんたう)を言ふ
     
500×0.8=400。
ペットボトル八分目まで水を入れて胎児の重さ片手で想ふ
おほげさに言へば命に一献の朝ひとり飲む父として飲む
みどりごは見ることあらぬイラストの虎の子見つつ襁褓を換へる
〈ゆりかごのうた〉をうたへばよく眠る白秋系の歌人のむすめ
寝かしつけてふすまを閉める おまへひとり小舟に乗せて流せるごとく
どんな子になつて欲しいか訊く輩
(やから) 生きてりやいいとしんそこ思ふ
エコロジーよりもわが子がたいせつで熱いミルクを氷で冷ます
はじめてのレモン一滴はじめての吊り橋をゆくやうな顔して
大松達知『ゆりかごのうた』より
第19回若山牧水賞受賞の歌集。授賞式は2/9、記念講演は2/10。40歳を過ぎて待望の第一子を授かった大松さん。身近でその苦労を見てきたので、本当に本当におめでとうと言いたい。終刊した『桟橋』の次の時代を担うにふさわしいと思う。

【vol.126】
手首より噴き出
(づ)る汗の玉のごと苦しみは常に生(あ)るると思ふ
朝顔の芽生えおそしと朝な朝
(さ)な妻覗きをり小さきこの幸(さち)
クレヨンに描きし幼の絵の中に丸く肥れりパン屋の主人
(あるじ)
竹群に潮
(うしほ)のごとく打ちしぶく冬のあしたの雨に目覚めつ
病める子にかがやく未来願はねど生
(いき)は楽しと思はしめ給へ
教室に深く差し入り朝の日は答案用紙の白きを照らす
知恵薄き幼を思ひあゆむときかなしみ深し雪加
(せつか)の声は
ストライキ終へて入りゆく教室に常の日のごと生徒らは待つ
回覧印いくつ押されてとどきたり期限の過ぎし文書一枚
後より従
(つ)き来る歌声つと逸(そ)れてただ吾ひとり夜の橋渡る
       
上田喜代氏を悼む
君が死を告げ来し朝の受話器置き職場の固き椅子に坐りぬ
影のごと幾羽の鶴か過ぎゆけり青くかなしく月光る空
陽炎の燃ゆる荒田に白く揺れ佇つ真鶴のかなしきものを
花のごと雪を降らして過ぎゆける雲は束
(つか)の間(ま)夕茜せり
しまきゆく朝の霧に山茶花のはなびら濡れて紅あたらしき
木原昭三『千羽の鶴』より

縁あって『水城』木原昭三追悼号に、第一歌集『千羽の鶴』を読ませて頂いた。コスモス創刊号から実に28年間の作品をまとめたもので、木原先生の出発点から共に人生を歩んだ心地である。結婚し、一男一女を持つが、長男がダウン症候群であったという。教師という職業詠ももちろんあり、自然詠もあるが、家族の歌が多いという印象だ。木原先生からは、折々に電話を頂き、ご指導頂いた。未だにまた電話がくるのではないかという思いである。

【vol.125】
鋏あり蕨手
(わらびで)といふ曲線のありて地平に春の雲湧く
わが影よ囹圄
(れいご)の如し冬晴れの広場をひとり歩みゆくとき
泣きやすき男となりて圓生の「文七元結
(もつとひ)」聴きつつ泣けり
ばね力
(ぢから)徐々に消費しオルゴールの停まるころ寂し寂しその音
亡き祖父母、亡き父母、亡き師、亡き友ら「亡き」が増えたりその中の亡き子
十二月帽子掛けから帽子取つて帽子の中の空
(くう)をかぶる
真椿の光葉
(てりは)かなしも暗黒をひとすぢ劈(さ)きし劫初の光
原子炉ハジュンサイ沼ニアラザレバ素手デ素足デ修復デキズ
こんばんはくわいらんばんですさう言つて原発事故を置いていつた神
切り花となりて牡丹は瓶にあり〈遺体〉が放つましろき光
無量大数、不可思議、那由他、恒河沙……の底に「一」あり我もその「一」
沼に射すひかり、沼から射すひかり葦の葉群を浄く照らせり
トラークルの詩より学びきにんげんは死の海に浮く小
(ち)さき流木
原発は心肺停止して死なず死ぬためになほ血を流しをり
高野公彦『流木』より
待望の高野さんの第十四歌集。七十歳前後の作品約570首。これまで通り言葉発想で作られた歌も多く、独自の造語も健在。高野さんの歌集から新しい言葉を学ばせて頂くことは多い。原発の歌は更に増し、リフレインなどこれまでより単純化された歌も多く、またこれまでにない「泣く」という言葉も多くなった印象である。

【vol.124】
窓がみなゆふぐれである片時のアビタシオンに人のぼりゆく
別れ来て蹄のやうに艪のやうにひえゆきたればさみしうつそみ
たて笛に遠すぎる穴があつたでせう さういふ感じに何かがとほい
サンダルの釦をとめる指先のちひさき響き 海に行きたし
階段といふ定型をのぼりつめドアをひらくと風がひろがる
夢の手もうつつの指もかなしけれ白ひといろの花瓶を洗ふ
夕にふる雨に冷えたる厨かな計器のうへのしづかな砂糖
(シュガー)
砂を吐くためのしづけさ与へむと北の戸口に春の貝おく
雨垂れの音飲むやうにふたつぶのあぢさゐ色の錠剤を飲む
夕べにはあなたも寂しくなるだらう 匙とふやさしきかたちを洗ふ
手と手には体温と雨 往来にさみしくひかるいくつかの傘
おそなつの昼のひかりは散らばりて、散らばるままに檸檬洗ふみづ
ぽつぽつと小径を雨が濡らし初むかきみだされた配置のやうに
ただむきを晒さぬやうにすべらせる九月の女たちの薄絹
月光にくひこむやうにひらくゆび白い炎のやうに尖るよ
鳥の絵のくすり箱からとりだして雪の匂ひの目ぐすりをさす
木下こう『体温と雨』より
大辻隆弘発行の『レ・パピエ・シアン』同人、『未来』入会の翌年2011年度に「未来年間賞」受賞の作者。つめたくて、ひっそりとして、さみしい、というのが歌集の全体イメージだ。例えて言うなら冬の月。

【vol.123】
速吸の瀬戸をバックに咲きそめの岬
(さき)の桜の白揺れやまず
あけがたの桜の下に来てわれは聴かんとぞする花のささやき
嵐めく雲のとぎれる時の間のひかりにひとつ法師蝉鳴く
うつすらと錆の吹きいづ正月の鰤切ると研ぎ終へたる出刃に
鶯が庭のしげみに来啼くゆゑ耳より目覚む春のあかつき
規を守る汝にあらずや順乱し吾より先に死ぬなどするな
雨あとの満月あかるきにはたづみ幻有
(げんう)のごとくみづすまし浮く
夏の雨過ぎたるあとを山の端にたましひ色の月のぼりたり
確実にわれに近づく時のあり干し竿のはし干柿かわく
美しと友ら見てゐる潮のいろ鰤には適さぬ透明度もつ
島裏に飛沫のあがる波見れば吾は一匹の寒鰤となる
ことごとく去れ妻の鬼このままでいい吾の鬼 豆を撒きゆく
わが作る味噌汁漬物うまいねと食べくるる妻やさしすぎるよ
図鑑出し魚の世界に遊びをりぶつきらぼうの鰤の体型
紅梅が雪をとかして落しゐる雫のごとき言の葉を欲る
薬あまた残して或る日逝くのかな薬の仕訳しつつ思へり
大野展男『鰤とブロイラー』以降の歌より

大野展男が出版した歌集は生涯で『鰤とブロイラー』だた一冊だが、『鰤とブロイラー』以降の歌すべてを一冊のノートに書き写したものがあると聞き、読ませて頂いた。このノートは、もう一冊の歌集だと言っても過言ではない。1993年1月~2014年3月(すなわちコスモス1993年4月号~2014年6月号)までの1403首より、数首ひく。白秋の系譜につながる作者らしい抒情的な歌、また鰤の漁師として活躍していた頃を思わせる歌、愛妻の歌、自らの命の限りを予見するような歌など、秀歌が多い。

【vol.122】
六月の女はしろい川原なり素肌に暑き陽ざしあつめて
起き上がりたくてもできぬその日まで起き上がりたくなくても起きる
抜け出づる魂をつかみもどすごと手にまるごとの無花果を食む
死にし子は背丈伸びぬを確実に育ちゆくかなスカイツリーは
「はやて」から「つがる」へ列車乗り換へてここまで来れば泣いてもいいか
インディゴの布めく夜空うつくしくひとりしづかに泣き終はりたり
そらまめの莢をひらけば大いなる指があらはれわれをつまめり
犬と猫どちらが好きと問ふ人ありパンもごはんも好きなわたしに
どの窓をあけても紺の夜空あり苦手なままの空間図形
さびしいとき手にあたたかき臙脂色またこの色の手帳を買ひぬ
はるぞらの奥から奥からひかり満ちひかりはしろき石を叩けり
人体にただちに害はないといふいづれはあるといふことかそれは
台風のまへのしづかなあをぞらを蝶とべり白きわらひごゑして
はるの雲なつの雲あきの雲ふゆの雲、消しゴムが見つかりません
靴を買はん街路をビルを星空を歩いてもかかと響かぬ靴を
胸分
(むなわ)けに行くスクランブル交差点ひとりひとつのこころもみくちや
原発もウイルスもクイズ形式で考へ、国会答弁までも
透明な透明なものが透明に透明なまま山河を浸す
二人子を亡くした母がわたしならいりません絆とかいりません
家庭用放射線量測定器(体温計型)発売されぬ
かぜのなかのくちびるにさくら貼りつきてなまなましからだよりもこころが
子どもらは大人になつて父母は子どもにもどり春とどまらず
草を食ふ虫、虫を食ふ鳥、鳥を食ふ人間を喰らふセシウム
被災地のペットの話とぎれたりみんなに肉の皿が運ばれ
「だまされてはいけません」あれど「だましてはいけません」なしバスの放送
きさらぎの雪は障子のしろさにてしばらくは街を濡らさずに降る
欲あはき日と欲ふかき日とありて欲深き日の青葉うつくし
      小島 ゆかり「泥と青葉」より
あげればきりがないゆかりさんの秀歌の一部をあげる。先に刊行された『純白光』の前後2009年~2013年の作品。大震災、原発事故のあったこの時期を日常の言葉で詠む。ほんとうにどの頁もどの歌もよい。

【vol.121】
明日は来る(永遠に来ぬ)夏を待つ蝉の蛹の幾万光る
白き腹見せつつ窓に停まる蛾の 静かなり月、爪を濡らして
いま君の葬列が踏む花ひとつ、ふたつ輪廻の葉陰にひらく
中心に死者立つごとく人らみなエレベーターの隅に寄りたり
焼香の所作にも上手下手あるに葬儀委員長ゐて委員はをらず
衿たてて潜伏犯のごと往けばおほつごもりもやや祭儀的
もう君を泳ぎつかれた 浮草を照らせる月はいまだ高くて
蝉といふ肉を押し出し抜け殻は肉より長く夏を渡れり
戦ひは確かにあつた ドラゴンを倒すためには宝石が要る
A級が七人 BC級五十二人 射殺一人の 計六十人
一斉に都庁のガラス砕け散れ、つまりその、あれだ、天使の羽根が舞ふイメージで
      黒瀬 珂欄「空庭」より
師、春日井健氏の逝去により進むべき道を見失いそうになった、という。黒瀬さんの第二歌集は、そこから始まる。タイトルの「空庭」はEmpty gardenであり、Celestial gardenでもある。本人は思想的根拠はないといっているが、歌集全体になにか思想的なものを感じる。現代に生きる若者の、空虚、反社会、サブカルチャー、エロス等々が現れた作品群であった。

【vol.120】
文脈が流しにならびをり君は赤や黄色の日々を愛する 浅野大輝
わたしから檸檬と呼ばれあなたからレマンと呼ばれ濃くなる黄色 ろくもじ
最後に触れた奴がボールを片付ける原発も震災も日本も 山下 翔
大福屋のねこは大福のように毛布屋のねこは毛布のように 平地 智
知り過ぎてしまった鏡の悲しみがただよう閉店後の試着室 白水麻衣
春先の林檎はすぐに褐変しいつから通じ合えなくなった 生田亜々子
忘却の真水で割った後悔のリンゴ・ジュースはわりとおいしい 南 葦太
宇宙船ドッキングのごと丼を近づけて煮玉子を分け合う 鯨井可菜子
他人
(ひと)の死にのみ明るめるわが生に足の踏み場もなくげんげ花 黒瀬珂欄
「福岡歌会(仮)アンソロジーⅡ」より
九大の学生さんから私?まで、若い人中心の超結社の会。結社に属さない人も多数。発想が自由でおもしろい。歌会はゆるいが、緊張の連続。アンソロジーは、福岡ポエイチに合わせて発行した。

【vol.119】
宝石のやうな、さかなの目のやうな葡萄剥くとき電灯暗し
古き名はかみら、くくみら 青にらとレバー炒める夏のゆふぐれ
空のした石がひつそり死んでをりあたたかき陽が掌
(て)でなでてをり
青ぞらに真つ直あがるうすけむりその順番はだれも知らない
柿いろの湯呑みが寡婦となるゆふべ碧の湯呑み床に砕けて
雨の日の骨董通り花舗に入
(い)れば白雪姫の棺のにほひ
能面の深井の口は半びらき何か言ひたい中年のくち
鉛筆になる木、棺になる木あり空へ空へと伸びてゆく樹々
(かな)くさき風が過ぎゆき無数なる銃弾刺さるひまはりの芯
冬晴れのとよはた雲と交信す宮益坂のわたしの日傘
東京の大雪のなかライト点けそらみつヤマト宅配車ゆく
目瞑りて前髪切られゐるときにまなうらに降る刃もののひかり
会ひたい会ひたくない日会はない日会へる日ずつと会へなくなる日
秋ふかき多摩の横山日の入りて空につらなる潤み朱の雲
水上 比呂美「潤み朱」より

水上さんの第二歌集。高野公彦先生につき、よく勉強しているなぁ、という印象。古い言葉をうまく取り入れ、巧みである。

【vol.118】
菫外線浴びてはたらくプラスチック洗濯挟みの蝶もろく逝く
苺つき朝食を食べ終へにけり皿にのこれりくさかんむりが
朝刊の世界情勢概読し、精読すチラシの地域情勢
朝顔のつるは右巻きつぼみはもひだり巻きなりわれは右効き
懸命に炉心溶融ふせぐ日々萌え出づるものみな合掌す
原爆ドーム見て駅前のホテルまでかつての「地獄」歩きて帰る
デーモンの心臓 メルトスルーして手のつけらぬウランの燠
(おき)
宮里 信輝「デーモンの心臓」より
宮里さんの第四歌集。3.11を受けて、骨太の社会詠の揃った歌集、という印象。震災後、何度も現地へ足を運び、見て触れて感じて湧きあがった魂の歌であろう。

【vol.117】
その花の名を言ふときに声帯が冷たくなるのさ 白ヒヤシンス
包丁を研屋に置きてこの町の明るき方へわれ歩み出す
ああといふ声をこぼせり現実は鋼のやうだ 世帯を背負ふ
われの子がきみの子になるこの春は花より幹にそそぐ桜雨
大銀杏
(おほいちやう)おほきく揺れてこんきらりんこんきらきんと風の黄金(わうごん)
嗚呼、三月十一日二時四十六分の前後で割れる普通の暮し
(ひ)の上がる閖上よりの黒きにほひ嗅がねばならぬ息あるわれは
こゑもちて月よ癒せよ家あかりひとつとしてなき長々し夜を
避難所の大勢の手がひらきたる十二日朝刊「災」の字の黒
被災者と呼ばれてしまふ現実よ「やっと涙が」と言ふ人のゐる
口紅の女ひとりも見ることなし 母なるをんなをんななる母
どう生きるかといふ欲は捨てるべし震災四日目まづ水を飯を
診察を待つひとびとの会話にもある「流された」その主語思ふ
仙台平野水田地帯に早苗歌聞けずも畦に菜の花は咲く
あの道もあの角もなし閖上一丁目あの窓もなしあの庭もなし
かなしみの遠浅をわれはゆくごとし十一日の度
(たび)のつめたさ
一分の間
(かん)の黙祷そののちの我らにずんと残る黙然
斉藤 梢「遠浅」より
シングルマザーとして世帯を背負い生きてきた斉藤さんは、新しい愛に包まれる。しかし、3.11より生活はまた一変する。「嗅がねばならぬ息あるわれは」は、まさに絶唱だと思う。歌わずにはいられなかった歌、というのは、このことだろう。

【vol.116】
太陽をアルミ箔製にするようなイタズラが今必要なんだ
太陽の純なイタズラ金属の仮面の下の赤いくちびる
むかしむかしこの世の終りが来たんだと呟いた人の眼の色思う
この朝は少しオカシイ太陽の寝ぼけたような光のなかで
太陽を一度も見たことないような僕の見つけた世界の色よ
平成二十五年度 銀杏文芸賞 短歌の部 最優秀賞
野原裕人「金環日食」より
銀杏文芸賞は、鹿児島県伊佐市(旧伊佐郡大口村)に生まれた歴史小説家、海音寺潮五郎の生誕百年を記念し創設され、今回で十三回目となった。「エッセイ」と「短歌」の部があり、選者には伊藤一彦氏、宮原望子氏のほか詩人・エッセイストの岡田哲也氏があたった。この賞は、何よりも賞金・副賞がよい。私が今回受賞した佳作でも、賞金五千円、焼酎一升、米二キロを頂いた。短歌の賞で現金が頂けるものは稀である。ありがたい。

【vol.115】
挫折、挫折、挫折のはての鑑真の目見
(まみ)はひかりの壺のごとしも
島びとにまじり加具港に船まちぬ銀波が金波にかはるころほひ
干支ねずみ張子の中でチリと鳴る鈴のねずなきほどのひとりごと
冷えまとふ夜の林檎をとりだすとつばさのやうに両手添へたり
人生にからくりあらむ切りおとす影より光さしこみて来る
まへ二輪切りて路線の名が変はる野の駅にゐるわれとおもひぬ
つづら折りのぼりゆくほど冷えつのり霰は雪となりて音消ゆ
青春のまた中年のクライシスはるかに過ぎて冬の暁
(あかつき)
冬の苑に花なにもなし凍て空をよろこびわたる鳥の声あり
木畑紀子「冬暁
」より
大好きな木畑さんの第五歌集が出た。しっとりと静かな趣きの中に、じんわりと温かみのある冬暁というタイトルがぴったりな歌集だ。やはり、冬の暁くらいになると、クライシスははるかに過ぎるようだ。私は、今中年のクライシスの只中にいる。これを超えれば…穏やかな冬が迎えられるだろうか。

【vol.114】
見つつわれ入りてゆくなりあじさゐの花の内なる青き湖心
(こしん)
苦しむ者入りて憩へといふごとく寂けくありぬ葡萄棚の下
不死身なる固き胡桃よ引きだしの中に冥王星
(プルト)のごとく黙(もだ)せり
死者の家に真白き欄の花ありて〈ゆがんだ真珠
(ベルルオーコ)〉のごときひかりや
心中といふ香ぐはしき死に方の廃れ平たき平成の世ぞ
得がたくて得ざれば思ふ 堂ふかく立つ観音の御手の水瓶
(すいびょう)
虚子はなぜふるさと捨てし ふるさとを捨てて捨てられたり虚子自身
高野公彦「青き湖心 
般若心経歌篇」より
本書は、般若心経の一文字ずつを歌の頭に置いて詠まれたもの。かつて本阿弥書店『高野公彦作品集』や短歌研究文庫『高野公彦歌集』には「般若心経歌篇」として収められていたが、この237首が単行本になったのは初めて。高野さんの実家の仏壇の引き出しには般若心経があり、中学生の頃、暗誦したという。私は、高野さんのこの『青き湖心』を、机の引き出しに置いて暗誦したいと思う。

【vol.113】
窓際に置くシクラメン一月の純白光となりて奔
(はし)れり
漆黒の闇ありしゆゑ髪ながき女は夜の川となりけむ
大縄跳びの向かうはいつも遠い場所だつた空いつぱいの冬蝶
すれちがひざまに二月の街で聞く銀行といふ言葉つめたし
ひもすがらあけつぱなしの河馬の口かはるがはるに誰か来て坐る
眼差しと声しづかなりひとりゆく旅のトランクに馬を隠して
草に載るテントウムシの半球に載る朝焼けの露の全球
子どもらの耳くりくりと洗ひしを手は覚えをりあさりを洗ふ
バス停で鞄の奥に手を入るるわたしをだれも怪しまず立つ
小島ゆかり「純白光」より
2012年の一年間、ふらんす堂のHPに「短歌日記」として掲載されたもの。小島ゆかりの365日が短文と歌という形式で、毎日綴られている。どの歌もどの歌も巧い!それを365日とは。何度も読み返した一冊だ。どのページを開いても間違いない。短歌は小島さんの日常生活の一部なのだろう。

【vol.112】
試されることの多くて冬の街 月よりうすいチョコレート噛む
一筋の髪の毛ひろい立冬の光に透かして読むDNA
これがハイスピードカメラで記録した好きだと思い込む瞬間です
いいわけはちょっとずつ言うもろもろとはがして食べるバウムクーヘン
落ち着いて両手を伸ばし目を開けて、手荷物は一切持たないで下さい
「信念をつらぬく」というタイトルの本逆さなり母の本棚
冷凍のイカリングしろく積み上げてあなたの嘘の放つあかるさ
まるで死ぬふたりみたいだ胃薬を一緒に飲もうと言われて、もらう
屈すればデスクの下のくらやみにくつずれありてバンドエイド貼る
鯨井可菜子「タンジブル」より
福岡出身の1984年生まれ。「かばん」「星座」に所属。若い女性ならではの、相聞歌、職業詠、家族詠が良い。デザイン会社勤務を経て、現在はフリーの編集者・ライター。同業界の激務の様子も、良く分かる。具体的な物を使って表現し、巧い。

【vol.111】
人間のふり難儀なり帰りきて睫毛一本一本はづす
唇だけまだ生きてゐて千年も昔の愛の言葉を放つ
生真面目に夕空を切り取りながらひねくれたくてたまらない窓
流れるプール流るるままに浮かび来てここからは足の立たないプール
折り柿も折り蟹ももう折れぬゆゑ折り鶴を折る 祈らずに折る
君の残す全てが手がかりのやうで落ち着け、これはただの指紋だ
白・黒・白・黒・みどり・黒 ひらめきは横断歩道渡る途中で
噛めば月のまばたきに似た音のするアルミニウムの硬貨を愛す
夜がくる、わたしの螺旋、階段を誰かがのぼる、その、息遣ひ
石川美南「離れ島」より
同人誌「pool」や「さまよえる歌人の会」などで活躍している1980年生まれの若手。この歌集、あとがき等が全くなく、歌集編成にあたる思いが、分からないが、歌だけで受ける印象としては、そこはかとなくコワイ。大胆な発想や飛躍は、若手歌人らしい。

【vol.110】
坂くだるわが耳の奥に風鳴れば不意に思へりゴッホの絶望
かもめとぶ海見てをればチェーホフの幕の最後の銃音聞こゆ
(そそ)ぐものにあらず愛とは器なり器となれず海に向きて佇つ
味出してのちゆたかなる一枚のくろき昆布を引き上げにけり
飛び込めば死はそこにある踏切に立ち眩みたる日より一年
あざやかな五色に生を塗り分けてライフプランあり保険の栞
法然院本堂うらに置かれある告白帳にをんな文字満つ
にんげんで言へばどれほどの忍耐か二百年目に雲仙岳
(うんぜん)火を噴く
磨ぎ汁の僅かづつ澄むその間
(あい)にこころ鎮めけむ昔のをみな
駅前に並ぶバイクのおのおのがヘルメット吊る髑髏
(されかうべ)のごと
泣き皺の増えて日暮れのやうなりし四十歳
(しじふ)入口あたりの三年
をんな坂をんな酒など ゆるき坂甘き酒言ふ死語のしたしさ
木畑紀子「女時計」より
今更ながら、木畑さんの第一歌集をセレクト。ちょうど、木畑さんが40歳頃、今の私と同じ頃の作品だ。どうしても読みたいと、先日の桟橋in福岡で、私が木畑さんに懇願して頂いた一冊。この頃、木畑さんも、迷い、つまずき、いろいろと悩んでいたようだ。この迷える鬱積した感情を、どう歌に表現したら良いのか、とても勉強になった。女の30代、40代はツライのだ。でも、皆50代、60代になると、楽しそう。だから……それでも未来を諦めないようにしよう。

【vol.109】
うつくしき土の素顔に会ひたくて朝の落葉を熊手に掃
(はら)
入学式会場に鳥の羽音して二千のまなこ宙に向きたり
山折りのつぎは谷折り 卓の灯を手元に寄せて千代紙を折る
ペン、定規、コンパスの辺に角のなき消しゴム置けばその影ぬくし
感情を負はざる文字の並びゐる取扱説明書、意味のみを読む
水に挿すすみれの花の色をして卯月のゆふべの空のむらさき
抱卵の水鳥ひそむ葦群に祈りのごとき湖面のひかり
朝比奈美子「水の祈り」より
第三歌集。日常の中に美しさや、丸み、温かみがある。総じて穏やかで、明るく、苦しみや悲しみ、暗さは感じられない。きっと幸せなのだろう。

【vol.108】
自由詩のやうな不自由さ重力のなき宇宙での人の生活
牡丹なり 花をひらけば春昼を蜂の衛星蝶の探査機
月の夜は咆哮もせむ「遊虎図」のなかにて永久に水を呑む虎
わが知らぬ世界へと向き子供らのくつ妻の靴玄関にあり
花吹雪谷よりのぼり舞ひあがり降る花のなか吉野幻相
五十年歩き来たりてみ吉野の花迷宮にまよひさまよふ
あひ寄りて重なりあひて息づけり葦の葉の上
(へ)のふたつ蛍火
天道虫つくしんばうをのぼりつめ世界へ発てり 無窮青空
宮里信輝「花迷宮」より
今年の桜は例年より2週間も早く開花し、4/1には既に盛りを過ぎています。一生に一度は吉野の桜を見に行きたいと思いつつ、宿をいつ予約するか、悩ましく思います。いつも例年並みなら、いいのですが。いつか、花迷宮に迷い込みたいです。

【vol.107】
日常は折ふし寂し壜のそこの蜜をスプーンですくふことなど
公務員ふたりの暮らしつつましく洗濯物のおほかたが白
シミ白髪脂肪はた皺「し」のつくもの増えて四十
(しじふ)の半ばを過ぎつ
前を向くより後ろ向く人多し船ゆるやかに離岸する時
迷ふことなく★型をAと読み花の下で飲むS★PPOROビール
つまづいても可笑しいときと悲しいときありて不惑のをはり近づく
もも少女さくら乙女子うめ老女われに残るは梅時間なり
子をもたぬひと世を時に寂しめり君を父さんと呼べぬことなど
年老いし山羊の眼をして振り向けり長くコピィをとりゐし人は
ディーでなくデーと言ふ時全身に力みなぎる「リポビタンD」
さみだれに濡れつつ帰る何か身に受けねば寂しすぎる気がして
夜のうちに捨てに出されし空きびんがほうと鳴りたり月とほる時
めがねかけ目薬さがし春まひるめがねをはづし目薬を注す
萩にあめコスモスにかぜ人に愛やさしきものはすこしさびしい
はつなつの空青く澄みをんなにはカレーなべ洗ふかなしみがある
わが傘を閉ぢて夫の傘に添ふはからず辻で会ひたるゆふべ
田中愛子「傘に添ふ」より
子どものいない中年の共働き夫婦。あっそうか、私は田中愛子さんの歌を今手本にするべきだと思いました。日常にすこしウイットも加えながら、時に寂しさをのぞかせる。たくさんの歌に共感しました。

【vol.106】
傷つかぬ生などあらじ白桃のうぶ毛ひかるに刃をあてむとす
神の生む秋韻
(しうゐん)と聴くカリヨンの蓮音たかく碧空に澄む
ひとたびも灯らざる部屋あるごとし身にひとたびも命宿さず
無理するな無理をするなと誰もいふ無理しなければ生きてはゆけぬ
種零
(あ)えて生えし朝顔伸びなやみ支へなければ自らを巻く
定めたる時くれば目覚まし時計鳴る背信のなきものは無機質
落梅の庭にかそけき音のする水無月あした弟の死す
真夏日をからくれなゐにカンナ燃ゆ義兄
(あに)に届きし赤紙のいろ
三十日経て喪の菊なほも花たもつとほき彼
(か)の世に姉は去りしに
白帝の思ひのままに秋は来て柿は柿いろ空に紛れず
ゆほびかに和ぎわたる海 この海を帰りし記憶たぐれば暗し
都甲真紗子「秋韻」
美しい韻律の中に、読者を立ち止まらせる瞬間がある。空想の途中で、ハッと現実にかえったりするような……。シュールで核心を衝いた表現にドキリとする。

【vol.105】
鉄線の花のむらさき庭に咲き晴ればれしかも娘の嫁ぐ朝
溢れ来る涙にしばしおぼろなり手に捧げ持つ師のデスマスク
山を吹く風はとどろき草を吹く風はひびけり阿蘇野に聞けば
二次林の若葉照り合ふ下かげをゆく少年ようぐひす真似て
退職ののちを遊ばむ企ての思ひ果てなし地図をひらきて
地引網終りしばかりの砂の浜力籠めたる足跡あまた
ふなばたの紅
(こう)あざやけき舟一つ夕べの濠を遡(のぼ)りゆきたり
西向きの壁みなあかき陽をとどむ暮色降り来し柳川の街
知恵薄き子には「旅行」と言ひて出づ前立腺手術入院の朝
癒えたらば素直にらくに生きゆかむ春は花観て秋は月観て
闇あゆむ足元しかとわが癒えて蛍見に来ぬ五夜続けて
木原昭三「二次林」より
第三歌集を刊行されたばかりであるが、この度、断捨離をまぬがれて書庫に残っていたという貴重な第二歌集を頂いた。この時期は、娘さんの結婚、師 宮柊二の逝去、退職、癌手術……と人生でいろいろな事が起こっている。歌集名「二次林」は御自身を重ねての歌から取ったという。また、表紙は奥様が打った小牛尉とのことだが、これは宮先生を偲ぶものであるという。様々な思いが詰まった一冊であった。

【vol.104】
たばこ酒やめてきちんと日に三度のみぐすり飲むしあはせにならむ
友は死に生きゐるわれは泣くばかりなすすべしらず泣く友の死を
冬である骨の髄まで冬であるわれはここから立ち上がるべし
杖を捨て帽子を捨てて以後ありのままなる我で生きゆかむとす
ふるさとよふるさとびとよ立ち上がれおらも必ず助ケさ行
(エ)グど
部屋ごもりウツと戦ひゐたりけりアルコールとかくすりを飲まず
死にたさに動カザルコト山ノ如ク在りつつ食ひて我肥ゆる秋
悲しみの滝と呼ぶべき……ほとりにて地震死ありし白糸の滝
決したる心のごとく雪の中一つひそけし椿の花は
古い深いうつくしいはた新しいやさしい強いわが東北は
死にたくて死なむとしたる過去ありき菊と刀を小脇にかかへ
狩野一男「悲しい滝」より
歌集『栗原』にて「杖ついて今はをれどもいつまでもツエにすがると思ふなよつゑ」と歌っていた作者。クモ膜下出血を乗り越え、ウツも乗り越え、ふるさと栗原を思う気持ちがますます高まったようだ。ストレートな言葉がストレートな感情を伝える。私も応援したい。

【vol.103】
月ひと夜ふた夜満ちつつ厨房にむりッむりッとたまねぎ芽吹く
どうにでもなつてしまへと内よりの声あれどドアを二重ロックす
これの世の奇跡のやうな平凡事すこやかにけふ子は卒業す
われにまだできることもうできぬこと〈行先ボタン〉ひとつだけ押す
希望ありかつては虹を待つ空にいまはその虹消えたる空に
四十代は底なし沼の邃
(ふか)さにて鶴より亀を飼ふこころざし
寄せ鍋の泡ぶく立つた煮え立つた この世のことはごちやごちやとする
なめこ汁どろりとすすり霧の夜のふかいふかあい暗愚のこころ
「小島ゆかり歌集」より
この夏、砂子屋書房より刊行された現代短歌文庫110は小島ゆかり。先日の筑紫歌壇賞の題詠で小島ゆかり選となったので、サイン入りの本書を頂いた。歌集はもちろん、歌論やエッセイ、また解説も抜粋されていて、小島ゆかりのおおまかな全体像が分かる。なかでも『希望』は全篇収録されており、うれしい。そこで今回は『希望』よりセレクト。

【vol.102】
しづかなる秋の一夜をわれは言葉、月は光の沈黙交易
墓石と竹藪照らししづかなり月を離れし月の光は
つづまりは馴染みの鬼の女房をかたみに讃へ二次会果てぬ
育てたる手を思ひつつたまものの下仁田葱の全身を食ぶ
風ふけば風になりゆく空見れば空になりゆく子どものからだ
バス停に忘れしカバン取りに行けばわれを忘れて静けきカバン
雨に負け風に負けつつ生きてゐる柔らかき草ひとを坐らす
伊藤一彦「月の夜声」より
第二十一回斎藤茂吉短歌文学賞受賞作。宮崎に住む伊藤さんとは、福岡に越して、事あるごとにいろいろな大会でお会いするようになった。「コスモス」と「心の花」は親戚みたいなものだから、と気さくに声をかけて下さって、ありがたい限りだ。それなのに、これまで伊藤さんの歌集をセレクトしていないことに気づいた。スクールカウンセラーの経験から、批評されるのも興味深い。

【vol.101】
りんだうの深きむらさき見てをれば逝く夏のうしろ姿を感ず
引き絞る弓のやうにも夫は居りイスラエルへの出張前夜
汚れたる網戸七枚洗ひ終へついでに子ども二人を洗ふ
石の上
(へ)に永くしづかな時ながれひとつ読点とんぼ止まりぬ
尖りたる稲穂のうへをひかりつつ飛ぶ七月の蜻蛉
(せいれい)の群れ
傷持ちてゐるもの優しテーブルも床もかばんも或いは人も
落ちつかず入試結果待つコンペイトー白星ばかり選びては食み
目覚メテモ目覚メテモ ワガ左乳房無イカラヤハリコレハ現実
髪抜けて初めてわかるみづからの頭のかたち、わずかな凹凸
色のなき荒れ野果てなく目のまへに広がりにけり再発といふ
どうか花を植ゑてください津波去りし海辺にはもう家を建てずに
尾崎潤子「七月の蜻蛉」より

第一子出産後に歌を始められ、現在までの二十年余りの歌が収められた第一歌集は、尾崎さんの人生そのものとも言える。二年前に癌を患われたとのこと。深い悲しみの中に、さらに豊かな感情が生まれた。

【vol.100】
死者六千の大震災に犬も死に猫も死にけむその数を知らず
肱川の青く澄む水見てをれば胸鰭出して泳ぎたくなる
歳月の彼方より来て降るごとく麦雨
(ばくう)は白き噴水に降る
時計ありて時が見えゐる時計店かすかにずれし時あふれをり
くくりたる新聞下げて歩むとき哀しきまでに紙は樹の重さ
虹立ちてこの世に虹の影は無しいろはにほへとちりぢりの友
〈原油高〉世界を走りそのせゐかわが家
(や)のがんもどきが小さい
全コンビニの終夜の電気消費量をまかなふための原発幾つ?
キスで始まりキスで終りし一事
(ひとつこと)月光は重き光なりけり
金星と木星と月照り合ふ夜 われも、未執行死囚
(ししう)も眠る
童謡の「春の小川」の河骨川暗渠
(あんきよ)となりて都市の地下ゆく
江戸川区新川
(しんかは)の岸に桐咲けり水のひかりの中のむらさき
愛媛産干し海老うまし干し海老は海の香、日の香、そして人の香
高野公彦「河骨川」より
記念すべきvol.100は高野さんの歌集で。第十三歌集となる。「死」を意識した歌が多くなっているのと、水に関連する歌が多いのが特長。やはり、ふるさと愛媛の歌もかかせない。抽出歌2番目より、高野さんはやはり、愛媛の肱川に住む魚だったのだと思った。

【vol.99】
ひまはりのとどかぬ空をわたりくる黄金
(きん)の巻き毛の雲の少年
冥王星
(プルトー)の外にひろがる暗黒へ飛びたつごとく傘をひらきぬ
つむじよりこの世に生れてつむじより老いてゆくらし 帽子をかむる
新人のお辞儀おもひぬ分度器で四十五度に線をひくとき
すれちがひ一日
(ひとひ)働くはさみの刃夜ふけ机上にひしとかみあふ
辛くても泣かなくなりし十七の娘が好むキムチラーメン
靴を売る店ショール売る店ありてつばさ買ひたし秋晴れの街
離れ住む夫と子とわれチャットして一家団欒みたいなゆふべ
あまたなるシュプールのなかただひとつ君のシュプールを選び従きゆく
さくら咲きさくら散りまたさくら咲きちりぬるをわが五十となりぬ
松尾祥子「シュプール」より
作者46~51歳にあたる第三歌集。夫と二人の娘をもつ一般家庭の主婦の歌と言えば平凡すぎるだろうか。この時期は、おだやか過ごしていたようだが、第一歌集「風の馬」では、夫が心の病になり、また現在は、両親の介護に加え、夫の看病など、またしても大変な人生を送られているようだ。最近「風の馬」を読み返す機会があった。何度読んでも泣ける。松尾さんは小さい体ながら、いつも元気で明るい。悲しみを抱えながらも、それを乗り越え、前向きに生きる姿に感動する。

【vol.98】
昔ばなし聞くと集へる子らなれど広ければ走る体育館内
児ら乗せしぬくもり冷えて公園の陶のライオン胴細く立つ
かいつぶり葦に隠れてとうとろり沼は夕陽のこんじきの凪
はつなつの佐倉大沼
(おほぬ)の空晴れて竜神さまの雲がゆくなり
百人の子らがまばたき忘れたり蛇がへろりとひとを呑むとき
思ほえばふるさと白し粉雪も初夏の空飛ぶポプラの絮も
迎へ火ははやばや燃えて送り火は幾度も消えつ風のあらぬに
父なくていま母なくて懐かしむ海近き村はまなすの花
黒岡美江子「竜神さまの雲」より

民話の語り部として、ふるさと佐倉でゆったりとあたたかく生きる黒岡さん。その特長が十分に一冊に詰まった第二歌集だ。タイトルからも、それが象徴的である。

【vol.97】
紋白蝶もめんのように懐かしい 畑の上を振り向かずゆく
嘘をつかれた時の声も好きだったと思えばふいに木犀香る
からの莢ふるふるさせてねむのきは寂しがり屋の人を呼び寄す
喪服にて帰れる夫に塩を蒔くその瞬間が妻だと思う
生き物の心臓ほどのからすうり冷たく持ちて山道を出る
壜の塩卓上にあり家族らが生きた分だけさらさらと減る
さびしさに分解したるボールペン小さいばねが撥ねてころがる
我よりも年下なれど古い古いと言われ始めぬ日本の原発
黙読のような静けさ黄あやめの頃は水辺に虫たちひかり
前田康子「黄あやめの頃」より
同年代の主婦ということもあり、共感する歌が多かった。京都の松ヶ崎の湿地に黄あやめが咲く5~6月頃が好きだという。私も学生時代、松ヶ崎に住んでいたので、とても懐かしく感じた。ちょうど今頃だなぁ~。
生活詠が中心だが、その所々にきらめきがある。


【vol.96】
天恵のごとくに注ぐ午後の陽にしだれ桜の万のかがやき
足寄
(あよろ)湖に雪消の水注ぐなかひたすらわたる三頭の鹿
新しき翳を作りてそよぎをり花時過ぎしさくらの並木
愚鈍とふ漢字をわれに確かめて妻が書きつぐ夜
(よは)に日記を
(て)をずらし打てば拍手の音ひびく人間(じんかん)のことも斯くの如きか
管弦のひびきひそまる終曲
(フィナーレ)に祈る形に指揮者頭(づ)を垂る
新しきものより古きに詩は在ればゴッホは潰れし靴を描けり
黄砂舞ふ空にひかりを失へど春の夕日の紅
(こう)うつくしき
われに来る死などあらぬと楽しめり光を曳きて散る花のもと
木原昭三「しらぬひ筑紫」より
八十を過ぎてなお精力的に、福岡支部を引っ張ってくれている木原さん。歌会などでお会いすると、本当にパワフルで驚く。人はみな悲しみを抱えながら、それでも前向きに生きているのだと、木原さんを見るといつもそう思う。郷土を深く愛し、自然や音楽に心を寄せながら生活を楽しんでいるようだ。今回、抜粋してみて気づいたが、細かいルビ遣いも特徴だ。

【vol.95】

けふ穀雨。暦どほりに降る雨のれんげ田に来て靴を汚せり
テーブルに一夜仮寝すはづしたる銀ブローチと取れたるボタン
悲しみを知らざりしわれと思ふなり意識不明の夫を看るまで
未亡人とならむ予感が当たりたり我武者羅に生くるひとを愛して
世界より一人選びしをとこなり君亡き世界いまがらんどう
佇めば淋しいひとに見えるから颯爽とわたれ町の陸橋
死者の辺にも生者の辺にもをりがたき夜は窓をあけ星空仰ぐ
ラ・フランスわがためにのみ剥きをればその香りよりかなしみ来たる
冬日射すかべに木馬のシルエット横向きはなぜさびしいのだらう
洋梨と葡萄かたみに寄りそひて寄りそふものは熟れてゆくなり
ポストまで三分弱の夜の道を星飼
(ほしかひ)びととなりて歩めり
夢を見にゆきませんかと言ふやうに梅見に人をさそひたりけり
美しき素数の日なりきさらぎの11日は建国記念日
戦場の父を知りたし知りたくなし にんげんわれは父の娘
(こ)われは
母が言ふ「ヘルパーさん」のひびきほどさみしきはなし夜の電話に
口にして恥づかしければ淋しさをブラームス氏と名づけてをりぬ
クレソンの苦きをかめば若き日の欠損ひとつハネムーンをせず
原賀瓔子「星飼びと」より
わずか49歳の若さで突然世を去った夫。以後の歌は圧倒的に挽歌が多くなった。しかし、以後の歌の方が良い。原賀さんは少女のようで、また貴婦人のような人だ。その裡に深い悲しみを抱えて、歌にも深みが増したように思う。

【vol.94】
咲きさかる白山茶花の一本を母の背丈として記憶する
秋風は影をもたねど苑生なるすすきの淡
(あは)き影を揺すれり
良き妻にあらざるわれはさびしくて花ある傘を深くさすなり
だれが待つ家にあらねど二つ三つ小さきみやげを求めてゐたり
疲労感はげしき日にゐて思ふなり金属が疲労するとふ言葉
かがまりて砂をこぼせり先の世の母の骨などまじりをらずや
話さねばさびし話せばなほさびし腫瘍が首に育ちゐしとぞ
手術室にありて思へば羞
(やさ)しからず一糸まとはぬといふ言葉また
水鳥が高くゆく空いづこにかわれが出でゆくドアのあるべし
忘るるといふ病の国に発たんとする義姉とわれらと生きて別るる
稲葉京子「忘れずあらむ」より
円熟の第十四歌集、という帯文が本当にぴったりする。喜寿を過ぎ、なお純粋に歌に向き合っているように思える。自らの身体の衰えや周囲の人との別離により、「死」を見つめることも多かったようだ。

【vol.93】
缶蹴りの音に晴れたる如月の空気をさくらとわれと吸ひをり
こんなにも明るすぎたる空なれば白鳥が飛びミサイルが飛ぶ
打ち水の生乾きなる道のうへ影を落とさず白き蝶とぶ
短歌ではしれはいけぬが面白し水戸黄門の予定調和は
忘れてもいいことばかりの日がいつか「こ」「き」「く」「くる」さあ働かう
アメリカのアメリカによる戦争をどうすればいい萱草
(わすれぐさ)咲く
秋空はサヨナラヒット放ちたるバッターのごと雲払ひたり
秋空はサヨナラヒット打たれたるピッチャーのごと崩れて暮れぬ
「本当は怖いイソップ童話」なりオオカミ少年東京電力
影山一男「桜雲」より
第五歌集である。還暦を前に、挽歌が多くなったと、あとがきにある。私はときおりみられる社会詠に注目した。

【vol.92】
派手なシャツ、シックなブラウス引き立たす紺のスーツのやうになれぬか
平等の世と思へどもグラタンの出来の良き方夫に食べさす
愛しくて弱くて強き人間の機微に触れむと調停に行く
資料館、お土産センター設けゐて原子力発電所観光地めく
穏やかに生きよと言ふごと吾が心臓ゆつくり動くエコーに見れば
シュレッダーの音心地良しやうやくに子の親権者母と決まりて
この星の恵みの一つ心臓の鼓動のやうに清水湧き継ぐ
スタートをせずゴールインするごとし開票直後に決まる当確
池野京子「清水湧き継ぐ」より
池野さんは、家庭裁判所の調停委員、また保護司など社会活動に深く関わってこられた。常に問題意識を持った鋭い視点で、物事を見つめている。傘寿となったいまも、パワフルで活き活きしている。

【vol.91】
白髪なく艶ある髪が自慢なりしが脱けてしまふかわたしを残して
お母さんと言はなくなりし息子にお母さんはねえとこの頃よく言ふ
われらよりだいじな人となりて欲し長い時間父母
(ちちはは)としてこの子護りき
食へざる苦、誰にもわからねば歯をみがき眠るほかなし 眠る
死に際に居てくるるとは限らざり庭に出て落ち葉焚きゐる君は
その人の生きゐし時間の中に居て呼吸
(いき)合はせつつ遺歌集を読む
わたしにはもうそんなに時間はないのだがゆつくりふくらんでパッとちるほうせんくわ
水底のやうな静かな病室に汗かき出で入る家族ら生活者
来年の今・・・・といふことはあらざらむ新聞一面に花火が開く
今日夫は三度泣きたり死なないでと三度
(たび)泣き死なないでと言ひて学校へ行けり
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
河野裕子「蝉声」より
昨年、癌で亡くなった河野裕子さんの遺作集となる最終歌集。NHKの「この世の息」という番組を見て号泣し、この歌集を読んで、また号泣した。翌日は目が腫れるほど。歌集を読んで、こんなに泣いたのは、桑原正紀さんの「妻へ。千年待たむ」以来だ。

【vol.90】
100%のオレンジジュース飲み干して父の背中は夕焼けの壁
英単語書き並べいる青ペンの滲んだところノートに夏が
わたくしも子を産めるのと天蓋をゆたかに開くグランドピアノ
遠雷のときおり響く交差点貝のかたちの耳が行き交う
老人ホームにひるの月あり祖父とわれと共鳴しているごとく黙りぬ
ゆうぐれの使者のごとくにつぎつぎと銀杏の木より鳩が飛び立つ
図書館の本棚すべて空っぽにしたら運河が流れ込むだろう
一日の終わりに首を傾けて麒麟は夏の重力降ろす
ある夢に絵描きとなりて瞑想す水彩画とは静かなる嘘
ふかくふかく潜水をせよ苦しみに似た輝きをくぐる青春
夢で恋をしてたと母に告白をされし朝に飛び交う黄砂
植物園ときおりきみを見失いそのたび強く匂い立つ木々

小島なお「サリンジャーは死んでしまった」より
第一歌集『乱反射』から4年、この間、卒業、就職と人生では大きな転機があったと思うが、全く生活感がない。歌集後半、失恋後は多少感情の表れた作品も出てくるが、ほとんどが夢や空想の世界だと感じた。いきなり注目を集めることになり、一人称で詠む短歌に戸惑いを感じたのか?しかし天性の感性は抜群。

【vol.89】
夢のごとビルのガラスに映りをり原発の火もて華やぐガレリア
花びらに花びらの影、葉には葉の影をかさねて牡丹の集団
(マッス)
織女星はいま身籠れるらし惑星を生むべき塵の観測されて
母性遺伝ミトコンドリアDNA星にはなけど星に母あり
券売機の吐ける硬貨がほの温しマッチ売りの少女ゐさうな星夜
弾道を描くごと飛べり空爆のアフガンおもふ夜を獅子座流星群
(レオニズ)
椿、榎、楸
(ひさぎ)、柊(ひひらぎ)みなよき字 木に寄りそへる春夏秋冬
星雲や星団などのカタログを作
(な)せるメシエは彗星番人
呟けば密語のごとしパレスチナのメロンの謂のキュキュミス・サラザン
清水正子「彗星番人」より
空や宙を眺め詠んだ歌が多い。作者の目線は常に上を向いているのだろう。ルビを含めカタカナが多く、異国の香りも漂う。

【vol.88】
わが胸を夏蝶ひとつ抜けゆくは言葉のごとし失いし日の
向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し
朝の渚より拾いきし流木を削りておりぬ愛に渇けば
わが窓にかならず断崖さむく青し故郷喪失しつつ叫べず
地下鉄の汚れし壁に書かれ古り傷のごとくに忘られ、自由
うたのことば字にかくことももどかしく波消し去れりわが祝婚歌
すでに亡き父への葉書一枚もち冬田を越えて来し郵便夫
なまぐさき血縁断たん日あたりにさかさに立ててある冬の斧
厨にてきみの指の血吸いやれば小麦は青し風に馳せつつ
目の前にありて遥かなレモン一つわれも娶らん日を恐るなり
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
川に逆らひ咲く曼殊沙華赤ければせつに地獄へ行きたし今日も
寺山修司「万華鏡」より
※訳者 鵜沢梢 アメリア・ヒールデン
本書は「寺山修司全歌集」より201首を選び英訳を付けたもの。おおかた横書きの寺山作品とアルファベットが並ぶ。挿絵も寺山作品にふさわしい幻想的なもの。寺山作品を初めて読んだとき、その斬新さに感動したことを思い出した。

【vol.87】
梳きおればぼろぼろ抜くる白髪も捨つるほかなし可燃物として
生徒らの脳に蛍があふれいて進学試験の教室ぬくし
鉛筆を持たぬ左の手がどれもパンのようなり追試始まる
解答をあきらめた順に生徒らは机に伏して航海に出る
貝殻にあらざる消しゴム拾いつつ不意に聴きたくなる波の音
トマト濃き野菜ジュースに噎せながら叱る手順をノートに書けり
水の悪さ人の多さを東京と名づけて尾張の人は眠りぬ
噴水の嘔吐はつづき炎天のバス待ちの列にぼくも加わる
眼球を潰したき真夜ベゲタミンA錠もぼくに闇を与えず
デパスにて脱力したる体
(たい)になお古綿色の怒りの残る
海蛇のようなロープに沿わせゆく身体ぞこころ脱ぎ捨てて行け
タリーズのホットコーヒーその面
(おも)に飲みほすまでを映る電球
ベランダのバジルの鉢に水を遣るくびれの多きペットボトルで
生徒らのマンボウの眼よ担任が壇に上げられ紹介さるる
演習用ゴムマネキンに口つけて初秋の息を強く吹きこむ
トーストにチーズをのせる習慣がやめられぬと言う自白のように
染野太朗「あの日の海」より
私立中高一貫校の教師である作者。近年、生徒を叱るのも難しくなっており、その苦悩がうかがえる。やがて心を病むようになり、病理ともたたかう。詩情があるというよりは、インパクトのある個性的な作風。

【vol.86】
重力と浮力のあはひ下りつつグライダー今はつかに揺らぐ
身をそらし白鳥座見つ子もわれも地球の「G」の中に立ちつつ
キーボードぺたぺたと打つ指先が両生類に変はる梅雨の日
ぬかあめに卯の花濡れて髪濡れてわが身の海月ほおりと啼けり
生垣の上をボールが跳ねてゐる と見る間に白き蝶になりたり
実数は横軸上にのみありて複素数ひろがるガウス平面
実数と虚数を一平面に書くガウスの幻想的な頭脳
(ファンタスティックブレイン)
チャフチャスが鳴るよチャフチャス。輪につづる山羊の蹄の黒、縞ゆれて
わが額むずむずしたり信号の発光ダイオードのドット、ドット、ドット
松本由利「ガウス平面」より
理系文学とでも言おうか、数学や科学をモチーフにした歌が特徴。学問にファンタジーをプラスした松本さんの頭脳こそ、ファンタスティックブレインと言うべきでは、と思う。

【vol.85】
戦争に紛れてさくら咲きしこといくどとなくあり今年のさくら
ま夏日のましずかに耐えかねながら話しかけても鉄亜鈴なり
いつ死にてもよけれど今はいやなれば白壁につるす赤唐辛子
秋だ もの考えていると直立の鉄塔みたいでくすんとなみだ
冬いくた死にゆきしひとおもいつつ冬とは永久
(とわ)に桜咲く前
遠くから凝
(み)られたる吾(あ)はもちろん点点なるものは殺されやすし
あなたが手にきゅっとキスして輪郭をもちなおすわれの弥生のこころ
べつべつの井戸の底より見上げたる一生かかりてもべつべつの空
柳からもたんぽぽからもわれからも絮とび だまされているのか春に
御雛様に座りつづくる苦行あり仕舞わばしまわれつづくる苦行
思いだしたようにバケツを打つ雨のいい加減はいい音である
苦苦苦苦苦くくくくくくと笑いだし楢のこずえに芽ばゆる仲間
渡辺松男「自転車の籠の豚」より
ずっと夢の中のことを詠っているような不思議な作風。作者自身が木になったり、山になったり、風になったり、御雛様になったり……。独特の世界に読者の側も異次元へとワープするよう。

【vol.84】
藤棚の下の石井の真清水のほとりに農婦ら遮光帽とる
ひとり居てわらふは難し妻がわれに笑ひかくれば自づと笑ふ
われはわれ以上になり得ず教へ子に四十年前の姿をさらす
ふたたびをわが手に〈在〉とせぬ札を〈不在〉となして研究室を離る
この春に退きし職場を訪ね来て来客用の駐車場に入る
米飯はからだのために日本酒はこころのために摂りてわが肥ゆ
古稀ちかくまで被りこし仮面
(ペルソナ)がはづせなくなつて真面目を通す
ウツの日は手本を見ずに鬱の字を完璧に書けるまでおさらひをする
古稀ちかくまだ夢とガム入れたくてポッケが七つあるベスト買ふ
いくすぢも虹ひきぬいて腰元が巻きまろめしか柳川のまり
家長制度くづれて久し一郎と太郎の声に国は動かず
古寺に供出記念の鐘ひとつ苔むしてあり、苔むしてよし
西空の浄土のごとき金色
(こんじき)のさば雲のなか母を葬りぬ
巻 桔梗「碑の蟻」より
この春より新しくコスモス福岡支部の支部長に就任された巻さんの第一歌集。一冊の本にまとめることで、巻さんの身辺が改めてよく分かった。早大工学博士で、長年、東海大学教授として勤めてこられた。新聞歌壇への投稿も積極的にされており、意欲的だ。

【vol.83】
(はな)のころ吉野の川に拾ひたる川石あをし夜の机に
物のあるゆゑにことばもまたありて砧斧
(ちんぷ)の砧は人を切る台
午後二時の陽ははや寒しむらがりて藪に落ちゆく雀の黒さ
陳謝する人ら一列に並ぶゆゑ長き机がこのごろ哀れ
むらさきの茎伸び花は爪のごとしエリンジウムに死の匂ひあり
春の雪あかるく降れり身内の者みな死にたりと昨夜
(よべ)妻言ひき
降るごとく寄せくるごとくしわしわと蝉鳴きて昼の峡を閉ざせり
(さか)りゆく母にしあらんみちのくの遅きさくらの散りのまがひに
百日紅
(さるすべり)くれなゐくらき花の影十六夜月のおし照れる下
風ある日水木の下に寝しわれに白花は降る死者に降るごと
雨となるくもりの朝を白萩のはなにまじれる紅のひとひら
雪のうへに照るつきかげは山茶花の黒く傷める花にも照れる
柏崎驍二「百たびの雪」より
情緒ある自然詠に魅力を感じる。しみじみと「いいなぁ~」とひたることができる。静かな中にもシュールな内容が鋭く光る。

【vol.82】
バゲットの長いふくろに描かれしエッフェル塔を真っ直ぐに抱く
卵立てと卵の息が合っているしあわせってそんなものかも知れない
濁音を持たないゆえに風の日のモンシロチョウは飛ばされやすい
休日のしずかな窓に浮き雲のピザがいちまい配達される
散髪の椅子を下りるは空港に降り立つときの気分に似てない?
夕暮に淋しがりやのぼくの手がティッシュペーパーを貰ってしまう
矢印にみちびかれゆく夜のみち死んだ友とのおかしなゲーム
わが胸にぶつかりざまにJe
(ジュ)とないた?はだれかのたましいかしら
たった二つの関節もてば単純な生き物のごとく眼鏡あるなり
母ならぬ電気毛布のへその緒につながれている一
(ひ)と夜(よ)のねむり
「時間」があそんでいるよ くずかごに撚りをもどしていくセロファン紙
三月の雪ふる夜にだす手紙ポストのなかは温かですか
杉﨑恒夫「パン屋のパンセ」より
若々しく新しい!これが私の第一印象だ。しかし、プロフィールを見て驚いた、なんと著者は90歳。しかも永眠されてから、周囲の人の手で、ちょうど一周忌に発行されたもの。本書は、11月19日現在で、なんと4刷が発行されている。歌集としては異例中の異例。それだけ多くの人に待ち望まれていた歌集だったのだろう。

【vol.81】
風のごとフリュートの楽満つるホール確かに我は君をば愛す
君とをればかくやすやすと満ち足りて野の道に作るれんげの花輪
抱かむと思ひてまどふ夜の浜や砂をすくへば日の温みあり
わが呼ばふ声の範囲に君のゐて直なる声はひねもす優し
吾を父と呼ぶものの顔寝ねていま木の実のごときをしみじみと見つ
田の草を取るともんぺの裾捲り出でゆく妻の白きふくらはぎ
これが我が負ひゐる今の重さかと両腕
(て)に妻と子ぶらさげてみる
寂しければ道に降る雨見上げをり我をめがけて集まる銀粒
障害に独特のひびき持つ君らの声の範囲の我の青春
職の無き時間のゆとりコスモス五月号八千余首を全部読みたり
服部貞行「声その範囲」より

第一歌集にして全歌集の読みごたえ。まさに三十年分の人生がぎゅっとつまった一冊であった。恋をして結婚し、子供を育み、職を全うし、父母を見送り……。これで終りではなく、これからをまた第二歌集、第三歌集へと収めていって欲しいと思う。

【vol.80】
「友達が」と言ふ君の声やはらかく彼女のこととわかつてしまふ
冬の夜のココアのごときやさしさで君は私をまた困らせる
鉛筆はいつもするどく削られてひとりで平気ほんとに平気
おぼろ夜のあをき瞳のシャム猫が「好きになったら負けよ」と言ひぬ
うつかりとしてゐて君が遠ざかるメールぢやダメだ電話にしよう
うつかりとしてゐて君が遠ざかる電話ぢやダメだ直接逢はう
目から出た涙はわれの体温を保てずすぐに冷えて落ちたり
飲み会で職場のカップル明かされてゆきぬ<神経衰弱>のごと
記憶よりずいぶん前に君のこと気になつてゐる日記のわれは
饒舌になれたらいいのに月9ならここであなたを引きとめるんだ
鏡なす「みなかみさん」が真麻薦
(まをこも)の「フッキー」となるこいつ酔つてる
シャボン玉みたいに「好き」とつぶやけば屋根まで飛んで君に届かぬ
はるの夜の<静かの海>にざうげいろの竪琴うかびやがてしづみぬ
過去形にしませう だつた 好きだつた 君を今でも いや もう「だった」
水上芙季「静かの海」より
20代の微妙な心の揺れを短歌に、そして歌集に残すことができるなんで、とても貴重で素敵なことです。特に恋の歌などは。水上さんには、今しか詠めない恋の歌を、存分に詠んでもらいたいと期待しています。

【vol.79】
朝なみだ拭ひやりしを夕なみださはに溜めをり雪ふる窓は
薔薇咲けば口笛を吹くろまん・ろらん、如露で水やるへるまん・へつせ
耳たぶのピアスふくらむ夏ゆふべ「雨」と背中であなたのこゑす
短命を乞ふものありや切るために水にさしこむ白百合の茎
電気ブランひといきに飲みてほのぐらき太陽ひとつ胃の腑に浮かぶ
よこむきに落ちてゐる蠅 人界は死の日をえらぶ方法
(よすが)ありけり
黙読の速度はつかにずれながら菜単
(メニュー)のうへでまじりあふ息
おしいれをあければ午後の地球儀が傾いてをり陸地をのせて
五十九階より見れば朝もやの都市はしづかな淡緑の湖
(うみ)
もつれつつ電話のまへに伏しゐたり指のかたちを覚えぬ軍手
都築直子「淡緑湖」より
2002年から作歌を始め、2006年に出版した第一歌集「青層圏」で、現代歌人協会賞、日本歌人クラブ新人賞を受賞している作者。本集には、2007~2009年までの353首が収められている。東京とバンコクを行き来する中で生まれた作品だという。

【vol.78】
手をとればわが手を握り返しくる手に力あり手は<いのち>なり
食欲はいのちの力 つぎつぎと林檎ほほばる妻のいのちよ
妻の脳の暗みに雪よふりつもれそして燭花
(しよくくわ)のごとく照らせよ
妻の掌
(て)に雪のせやればたちまちに透くみづとなるいのちにふれて
はらはらと散る花を浴びほほゑめる妻はも菩薩ここ花浄土
人と花のいのち触れあふ一瞬を空にかそけき水音のせり
<覚悟>より解き放たれて見あぐれば突きぬけて紺青の空あり
妻を看るこの生活をいましばし続けよといふ天意なるべし
信号を待ちつつおもふ<待つ>といふ未来時間をまだ持たぬ妻
忘れるといふ不安さへとどまらで妻はあかるく花を見上げる
怒つたり怒られたりして片付きてゆくものならむ家といふもの
わが腕をとりて坐れる妻がふと目つむりて頬を肩に寄せくる
いま妻はしあはせならむ病ゆゑ得しものならば病嘉
(よみ)すべし
桑原正紀「天意」より
奥さまが脳動脈瘤破裂で入院されてから5年。ほんとうに涙なくしては読めない歌集だった。献身的というのは桑原さんのような人のことを言うのだと思う。記憶障害、というのがほんとうに切ないが、それを良い方に受け止めているところが、また切ない。少しおかしな表現だが、ぜひに天意をまっとうしてほしいと願う。

【vol.77】
数日を自動車(くるま)に積みてひとたびも開かずありし本の寂しさ
立てかけし蝙蝠傘より雫して地上の水にかへりゆく雨
オルゴールはつかに鳴りぬ巻き戻し終へて束の間無音ののちを
碧ぞらを流るる雲の寂しさに触れたくてその影に入るわれ
うどん屋の椅子は長居をさせぬ椅子 黙つて座つて食べて出てゆく
右に来てまたは背を押し前をゆきさみしがるなと言ふ影法師
椅子の上におかつこまいに座りたし だるき脚 五十七歳の脚
                            
(おかつこまい-正座)
とどこほりなく過ぎゆける秋時間箴言めきて石蕗の咲く
讃岐富士と屋島の並ぶわが胸乳かつて屋島に戦
(いくさ)のありき
宮西史子「秋時間」より
ブックセールスの仕事に長年携わり、子のない寂しさに加えて、乳癌を患うなど、苦悩の日々を歌に昇華させていった宮西さん。「結構優秀なセールスマンだったのよ」と今は穏やかに笑う。香川県の歌人であり、同郷の私としては歌に懐かしさも覚える。

【vol.76】
ホケキョ(あら)、ホテチョ(うふふふ)ホーホケキョうぐひす鳴けり(お気張りやっしゃ)
香水をきらふ男に逢ひにゆくただ一滴のさみづとなりて
せりなづなごぎやうはこべら君すでに仏の座なりさびしみて摘む
あやとりの糸見えぬまで日の暮れて子とろ子とろと闇が近づく
色町へ抜けられぬ路地ぬける路地見て過ぎくれば木屋町しぐれ
咲きたいに咲けまへんがないつまでも寒き三月さくらがぼやく
糸切り歯ほつりと鳴らし糸切れば紅さし指が紅の香を恋ふ
むらさきにむらさき重ね紫陽花は寂滅為楽と御堂囲めり
毒殺は女の手技わたくしの庭に咲かせうジキタリス、とりかぶと
人肌にふれぬ歳月つもらせて艶失せしとふ真珠の首輪
(コロナ・ディ・パレル)
精勤は時にさびしも市役所の前のもみぢ葉きれいに掃かれ
旅立ちの帯しめ悩む後ろより母の手のきてぴたりと決まる
さまざまの春を生ききてなほ思ふ来世もをんなでありたし よ さくら
小山富紀子「紅さし指」より
京の歌人、と言えば小山富紀子。どの歌にも京の香りが漂う。方言や地名を要所要所に取り入れ、時にドキッとするほどシュールな歌を詠む。

【vol.75】
労働にきりりとありし「精神」が「こころ」となりゆく白衣脱ぐとき
誰も誰も沈むがに寝ね病棟の午後はしづけき聖・草深野
すべのなくオペ同意書に捺印し父の苦痛をまたひきのばす
「バクダンを作っとった」と笑める人 老いゆくとふは記憶を浄む
全きは今日かぎりにて素裸を夫に撮らせつ手術の前夜
しんしんと光済むまで家ぢゆうの鏡を磨く入院の朝
左乳房温存術及淋巴節廓清
(さにゆうばうおんぞんじゆつおよびりんぱせつくわくせい) 十年生存率七割
生存率のひとつデータとならむゆゑまじめに生きてまじめに死なむ
拾ひゆく白骨太し兵の日を一生言ふなく終りたる父
国家試験問題解きつつ目とづればほの青くシナプス発行す
ひるがへる燕は未着の文に似て梅雨のゆふべの暮るるに間あり
吉田美奈子「草深野」より
介護施設でケアマネージャーとして働きながら、みずからも大きな病と闘い、お父様の死も受け止めながら生きる作者。一冊の中に「生と死」を考えさせられる内容が非常に多かった。十年生存率七割の必ず七割になるよう、まじめにでも楽しく生きてほしいと願う。そう祈る。

【vol.74】
梅雨空に雨龍(うりゅう)ひそむか白銀の雨ざんざんと降りやまぬなり
はしる雲あるく雲うづくまる雲ありて秋めく空はかびろし
雪起し空に鳴れども雪降らず越後長岡雪月
(ゆきづき)なかば
色ガラス製のピエロのすきとほる手が指させり窓の雪空
無数なる花ことごとく虚花ならん染井吉野は接木にて殖ゆ
青檸檬かりりと噛めばほろ酔ひの脳天にあをき火花ひらめく
草のつゆ耿
(かう)とひかりて夭折のわがみどりごはとはにみどりご
真昼間の家のどこかで水滴がひとりひとりと音たててをり
眼をつむり頭垂れつつうづくまる猫 耳だけを世界に向けて
寡黙なる梅と饒舌なる桜隣りあひつつこもごもに散る
白無垢の桔梗の花が庭に咲き今日うへの子の二十七回忌
密入りの林檎の箱がかぐはしく奥処
(おくか)にありて雪月(ゆきづき)の家
田宮朋子「雪月の家」より

角川「短歌」創刊50周年記念企画、21世紀歌人シリーズとして発売された本書。平成14年に第48回角川短歌賞受賞の田宮さんの歌は、まさに「寡黙なる梅」といった印象。奇抜さや斬新さというより、しっかりとしたベースの上にやわらかな趣きをのせている。

【vol.73】
最後までこれほど甘いはずはない ほどほどでやめにするカプチーノ
右折可の矢印そだちあちこちでススメと叱られる春である
お互いに仕事が大事 面倒な豆腐ぬぷりぬぷり崩れてゆきぬ
話し足りないように降る三月の雪に離陸をはばまれており
好かれたい気持ちが少し強すぎるバジルを間引く霧雨の朝
とめどなく裏返りゆく文字列の白黒を黒白に戻せり
女性には一人で産むという選択のあること羨し 洋梨を剥く
木の床のところどころが擦り切れていてこんなにも父に似たバス
逃したいような気がする終電にだらだら急ぐ必要がある
軽すぎる母の鞄を運びおりいつかは海にそそぎこむ川

中沢直人「極圏の光」より
第十四回歌壇賞受賞、岡井隆の解説付きの本書は、誠に読みごたえがあった。東大卒、ハーバード院卒という経歴にまず驚いたが、福岡の歌人ということで少しだけ身近にも感じる。発想の転換が素晴らしい。

【vol.72】
二世紀のち地下水となり湧き出でよ春やはらかく降りしきる雨
ごみばこのごみの袋にたまるごみごみごみとしてごみらしくゐる
カラフルな袴姿が街を行きイラクにいくさが始まれる今日
少しづつ高まりてゆく噴水のその頂きのほとばしるさま
あらうことか立居かなはぬ枕辺のケータイ鳴りて岳父の死を告ぐ
MRIの扁平空洞に干物焼くごと送り込まれつ
天の罰? あらず 神より賜ひたる<時のクルーズ>いざ漕ぎ出でな
車椅子その場でターンを会得せり歌舞伎でいへば<居所替はり>か
病院は船のかたちに造られて船客われのクルーズ長し
痛みなき症状ゆゑか不可思議なしづけさにあり死に瀕しつつ
嘘くさいテレビドラマよいつ見ても空つぽらしい手提げのカバン
春草は踏まるるために生ひくれば君よ素足にためらはず踏め
若き日の母が履きゐし爪革
(つまかは)の栗色おもひいづる夕ぐれ
寄り添ひて歌ふ二本のトラベルソ木の管かよふ息の優しさ

津金規雄「時のクルーズ」より
椎間板ヘルニアのための鎮痛剤ロキソニンの副作用により死線をさまよった作者。年末お会いした時には、お元気になられ、とても死に瀕した方とは思えませんでした。歌舞伎、クラシック音楽から社会詠、相聞歌まで実に幅広くオリジナルな作品群を持った一冊。

【vol.71】
川まがり河原の菜種の黄がまがり遠足の児の列がまがりぬ
山を越え海を越え来し白鳥よ夫のたましひに会はなかつたか
亡き夫の靴履きがぼがぼ歩みをり夫を知らない孫の雅人が
亡き夫とまがふ息子の咳聞こえ胸の芯棒ぐらぐら揺るる
悠然と飛ぶしらさぎのうつくしさ独りで生きる決意かためる
眠れねば明日寝ればよい ひとりゐの特権としていまはうべなふ
形見なる時計の電池換へたれば夫の鼓動のごとくうごきぬ
子ばなれの母のさびしさ湛へをり白鳥去りしへうたん池は
足して引いて割つて掛けても答出ぬこの孤独橋 真ん中を行く
息子へと不動産譲渡なし終へて母は返上、老いは返上
ぽつてりと八重椿咲きボッティチェリのヴィーナスの絵の左手思ふ
梅雨寒の雨降る昼はさびしくてわれより寂しい母を訪ねる
母われより愛する人のゐる子らよしづかに春の糠雨が降る

藤岡成子「白鳥よ」より
vol.21でセレクトした『真如の月』に続く第2歌集。歌集全体に亡き夫への思いが漂っており、深い孤独を感じる。静かで上品で情熱的な一冊。

【vol.70】
髪梳けば櫛は半ばで絡みたりほぐしつづくる生かと思ふ
死に際を思ひ出だせば命日のけふ新しく母を喪ふ
母は「りゑ」その母は「りち」“り”の系譜われにつながりわれにて絶えむ
寂しさをやり過ごすことに慣れて四十〈慣れる〉〈平気〉は同義語ならず
片開く窓に映れる揚げ花火はげしさはすでに我より遠し
月に二度あるいは一度訪ね来る人を待ちたり待つほかはなく
りんご箱の隙間を埋めるふるさとの新聞を読むしわを伸ばして
散りかかる霧の粒子の引き合ひて雨となりたり引き合へば雨
会釈して右と左に別れたり川に逆行するのはわたし
束にしてなほも寂しき桔梗
(きちかう)のむらさきを抱く秋の日差しは
沃素臭かすかただよふラガヴァーリン嫌いはすごく好きに変はつて
逢へばまたつのる逢ひたさ北を指す列車の窓をしぐれ打ちたり
福士りか「“り”の系譜」より
福士さんは美人でスタイルが良く、更に頭がいい。まさに才色兼備なのだ。そんな福士さんの相聞歌が私は大好きで、以前から根強いファンなのである。巻末に「うたものがたり」が二編収められており、主人公になりきっておもいっきり自由な表現をしているのが、とても魅力的であった。物語に終らず、是が非でも“り”の系譜をつなげて欲しいと願う。

【vol.69】
大仏の胎内をひとが二十人巡りをるらしこそばゆからむ
夕まぐれこころさわだちチッキンのゆかにすわりて角砂糖舐む
約束を隠すがごとくしまひけり球根ひとつ地球のなかへ
京王線に失くしし赤き手袋はわれの右手をさがしをるべし
噴火口と流星落ちし焦げ跡と水脈ありて球体ざくろ
ベトナムの何の木ならむ箸となりわが指に来て鮭をほぐしぬ
レジ袋もう要りませんスーパーへ籠
(こ)もよみ籠(こ)もち梨買ひにゆく
ラファエロの聖母子像のプリントのストッキング履く七月をとめ
ゴーヤーの中にぬくときわたありぬ南方熊楠
(みなかたくまぐす)ねむりゐるがに
水上比呂美「ざくろの水脈」より
鋭い視点と発想。時にドキッとするようなコワイ歌を詠む。本年度コスモス賞受賞の作者。高野公彦さんと小島ゆかりさんの全歌集をすべて入力したのが歌の上達につながったのかも、とおっしゃっていました。私も見習わねば。

【vol.68】
東京は病むとも昼の音絶ちてふところ深くむらさきを抱く
首のべてこを、こを、こを、とゆく群れのいづれにもありはじめの一羽
松の枝
(え)は横へ横へと一間(けん)は人が翁となるまでの間(かん)
葱、大根この手に抜きしことなくて力あまれば抱く春の風
ブランコを思ひきり漕いだことはなく人生すなはち背中がこはい
これ以上無理といふまで咲ききればいたはる目もてつつむアネモネ
山折りも谷折りもある日々といへ赤い椿が落ちて音せり
学園に桜はみちてひと復帰
(かへ)らず必ずといふこころせつなし
〈帰り水〉の蛇口ふたつのつやつやをひねれば門司の水落ちにけり
もう何も求めず騒がず抗はずBut
(だが)に始まるアルトのアリア
今野寿美「かへり水」より
タイトルは、門司港駅創業時に設けられた水飲み場「帰り水」にちなんでいる。戦後、復員兵や引き上げの人びとが安堵の思いで喉を潤したことから、こう呼ばれるようになったという。私もちょうどこの夏、門司港を観光し「帰り水」も見たはずなのに、何の歌もできなかった。反省。

【vol.67】
飛び立つと決めて真白き階段を上がれば海よりひかりの拍手
どこまでも追ひかけてくる月のやうに君が消えないなんとかしてよ
君の手にはづみで触れぬもう帰ろ溢るる心こぼさぬやうに
夕日あかあかとあなたを狂はせてそして私はどこへゆくのか
愛してはいけない人が青空にぽつかり浮かぶ その空
(くう)を抱く
眼の前に海くろぐろと横たはりどこへもゆけぬ恋をしてゐる
事務室の電話鳴る鳴る一日
(ひとひ)鳴る 地球の裏のアマゾン川よ
刷られたる死亡届の束抱へ廊下を歩く白き霊
(ひ)帯びて
飛び乗つた車両はピンク、なんか変、女性専用車両は変だ
読み返す歴史小説今回は側室よりも正室びいき
愛して憎む君を捨てたら清潔な淋しい日々がはじまるだらう
美しいひとみの人とすれ違ふ死なうとしてる人かも知れぬ
コーヒーに生クリームを垂らしつつ白が汚れてゆくさまを見る
さびしさが宇宙へ伸びてわたくしの手足の先は銀河に触れる
片岡絢「ひかりの拍手」より
6冊ほぼ同時に届いた歌集からまず最初にセレクトしたのは、20代作者の作品。誠にさわやかなタイトルは若さを象徴している。あっ私も20代で歌集をだしたっけ?もっとさわやかなタイトルにしとけばよかった……。

【vol.66】
まかれたる布の縦糸ほつれあり古代エジプトのトキのミイラに
洗濯槽はみだすやうに少年の剣道着まはるぶつかりながら
言ひすぎた分だけ静かにしてゐようたんぽぽの絮空に飛ばして
日蔭より日向へ泳ぎくる鴨のまづ黄に光るくちばしの先
三年ぶりに車運転したる子が「ふーはひふへほ」ため息をつく
太陽系に第十惑星発見のニュース聞き終へかぼちやを煮こむ
おにぎりにすき間なく海苔はりをへてわれのみのささやかな満足
さかさ読みしてもさかさはさかさなりさか立ちできず傘寿近づく
松尾佳津予「ひだまり」より

歌集の題「ひだまり」は四人のお孫さんの頭文字だそう。
~孫の名の一字づつとり名づけたる「ひだまり号」はわれの自転車~
記念の一冊となったことでしょう。


【vol.65】
われに合ふ歯ブラシが無い菜の花は嬉々として黄に咲く朝なのに
吉野川のまあるい石を持ち帰る漬物石になりたがるゆゑ
水張田
(みはりだ)
のひろがる村は水ぢからこもりて面積広く見えくる
うらじろの相対の葉が揺れゆれてうらおもてうら裏うら白し
蟹あるきしてよこよこと進みゆく青麦踏みは虹踏むごとし
かなしみに〈日
(ひ)にち薬〉は効きにけり両手を挙げて大欠伸する
耕してふははふははの春の土ふかき底ひに死者をいだけり
一輪車に西瓜、真桑瓜、栗南瓜、そして光を乗せてかへりぬ
ほととぎすテッチャンカエッタカ葛城の梅雨ぞら高く押しあげて鳴く
山沿ひに放置田増えてわが村のどん百姓のどんは消えたり
稲刈られ稲株しんと消えゆかん子育て終へし母親のごと
傘のうちこの空間のほつこりと雨を入れずにわれとあゆめり
こめ、こめ、こめ、米は日本の主食ゆゑ吐田米
(はんだまい)食み米ぢから出す
米田靖子「水ぢから」より
2006年の歌壇賞受賞作品「水ぢから」を含む513首からなる本書。農の歌は我々のルーツのように思える。今では貴重な存在である。体感したその人でしか詠めない職業詠などをもっと詠まなくてはと思う。

【vol.64】
イメチェンもチェチェンも遠し 言葉なくカメはゐるなり手榴弾に似て
ひとつ恋の終はりのやうに素麺を食はなくなつて秋は来にけり
とぎれなく焚く霊前の香
(かう)なれど棺の中の祖母は嗅ぐなし
コピーからコピーを作りし合鍵の末のやうなりけさのわが顔
人類がすこしづつ入れ替はるごとくつしたなどが入れ替はりゆく
よく笑ふ親の子供はよく笑ふ なんでもなくてしあはせなこと
下の歯が抜ければ屋根へ放ること 余計なことをするのが文化
誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど
人間をいちまいにまいと数へをりフリーキックの撃たるる先の
その人は権力のケンと言ひしのち権利のケンと言ひ直したり
指示は無し指示は無けれどなんとなく離陸のときは靴はいてゐる
マキューシオ死にたるのちの幕間
(まくあひ)を膝机(ひざづくえ)しておにぎり食へり
この町の見知らぬ人と一本の大根の上下分け合ひ暮らす
手をつなぐためにたがひに半歩ほど離れたりけりけふの夫婦は
大松達知「アスタリスク」より
大松さんと言えば、英語教師で、生徒を詠んだ歌や(英語以外の)外国語(特にアジア地域の)を巧みなルビ遣いで読み込んだ歌などが特徴的だが、私は上記にセレクトしたような日常の身近な具体からの発見の歌が好きだ。深イイ話に投稿したいような……。

【vol.63】
いまもらふわけにはいかぬぐづぐづの風邪ひき男から遠ざかる
車中にてボブ・ディランの名を聞きしときたちまちゆがむ時間とおもふ
たのめなく中天に昼の月みえてさくらさくらの彼方の死者よ
こいのぼりゆるらに泳ぐ口先にくわつとあかるき五月のひかり
同じ木に同じ花咲くことわりのうつくしきかな寒椿咲く
ふるさとの大き梨の実むく妻の手をしたたれるふるさとの水
世は暗愚われも暗愚よ見あげれば一天紺の秋の朝ぞら
「雪起こし」と妻がはしやぎし昨夜
(よべ)の雷(らい)からぶりにして雨降りしのみ
ボロ切れが塀の上より落ちたると見るまに猫となりて走りき
音消してプロレス中継みてをれば絶叫といふは祈りに似たる
高速に身をゆだねつつ〈光年〉とふ単位思ふときのはるけさ
実よりも虚がなまなまと官能に働きかけて実を超えたり
火を背負ふ不動明王せんねんを怒り疲れてその火褪せたり
桑原正紀「一天紺」より
桑原さんと言えば、倒れられた奥様への献身的な看病の日々を綴った歌が今は主流だが、この歌集はそれ以前の作品をまとめたもの。今となっては奥さまを詠まれた歌があまりに愛おしい。

【vol.62】
印画紙に残されし1/125秒ほどの過去を君は好めり
人はみな骨の形に生きており片脚のなきアフガンの子ら
19インチのブラウン管は狭かろう土星浮かべりデスクトップに
「雷鳥」は雨の夜を行くラストシーンから始まる映画のように
誰もいぬ時に限って虹を見る退きゆく雲の変に明るし
ブラキオサウルスの首の長さを思いおり寝違えし痛み昼まで続く
「何もなかった所に建ったね」と声のするかつては萩の咲きていたりし
遮断機の撓りの先の触れ合わず揺れ止む前に上がり始めき
かの日々の性欲のごと鍋底のおでんの卵は緊張をせり
本当に流す場所なり流しにて飲み得ぬ酒をトポトポ流す
黒猫のジェムは死にたりダンボールの函の四隅に隙間残して
テスト終え師走はま白く空にあり我の蹴りたる落葉は舞いぬ
永田淳「1/125秒」より
短歌を作るべくして作り始めた作者。中学生から二〇〇七年までの二十年間をまとめた待望の第一歌集。大学生頃から約十年間のブランクはあるものの、学生時代の歌も初出のまま掲載した貴重な一冊だ。1/125秒とはカメラのシャッターが開いている時間で、人間の瞬きよりも遥かに短い時間だそう。まるで無声映画のように、派手な演出などはなくてもハッと印象深いシーンをいくつも刻み付けている。

【vol.61】
新宿は土曜日の午後 目をそらしあふことがとても美しい街 目黒哲朗
爪くろき被災者われら整然とパンを待ちつつ相いたわりぬ 堺谷真人
駅までのラストスパート三分で殺し文句をくれなきゃ帰る 田丸まひる
誰の死のための盛り花活けてゐる花屋ぞ煌々と夜を灯して 杜澤光一郎
駐車場に自動車憩ひそのなかに人のをらざる空
(くう)憩ひをり 大松達知
あ 雨の匂い 日暮れの舗装路を閑かに多数派が埋めてゆく 勝野かおり
ふわふわの耳を重ねてねむる猫〈空室アリ〉の輝く街に 東直子
「レモネードレイン」と呼べば酸性雨すらも静かに叙情していく 枡野浩一
西口も東口もなき宮崎駅人ことごとく一方に出づ 伊藤一彦
定時制高校生が地下道の壁にスプレーで書いた「あをぞら」 喜多昭夫
あつきキッス欲りゐる街にあつきキッス売る店舗
(みせ)なくて秋の人妻 新井貞子
幾百の恋愛を街上に見遍
(みわた)して目を瞬(しばたた)く寂し寂し我は 宮柊二
黒瀬珂瀾「街角の歌」より

本書は「ふらんす堂」ホームページにて平成十八年一月一日~十二月三十一日まで連載していたものに加筆・修正したもの。黒瀬氏が毎日作歌したのではなく、氏が毎日セレクトした歌が収められている。一日一首にコメントを付けて。このコメントを読むのが本書の狙いなのだろうが、私は私の気に入った歌のみをここに掲載した。私は図書館で借りたのだが、本人の直筆らしきサインが入っているのに驚いた。

【vol.60】
去年(こぞ)ともに歩きし人よ「いない」ということ思い知る葉桜の下
母の日はまるごと娘になりたくてスパティフィラムの鉢を選べり
少女時代の古き絵日記その中に咲きつづけている朝顔ひとつ
ブーゲンビリアのブラウスを着て会いにゆく花束のように抱かれてみたく
宇宙という言葉あるいは軽やかにコスモス畑の絵はがき届く
秋色の光と風をサヨナラの形に変えて手を振るススキ
短歌・文:俵万智/写真:稲越功一『花束のように抱かれてみたく」』より
歌一首に小文と写真が見開きページに収められていて目でも楽しめる一冊。稲越氏の写真は接写が多く、単純な美しさとは少し離れているよう。見慣れた俵短歌に少し違う表情を与えている。巻末に「366日誕生花の花言葉」が一覧になっていて、私の誕生日7月26日はアサギリソウ「脚光、喝采」とあった。気に入った。いろいろな人の誕生花を調べてもおもしろい。

【vol.59】
戦争とことばに出せばさ行音さみしき余韻 冬の満月
パン、ラーメン、握り飯食ひ避難所の娘は笑ふ震災太りと
シャンシャンシャンジンジンジイーと蝉鳴けば身重の娘髪切りに行く
水中にじつと動かず見物の子ら厭きさせるカバの忍耐
放ちたる糞より急ぎ逃げてゆく水の中なるカバの憂鬱
待ちくるる人をほのかに明
(あか)るうし駅の裏手の夕ざくら満つ
身の丈の十倍を越す石垣のその上にさくらその上に雲
準備とはかなしき行為父のため娘のほどく喪服のしつけ
生真面目な一生なんて春の海いつちよこにちよこ石の波乗り
きみは右われは左の肩濡らす鯉川筋のゆふしぐれ傘
ふるさとを持つこと重しちちははの墓のみがあるべんがらの村
折節のわれの恋歌乗せて吹く子午線の風やはらかくあれ
小坂喜久代『子午線の風』より
長く明石に住み、日本標準時子午線を縦線に持ちながら生きてきた小坂さん。しっとりと余韻のある歌もいいが、少しユーモアのある歌が私は好きだ。

【vol.58】
おほまかなる計画にして五十代失恋ふたつくらゐはしたし
ちちははのゐぬふるさとに帰り来て先づはひと泣きさせてもらひぬ
べつに世を捨つるならねどみちのくの奥のとほくへやがてかへらむ
アメリカのアメリカによるアメリカの彼らのための「イラク戦争」
ドンガスカと太鼓とどろき、んじやんじやと御玉杓子
(ぎやろも)群れゐきまひるまの春
五十過ぎし二人がときに死に場所を話し合ふこと自然なり 秋
一灯下妻一語又我一語 秋深みかも 生深みかも
年寄りになりつつあれど今もなほカズオチャンなり故郷さ帰
(ケ)レバ
わがうちのいひやうのないむなしさを空に雲に風に保険屋に言ふ
三月余のねむりより覚め「クモ膜下出血」といふ病告げらる
去る五月人事不省のままわれは一加齢しぬ脳神経外科集中治療室
(ICU)
杖ついて今はをれどもいつまでもツエにすがると思ふなよつゑ
狩野一男『栗原』より

ふるさとを離れふるさとを想う。生死の境をさまよい命を思う。狩野さんのふるさと宮城県栗原は六月に発生した地震によって壊滅的な被害をこうむった。自身もまたクモ膜下出血と戦う。復興と生還のおもいの詰まった一冊だ。さらに持前のユーモアが随所に光っていて読者を魅了する。

【vol.57】
生くるとはこんな連続なだれ込みて席少なきを取り合う電車
上役にひるまず意見ぶつけしが夢のなか我は夢と知りいき
凹凸の合わぬ鋳型に自らを押し込む思い朝礼に立つ
顔いっぱい笑うほかなし騒乱の酒宴の締めは万歳三唱
年一度社内健康診断に酷使可能な身と確認す
苦ともせず休日出勤なす我はどこか尖
(とが)りて何か鈍化す
飛び降りればすぐ責任の取れるという冗談寒し九階の事務所に
我は利益部下はモラルを主張せりドラマなら我が悪役ならむ
決定せし上役よりも憎しみは命令くだす我にそそがる
職解かれし社員ら机蹴る音がドスドス響く会議のさなか
解雇せし部下の送別会の夜をひとりオフィスに眼鏡など拭く
(ののし)りの言葉も浴びきリストラを終えて放心夜半の湯槽(ゆぶね)
業績の悪き理由を言えと言われ言えば言い訳するなと言わる
鞄よりひとつ枯葉のごとく出
(い)づ降格前の部長の名刺
長尾幹也『解雇告ぐる日』より
今回は、解雇を言いわたす側となった現役サラリーマンのいわばドキュメンタリー短歌をセレクト。そして結末は、自分も部の業績不振の責任をとって降格となったそうな。リストラ時代をリアルに詠んだ興味深い一冊だ。どの歌もどの歌も身につまされる。(ついでに私の隣で寝ている現役サラリーマンに数首読み聞かせてみたが「なんか嫌だぁ」と不評であった。感じ方は人それぞれだ。)

【vol.56】
馬を洗はば馬のたましひ冱(さ)ゆるまで人戀(こ)はば人あやむるこころ 塚本邦雄
朝の階のぼるとっさに抱かれき桃の缶詰かかえたるまま 川口美根子
泣くお前抱
(いだ)
けば髪にふる雪のこんこんとわが腕(かいな)にねむれ 佐佐木幸綱
はまゆふのそよがぬ闇に汝を抱き盗人のごと汗ばみにけり 高野公彦
きまぐれに抱きあげてみる きみに棲む炎の重さを測るかたちに 永田和宏
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日
(ひとひ)我には一生(ひとよ) 栗木京子
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ 俵万智
噴水のざわめきにこころみだされて愛を告白したり この場所 大松達知
中村稔、馬場あき子 責任編集『恋うたの現在』より
音楽界では最近、コンピレーション・アルバムなるものが人気だ。短歌界にもあってしかるべき!ということで今回はこの一冊をセレクト。大正~昭和生まれの代表的歌人が一人一首ずつ恋歌を披露し、自分で歌の背景を説明している。背景はドラマチックだが歌にはそこまで表れていないもの、また逆に歌は情熱的だが真実を知ってしまうとがっかりするもの等さまざまだ。歌は読者が感じるものであるので、作者が説明してしまうと感じるのが難しい気もする。自筆の色紙が一緒に掲載されていて、作者の筆跡を味わうには貴重な一冊だ。

【vol.55】
何年ぶりだろう活惚
(かっぽれ) おーいおーい記憶の井
戸ゆ顕
(た)つ太鼓持ち
はじめての雪見る鴨の首ならぶ鴨の少年鴨の
少女ら
記憶とはよじれ巻かれしホースにて先週の水
おもわず漏らす
白秋と夕暮が酒を飲みし夜の青きけむりのご
ときあわ雪
息子とは遠き稲妻 一〇〇年の銀杏の下の二
〇歳を撮す
明日まで降らば四月の雪よ 桜ばなをつつめ
るときの雪の美しさ
開花時のずれる白梅と紅梅は今年も十日笑み
交わしたり
よごれつつ雪がのこれり一昨日の教室で言い
し嘘の数字二つ
『水苑』に老いの歌死の歌多しよと人言えり
他人事とは思わずき
三椏と木蓮と桜咲きそろう不思議の春をきみ
とよろこぶ
今もどこかで戦争に死ぬ若者が居て教室に空
席二列
壊れたる蝶落ちてありゆく秋の空を飛びゆく
雲と鳥と蜂と
蜂がゆくひとすじの道くちびるを出でたる声
がとどく高さに
      佐佐木幸綱『はじめての雪』より
独特のうねりを持つ歌。二行組という表記からも独特のリズムが生まれる。

【vol.54】
沓脱
(くつぬぎ)の石に揃へて置く下駄に今朝うつすらと春の雪積む
独り居のながき日の暮ひと声も発せぬ喉を塩もて洗ふ
はばからず里の訛にもの言へばとりとめもなく饒舌のわれ
生け捕りて身体検査に照らし出す炎のごときフセインの舌
立春の過ぎて垣根に椿咲けばほぐれゆくなり一冬の鬱
ロスに住む子の留守電は英語にてその当然にわれは狼狽ふ
箱酒のキャップの点字読めざれど料理のたびにその文字を撫づ
暗黒に浮かぶ光冠
(コロナ)を凝視して眼鏡屋に視力測られてをり
山崎あさ『花ぐるま』より
結婚で女性の人生は大きく変わる。作者もまた結婚が大きな転機となり、こちらの方向に進まれたようです。

【vol.53】
海に没
(い)る日のうつくしきここな佐渡 極刑は遠流(をんる)なりしいにしへ
生き急ぐ身体
(からだ)にこころおくれゐむ夕雲みれば胸にさざなみ
丘の上の施設に朝のバスが着き雫のやうに降りてくる老い
鍵あきてゐるはヘルパー待つ証し 笑み笑め笑まん唱へて開く
清拭をしつつ身の上を問はるればとつさの嘘も混じるいくつか
漏らしてはならぬもろもろ山茶花の垣根に捨てつ介護かへりみち
雪みちは越
(こし)の花みち うま酒が身ぬちめぐれど耳ふたつ冷ゆ
紺青の天のしらみてゆくころをぎやあていぎやあてい朝鴉のこゑ
阿字の「阿」と波羅蜜多の「波」阿波の国鳴門を旅の入口とせん
ながれてもながれても川おもひてもおもひても歌 旅をつづけん
捨てにきて捨て得ざりけり山門をまかるときひとつひろふ夕星
(ゆふづつ)
たびびとに常夜灯ありわたくしに歌あかりあり四十年経ぬ
山路
(やまみち)にきのこ 葉裏にかたつむり 病むひとに愛 これの世に○(まる)
日本語のほかは知らざるひと生
(よ)なり歌ひかゆかむ残生の橋
木畑紀子『歌あかり』より
旅にこれまでの生を重ねて、人生に歌あかりを灯して……心に沁みいる歌が多かった。ヘルパーの歌、東海道の旅の歌などが特徴的。うまいのはもちろんだが、好きな歌も多かった。

【vol.52】
こころとは脳の内部にあるという倫理の先生の目の奥の空
黒髪を後ろで一つに束ねたるうなじのごとし今日の三日月
海亀が重たきまぶた閉じるごと二つ雫のコンタクトはずす
噴水に乱反射する光あり性愛をまだ知らないわたし
木の枝をテニスラケットで揺らしては雫を落とす体育のあと
なんとなくかなしくなりて夕暮れの世界の隅に傘を忘れる
平泳ぎのようにすべてがゆっくりと流れゆくのみ秋の浮力に
言いかけたことばやっぱり言わなくていい、どしゃぶりの音がしている
『ノルウェイの森』読み終えていま家にいるのがわたしだけでよかった
変わりゆくいまを愛せばブラウスの袖から袖へ抜けるなつかぜ
小島なお『乱反射』より
「完成された未完成」そんな印象を持ちました。感性は生まれ持ったものなのでしょう。素晴らしい!!しかし、表現、捉えどころ等にはまだ初々しさが残ります。長年詠んで読んでいると、そういう表現はしないだろうというところがあります。類型が無いぶん、そこがまた新鮮。

【vol.51】
雪雲の切れめに細く束の間を光る青空本当の空
縫ひ物の捗(はかど)りし夜アイロンの余熱に辞書のめくれを直す
寸ほどに育ちし金魚すばやくて夫と数ふる数違ふなり
地下街に人通りなくわが靴の左右の音の違ひ際だつ
風邪に臥しわれは聞きをり夫と娘が雛飾りつつ時に語るを
もつれたる糸気短に切り捨てぬ心弱れば安易にはしる
竹藪にとまる白鷺雪よりもやや汚れたる生きものの白
連発の花火の間のひとときを定位置に光る星一つあり
工事終へ道路標識の矢印が空を指しつつ運ばれゆけり
突然に別れのくれば人目避けくちづけしたり冷たき唇に
フィレンツェの聖堂(ドウオモ)に入る長き列世界の人種の見本のごとし
木谷啓子『加賀のれん』より
和裁を職としている作者。独自の職業詠がおもしろい。また金沢という風土が歌に趣をプラスしている。生活の隙間をよく捉えており、観察眼が鋭い。

【vol.50】
老いの坂ころがるに似つ階段の途中にぬげて落つるスリッパ
伸び早き爪、伸び遅き爪ありておゆびそれぞれ意志もつごとし
掃除屋がくるから片付けするなんてをかしいかなしい主婦の習性
影かなし。バムは晴れゐて瓦礫下に生存者を捜す人、人、人、人…
糸遊のはかなき世なれ子のあらぬわれら二人の生を充たさむ
日野原典子『糸遊』より

糸遊とは、晩秋や早春、空中に蜘蛛の糸が浮遊する現象だという。なんともはかない。エメラルド婚(結婚55年)と傘寿を迎える作者の記念すべき第四歌集。夫婦のあり方を考えさせられる。

【vol.49】
ハモニカの吸気と呼気の音澄みて秋、公園の空円
(まる)くなる
尊属殺
(そんぞくさつ)このごろふえて左折車のウィンカー赤く***(ホホホ)と光る
土産買つて四国八十八箇所を〈斜め読み〉して遍路バスゆく
〈酸し〉ありて〈酸ゆし〉あるらし〈濃し〉ありて〈濃ゆし〉もあらむ紅梅の花
爪二十、三十年後十年後あるいは五年後この爪ありや
野蒜
(のびる)の根白きちひさな玉なしぬ 死にゆくときはみんな無一物(するすみ)
先波
(さきなみ)を越ゆる後波(あとなみ)、波、波、波、無量の波が陸に迫りく
咲きて散る萩のこまかきくれなゐや善き人はつねに敗者をえらぶ
ふんすいに初秋の陽ざし ドレミファソ…ラシドの上のまばゆき光
「盥」とは両手で水を掬ふ皿その字思ひぬ人を待つとき
三五夜
(さんごや)のひかり見てのち独酌す未来が過去となりゆく迅さ
高野公彦『天平の水煙』より

高野さんの第十二歌集です。こんなにたくさん歌を詠んでいるのに、高野さんの歌にはいつも新しい発見がある。すごいことだと思います。ふるさと伊予を心より愛している高野さん。伊予の歌人として、師として、短歌の父として、ずっとついていこうと思います。

【vol.48】
霧走る熊笹原を彩りて竜胆の花まぎれもあらず
雪渓に立たむと駆くる子を隔て白き驟雨の横ざまに降る
サザエさん一家よりなほ賑やかにありし日杳く母老い給ふ
豌豆が道を捜してゐるといふ老に急かされ支柱整ふ
歌思ふ吾とスケッチする夫と滝に向きをり少し離れて
春や春卒寿の母が気丈夫に炊く白粥の湯気が勢ふ
秋日澄む智恵の文殊の狛犬の賽銭笊に椎の実混じる
桜木をめぐらす園の風寒くワルツのやうになごり雪降る
和田キクヱ『風』より
久々にコスモス愛媛支部で出版記念パーティーがありました。仲間が歌集を出すのは、本当に嬉しいことです。『風』にはカラーの挿絵がいくつかあるのですが、それはすべて旦那さまが描かれたものとか。夫婦愛を感じます。定型を守り、端正な印象の一冊でした。

【vol.47】
灯台の壁に装飾あらずしてまるごと風に洗はれてゐる
照明は照らしてをりぬ鍾乳石ならで「祈りの手」といふ比喩を
列なりて入国審査待つ人らこの国の外にはみ出しながら
透明で冷たく硬くきらめけり氷河の記憶持てる光は
これはそれそれはあれなりいつさいは問はれなければわかつてゐるが
廃墟なる聖堂そびえ壊されしもの壊れぬやう保存されをり
上り来て塔より見晴らす街の上つかまるところなき空広がる
噴水の光浴びつつ坐す我を溢れて我は空に触れつも
カラー写真だつたとしても黒だらうカーライルの母の着てゐた服は
生年と没年は他人が記すこと 墓石掠めて飛ぶ海燕
香川ヒサ『perspective』より
perspective』は『香川ヒサ作品集』をまとめた後の第六歌集。名前を伏せて詠んでも、すぐに香川作品だと分かるだろう。らしさがさらに際立った印象だ。リアリズム、哲学的思考、神、外国etc.がキーワードとなるだろう。

【vol.46】
はしやぎ過ぎて私はいけない 夏至すぎの夜の来方が美しすぎる
象の鼻先が土すれすれに揺れてゐる寂しさを言ふは容易
(たやす)からずも
ひたひたと水寄せてゐてそこが湖
(うみ)君が生家の裏にまはれり
耳掻きの羽毛の触
(さやり)の中にゐる別れしままの人の呼吸(いき)はも
息子には小さな息子のあることがわが力なり雪を掌に受く
明日切らるる身体であれば湯を浅う胸の辺りで暖まりゐる
わが病めば醤油と味醂の割合のわからぬ君が青魚
(あをいを)を煮る
扱ひにくくなりゆく身体と付き合ひて短日暮れゆく茶の花ほろろ
左胸横一文字に切りし上
(へ)を放射線がたたく一月(ひとつき)かけて
ゆつくりと、だが歩いてのぼれる階段の上には社
(やしろ)の黒い反り屋根
河野裕子『歩く』より
『紫式部文学賞』『若山牧水賞』を受賞している本歌集。タイトルにある『歩く』というのは、病気をして身に沁みたことだという。乳癌に向き合いながら詠まれた歌に多く惹かれた。しかし、字余りが多く(特に四句に字余りが多く)河野短歌のリズムには、最後まで馴染めなかった。

【vol.45】
ハッサクにずんと爪立て傷つけしものの香気に清められおり
花の名を教えるよりも簡単に我を愛する理由を言えり
休日はわたしに思い出させおり 一人遊びも上手なことを
タンポポの種ほど問いを抱え込み人へと放つ風向きをよむ
生殖をなし得ぬ花の飾られし部屋で抱き合う時のしずけさ
問診は水の言葉で続けられ性交の日をほつと聞かれぬ
ひるがえりひるがえりしてゆくつばめ春の手紙と思いて見おり
ブロッコリーぐらりぐらりとゆでながら失うことに臆病になる
日月を重ねて人と離れゆく 円周率を簡略化して
ジギタリス差し招きいる窓の前 忘れ続けることをつづける
ヒヤシンスの根の伸びゆくをみつめいる直線だけで書ける「正直」
押ボタン信号だとは気づかずにただ待っていたようだ あなたを

鶴田伊津『百年の眠り』より

ひとりからふたり、三人へ。共感できる部分が多い歌集でした。上の句と下の句の飛躍が見事で、勉強になりました。佐伯裕子、大松達知、小池光が栞を書いており、これらも注目です。

【vol.44】
その子二十
(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
臙脂色
(えんじいろ)は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命(いのち)
まゐる酒に灯(ひ)あかき宵を歌たまへ女(をんな)はらから牡丹に名なき
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
ゆるされし朝よそほいのしばらくを君に歌へな山の鶯
ひと枝の野の梅をらば足りぬべしこれかりそめのかりそめの別れ
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
おもひおもふ今のこころに分ち分かず君やしら萩われやしろ百合
いはず聴かずただうなづきて別れけりその日は六日二人
(ふたり)と一人(ひとり)
むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子
くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
与謝野晶子『みだれ髪』より
『みだれ髪』の復刻版を入手いたしました。ポケットサイズのこの歌集には、リアルな愛があると思いました。与謝野晶子短歌文学賞の講演の中でも、「現代短歌は愛の部を失ってしまった」と嘆いておられましたが、やはり人間には愛が必要で、私は今それを詠める環境にあるのだから、今こそ相聞歌をもっと詠まねばならないのではと思いました。

【vol.43】
幾本もの管につながりしろじろと繭ごもる妻よ 羽化するか、せよ。
手の指が動いたといふそれだけであふるるものをもてあましをり
妻の見ぬままにめくれるカレンダー五月のつつじ、六月のふぢ
妻の爪きりて帰りしその夜に二匹の猫の爪もきりやる
しばらくを働かざれば炊飯器、オーブンなども不審がりゐん
新しき記憶たちまちこぼれゆく妻にまた言ふ「水仙咲いたよ」
梅の木より桜の花の散るやうな不思議な言葉ときをりこぼす
「お言葉ですが、医師の勧めでもあります」と説きやりてまた立つ練習す
病院に妻を訪
(と)ふたび「オカエリ」と言ふからにわれも「ただいま」と言ふ
たとふれば水に浸
(つ)かつたパソコンが再稼動始めたやうな奇蹟ぞ
邪気のなくまして欲なき妻の目の澄みとほりたり菩薩とおもふ
桑原正紀『妻へ。千年待たむ』より
脳動脈瘤破裂で倒れた妻への愛の歌、壮絶で詳細な闘病記とも言える。約20ページにもわたる「はじめに」を読んで、まず涙が溢れた。奥さんへの思いが溢れていた。私もこの調子で多忙を極めると、倒れるかもしれないと思った。けれど、こんなに愛情を持って看病してくれる人がいるだろうか……。

【vol.42】
生きるとは待つことなりと思いつつ車椅子にて秋の野をゆく
虚しさに添われて過ごすひと日なり空を見上げる勇気もなくて
三十年の空虚埋むるは死に近き君が息の緒受話器が伝う
悲しみの満ちみちてくるわが内の広き隙間を心というか
短調に調べ変わりしわが生の暗き音色を澄みて奏でる
たましいを吸い込むごとく藍深くつゆけき花を紫陽花という
雪山に照る月光
(つきかげ)の沁むごとく死は安らかに苦しみを解く
それぞれの樹にそれぞれの実りある秋景にたつ裸樹のごと
苦しみのなき一日を許されてまばゆきまでの春を見つける
生きかわり死にかわりつつわが内に積む星屑にいのち華やぐ
夜ごとにこころ失う不可思議を眠りと呼べりぬくく優しく
柳澤桂子『いのちの声』より

~病床にあって詠み綴られた、生命の歌うた。~と帯にあるように、まさしくいのちの歌であった。体験したものでないと詠えない真実がある。

【vol.41】
みよし野の吉野の鮎の鋭(と)き鰭(ひれ)を照らし去りたり冬のいなづま
戦火いくつ 他者のいたみをわがいたみとする者あらば狂死
(くるひじに)せむ
死せる鯉ぬるり重きを新聞につつみ縛りてわが身汗ばむ
ひかり、やみ、あめ、ゆき、こだまなどの棲むこの世に二万日ほど過ごす
庭鳥が啼いてた 遍路が過ぎていつた 海が光つてた 菜の花 神隠し
ぬばたまの夢の奥にも現実のかけら入りきて深き憩ひ無し
「ゆ」はなべて優しき韻
(ひびき) ゆき、ゆふひ、ゆめ、ゆび、ゆぶね、ゆまりと言ふさへ
ポストの口「東京都」「その他」二つあり「その他」に入るる父への手紙
青春は凸
(とつ)、中年は平(たひら)にて老年は凹(あふ)といふべき一生(ひとよ)
受理されし退職願よるふかく社のいづくかに冷えつつあらむ
高野公彦『地中銀河』より
後になってあの歌集が欲しいと思っても、なかなか入手できないのが現実だ。今回は、とても幸運な事に高野さんの第6歌集を入手する事ができた。やはり装丁からなにからその本の重み、味わいが嬉しい。

【vol.40】
★今回はサラ川よりセレクト!
新機種に 右脳左脳も 右往左往 (ケムンパス)
OH三十一(みそか) 部屋も私も 片付かず (片づけられない女)
妻タンゴ 息子はスノボ 俺メタボ (ダメ親父)
うちのママ 家庭科少し 履修漏れ (大江山の鬼)
冥王星 何だか他人と 思えない (温泉仮面)
第一生命『サラリーマン川柳 傑作100選』より
今回は、先日発表されたサラ川よりセレクト。一読してよく分かるし、りっぱな社会詠と言えるのではないでしょうか。個人的には、片づけられない女さんに頑張ってもらいたいですが、私など既に年を越しても片付いてないですけど……。

【vol.39】
鼻母音は耳にやさしもゆふぐれのシャルル・ドゴール空港は雨
馬鈴薯が青き芽伸ばし好きなことそろそろしてもいいころと言ふ
新しき魚模様のスリッパでやはらかく踏む秋のフロア
十のうち九は悲なりといふこの世鉄線咲けりふかぶかと藍
つばめまたかささぎ、すずめ飛び交ひて色の明るきポンペイ壁画
その利息五十九円知らせ来る銀行は郵便封書を使ひ
白ばかり使ひてをりし姉の絵にことし芽吹きの草の色あり
着心地の悪い服また欠け茶碗捨てて身辺素
(そ)にしてゆかん
やや欠けし枇杷色の月ひんがしの空に不穏の赤味を帯びる
佐藤慶子『枇杷色の月』より

まずカバー装画のお父様の絵が味わい深く印象深い。今回、このようにセレクトしてみて、改めて私は佐藤さんの体言止めの歌が好きだと思った。また、夫の奥村晃作さんの影響か、リアリズムの歌も鋭い。

【vol.38】
わが身こそうらみられけれ唐衣君がたもとになれずと思へば 末摘花
わが身こそ恨めしきもの唐衣あなたのそばに置いてもらえず (万智訳)
▼返歌
唐衣またからころもからころもかへすがへすもからころもなる 光源氏
唐衣またからころもからころもいつまでたってもああからころも (万智訳)

いまはとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ 柏木
我が死後の煙はなおもくすぶって絶えぬ思いをこの世に残す (万智訳)
▼返歌
立ちそひて消えやしなましうきことを思ひみだるる煙くらべに 女三の宮
誰が一番つらい思いをしているか煙となってくらべましょうか (万智訳)
俵万智『愛する源氏物語』より

昨年は、宮柊二没後20年記念ということで「柊二作品への返歌」にチャレンジした。が、これまでの人生の中で歌を贈られたこともなければ、返歌を作ったこともなく、かなり苦労した。平安時代には、歌が日常生活の中にあたりまえのようにあり、『源氏物語』にも795首の和歌が登場する。物語の中に歌が入るのも必然だったのだろう。それにしても、紫式部という人は、下手な歌も上手に作っていて感心した。歌は人を表す。であれば、登場人物すべてが上手い歌を詠むのはおかしいわけだ。上手い人も下手な人もいる。私も歌物語作者として、勉強させられた。さらに、万智訳に助けられたことは、言うまでもない。

【vol.37】
コンビニでスキンケアセット買うときに始まっている夜のシナリオ
友だちに戻れないかもしれないと思えば寂し口づけなども
イオカードに刻印された駅名が確かにあった昨日を告げる
家計簿をきちんとつけているような人を不幸にしてはいけない
水蜜桃
(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う
渡されし青銅色のルームキーずっしりと手に重たき秘密
なつかしい自分の身体を抱くようにある朝君を求めておりぬ
八月の暦がひらり「会えない」と「会わない」の差を君は知らない
アボカドの固さをそっと確かめるように抱きしめられるキッチン
家族にはアルバムがあるということのだからなんなのと言えない重み
古びゆく卵子を抱え春の午後エステティックサロンに通うわたくし
俵万智『トリアングル』より
俵万智原作の映画『TANNKA 短歌』が公開となった。原作の『トリアングル』は小説の中に短歌を織り込んでゆくという歌物語の形式だ。昔は伊勢物語などのように、小説に歌が織り込まれることも珍しくなかったが、現代ではほとんどみかけない。私も歌物語を書く人間として、参考にさせていただいた。しかし、この『トリアングル』は一人称の「私」、不倫相手は「M」と、フィクションなのにイニシャルで書かれているため、どうしてもノンフィクションとフィクションの境が難しい。

【vol.36】
ふるさとはもう遠けれど海の沖に夕立白くゐし記憶など
伊予を出て齢
(よはひ)古りつつたましひは郷愁といふ裏山を持つ
海近き中学なれば蛸壺をみんなでえがく美術の時間
泥酔し大阪港で水死した船乗り祖父の一生
(ひとよ)うつくし
匕首
(あいくち)を箪笥の奥に遺したり水軍の裔(すえ)なりしや祖父は
奥山の航空灯台の光芒
(こうぼう)がしずかにまわる故郷の夜空
海へ海へ流されながら肱川を泳いで渡る 海へ出たら死ぬ
ふるさとの海底
(うなそこ)に虹が棲んでゐた ギザメといひし七色の魚
伊予灘の八百波
(やほなみ)越えし船乗りの裔(すゑ)の者にて歌の遊(すさ)びす
花咲かせすべてを散らす大仕事了へし桜に甘雨
(かんう)ふりをり
船酔ひにあらずこの世に身は老いて歳月に酔ひ髪白みたり
高野公彦『甘雨』より
雁書館『高野公彦の歌』を読んだ後で、この第十一歌集を読むと、何だか新たな第一歌集を読んでいるような錯覚に陥った。タイトルからも水の温かさのようなものが伝わってくる。どのページを開いてもいいなぁ~と思う歌はたくさんあるが、今回は高野公彦の原風景、ふるさと伊予長浜を詠んだ歌を特にセレクト。

【vol.35】
ふたたびは見ぬやさしさとこそ思へつゆのあとさきあやめむらさき
しんしんと百日紅は咲き盛り夏のまなかにとほき夏あり
よばれたるときめきありて立ちくれば解かれしやうに雪降りゐたり
生き残る必死と死にてゆく必死そのはざまにも米を磨ぎゐつ
魔女にならん魔女にならん ぐつぐつともの煮つめゐる水無月なかば
素足とふうつくしきもの奔るなり雨水
(うすい)
ときけば雪消(ゆきげ)ときけば
冷えすぎしメロンを切れば湖
(みづうみ)のごとくさびしき秋のはじまり
うつそみの人なるわれや夫の骨還さむとさがみの海に出で来つ
はばたけるやうに来たりし白きものいづ方からの音信か 雪
雨宮雅子『熱月の風』より
う~ん、やっぱりしびれた。よく読み込まないと分からない歌も多かったが、たぶん2回3回と読み返すと、だんだんに味わいが増すような気がする。今回セレクトしたのは、ファーストインプレッションで感覚的にいいなぁ~と思ったもの。

vol.34
★今回はやっぱり俳句甲子園からセレクト!
そのままの君居て氷金時   熊本信愛女学院高等学校
時鳥鳴いて牛乳零しけり   茨城県立下館第一高等学校
改札の先頭を行く今朝の秋   野口あや
葉鶏頭舳先は夜に向いたきり   安部拓朗
先客は河馬 新緑のこんにちは   杉田小百合
告白を先延ばしする秋薊   村上華子
枳殻の先に シャム猫の憂鬱   西口希
扇風機ぎしぎし母の生返事   野口あや
シーソーに一人割れない落花生   小西真寿美
草の絮まあるく生きていたりする   藤原千春
俳句甲子園~敗者復活戦・準決勝戦・決勝戦~より
いやぁ~ホントに高校生の柔軟な発想と意表を突く展開には脱帽。感心しきりです。

vol.33
炎昼のわあんゆうんと歪
(ゆが)みつつ樹木は蝉の声に膨らむ
走り来て赤信号で止まるとき時間だけ先に行つてしまへり
二〇〇二年、「2」は水鳥のかたちにて朝あけの雲ながく水脈ひく
遠くまで今日よく晴れてマジシャンのやうに大きなハンカチをもつ
深川の春まだ寒し香の物食めばほつほつ雨音に似る
梅雨の月窓に見えつつ立食のパーティーは誰の皿も傾く
仰ぐたび空にすきまがあるやうな秋なればまた忘れ物する
磨きゐるガラスときどき見えなくてときどき触
(さは)るまふゆの空に
死ののちもこの家族なり春彼岸ぱんぱかぱーんと弁当ひらく
たまねぎが白い夕焼けが赤い 昏睡のまま祖母生くる世に
小島ゆかり『憂春』より
迢空賞を受賞した『憂春』。堂々の受賞だ。小島さんのダンナ様が娘さんに「お母さんは何の賞をもらったんだ?」と聞くと娘さんは「ちょう~なんとか賞とか言ってたよ」との返事。ダンナ様は「短歌の世界も最近は、ちょう~とか言って砕けた感じになっているんだなぁ~」と妙に納得していたとか……。元気で明るい家庭が目に浮かぶようだ。枝葉をつけている訳でなくても、小島さんの話はいつもおもしろい。

vol.32
足摺の切り立つ崖に住みなれて首やはらかく海鵜ら眠る
風いでし夜半に聞きつつ寂しめり晩夏はものの音乾きゐつ
十中に八九は切らねば済まぬとふ医師の背後に春の日沈む
麻酔され宙に漂ふ時の間を夢さへも見ず胸乳喪ふ
乳癌の手術痕秘し温泉に部屋湯を一人ひつそりと浴む
熟したる果実はじけて種飛ばす鳳仙花の智慧なくて子の無し
高橋房子『海どり』より
高橋さんは、私をコスモス今治に紹介してくださった大切な方です。ご主人の転勤により、愛媛・香川を8回も移住され、そんな自分を「海どり」になぞらえ、歌集名としたそうです。高橋さんが、海どりでなかったら、私を香川から愛媛に紹介してくださることもなかったでしょう。
一首目は「昭和萬葉集」にも掲載されている秀歌です。一生のうち一首でもこのように文学史に残る歌を詠めたらと思います。また、この度は香川県歌人協会主催の「短歌海流賞」をご受賞なさりました。誠におめでとうございます。


vol.31
六度めの引つ越しを終へ酢を買ひに桜月夜の街をあゆめり
「良かった」と事あるたびにつぶやけば良かつたやうな一日終はる
めつむれば光を感ずみひらけば物の影見ゆ 人生半ば
菜の花はさくら、さくらは菜の花を日がな一日ながめてをりぬ
真面目でゐることが何だかつまらなくなりてぐるるん宙返りする
きのふよりあかるい空だ。あけはなつこころの窓にとんでくる鳩
かに風味かまぼこを食み日記風短歌を読めりとある冬の夜
バーコードのやうにつらなり人間はたそがれどきのバスを待つなり
二人子にリズムをつけて教へたりブンチャッブンチャッと米は磨ぐべし
風ふけばなんぢやもんぢやの樹は揺れてこんなもんだとわれに言ふなり
くづれゆく心ささへて朧夜は角くつきりと寒天を切る
日、月、星かくれて闇のふかまるをほのかに照らす茜のランプ
まつすぐに進むおろかさ知りながらまつすぐ進む亥年のわれは
松尾祥子『茜のランプ』より
「良かった」と言い聞かせながら日がな花をみつめ、時に宙返りなどしては「こんなもんだ」とつぶやき、やはりまっすぐに進む……。そういう毎日が何より幸せであると改めて感じさせる、やわらかくあたたかい茜のランプ。ひらがな表記が多いのも、やわらかであたたかな雰囲気を特徴づける。

vol.30
大きなる鍋の一つか会社とは煮崩れぬよう背筋を伸ばす
狩るという本能思う水鳥に望遠レンズを向ける男ら
枯れることかなわぬリボンフラワーの埃まみれの中年となる
変死体の解剖終えて帰り来る女子医学生の頬の豊けさ
人間の沼の深かり開戦と同時に上がる株価のグラフ
災害が起これば活気づく職場張り切る一人とならねばならず
両腕は天を指すべし両脚は地を穿つべしフラメンコ美
(は)
幸せな人には歌えぬ歌があるシギリージャいつか吾も歌わん
一瞬の逡巡もなく祝うべし欠員となる部下のおめでた
わたくしの顔を見つけて立ち止まる幻視の画家の「鳥女」像
松村由利子『鳥女』より
現役新聞記者であり、息子を持ち家族を持たない彼女は、社会詠や時事詠のキレが抜群で、どこか憂いもある。小山田二郎の「鳥女」を見たとき、臆病で攻撃的、優しくて残酷という両義的なイメージをもつこの絵に、「これは私だ」と思ったという。現代社会に生きる我々は少なからず皆「鳥女」なのだろう。

vol.29
ほろほろとフェザースノーの舞ひ降りて三月近き空に翼あり
選ばうとしてゐるものは何ですか脱ぎ散らかした服が問ひくる
この年は四月にりんご咲
(ひら)きたり早咲きの花は見過ごしやすし
つまづきて君へと倒るまだ何の匂ひも持たぬ君の腕へ
黙り込む生徒の肩を抱きたり振り払ふことのできるゆるさで
死にたしと言はるるよりも生きたしと言はるることの耐へがたくあり
黒板に「世の中は金」と書かれゐて嘘つぽいけど「愛」と書き換ふ
「本当はバカなんだから無理するな」バカと言はれてほどけゆきたり
別れたる妻のことなど聞きながらフォークで砕くゴルゴンゾーラ
月光に髪が湿るよ この人でなくてはならぬ理由などない
福士りか『フェザースノー』より

春の雪が降ると、りかさんの『フェザースノー』を思い出します。四国ではあまり雪が降りませんが、雪の明るさや雪の温かさってあるんだなって思います。いつか北国で体験したいなぁ。

vol.28
新生児ふかふか眠る焼きたてのロールパンのごと頭並べて
湯からあげタオルでくるむ茹でたてのホワイトアスパラガスのようだね
蒸し栗のような匂いに汗ばめる子どものあたま、五月となりぬ
アボカドの固さをそっと確かめるように抱きしめられるキッチン
角砂糖ざらざら舐めているようなキスをしており葉桜のした
うつぶせに眠るおまえの足の指えんどう豆のように並ぶよ
俵万智『プーさんの鼻』より
※食物の比喩を抜粋。身近なものゆえ、共感がふくらむ。
私の手元にある『サラダ記念日』は1997年11月10日発行 実に388刷のものだ。ちょうど私が短歌を始めた頃に購入したものだ。『サラダ記念日』の初版発行1987年といえば、私はまだ中学生で文学とは全く縁遠い体育会系。毎日部活ばかりしていた。あれから約20年がたつ。
こんな大ベストセラーを生み出した俵万智は間違いなく文学史に名を残すであろう。一般大衆に対する知名度も他の現代歌人に比べて群を抜いている。
私は、宮柊二の『自らの生の証を』という精神に心から賛同する。私は後の世に自らの生の証を残すことができるだろうか。短歌による『自らの生の証』を考えた時、やはり「大衆性」とは切り離せないのではないかと思う。


vol.27
あすも手術(オペ)その次も手術(オペ)果てしなく切りまくる日々 汝は誰ぞ
ああ我は君を抱きたしつぶすほどmake you make you
(メキメキ) love me(ラブミー)骨きしむほど
氷詰めの指と指無し患者来て七時間かけ指もとに接ぐ
「動物は苦しめてません」一筆を入れる昨今の医学論文
愁嘆場修羅場土壇場断末魔無尽蔵なる外科医を愛す
青光る白衣はわれの戦闘服来なさいどんな怪我人なりと
「灰皿」はなくなるとしても「揉み消す」は生き残るだろうこの先の辞書も
忙しくいればいるほど悲しみは感じざるものもっと仕事を
切れるより切れない方が危ないと刃物談義に盛り上がりたり
作戦も手術も英語じゃオペレーション人を殺すか人を生かすか
京表楷『ドクターズ・ハイ』より
近頃、同人の歌集が次々に出版され、にぎやかだ。小島ゆかり『憂春』や桑原正紀『緑蔭』が素晴らしいのは言わずもがなであるが、今回セレクトしたのは、外科医である京さんの第一歌集。タイトルをみても分かるように、職業詠を中心とした歌集で、読んでいるこちら側までハイになる一冊だ。読シャーズ・ハイ!多謝。

vol.26
洗濯をしてゐるわれにたんぽぽの穂絮飛び来ぬああ妻となりぬ
子のTシャツ買ふを忘れしわれを責め抗ふまでに子は育ちたり
うちそろひ七草粥にぬくもれる朝の電話は伯父の死を告ぐ
泥まみれの田植の服を着替へ来て父の今際に五分遅れき
うまさうに熟れきはまりし百目柿ひとつふたつを空よりもらふ
咲き初めの福寿草はもみづからのぬくみで溶かすめぐりの雪を
しあはせは出前のごとくやつて来ずこてこてこてとコンロをみがく
〈変字法知るところ記せ〉ナンダコレ答書けねば海馬は遊ぶ
大学で知らないことがこんなにもあると知つたよ陀羅陀羅陀羅尼(だらだらだらに)
米田靖子『神隠し』より

今年の『歌壇賞』受賞の作者。なんと50歳を過ぎてから、勤めを辞め、大学に入学して、改めて文学を学ぶほどの努力家。社会人入学も多くなってきているそうで、米田さんの話を聞いて私も勇気をもらい、いつかチャレンジしてみたいと思っています。あっ、まずは四国脱出かなっ。

vol.25
ぽぽぽぽとちぎれ雲ゆく淡青の空よ未遂の恋もあるべし
心配をかけたいひとに安心もまたさせたくてエアメール書く
寝言まで英語となれる子にとほくわれは読み継ぐ「折々のうた」
人疲れ残るゆふべはわが部屋を灯さずに聴く南部風鈴
愛されし記憶こころに刻まむとをりをりつよく子を抱きしむる
飯はナシ人はオランで菓子はクエ死ぬはマテとぞマレー語おもしろ
地下深く核実験をせし国に生まれて後ろ足なき亀よ
いただきにひとつ残れるマンゴーととほき金星照り合いにけり
渡辺南央子『ガラスの香炉』より

マレーシア在住の渡辺さん。メルヘンにあふれ、女性的でやわらかい歌がいいなぁ~と思います。異文化にふれ、さらに言葉の新世界を開かれたように思います。いつか私も海外に暮らしたなぁ~。ホント憧れです。

vol.24
街の灯のほのかにおよぶ沼の面に白く列(つら)なり眠る白鳥
てのひらのごとき広葉に月光を載せて醒めをり夜の無花果
コップのなか蝶はみだれてはるかなる地平をのぼる枇杷色の月
放課後の教室に来て空間を目に凝らし見つこれでおしまひ
発ちゆきし列車のつれてゆく影もホームに立てるわが影も秋
陽に萎
(な)ゆる牡丹のうへを過ぎゆきし黒き蝶あり喪章のごとく
西行の庵ちひさしやまざくらふつふつ白し泪のごとし
柏崎驍二『四十雀日記』より


明け方を待たず静かに燃え尽きぬ一家心中未遂の車
子と見たるドラえもんにも割り込みてテロップ流る「求刑通り」
他人様に言つてせんなきそれぞれの家庭の事情役員が出ない
今週の火曜は天皇誕生日訳はともかく清掃車は来ない
写真では三秒先も知れませんまだ生きてゐる死にかけの人
歌はざる生徒も非難対象といづれなるらし苔むす御代に
表情は個人情報誰からも覗かれながら国歌歌はず
佐藤理江『箱船』より

今回は対照的な教師の歌集を2冊セレクト。柏崎さんの作品は、花鳥風月を正しく美しく詠みこんだ、まさに教科書的な一冊。一方、佐藤さんの作品は国旗掲揚、君が代斉唱問題など、現代の教育現場にざっくりメスを入れた問題作だ。

vol.23
次々に走り過ぎゆく自動車の運転する人みな前を向く
(さ)ういへば今年はぶだう食はなんだくだものを食ふひまはなかつた
これ以上平たくなれぬ吸殻が駅の階段になほ踏まれをり
歩かうとわが言ひ妻はバスと言ひ子が歩かうと言ひて歩き出す
水に色なけれど全く色なしと言へるかどうか色とは何か
「ロッカーを蹴るなら人の顔蹴れ」と生徒にさとす「ロッカーは蹴るな」
居ても居なくてもいい人間は居なくてはならないのだと一喝したり
「自動改札」に塞き止められて喚
(わめ)かれて納得したりわれの間違い
昼食はしゃも丼と決めた人たちの列うちつづく「玉ひで」の前
オイ、キミら冗談じゃないぜ〈戦争〉が肯定されてタマルモンカよ
五つ星ホテルに泊まり夕食は星二
(に)か三(さん)のホテルに向かう
どこまでが空かと思い 結局は 地上スレスレまで空である
     奥村晃作『空と自動車』より

ついに奥村さんの歌集をセレクト。この「空と自動車」は、第一歌集「三齢幼虫」から「キケンの水位」に至る九冊の歌集より、500首を自選して編まれた、まさに“オイシイとこ取り”のベスト盤だ。奥村さんは、ご自分でご自分の歌を「ただごと歌」だと言われているが、私は「短歌という形式で表現した哲学」だと感じた。リアリズムには、深くて強いエネルギーがある。

vol.22
背伸びしてくちづけしたるヒマワリの乾いた頬は唇に痛くて
陽にやけた裸の肩にツタの影そよがせていて夏トカゲかな
いつの間に置かれたる胎児
(こ)か薄き目をつむりてしんとわが裡におり
子の唇
(くち)にふくませてやるおしゃぶりのシリコンはどれも雫のかたち
指さして子にものの名を言うときはそこにあるものみなうつくしき
子を保母にあずけて駅へ急ぐ朝どうしても嘘つきのようにさみしい
わたくしのからだをめぐる物語カルテにありぬ異国の文字で
生き物のごとき乳房よ子が泣けば力もかたくみなぎらんとす
乳首に激しき痛み覚えたる夜に透明な子の歯を見たり
わたくしは子を生みて良き力得て空響かせて布団を叩く
     早川志織『クルミの中』より
妊娠、出産、子育てと女性の人生の物語を、決して主観に溺れず、詩に昇華させて詠っている。独自の表現世界があり、秀歌の多い歌集。特に、セレクトした子の歌に惹かれた。

vol.21
守れない約束汝とかはしたり レモンの断面するどく匂ふ
生あるもの所詮利己主義 青虫がわれより先にキャベツ食みをり
わが家が七人家族でありしことサイドボードの食器が記憶す
寂しくてしやべりすぎたる悔い持ちて春のキャベツをバリバリはがす
つつましき奥様レッテル捨てんとす縦横無尽にさくら散るから
泣き虫が一匹二匹と胸を去りあきらめ虫がしづかに入り来
どうすればわれがわれとしゐられるか真如の月は中天にあり
草むらに夢のしづくのごとひかる蛍囲へば夜が揺れたり
藤岡成子『真如の月』より

今月は(忘れていたわけではありませんが)第二回筑紫歌壇賞受賞の、この歌集をセレクト。筑紫歌壇賞は、NPO法人国際科学技術文化振興会主催、六十歳以上の第一歌集を対象とするもの。ユーモアもあり、何よりも若々しい詠いぶりが親しみやすい。

vol.20
快速をやり過ごしたりホームにはやり過ごしたるいくたり立てり
今日は子に林檎の皮剥き教へむと最も切れるナイフをわたす
夕焼けのゼブラゾーンを渡り来る善人悪人みな夕映えて
抽出しにたしかに入れたたぶん入れたおそらく入れた入れたと思ふ
ストローで氷をつつくすでにもうすべてが語り尽くされてゐて
『香川ヒサ作品集』より

香川ヒサさんがこれまでに刊行した五冊の歌集『テクネー』『マテシス』『ファブリカ』『パン』『モウド』を所収した作品集。大松達知さんの解説も付いており、この一冊で香川作品が充分に堪能できる。後半、神や文明、歴史、世界といったところに向かっていき、私には少し理解が難しかった。私は、抽出歌のような初期の作品が好きだと思った。

vol.19
★今回はちょっとおもしろい“俳句”をセレクト
夜桜や分別のある人とゐて   だりあ
芽キャベツを茹でて心は定まらず   灯馬
色々聞きすぎてたたむ兎の耳   みかりん
あれがオリオン座君の指ばかりみる   千子
けして泣かぬつもりざぶざぶ桃洗ふ   わら
その汗もその汗もその汗も君   めいろ
    ねじめ正一 編 『恋の俳句集』より

夏井いつきさんが組長?をつとめる俳句マガジン「いつき組」にて募集した「恋の俳句」を元にまとめられたもの。この雑誌の90号(2005年5月号)付録としてくっついてきた一冊だが、思いがけずおもしろくて、ここにセレクトしてみた。古くさくて陰気くさくて辛気くさい俳句のイメージを一新した夏井さんの功績は大きいだろう。俳句も短歌も今、変わりつつあるのかなぁ~。

vol.18
割れてよきお皿は割れず忘れたきことうちつけに開きて消えず
フェルメール ルシファー ニンフ オブローモフ〈ふ〉と言ふときの心のゆるび
闇なかは問はれぬことも言ひさうな三千の火のつづく道行き
中庭に少女はいつもうつむけり宋朝体のやうな足して

頼もしき漢字漢字の空港の何を洗ふといふ盥洗室(トイレット)
ためらひもなき旧漢字台灣の急速發展 經濟繁榮
便利商店(コンビニ)の袋に赤きお願ひは「請重複使用本袋(ふたたびつかへ)」小さくたたむ
韻律論に繰り返されてこころよき五七五七七(ウオーチーウオーチーチー) 鳥鳴いてゐる
今野寿美『龍笛』より

定型を前提とした短歌特有の文体に強くこだわってきた著者の七冊目の歌集。国際啄木学会台湾大会での一連に、ルビ使いのおもしろい歌が多く、興味深かった。

vol.17
大いなる譲歩のあらん耳ピアスやめて臍ピアスのみする生徒
アメリカに移り住むといふ選択肢まだあり青春の余白にも似て
三十は〈配偶者のみ〉三十一は〈配偶者・子供一人〉が試算のベース
おほかたは性格の良い奴ばかり東大(文系)合格者一覧
人品のとりわけ悪い奴もゐて東大(理系)合格者一覧
〈若さゆゑ〉否〈若さを保ちたきゆゑ〉にすこし反抗してゐる会議
夜更かしをするなシブヤには行くな人を殺すな この夏休み
大松達知『スクールナイト』より
今月は『コスモス』『桟橋』のホープ、大松達知さんの第二歌集をセレクトしない訳にはいかないでしょう。英語教師、大松先生の大松先生らしい、witに富んだ歌集です。年も私の2コうえなので、共感できる部分も多かったです。

vol.16
  (すべてをしりたくて、しらせたくなる)
ゆびさきの温みを添えて渡す鍵そのぎざぎざのひとつひとつに

  
(書き順はめちゃくちゃ)
プリズムのような真夏のフェラチオとボールペン文字の手書き表札

  
(床にやわらかい光が反射するように)
くちびるでなぞるかたちのあたたかさ闇へと水が落ちてゆく音

  
(宇宙空間で泳ぐ、中指)
熱帯夜全身汗にまみれつつあろんあるふぁを指環に堕とす

  
(きれぎれの声)
空よそらよわたしはじまる沸点に達するまでの淡い逡巡

  :
  :
バラ色の目ぐすり沸騰する朝 誰かのイニシャル変えにゆこうか
    穂村弘+東直子 『回転ドアは、順番に』より

穂村弘さん御結婚記念!ということで、今月はこんな一連をセレクト。穂村さんと言えば、フリー恋愛、フリーセックスを公言していただけに、結婚と聞いてびっくりしましたが、言葉の世界と現実の世界はやはり違うのだと、少しホッとしました。末永くお幸せに……。

vol.15
鳴らさずに鍵盤押さふ 指先とキイの間(あはひ)の息づくまでを
鍵のかかる楽器に向かひかなしめば果てたり四分三十三秒
                      
ジョン・ケージ作曲〈4'33''〉
炎昼のしづくのやうに垂れてとぶ縞蜂 憎んでしまへばらくだ
かならず死ぬ、と蝉は鳴くなりいいですか一方的に切つたのは君
ゆるされてもゆるされなくても春は過ぎアジアンタムもいつしか枯れき
見ないまま抱きあふとき骨格のふかさの中でわが咽喉ほそき
罵れる人の声音の襟首にたいせつに巻かれあるマフラーが
私にはそれでもピアノしかないと、もうピアノしかないとおもひき
    河野美砂子『無言歌』より

ピアニストである作者は、その苦悩の日々を歌に吐き出しているいるようだ。なによりも「音」に敏感で、日常の些細な音も鋭く捉えている。「角川短歌賞」受賞作家の第一歌集とあって、注目度◎。

vol.14
母であることは途中でやめられず毎朝五時に弁当作る
汗拭ふハンカチをたたみなほしつつ決して女は疲れてはならず
立つてゐれば坐つてゐれば悲しくて遊び歩きす日向ひなたを
途方もなきその夢あきらむるまでの泥の時間を妻われは知る
終ります白梅散りて 終ります紅梅散りて いつか終ります
白昼を怒る男
(ひと)をりロボットの世に残されし一人のごとく
エトピリカの切手を貼ればまだ書かぬ葉書は北のエトピリカ宛て
小島ゆかり『エトピリカ』より

比喩や擬音語のユニークさはもちろんだが、小島さんの歌は小島さんという“人”そのものに大きな魅力があるのだろうと思う。母として、妻として、女として、小島さんはお手本のような人だ。そんな小島さんに憧れて、でもなれなくて、多くの女性は小島さんの歌を詠むのだろう。もちろん私も……。

vol.13
息子の白いお尻ももうすぐ見なくなる洋服をきた母と子になる
映像をけむりのごとく吸ひ込みてぐらぐらとする九月のからだ
戦争をおもへどおもへどおもへぬと言ふとき獅子座流星また落つ
真珠ひとつぶ分とふ不思議の単位あり秋よりふたつぶ食べるわが肌
生みたての卵は冷蔵庫に光
(て)りて放置死させるごときはかなさ
かなしみて日記かけざる空白にプーさんのシール貼りし幼子
昨日の靴昨日のことば昨日の目窮屈だといひ野球しにゆく
綺麗です綺麗ですと進む胃カメラは暴力ならず性愛ならず
どんどん捨ててどんどん雑誌また捨ててさびしいさびしい人の言葉を
今日われは誤爆をうけず春大根刻む音さへ光らせながら
米川千嘉子『滝と流星』より

毎月ここに何をセレクトするか、すごく悩むのですが、やっぱり米川さんの歌集は外せないと思いました。先日の『桟橋』批評会の夜にも議論になりましたが、全体の是非はさておき、私がいいなぁ~と思った一首一首をピックアップしました。捉え方が独特で、おもしろいものがあります。

vol.12
あしのゆびぜんぶひらいてわたしからちいさな痛みはなたれてゆく
あれはもう届いたかなあ いつまでも不在のひとの気配のあかさ
思ったこと溢さないよう立ち上がるわたしはわたしを恐怖している
ひさしぶりのさよならですねゆく街のゆくさきざきで君がゆれてた
あかいあかいゆうひのなかにだめになりそうなあなたがいそう、いそうだ
東直子×木内達朗『愛を想う』より
東さんの短歌に木内さんのなんともいえないイラストが、不思議な世界を醸し出しています。
東さんのホームページからメールで申し込むと東さんのサイン入りの本が貰えるということで、すかさず申し込みました。
東さんからは、サインと一緒に「走りすぎて痛かった胸」と一筆いただき、感激!
そう、私にぴったりの言葉だなと思って……。私はずっと走りすぎていたのかもしれません。


vol.11
さくらさくら 去年誰かと見たさくら/知らんぷりしてまた見るさくら
人生は続く ふたりが教会で/ハッピーエンドを迎えたあとも
謝られれば謝られるほど君じゃなく/わたしが全部悪いみたいだ
縁あって隣で寝てる人がいて/わたしのものにならないらしい
佐藤真由美『恋する短歌』より

短歌+ショートストーリーで22の恋物語が納められている。「小説すばる」に連載されたものに+αの文庫本。
現代短歌らしく(?)意味不明な部分もあるけど、難しく考えなくても、サラッと読める。


vol.10
<ああ>の意と思ひをりしが<はい>の意と夫は言ひぬ念仏の南無
美夜美夜
(みやみや)と猫のあこがれ出でてゆく夜のどこかに梅咲く気配
月が虧
(か)け盈(み)ちゆきて虧けまた盈ちて君のいまさぬふた月が過ぐ
すずむしの雄みな消えし霜月をこゑなく生きるすずむし老女
清潔であかるく便利いちねんに三万人が自死する国は
頬杖をつきつつまたもおもひをり わたし、かなしみかたがたりない
田宮朋子『星の供花』より

2002年角川短歌賞受賞作品「星の供花」を含む447首。文法や構成がしっかりしており、やはり作品に安心感があります。
※8月の終わりに田宮さんの生まれ育った新潟へおじゃまさせていただき、すっかりお世話になってしまいました。
田宮さんは、人間的にもとても親切で、お優しい方です。


vol.9
君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ  北原白秋
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生  栗木京子
滝、三日月、吊り橋、女体 うばたまの闇にしづかに身をそらすもの  高野公彦
ひとり飲むこの夜の酒や何すれぞかなしきまでに心澄みゆく  吉野秀雄
生きがたき青春過ぎて死にがたき壮年にあふ月光痛し  伊藤一彦
こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり  山崎方代
監修/佐佐木幸綱  CD朗読/檀ふみ
『声に出して味わう日本の名短歌100選』より
むかし短歌は、今で言うラップみたいに宴席で琴を弾きながら誦まれたという。ふぅ~む、おもしろい。
檀ふみさんのCD朗読付きの本書は、独特の雰囲気があり、味わい深い。さすがに名短歌ぞろいである。


vol.8
断崖に足かけながらクリムトの「女」しづかに接吻を受く
源氏読めば魅かれてしまふ六条御息所の愛され下手に
この星が深呼吸する大潮の今日なり君よ求婚をせよ
世にひとつ棄権(リタイヤ)できぬことあるを知りたり分娩台の上にて
うつそみを去らぬ乳の香母われに呪縛のごとし媚薬のごとし
陽の匂ひそこより著し窓際のしまひ忘れし子の夏帽子
吾子の手を引きて連れゆく男(お)の子ありエスコート ふふ、そんなかんじで
藤野早苗『アパカバール』より

「源氏占い」というのがあって、昔やってみたら、私は「空蝉」タイプと出た。
拒み続けることで、心を永遠に繋ぎとめた女性である。なるほど。でも、幸せなのかな。
『アパカバール』は恋愛・結婚・出産・育児と女性の人生を歌で辿ってゆく、
とても共感できる歌集だ。(って、私は結婚もしてないのだけど……。)


vol.7
★今回はちょっと趣向を変えて“五行歌”をセレクト
  やわらかさと
  激しさが
  矛盾しない
  海というもの
  女というもの

  弄びたいわけでは
  決してない
  ただ
  私に
  迷ってほしいだけ

  掌の中で
  やわらかく
  ゆらめく乳房の
  ざわめきさえも
  伝わりますか
阿島智香子『ざわめく桜』より
五行歌界きっての官能歌人、と言われるだけあって、う~む流石。これは世の男性に対する挑戦でしょうか?
大胆だけれど、「迷ってほしいだけ」など、内面の自分も見てほしいという、かわいらしさや、けなげさも漂っています。


vol.6
連絡のとれないことが寂しくてたいした用などないのだけれど
パンヂイの薄紫にしめりゆく心吸わせている春の窓
会うことができればこんなに会いたくはないかもしれず 会えぬ一日
思い出と呼べば何かが嘘になる いま生きている いま愛してる
「それだけです」と書いた手紙の余白にはそれだけでない心がにじむ
ありがとうなんて言うのも今さらのような気がするけどありがとう
あなたから電話がこなくてあたりまえ それでも待つこと まだあたりまえ
俵万智+浅井愼平『もうひとつの恋』より

俵さんの短歌は、私の出発点です。折りに触れ、読み返したくなる一冊「もうひとつの恋」から、
今の私に響いた歌を今月はセレクトしました。


vol.5
両の耳ふさがむとしてにしひがし雨戸を閉(さ)せどなほ雨の音
チョコレート溶けだしさうな悲しみの噴きだしさうな怠けのひと日
花びらの四、五片のこる濡れ傘をたたまむとして人の恋ほしさ
雲七つならび描かれて鬱七つひそめるごとし週間予報図
ファックスの送信をへて抜け殻になりたることば床にこぼれぬ
インターホン押して隣へジョーカーのごとくまはせり訃報回覧
たぎつ湯にぱんと開
(あ)きたる蛤の花咲くやうな死を数へをり
斑鳩におりたち今日は観音にまみえず雨の安堵町まで
木畑紀子『水繭』より

旅行詠、自然詠を中心とした良い歌集でしたが、ここにはあえて心象を織り込んだ日常の歌を
セレクトさせていただきました。私はこういうのが好きだなぁ~。


vol.4
背を向けてサマーセーター着るきみが着痩せしてゆくまでを見ていつ
すっぽりと海の展ける峠までことばで問えることだけは問う
噴水は挫折のかたち 夕空に打ち返されて円く落ちくる
風を浴びきりきり舞いの曼珠沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ
紫陽花に吸いつきおりしかたつむり動きはじめて前後が生ず
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった
生ゴミの黒い袋に精液を捨てて公孫樹の根方に置けり
菊の鉢ならぶ広場に子のいないわれらはしゃがみこむこともなく
吉川宏志『青蝉』より
魚村作品のような大胆な(突飛な)比喩や言葉の展開はないものの、事実を事実として細部までよく捉えていて、時にあたり前の事実に、ハッとすることがある。

vol.3
無精卵なればやすらに積まれたるMのパックをひとつ選びて
あたたかく紅茶の染みがひろがつてゆくネクタイを締める間に
去年とは月の模様が違う、とか あまい誤謬
(ごびう)を信じたくなる
化粧室 鏡に向かひ真似てみるYou're talking to me?
(オレにいってんのか)とデ・ニーロ
パエーリヤに口開く貝 物分りのいい恋人の舌がつめたい
(ほしいまま)、水の匂ひをふりまきて雨はグレイの裾を濡らせり
うまく悲しめない朝は剃刀が切れなくなるといふがほんとか
訥訥と空につのぐむ過ちをやさしく口にふくむのだらう
僕たちは失敗のあとを生きてゐるポットにティーの葉ををどらせて
かんがへをきみはかへない空の壁剥がれるやうな悦びのあとも
魚村晋太郎『銀耳』より
女性から見た男性と男性から見た男性では違うと思うのですが、私から見て男性ならではの表現だなぁ~と思う歌をセレクトさせていただきました。今度「月の模様が違う」とか言ってみようかな?!

vol.2
〈歓喜の唇〉
頂へ達するまでに咲き登るグラジオラスの歓喜の唇
パラソルの陰に脱ぎたるサンダルの先にまばゆし真夏のひかり
星々のあいを巡りしジョバンニの瞳の色のりんどうの花
思う事間遠になりつつなお思うは惰性で愛しているかも知れず
ゆるやかに眠りの海へ漕ぎ出だすパッヘルベルのカノンの船で
佐々木寛子『コスモス 2001.11』より

コスモス入会当時、とてもセンセーショナルで印象深く、以後ずっと注目している歌人です。(お会いしたことはないのですが……。)「頂」を「絶頂」に変えて読むと、更にセンセーショナルで、忘れられません。

vol.1
なにごともくつきり照らすことはいや春のあかりはぼんやりがええ
笹舟にのせて流さむこのゆふべ泣かぬをんなのわたしのなみだ
ともらねばさみしともればなほさびしほたるかご揺りゆりて君待つ
狂ひ得ず、狂ふ、狂はず、狂ひたしさくら見し夜のわが胸のうち
重なればほのぬくたげにこの夜を落ちしひと葉にひと葉重なる

小山富紀子『祇園春宵』より
はんなりとしていて、ほのかにコケティッシュで、限りなく美しく、読むものを独特の京の世界に惹きこんでゆく。
第一回目は、新春にもふさわしく?、コスモス、桟橋、そして大学の先輩でもある小山さんの歌をセレクトさせていただきました。