この女優は珍しく”それを求める人間があってはじめて美しさというものが存在する”という関係式がわかっている。ほとんどの女性は自己を客観視するという観念作用が苦手だ。つまり他人の身になってものを考えるという習慣に乏しいのである。行列への平然たる割り込み、電車内における
堂々たる席取り、長電話、騒音公害になりかねない声高のおしゃべり、これすべて女性の特技。検事たちの言う 「わいせつ」も女性の求める「美しさ」と似ている。女性の美しさがそれ自体では存在し得ないのと同じように「わいせつ」そのものもない。ある光景を眺めて、「わいせつ」だ!と考える道学者がいてはじめて「わいせつ」が在るのである。だから余分なのは道学者の石頭だ。わたしに言わせれば彼等の石頭が「わいせつ」を創り出す。まあ、ご苦労なこったす。
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