鎌倉 浄妙寺〜鎌倉宮 周辺 | ||||||
( 2007年9月 ) | ||||||
【 浄妙寺 】 | ||||||
← | 山門をくぐると、一本の石畳が本堂まで敷いてある。その両側にはきれいに手入れをされた木々が生い茂っている。 | |||||
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浄妙寺は臨済宗の寺で鎌倉五山の第五である。足利義兼の創建である。当初極楽寺と称し、開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)律師で当初は密教系の寺院であったが、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の弟子月峯了然(げっぽうりょうねん)が住職となってから禅刹にあらため、寺名も浄妙寺と称した。境内には総門、本殿、客殿、庫裡等がある。境内は国指定史跡。 | |||||
本堂の手前左手に花塚という花の供養のための塚が立っている。 |
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境内にある茶室「喜泉庵」は中で枯山水の庭園を見ながらお茶を一服いただくことができる。喜泉庵の中に入ると、往事江戸幕府に参賀の折に使用したという駕籠が飾ってある。 | 本堂をまわって裏手の坂道を登ると、散策路がある。散策路内の見晴台からは衣張山の山容を見ることができる。衣張山は鎌倉では高い山で標高121.6mある。 | → |
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拝観料を払おうとして窓口に立ち寄ると、窓口の机の上で猫が寝ていた。今日はとても暑いので境内でも日陰の石畳の上で体を横たえて涼をとっていた。日陰の石畳がひんやりしているのでそれが気持ちよいと見える。そばを観光客が通っても薄目を開けて見はするものの、どちらかというと観光客の方が遠慮してそぉっと歩いているのが印象的だった。 | ||||||
【 鎌倉宮 】 | ||||||
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八幡宮の右手のバス通りを道なりに行くと、「岐れ道」という場所に出る。その岐れ道を左手に入るとまっすぐな一本道になっている。この奥が鎌倉宮である。鎌倉宮は明治天皇の命で勧請された神社で護良親王を祀る。護良親王は後醍醐天皇の皇子で建武時期に征夷大将軍となったが、足利尊氏に鎌倉に幽閉され、殺害された。 |
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境内には厄割り石というのがあって、奥の石に、息を吹きかけた盃を打ちつけて割ると、厄除けになるらしい。奥に鎮座している大きな石の回りには砕け散った素焼きの破片が散らばっていた。 | → | |||||
【 覚園寺 】 | ||||||
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覚園寺は鎌倉宮の左手の道を一番奥に入ったところにある。境内の右手に愛染堂と庫裡がある。 愛染堂の左手に参道があり、これを進むと境内に入るがここから先は撮影禁止となっている。中に入るには寺の僧の案内で中を進むことになっており、時間も決められている。 |
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愛染堂は明治初期に鎌倉市内にあった大楽寺(廃寺)の堂宇を移したもので、この寺で一番古い建物である。愛染堂に安置されている愛染明王像などはもと大楽寺の本尊であった。 | |||||
【 荏柄天神 】 | ||||||
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鎌倉宮の手前に荏柄天神社がある。祭神は菅原道真と熊野三注神。境内は狭いが、朱塗りの社殿は美しい。荏柄天神社は福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三大天神社と称される名社で、特に学問の神様として受験生で賑わっている。 |
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境内に入るとすぐ右手に大きなイチョウの木が植わっている。 | → |
正面の社殿の左手の階段を登っていくと筆の形をした筆塚がある。10月には漫画家の方々がお参りされて「絵筆塚祭」が行われている。 | → |
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手水舎の水が湧き出てくるところの形がこの荏柄天神社のマークになっている。 | ← |
境内から南の方を望む。 |
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【 釈迦堂ガ谷 】 | ||||||
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北条泰時がこの地に釈迦堂を建てたのでこの名がある。くりぬいた洞門は思わず息をのむほど奇観である。今は落石のため通行禁止になっているが、新聞配達のおじさんなどは気にせずにバイクで通過していった。 | |||||
【 朝比奈切り通し 】 | ||||||
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バス通りから朝比奈峠にかかる手前で「朝比奈切通し」「朝比奈果樹園」という看板を見つけて小道に入っていくとやがて住宅地の奥に入っていくとやがて舗装されていない山道に入っていく。それをなおも進んでいくと、道が二手に分かれる。右手は果樹園、左手は切通し入口である。雑草の生い茂った旧道は昼なお暗い。 | |||||
切通しの入口には小さな滝が流れていて、石碑が建てられている。水はとても澄んでいて涼しげである。 |
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【 十二所神社 】 | ||||||
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バス通りから朝比奈峠にかかる手前にある小さな神社。このあたりの地名はこの神社からおこったといわれている。 | |||||
【 五大堂明王院 】 | ||||||
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飯盛山五大堂明王院と号する古義真言宗の寺で、五大不動明王を本尊としている。バス通りからはずれた山間の住宅地の中にあり、見落としてしまうような場所にある。鎌倉時代の将軍藤原頼経建立の寺で京都仁和寺の末で大行寺ともいう。境内は撮影禁止なので遠景から撮影したが、茅葺きの本堂といくつかの建物が境内に点在している小さな寺である。 | |||||
【 光触寺 】 | ||||||
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岩蔵山光触寺と号している時宗の寺である。本尊は重要文化財の阿弥陀三尊像。境内には地蔵堂がある。お堂の中にあるお地蔵さまは塩嘗地蔵と呼ばれている。このお地蔵さまは元は金沢街道にあり、六浦の塩売りが初穂をあげると帰りには無くなっていたのでこの名がついたと言われている。 | |||||
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