神     楽     坂

江戸情緒を感じる街並み
神楽坂と聞いてまず、思い浮かべるのは料亭や芸者ではなかろうか。
平成12年12月に開業した都営大江戸線牛込神楽坂駅の駅のイメージは「料亭やお座敷のの黒塀をイメージしたということであるが、その黒塀こそ神楽坂のイメージの一つであろう。
そこは、表通りから一歩裏に入った路地の中に見つけることが出来る。表通りの喧噪とはまったく別世界のちょっと塀の内側からは三味線の音が聞こえてくる、そんな世界である。
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外堀通りから神楽坂を上って行って、ちょうど坂を上りきったあたりを右手に曲がるとそこは本田横丁という路地に入る。
そのあたりは、江戸時代の頃、本多家という大名家(1万500石と伝えられる)の屋敷のそばにあった路地なので本多横丁というのだそうだ。本田横丁のさらに路地に入ると、石畳と料亭の黒塀が出迎えてくれる。
しかし、最近はこの街にもマンション建設の音が聞こえる。江戸情緒たっぷりの街の先には高層マンションが建設されている。この街もまた古いものとあたらしいものが隣り合わせる。
それが、少し悲しい。
左と右の石垣は江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部でである。江戸城の外郭門は、敵の侵入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、ふたつの門を直角に配置した「桝形門」という形式をとっている。
この牛込見附は、外堀が完成した寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設された。これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、向かって左側の石垣に保存されている。江戸時代の牛込見附は、周辺には楓が植えられ、秋の紅葉時にはとても見事であったと言われている。
その後、明治石垣の大部分が撤去されたものの両側の石垣や橋台の石垣の一部が残されている。
牛込見附より南に下れば江戸城、北に上がれば神楽坂である。
JR飯田橋駅西口より神楽坂方面を望む。
牛込見附
表通りも10年前に比べるとかなり変わった。
いつのまにかファミレスが出来、コンビニエンスストアも軒を並べ、店もだいぶかわった。しかし、この並木道とこの通りのにぎやかさはあまり変わらないような気がする。
昼時にもなればビジネスマンやOL、学生たちが行き交い、夕方は地元のおばさんや旦那方が行き交う。それは今も昔もちっとも変わっていないように思う。
上段の2枚が善国寺で毘沙門天が奉られている。
毘沙門天は多聞天の別称で、四天王の1つ、仏法や北方を守護する軍神である。のち七福神の一つとして福徳を授ける神となり、庶民の信仰を集めるようになった。

下段の2枚は赤城神社である。
1300年、今の群馬県にいた豪族が牛込に移住する際、本国の鎮守であった赤城神社の分霊を祭ったことが創建の由来として伝えられている。その後、数回にわたって場所を移し、現在に至るということである。途切れることなく人の行き来がある参道はうっそうとした木々におおわれており、その先の開けたところに本殿がある。

路地で気持ちよさそうにしている猫たちに会った。ちょっと写真を撮らせてくれよ…、じゃまをして悪かった。
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