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■中村彰彦
2001 文春文庫
jun-cooの中学生か高校生の頃、「風雲児たち」という漫画を買ってもらい、そこに保科正之が出てきて、好きだった記憶があります。
会津藩の初代藩主の保科正之は2代将軍の徳川秀忠の側室の息子で、3代将軍の家光の異母弟。秀忠の生前についに謁見すら叶わなかったその生い立ちですが、
保科家の養子となり、武田信玄の妹に守られて育ちました。その保科正之が兄の家光にかわいがられてようやく表舞台に出てその実力を発揮し、正之の後、9代
にわたり幕藩体制の中でも優れた藩政を敷いた会津藩の礎を築いていきました。飢饉に備えた社倉制度を会津藩で興したり、4代将軍の家綱の後見人として玉川
上水の建設をはじめとした善政を後押しした稀代の名君ですが、決して自分の功績を誇ることなく将軍家から松平姓を名乗ることを認められたときもかたくなに
拒み幕臣にとどまり続けた謙虚なリーダーでした。正之のもとには後にSONYを創設した井深大氏の祖先もいました。この稀代の名君が、日本史の中で目立つ
ことがないのは、戊辰戦争で会津藩が徳川に忠勤して戦ったためといわれています。
jun-cooが昨年、福島で車の中でたまたま聞いたラジオで、この未曾有の震災にあたって改めて保科正之に回帰しようというメッセージがありました。そ
れをきっかけにこの本を買って、改めて保科正之に触れてみましたが、確かにそういえる人物をいえます。一方で、この名君は、その生い立ちをはじめ、次々と
身内が若くして亡くなっていくなど、苦境の人生を歩んだ人物でもあります。その苦しみを乗り越えて謙虚に清廉に生き抜いた精神がよくわかる一冊です。
2012.1.5
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