山椒大夫

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■森鴎外     1968 (新潮文庫)  初版:1915中央公論刊 

1862年に石見国(現・島根県)に生まれ、東京帝国大学医学部出身の軍医であった森鴎外。早くから文壇に入り、『舞姫』は28歳のときに発表していま す。明治天皇崩御後の乃木大将夫妻の殉死の影響を受けて以降、53歳のときに発表した『山椒大夫』を始めとした歴史小説も残しています。
安寿と厨子王の話を久しぶりに読み返したくなり、本棚から引っ張り出してきました。
中世末期に民衆の間で語り継がれた説経「さんせう太夫」が、この『山椒大夫』のもとになっています。説経では、最後にさんせう太夫が処刑されるという勧善 懲悪の物語となっているのに対して、『山椒大夫』では、丹後の国守となった厨子王(平正道)は、山椒大夫に奴碑の解放を命じて山椒大夫はそれに応じ給料が 払われるようになり、やがては富み栄えていくという物語に変えられています。
『山椒大夫』の中で、森鴎外らしく、運命の流れに身を任せる生き方を表した2つの場面がみられます。一つは、悪い人買にだまされて、海上の船で安寿と厨子 王の乗った舟と母の乗った舟が引き離されていく際、母は二人の子どもに「もう為方がない。これが別だよ」と声をかけ、安寿には地蔵様、厨子王には護刀を大 切にすることを説き、二人が離れぬことを祈ります。絶望の淵にあって、安寿と厨子王は運命の下に項を屈める外はないと受けとめていきます。また、もう一つ は、いよいよ安寿が厨子王一人を都に向かって逃げ出させる際、姉の身を案じる厨子王は覚悟をこめた姉のことばにそむくことができず、また、姉の「運だめし だよ。開ける運なら坊さんがお前を隠してくれましょう」という言葉を信じ、坂道を一足に駆け下りていきました。安寿はそのまま入水し、厨子王はやがて国守 となり、安寿のために尼寺を建て、そして佐渡に母を探しにいきます。鴎外は、運命を呪わずにいられない気持ちを押し殺して受けとめて生きた者たちの物語と して書き改めています。



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