次郎物語

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■下村湖人    新潮文庫1986 (第一部:1941〜第五部:1954)    
      

小学校の頃に児童文学で読んで以来、大好きで何度も何度も読んだ作品です。最近、20年ぶりに読み返しました。変 わらずに同じところで心にしみました。下村湖人 は明治時代に佐賀県に生まれ、東京帝国大学文学部在学中には夏目漱石の講義にも影響を受けています。卒業後、故郷で長らく教鞭をとり、この「次郎物語」の 執筆に着手したのは、51歳の頃です。第五部の終わりに、筆者自身が第六部、第七部の執筆の構想と意欲を著していますが、残念ながら、翌年に逝去し、第五 部 が最終巻となっています。この生誕から青年期までの次郎の生活記録は、次郎の心の内面を非常に率直に偽ることなく描ききっているため、読み手の内面に深い 共感や 涙、そして自らを省みる念さえも抱かせてくれます。第五部の最後で、次郎は人生を円の中心から徐々に拡がっていく道にたとえます。すすむことによってわず かに感じる末広がりを楽しみ ながら歩き、やがては、どこにでも行くことのできる円周にたどり着くことのできる道です。迷って生きていくことそのものがす でに道であることを説いた、厳しさの中に優しさのあるたとえに感じさせられます。
第一部は、生誕し、すぐに里子にだされた後、本家に戻り、家族の中で「愛されること」を求めるだけに生きてきた次郎の成長を描いています。反抗的に策を弄 しながら目につくことをしなけ れば目を向けられない、愛してもらえないと、不安定に生きる次郎。やがて彼は、決して動くことなく人々の支えとなっている「北極星」を彼の祖父から教わ り、生き方を考え始めます。そして、第一部の最後には、10歳で母・お民と死別する間際になって、ようやく母の愛を確実なものとして手に入れていきます。
第二部は、母の死別後、一家の没落、中学受験の失敗、母の再婚、自分と兄恭一、弟俊三をわけへだてて愛する祖母との確執と、人生の荒波を経験していきま す。その中で、「愛されるこ と」を求めることなく、「愛すること」に生きることの礎を見つけようともがく次郎を描いています。飢えた者が食べ物に手をのばしている間はしあわせだが、 そ の姿 に醜さを感じてしまうとみじめになってしまう。彼はそうやって愛されようとする自分を悔い、悩みます。岩の割れ目に芽を出し、じりじりと力を伸ばし、やが て岩を割る松の木をして、彼の新しい母の兄・徹太郎は「運命を喜ぶものだけが正しく伸びる」と彼に教えます。与えられた環境を受け止めながら強い人間にな るために、真摯に生きた、中 学一年生になるまでの物語です。
第三部は、中学進学後、兄恭一とその友人大沢と無計画な旅を試み、無計画な中にも与えられた運命があることを知ったり、尊敬する朝倉先生の主宰する白鳥会 と出会い、次郎が自らを 磨いていく日々が綴られています。白鳥会の理念、「白鳥芦花に入る」は、白い芦の花を白鳥が自らを目立たせることなくそよがせる精神を表します。聖人君子 でもなく、自然に掛け値のない真実の愛はどのように湧き出るのか、次郎の深い悩みとなっていきます。
第四部は、中学5年生を迎えた次郎。軍国主義の影が濃くなる中、尊敬する朝倉先生が辞職を勧告され、その留任運動の中で苦しみ迷いながら最後に信念を貫い ていきます。わずか20日間の日々が綴られています。社会と向き合っていく次郎の過酷な運命を支えるのは父・俊亮。信じる価値を貫こうとするときに伴う責 任を全うしていくことを学び成長する20日間です。
第五部では、留任運動の責任を一身に背負って退学した次郎は、朝倉先生の後を追って上京し、先生の主宰する青年塾で助手を務めます。兄恭一の婚約者道江へ の想いに苦しむ一方、2.26事件の勃発とともに、塾は存続の危機に瀕します。すすむべき道、選んだ態度に迷う次郎に、塾生の大河は「あなたにはそれより ほかに行き道がなかったとすれば、それがおそらくあなたにとっては自然だったでしょう。ぼくは、人間の心の自然さというものは、その人のつきつめた誠意の 中にあると思うんです」と話します。
自由の到達点である円周にたどりつくまでの道は、運命によってしめつけられた狭い道です。次郎は「運命によってしめつけられた自由の窮屈さを嘆くことでは なく、そのわずかな自由を極度に生かしつつ、一刻も早く円周の一点にたどりつく」と、新しい夢を胸に抱きます。しめつけられた運命という環境は、後戻りせ ず前にすすめば円周に向かって末広がりにささやかな自由が拡がる道。次郎の歩みに勇気をもらい、自分の内面をじっくりと見つめることのできる傑作です。
なお、1960年代にNHKでドラマ化されたときに次郎を演じ、名子役として名を馳せた池田秀一氏は、後に声優となり、80年代には『機動戦士ガンダム』 のシャア・アズナブルとして一世を風靡しています。

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