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聖 書 の こ と ば

聖書は「永遠のベストセラー」と言われるほど、世界で毎年ダントツで売れています。日本でも、徳間書店の「小説聖書」(ウォルター・ワンゲリン著)が出版されてから、沢山の出版社が競い合うかのように聖書に関する書籍を出すようになりました。
聖書には人を変え、人生を変える不思議な力があります。
数々の文学作品を残している三浦綾子さんなど、自殺まで考えていた人が
聖書によって立ち直り、新しい人生を歩んだ例は数知れません。
クリスチャン、ノンクリスチャンを問わず世界中で多くの聖書学者が研究
していますが、聖書にはまだまだ沢山の魅力が隠されています。
あなたにも、ぜひ、その魅力を発見していただきたいと思います。
ここでは、聖書(イエス・キリスト)のことばをいくつか紹介しましょう。

■イエス・キリストの教えの一つ

人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父(神)から、報い(褒美)が受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いをくださいます。また、祈るときには、偽善者のようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

■イエスの感動的な例話 その1・・良きサマリヤ人

「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼(ある律法の専門家)は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

■イエスの感動的な例話 その2・・ 放蕩息子

ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
何もかも使い果たしたあとで、その国で大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、餓え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子を呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子を呼ばれる資格はありません。』
ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』 そして彼らは祝宴を始めた。

■十字架上のイエス

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼ら(兵士や民衆や指導者たち)は、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
彼らはくじを引いて、イエスの着物を分けた。民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。
十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。ところが、もうひとりの方が答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスさま。あなたの御国(天国)の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイス(天国)にいます。」
そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言った。

■復活後のイエス

その日、すなわち週の初めの日(日曜日)の夕方のことであった。
弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手(十字架上の釘の痕)とわき腹(槍の痕)を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
・・・<中略>・・・
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。
八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。
それからトマスに言われた。「あなたの指をここに入れてわたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

■心に残る聖書のことば
( ※沢山ある聖書のことばからほんのちょっと選んでみました。青字は私のプチコメント。 )

★初めに、神が天と地を創造した。
聖書の一番最初のことば。
『宇宙も人間と同じように意志を持っていて、人間を存在させるために宇宙がある』という考え方を、専門用語で「人間原理的宇宙論」と言うそうだ。どうして、宇宙は奇跡的にバランスよくできていて、人間が存在するのに都合のいい環境にあるのか・・・。それは、神の意志によって宇宙が作られたからだと私は信じる。


★神にとって不可能なことは一つもありません。
天使からキリストの処女降誕の預言を受けた時、マリヤは「どうしてそのようなことが・・・」と言った。それに対する天使の答え。

★何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。
イエス・キリストのもっとも大切な戒めの一つ。黄金律として知られている。

★喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
使徒パウロが言ったことば。このことばが大好きだと言う人は多い。

★あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。
今の社会に必要な戒めだな・・・。

★この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
パウロが神殿のあったアテネの人々に神の偉大さを伝えたことば。

★主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主はわたしのたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが、私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
ダビデが自分を羊、神を羊飼いに譬えてつくった賛歌。
ダビデは紀元前1011年〜972年頃の実在の人物で、イスラエル王国の建設者。
南方のユダと北国のイスラエルをを統合して、全イスラエルの王となり、エルサレムを首都に定めた。
ダビデは勇者であり、立琴の名手であり、詩人でもあった。
※主=神、むち=野獣を追い払うために使われた。


★わざわいのある者はだれか。嘆く者はだれか。
争いを好む者はだれか。不平を言う者はだれか。
ゆえなく傷を受ける者はだれか。
血走った目をしている者はだれか。
ぶどう酒を飲みふける者、
混ぜ合わせた酒の味見をしに行く者だ。
ぶどう酒が赤く、杯の中で輝き、
なめらかにこぼれるとき、それを見てはならない。
あとでは、これが蛇のようにかみつき、
まむしのように刺す。
あなたの目は異様な物を見、
あなたの心は、ねじれごとをしゃべり、
海の真中で寝ている人のように、
帆柱(ほばしら)のてっぺんで寝ている人のようになる。
「私はなぐられたが、痛くなかった。
私はたたかれたが、知らなかった。
いつ、私はさめるだろうか。
もっと飲みたいものだ。」
飲酒の危険に対するソロモンの警告。ソロモンは約3千のことわざ、及び格言を語ったと言われ、古今東西を通じて、世界最大の知者と言われている。ダビデの子で、イスラエル王の在位は紀元前971年頃〜932年。エジプト王やフェニキアのテュロスと同盟して平和を保ち、国内を整備してイスラエルを他の近東諸国に匹敵する王国にする。しかし、40年の治世の後半は乱れ、王国分裂の原因を招いてしまった。
聖書はソロモン王にしてもダビデ王にしても、「完全無欠」な英雄扱いはしていない。完全無欠は「神」だけである。


★何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
イエス・キリストの兄弟ヤコブが書いたとされる。彼はエルサレム教会の重要な指導者であった。戦争や人殺しの根本的な原因を端的に述べている。

★私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。
拝金主義に対する聖書のことばは厳しい・・・。

★それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。・・・」
東日本大震災は世界中の人々に大きなインパクトを与えた。そして、今、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るっている。これらが、終末に起こることのイエス・キリストの予言の成就かどうかはわからないが、世界はよい方向に向かっていないような気がする。

新改訳聖書(C)新改訳聖書刊行会
参考文献:コンサイス外国人名事典(三省堂)、宇宙の不思議(アントレックス)

■聖書とヌンチャク!? ( ※ちなみに聖書にヌンチャクは出てきません。)

ヌンチャクは「二本の棒」とそれらを結ぶ「ひも」で作られています。もし、ひもが振り回している途中で切れたら、片方の棒が飛んで行って、他人を傷付けることになりかねません。そのために、ひもを二重にするなど細心の注意を払っています。
ちょっと、無理があるかもしれませんが、二つの棒を「神様」と「私たち」との関係に置き換えてみましょう。
神様から離れていれば、自分が好きなように生きられて、自由だと思われるかもしれません。しかし、神様は、私たち一人一人のために正しい道を用意し、それを歩むようにと私たちを導いています。ですから、神様から離れて生きるのは、とても危険が多く、また他人を傷付けやすいことなのです。
ひもは神様と私たちを結び付ける愛=イエス・キリストを表しています。キリストは、聖なる神様と罪を持った私たちの間を隔てる溝を埋めるために、自ら身代わりとなって十字架に架かられました。キリストが私たちのためにして下さったその偉大なことを知ると、今、あなたを苦しめているかもしれない疑問・・・「どうして自分は生まれてきたのか」「どうしたら過去の束縛から解放できるのか」「どうしたら死の恐怖を克服できるのか」・・・その答えをきっと見出していただけることでしょう。

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