哲学の部屋-1

観察の方法

@主観と客観

天動説と地動説 : まず、天動説と地動説で、主観と客観のイメージをつかんで見ます。すなわち、、天動説は主観性が高く、地動説は客観性が高い観察方法だといえます。

主観とは、観察者が、観察者を固定し、観察者を中心とした状態での観察方法です。
客観とは、観察者が、必ずしも観察者を固定せず、必ずしも観察者を中心としない状態での観察方法です。

   

主観的な天動説は、現在見えている天体の姿です。しかし、自分の動きや惑星の動きを説明するのが困難です。そのため、星占いなどの超自然現象のイメージと、専門家にしかわからないほど複雑な惑星軌道の計算式が誕生しました。

一方、客観的な地動説は、直接見たことのある人が無い姿です。しかし、超常現象も、複雑な計算も無いので、素人でも簡単にイメージできます。そして、現在の天文学は、ここから始まりました。つまり、観察点の違いは、大きな意味を持っているのです。



心の解釈 : これを、心の問題に当てはめてみます。すなわち、現在の観察は主観性が高く、このホームページの観察は客観性が高い観測方法といえます。

現在の主観的な心の解釈は、現在、我々が感じている状態です。しかし、この状態では、自分の動きがわかりません。よって、宗教などの超自然現象や、専門家にしかわからないアルゴリズムのような複雑な計算を誕生させました。

一方、このホームページは、現在我々が感じている状態とは違います。心を客観的にみれば、そこには次から次に組み合わされ、次から次に再現していく記憶があるのみです。しかし、客観でなければ、超自然現象も、複雑な計算も廃することはできません。また、心理学や脳科学がいつまでたっても哲学の枠を出ないのです。

ノースのつぶやきのコーナー

上の図のように記すと、主観から客観への観察点の変更は簡単なように思われます。ところが、筆者の私(ノース)でさえ、これを受け入れるのに数年かかっています。(理屈でわかっていても、慣れるまでは、いつの間にか主観に戻ってしまうのです。)だから、どの程度の人たちが、この境地に到達できるかは疑問です。しかし、この境地に達すれば、心に対する疑問は、全くなくなります。皆様にもぜひ、悟りの境地に達した気分を味わっていただきたい・・・と思う今日この頃なのです。

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