第9章  ジブラルタル海峡の水門解説編

第9章の解説 人類の拡散

 この章はジブラルタル陸橋の決壊前に戻る。
 クレタ島北側地域で進化していった現代人類が世界に拡散していくシーケンスを討議している。決壊前の地殻の佇まいにはだいぶ不鮮明な場所もあるようだが。

 先ずは南ルートである。拡散の第一段階である。ナイル川沿いにスーダンのほうに拡散している。

第9章 5月下旬

 ゴールデンウィークも終わり、5月も半ばを過ぎた。少しばかり暑い日はあるが、この時期は過ごしやすい。バラの花が咲いて、サツキもポツポツと開き始めてきた。一年で一番気候を感じないで、スーッと過ごしてしまうのがこの時期だろう。秋と違ってなんとなく靄っているし、何処かに出かけようという切迫感も無い。エデンの生活もこの時期に似ていたんじゃあ無いかと、ついつい思ってしまう。

【南ルート】

「南のルートは分かりやすいですよね」
 しばらくぶりに山村君が顔を出してきた。4月の初めごろからずっと会っていなかった。年度初めでまだ忙しいのも変だなとは思っていたが。

 二人して、地球儀を改造して、グリーンランドのバフィン湾のあたりと南極のウィルクルランドあたりを軸にして回転するようにした。クルクル回していると何となく決壊前の地球のたたずまいが分かってきた。



「田中さんの言う裸の猿だと先ずは気温が勝負でしょうから、最初の人族の拡散ルートは暖かい地域伝いが基本ですね。トルコの南岸からエジプトに入って、ナイル川の流域に沿いながら、南に広がるルートが最初でしょう。水も不可欠要因でしょうから」
「そうだな。だが、言ってみればUターンか。猿人でアフリカを出て、裸の人族で戻ることになった訳だ。クレタ湖畔という絶好の生活環境で暮らしていれば、繁殖率も高かったろうし、焙り出された連中が外に出て別の場所を求めるとしたら、先ずは南だな。イオニア半島の周辺とか、地中海沿岸地域はまあ当然だが」
「この時代、モロッコ・チュニジアは北緯40度に相当しますから、西ルートはあまり展開の余地は無かったと思いますよ。せいぜいイタリア止まりでしょう」


拡散の第二段階はインドネシア、ボルネオ方面に向かっての南東のルートである。

【南東ルート】

「北は無いから、後は東か。食料の備蓄手段の改良とか、ちょっとした衣類の活用で、イラク付近を何とか越してしまえば、イラン・パキスタンと北緯20度から10度の線で進めるな。インド中央部・ラオスが赤道ラインになるから北ベトナム・香港辺りまでは大丈夫なわけだ。もっとも、東というより南東ルートと言うべきか」
「そうですね。マレーシア・シンガポールを経てインドネシア辺りまで、ここらが第二段階の拡散ルートでしょう。ただ、このあたりは決壊に伴った変化がかなり大きかった地域なので、第二段階の拡散の頃の佇まいを想像するのが難しいのですが」

 島々ができる要因は色々とあるが、多島地域は結局のところ降水・河川によってデコボコができた地域に、ある時水位の上昇が起きて発生したと考えるほうが自然である。
 地球のマントルの上に乗っかった地殻は、その重さでマントルの、何も無ければ真球状態にあるべきマントルの、デコボコを作りだしている。山脈の下のマントルはへこんでおり、海洋面ではそうではなくてむしろ盛り上がり気味である。
 1万2千年前に地中海への海水流入が起こり、海水分の偏向による結果として、極点の移動を含む地殻移動が起きたとするならば、その結果が今の地球上に大きな形で残っているはずである。

 図は地殻移動による地形の変化をモデル化したもので、紫がマントル最上部を、青が地殻表面を、黄が移動直後の地殻表面を示している。


このモデルでは山の部分が更に高くなり、右裾野部分が沈み込んでいる。マントルはその上部にある地殻の重さによって影響をうけており、地殻部分が変化した後、数千年から数万年かけてゆっくりと元に戻ってくる。従って、地殻が可逆的であれば黄色の形から、(左にシフトした)青の形に復元する。しかし、黄色の左裾野(@部)は傾きが急峻な形になる為、崩れ落ちるところが出てくる。また、右裾野には青の点線で示したような海水の重りが加わり、A部分は浮かび上がってこない。結局のところ地殻移動による後遺症は残る。これが山村君の言う「不可逆反応」である

マクロな見かたをすると、スマトラ島−ボルネオ島−ニューギニア島の地域はアジア大陸東南部の後地の場所であり、フィリピン諸島なども含めて、東経120度あたりを中心とした赤道直下にある。地殻の移動量が最も大きかった経線上にあり、以前はかなり盛り上った地域の様に思われる。詳細なシミュレーションが必要だろうが、まあ、地続きの、準大陸的な場所ではなかったろうか。ここらが東南ルートの先端部分になるだろう。

 話はそれるが、北緯20度西経70度あたりを中心としているカリブ海のキューバ島−イスパニア島−プエルトリコ諸島の領域が、南アメリカ北部の後地の場所にあたり、インドネシアとは経度でほぼ180度離れた場所にある。ここも地殻移動の影響が見て取れるし、南極大陸もまた、南アメリカ側のグレアム−ランド(西経60度)付近が陸地の沈み込みを思わせる形をしている。


 しっかりした衣類の知識を入手して本格的な拡散が始まった。第三段階にあたり、北緯35度の帯域で東に向かうルートと西に向かうルートが見出されている。

 東のルートは黒海―カスピ海―アラル海を経てバンバル湖やバイカル湖に到り、太平洋側の海岸線沿いに南下していく。

【本格的な人類の拡散】・・・その1

「次の拡散段階の重要ファクターは本格的な衣類のはずだ。移動手段としての動物類の利用も重要だったろうが、裸の猿は?き出しの肌を守る衣類がないと簡単に死んでしまうからな」
「北緯35度の東西ルートがありますね。マルマラ海―黒海―カスピ海―アラル海を経てバンバル湖やバイカル湖に至る東のルートだと、水辺を伝いながら進んでいくことができますよ」
「そうだな、黒海から始まってバイカル湖から樺太の北端部が35度の線上か。このあたりはろくすっぽ見たことは無かったが、よく見ると大小さまざまの湖が一杯あるんだな。地殻の移動前もこれくらいの湖が点在していたら、気温も手助けしてくれて、東向きの拡散は楽だったろう。オホーツク海の沿岸辺りまできて、後は南下か」
「太平洋側の海岸線沿いでしょう。何処かで第二段階で拡散してきた連中と衝突したでしょうが、地殻移動で海岸線にはかなりの変化が出たはずなので、どの場所かと言われても、ちょっとぼんやりですね」
「よく話に出てくるベーリング海峡を渡って北アメリカに進む展開は?」
「ちょっと苦しいですよ。よしんばアラスカまで進んだとしても、カナダの北西部は太平洋沿岸部を含めて北緯60度圏に入っていましたから、先に進むのは無理だったでしょう」
「行き止まりか。新大陸への進出ルートはこの段階じゃ無理で、もう一段階後か」

「しかし何だな。前に<氷河期にはシベリアにマンモスが住んでいて、カナダは氷河に覆われていた>といった話を聞かされて、何となく変だなと思っていたが、この地球儀を見ていると、当たり前の話か。緯度の高いカナダは寒いし、シベリアは海岸線が大体北緯50度線上で、そんなに寒い場所じゃないよな。それはそうとして、拡散の話に戻ると、後は西ルートか」

 

西はリビアからチュニジア、アルジェリア、モーリタニアで大西洋岸に到るルートである。大西洋の赤道海流の手助けで南アメリカに到った可能性はある。

【本格的な人類の拡散】・・・その2

 サハラ砂漠は近年になって急速に砂漠化が進んだとの説がある。少なくとも氷河期にはサバンナ状態であった言われている。これは現在の砂の下に、昔の河川の跡が残っているのが人工衛星写真などからも裏付けられている。

ジブラルタル陸橋の決壊によって、この地域(チュニジアを中心とした地域)には大量の土砂が押し上げられ、堆積していったと前に述べたが、こうした土砂は保水力が小さく、降雨がすぐに地下深くに行ってしまい、水の循環サイクルが長くなってしまったのも、砂漠化の一つの要因だろうと我々は考える。

「北緯35度のラインはモーリタニア北部からリビアのトリポリあたりでした。ですから、今のサハラ砂漠はほぼ温帯域だったので、太陽による熱射も比較的小さくて、サバンナ状態だったとの説はうなずけますよ」

「リビアからチュニジア、アルジェリア、モーリタニアで大西洋岸か。こっちもここらが行き止まりで、後は海岸沿いに南下だな。新大陸は遠いな」
「南アメリカへの展開はあったかも知れませんね。大西洋の赤道海流はブラジルの南部にぶつかる状況でしたから、モーリタニア、セネガルの沖合いの諸島あたりから赤道海流依存の大西洋踏破はあり得たでしょうね。イカダ/カヌー位の世界だと思いますが」
「アメリカ大陸はまず南からだったと。まあ北米は結構なところまで、そう、ニューヨークあたりまで氷河があったみたいだから、むしろ南アメリカのほうが自然か」


「ただ、第3段階としてはモーリタニアあたりまでで良いんじゃないですか。船だとか、車輪だとか、馬牛、ラクダもろもろのパラメータを考え始めると、僕らの検討じゃ追いつかないですよ」
「確かにそうだな。ただ、前に<ちょっとした意見がある>と言ったんだが。・・・第二段階とか第三段階だとかは表現したが、開拓されたルートへは連続的な人の移動が起きていたはずだよな」
「そうですね」
「だから、先に出た人たちは、後から来る連中に押されるわけだ。後になるほど、より優れた武器や道具を持って出られるし、体格や脳も変化が進むので、先住民は先へ先へと押しやられることになる。多分、数万年かけての展開だろうが、端っこに追い詰められた人たちが、より古い人類の体型を残しているだろう。これが俺のちょっとした意見なんだ。だから、ミトコンドリアDNAでの人種間のリンケージはここらの観点で見たほうが良いんだろうな」