第11章  ジブラルタル海峡の水門解説編

第11章の解説 まとめとエピソード



この章はまとめとエピソードの部分にあたる

 まとめのまとめと言う表題で田中さんが本書の概略をまとめている。本文のまとめの他に、田中さんの宗教観も入っており、取っ付きにくい部分もあるが、目を通して欲しい。

第11章 まとめ

【まとめのまとめ】

そんなやり取りがあってから、こうして山村君との検討結果をまとめてきた。
 確かに、第四氷河期の概念が大多数の意見になっている現状では、殆どの研究結果がこれに結び付けて解釈され、意味付けされている。コツコツと文章をつなぎ、時々補足情報をあさってきたが、我々の検討での結論は少数意見であって、このまとめを発表して賛同者を増やしていかないと次のステップへは進めないなと実感した。

我々の検討の中で、一番の難問だったのは、過去のどの時点でジブラルタル陸橋ができていたかを想定することだった。現代人類の祖先が20万年ほど前に、陸橋の存在する時代に、クレタ湖の北岸にたどり着いたとの想定はしたが、陸橋の成立時期に関しては残念ながら我々の想定範囲を超していた

最近の観測結果で、ジブラルタル海峡内のuplift(持ちあがり)が報告されていた。アフリカ大陸とユーラシア大陸の接近が続いており、4mm/年の速度でアフリカ大陸とユーラシア大陸とが接近しているとレポートされている。だとすれば15kmの海峡は400万年もあればまたくっ付くだろう。
 そういう意味では、これからあるだろう事が昔あったと、「日の下に新しきもの無し」の見方で「むかしむかし、ジブラタル海峡は陸続きだったんだよ」で、信じてしまえば良いのかも知れないが(年寄りの独り言だ。あまり勝手なことを書いていると、山村君に叱られてしまう)。

 さて、我々は氷河期の海面低下への疑問に端を発した検討を通して、ジブラルタル陸橋の存在を仮定した。この唯一の前提を元に演繹を行った結果、現代の我々ホモサピエンス、無毛でブヨブヨした、そして衣類や家屋の助け無しには全く環境耐力の無い人類が、クレタ島の北側で発祥したことに行き着いた。

この人類発祥の最大の要因は、陸地に閉じ込められた地中海の水量バランスの補正のための海面低下であり、これによって出現した高度マイナス1,000mの広い大地が特殊要因として人類の進化(変化)を加速した。

 ジブラルタル陸橋が大西洋と地中海とで1,000mの海面差を持っていた状態は、いわゆる不安定状態であり、海面差によって生じる水圧が、風や降雨による侵食、大西洋で発生する津波等による部分決壊への加算要因となり、加速度的な決壊を引き起こした。そして、我々はこの時期を1万2千年前と想定し、多分に状況証拠も見出すことができた。

この1万2千年前は第四氷河期の終焉の時期とされているが、そうではなくて、終りをもたらしたのは陸橋の決壊であって、地中海への海水の流入による1022ジュールの熱エネルギーの発生と、地球全体での海水分布が変ることによる1023ジュールの慣性モーメントの変化が、地殻移動と気候の急変をもたらし、これによって世界中に異変が起き、人口は激減し、それまでの文明が途絶えてしまったのである。かろうじて生き延びた人たちの間で、色々な伝説がそれぞれに孤立した状況で生まれ、語り継がれてきたと想像できる。

 

 田中さんは、人類の種としての劣化(若しくは停滞)が様々な宗教にすがる要因だとしている。

 まあしかし、今の世の中を眺めて見るに、いたる所で宗教がのさばっている(ちょっと表現が過激かな。無宗教などと言った時には、袋叩きにされそうな場所もあるし)。

「復活」、「永遠の生命」、「不老長寿」、「輪廻」、「諦」などと、救済をターゲットにして、手を変え、品を変え、姿を変えて種々の宗教が我々の生活にくっ付いている。
  生命が発生してから数十億年が経過して、少しずつではあっても形態が進化(複雑化・変化)してきた。生まれて、子を生み、老いて、死滅する過程で、生物がその生き様に不満を持つことは無いはずである。気の遠くなるような年月をかけて、このように発生・発展してきたのだから。

しかし、これほどまでに、生きること・生命活動の停止に対する不平・不満・不安・恐れが、無毛でブヨブヨした我々ホモサピエンスに充満しているのは何故なのだろうかと、常々思ってきたし、感じてもきた。
 結局は、種としての劣化が原因なのだろう 

お祖父さんの世代は長生きしたのに、何で俺たちは短命なんだ。祖父さん達はぬくぬくと生活していたのに、何で俺たちは暑さ寒さや、飢えに苦しむのだ。
 クレタ湖の周辺をエデンの園と例えたが、安定した水系、低紫外線、温暖、高酸素濃度のゆえに、かなりの長寿命を持って生活した祖父さん達の記憶が、種としての我々ホモサピエンスに残っていることが、不安・不満・不平の根幹になっていると想定している(記憶とは、必ずしも頭脳に残るものだけではない。体の全ての細胞が覚えている生命活動の記録も含めねばならないだろう。
 最古の物語とされているギルギルガメシュの冒険の中で、「若返りの草がこの海の底にある」と書かれているのは、ある意味で暗示的ではある。結局この物語は、その昔に(干上がった)深い海の底で長寿の人類が暮らしていたと言っているからである。

長崎の被爆者の方が、「原爆が落ちて50年も経つのに、まだ戦争が至るところで続いている。人間とは何ともしようの無い生き物なんだなあ」と仰っておられたと、そういうことをTVで拝聴した。
 記憶の上なので言葉通りかについては、容赦いただきたいが、ニュアンスは合っていると思っている。フラウィウス・ヨセフスのユダヤ古代史もまた、人は殺戮と虐殺の歴史の繰り返しだと、そうしか読むことができない。
 怒り、頭に血が上る、怒りで顔が真っ青になる。こうしたことが、脳への酸素供給不足からくることは分かっている話だが、高山病の研究資料(高所登山研究−日本山岳会編−山と渓谷社刊−W・ブレンデル−加納巌・訳−中島道郎・補)では高所生活において、人が怒りやすくなるとの調査結果も述べられている。
 高酸素濃度の状態に適合して発達した脳が、現在の酸素供給不足状況に未だ馴染んでいないのが、こうした殺戮行為の根源になっていると推定できる。

従って、お金はかかるし、あるいは貧富の差が顕著に現れるかも知れないが、生活環境を高酸素状態に変えていくことで、自民族・種族への殺戮行為を無くしていく選択肢はある。 何もしないで現在の生活環境に馴染んで、穏やかな人類に移行するには、あと数万年はかかるだろう。少なくとも、この1万年の時間では足りなかったのだから。

 

 この節は披露宴で紹介されたエピソード部分である。

【9月末(会社の食堂)】

 暑さが峠を越して、秋の気配が所々で顔を出すようになってきた9月の終わりに、山村君が訪ねてきた。可愛らしいお嬢さんが側らに立っていた。
 玄関のチャイムが鳴って、対応に出た家内に呼び出されて、アタフタと表に出てきたのだが、一瞬たじろいでしまった。

かみさんは、どうぞ、どうぞ、と応接に二人を招き入れて、まずはお茶の準備に引っ込んだが、こっちは何となくドギマギして汗が出てきた。
「宇田ふみ、と申します。突然お邪魔して申し訳ございません」
「山村君、電話しといて貰えれば何か準備しといたんだが」
「ええ、ですが今日はこれから別の用事もありますので、ちょっとご挨拶だけにしようと言う事でお邪魔した訳です」

かみさんはお茶を入れて入ってきた。もう一回挨拶があって、二人のいきさつの話になった。 
「元々、少し気にしていた方だったのですが、昨年の暮れ頃からお昼休みに食堂の隅のほうで、何か熱心に調べものというか書き物をなさるようになりまして、それで2月に入った頃にコーヒーをお待ちしたのです」
「切り落としの影響なんかを計算したりしていたころですよ。顔をあげて見た時にドキッとしました。その後、しょっちゅう食堂で話をするようになって。まあこんな状況です」

「お式はいつ頃なのですか?」
 感のいい家内は直截に質問した。おいおい!何を聞いているんだ、話がとぶぞ、と思ったが、相手の反応はそうでもなかった。
「はい、来年の春頃の予定で、私の両親に式場探しを頼んであります。来週位には式場を取って貰えるみたいです」

 結局、山村君達のこの日の予定の一つは潰れてしまった。かみさんとお嬢さんは同じここらの地元民で、何だかんだと話が弾んでしまったからである。
 しかしまあ、俺の暇つぶしに始まった話が、山村君の独身生活を終わりにしたのは、ある意味嬉しいことではある。 

                  了


 前節の9月末を追記したので、もう一回〆の部分を入れている。アトランティスの消滅も異変との関連がありそうだと遠まわしに述べている。

 

あとがきにかえて

「はじめにって章を入れたのですから、あとがきを入れるのもご隠居の仕事ですよ」と、山村君に指摘された。しかし、あとがきは まとめのまとめ であらかた済ましたつもりだったので、“じゃあ本文で触れなかったプラトンの記事の解説をあとがきの代わりにしようか”と言うことにした。

歴史上の有名な文献の中で、紀元前1万年前の事件を伝えるものがある。これは、2千年を超える期間に渡って物議をかもしてきたプラトンの「ティマイオス」である。全文は長いもので、ここではその中の一部、それでも少々長いが、エジプトの神官が語る文を引用してある。

【引用 エバーハート・ツァンガー著、服部研二訳、「天からの洪水」】

「ソロンよ、あなたにその話を言い惜しんだりはしない。むしろ、お話しするつもりなのだ。あなたのためにも、あなたの都市のためにも、そしてとりわけ、あなたがたの国土と私たちの国土とをご自分のために選びたまい、育み教え導いてくださったあの女神のためにも−−女神は、ゲーとヘパイストスから、まず、あなたがたの種子をお受け取りになり、それから1,000年間をへだてて、私たちの種子を受け取られた。そして、神聖な書法で記録されている私たちの文明の期間は8,000年だ。したがって9,000年前ということになるわけだが、その時代に生きていた市民たちについて、その法律のいくつかと、かれらが遂行した最も崇高な行為とを、手短にあなたに告げることにしよう。・・・@部

ごぞんじの通り、第一に、神官階層が他と分離されている。それから職人の階層があり、その各々の職種はどれか他の職種と混じることなく、個別に仕事を行う。また、牧夫、狩猟者、農夫などの階層があって、それぞれ明確に分離している。さらに、すでにあなたもきっと気づいていることだろうが、この国では軍人階層が他のすべての階層から区分されているのだ。かれらは、法律で、もっぱら軍事訓練に専念するように命じられている。一層大きな特色は、楯と槍からなるかれらの装備だ。というのは、アジアの人々のなかで、最初にこれらの武器を使用したのは、私たちなのである。そして、それを私たちに教えてくださったのがかの女神なのだが、同時に女神は、もっと遠い土地のすべての住民たちのなかでは、最初にあなたがたにそれをお教えになったのである。その上、英知に関しては、疑いもなくあなたも当地の法律を認めているだろう――それが、そもそもの開闢から宇宙の秩序にいたるまで、いかに多くの関心を払ってきたのかを。つまり、神聖なる諸原因が人現生活にもたらすあらゆる影響をあきらかにすることによって、予言や、健康を目的とする医術にいたるまで、関心が及んでいるのである。さて、かの女神が、あなたがたに、他のあらゆる人々よりも前に、この秩序ある規則正しい制度をお与えになったとき、女神は、あなたがたが生まれた場所を選びたまいて、あなたがたの国家を確立されたのである。そこは、気候がほどよく調和しており、卓越する英知にめぐまれた人間を生みだすのは確実だと、女神がお感じになられたからだ。・・・A部

女神は戦いを愛される方であり、また英知を愛される方でもあったので、ご自分に最もよく似た人類を生みだしそうな場所をお選びになったのである。そして、これこそ、女神が最初に確立なさったものなのだ。そういうわけで、先程述べたような法律――いや、それどころかもっとよい法律――の支配下にあなたがたは生活していた。しかも、神々の乳飲み子にして子孫となる人々だったので、あらゆる能力において全人類をしのいでいたのである。・・・B部

 @部ではまず、この物語が語られた紀元前5百年頃よりも9千年程前に(つまり今から11500年前に)ギリシア地域に文明が発達しており、そして−女神を文明と読みかえれば−15百年前に文明の中心(女神)がエジプトに移ったとしている。

 また、A部は、ギリシア方面は気候がほどよく調和した場所であり、B部は、卓越する英知にめぐまれた、あらゆる能力において全人類をしのぐ、女神によく似た人種がいた、と読み取れる。

我々が見出したクレタ湖周辺からの現代人類の発生と、1万2千年前の崩壊との大枠での一致は見出しうる内容である。

しかしこの、一万数千年前にギリシア地域に文明が育っていたという唯一の記録に関して、我々はこれまで、深く掘り下げた調査なり、検討なりが行われた結果を目にしたことはない。アトランティスの場所がどこかという謎をあかそうという試みについては、嫌になるほど目にしているのだが、ギリシア地域に、ここに最も古い文明があったということに対して、なぜか追求がなされていないのである。
 ティマイオスが書かれた時代にはギリシアには優れた文明があり、そしてそれが、世の中で最も優れたものであったために――ポーの「かくされた手紙のありか」の様に――調査なり、追跡なりを妨げてきた一因となったと思われる。

そしてまた、以下に続く文書が延々と続くアトランティスの謎解きを中心課題としてしまい、一万数千年前のギリシア地域の文明の議論を脇に押しやっているのも確かである

【引用 エバーハート・ツァンガー著、服部研二訳、「天からの洪水」】

・・・その頃、このアトランチィスという島には、強大にして驚くべき権力をもった王たちの同盟が存在した。かれらは、その島の全土、それに他の多くの島々や大陸の一部までも支配下においていた。そしてさらに、海峡内のこちら側の陸地のうち、エジプトにとどくまでのリビアをまたチュレニアにとどくまでのヨーロッパを支配していたのである。
 そこであるとき、全体が一丸となったこの軍勢は、ただ一度の猛攻撃によって、あなたがたの国も私たちの国も、さらには海峡内の全領域を隷属させようとしたのだ。そのときのことなのだ、ソロンよ、あなたがたの国の、勇気と力に満ちたあっぱれな資質が、当時の全世界の前に歴然と示されたのは。というのは、あなたがたの国は、取り分け勇敢さとあらゆる軍事的技術において抜きんでていたのであり、あるときはギリシア諸国の指導者として活躍し、また、他の全ての諸国が脱落したときにはひとり敢然として立ち向かい、最大の致命的な危機を乗り越えた後で、ついに侵入者を敗北させ、勝利の碑を高々とかかげたのである。そしてそれによって、いまだ隷属されていなかった人々がそうなるのを救い、ヘラクレスの境界の内側に住んでいた、私たちの残りのすべての人々を惜しむことなく開放したのである。ところが、その後、けたはずれの地震と洪水が発生し、悲しむべき一日と一夜がかれらの身にふりかかった。そのとき、あなたがたの戦士たち全部が大地にのみこまれ、同様にして、アトランティスの島も海にのみこまれて消失したのである。そして、そういうわけで、その地点の海洋は今では航行できず、探索することもできなくなった。島が平静になったとき、その島によって生みだされた海岸泥土で妨げられているからだ。」

リビアからイタリアの一部にまで広がる大きな勢力をもったアトランティスという文明圏があったこと、そして、けたはずれの地震と洪水によって、ギリシア地域及びアトランティスの両者ともに大地にのみこまれ、海に沈んでしまったこと、これらが謎解きの根幹なのだが、こっちは他の書物にお願いしておこう

我々の一連の調査・検討の中で、この一万数千年前の言及に出会ったときはそれなりに感動した。古代エジプト文明に先行してギリシア文明が立ち上がっており、何らかの理由で文明の中心がエジプトにシフトしたとの記録は、ジブラルタル陸橋の前提から引っ張り出した我々の結論を裏打ちしてくれると思われた。
 しかし、これを声高に主張するのは、アトラントローグ達の種々の推論が林立する中に我々の結論が埋もれてしまうに違いなく、それ故に検討の中での参考資料に留めておいた。そうは言っても、こんな歴史書もあるのだと言うことを伝えておきたくて、“あとがきにかえて”の中でとりあげてみた。

“今の世の中に無い高酸素(1.2気圧)状態の生活環境”が実はあちこちにできている。“酸素カプセル”という名前で、結構商売になっている様だ。検討の初めの頃は、水槽に空気カプセルを押し込むイメージで1.2気圧を実現させようと思っていたが、圧搾空気の制御で簡単にできるみたいである。
 年寄の冷や水と言われない内に、一度体験しておかないとなあ。




終わりの章

 この部分は本書の前書き部分であった。田中さんが本書の内容を検討することになった元々の動機が現されており、前書きと言うより書き終えての所感とも思われるので、最終部に廻した。

 

はじめに

「過去という泉は深い。その底はほとんど測り知られぬと言って良かろう。」
 トーマス・マンの『ヨゼフとその兄弟たち』の冒頭での言葉である

「人間存在の始原、歴史や文明の発端は、深く探れば探るほど、遠く過去の暗闇の中へ分け入れば分け入るほど、それを測量するのが不可能だということがわかってくる。われわれがいわば過去の中に沈める測深鉛は、その紐をどれほど思いきって繰りのべてみようとも、底をつくことがない。」

ヨゼフの生涯を書きはじめるに際して、トーマス・マンはまず、過去の事件の追求に関して伏線を引いた。歴史の発端は相対的であって、色々な資料調査や現場検証結果を参照しても、本当の真実を捕らえることは難しい、どこかで線を引くしか無いだろうと言っている。そうは言いながらも、しっかりと長文の物語を語ってはいるが。 

中国のことわざのなかに、『全ての曲がり角に誤りが潜んでいる』と言うのがある。

むかしの出来事は、確かにその時点ではある一つの事態であったことは間違いなく、事実その通りなのだが、ひとつ・ひとつ・と語り継がれる毎に元の実態から離れていって、全く違う言い伝えになってしまうと言っている。

しかし、過去の泉が深いとはいっても、充分に、むしろ遙かに深く測深鉛を降ろしてしまえば、できごとの起こる前に到達できる。そしてヨゼフの物語よりも遙かに昔を想像し、検証することで、新しいヨゼフ像が物語れるかも知れない。

人類発祥の地を求めて、長年にわたって多くの努力が続けられてきた。そして情報もどんどん増えてきている。縄文時代ひとつをとってみても、三内丸山遺跡などこれまでの常識を覆す様な、縄文文化の発祥を数千年も逆上る様な、素晴らしい発見が相次いでいる。「過去という泉は深い」との言葉はけだし名言であると言わざるを得ない。

ただ、不満は常にあった。この過去を測る測深鉛は、紀元前5千年程で底についてしまうからである。エジプトのナイル流域、メソポタミア地域、ガンジス地域、どこを探ってもこの紀元前5千年の以前に逆上る文明の証拠が現れてこない。いくら自然環境による遺跡の侵食が強いとは言っても、何故にここらにボトルネックがあるのか、これが不満の根幹である。

人類が生活した証拠はずいぶんとあり、2万5千年前にはアメリカ大陸に人類が生活していたとの状況証拠も提出されている。シリア地域でも、ネアンデルタール人か或いは現人類か、はっきりはしないものの、人骨が発見され、少なくともこの時代に人族の生活があったことは間違いなさそうである。
 しかしこの時期、いったい文明は発達していたのかどうか、定かでは無い。

 アフリカ東部では百万年を単位として、ひとの祖先に相当する骨の発見が継続しており、人類の発祥の地がこのあたりであったことも、多数の学者が認めている。しかし、猿からこの特徴的な現代人類への変化の連なりも未だ明解ではない。

 紀元前5千年の先が見えない文明の痕跡、猿から裸の猿である現代人類への変化の要因、この二つは闇の中にあった。

全くの偶然と言っても良いだろうが、若い山村君が訪ねてきた時に、氷河期の海面低下の話を始めたことから人類の発祥についての検討が始まることになった。

最も、先ずは海面低下へのアブジェクションだったのだが。結果的に、いわゆる人類文明の発祥がどこにあったのか、裸の猿が何故生まれたのか、そしてなぜそれが現在に伝承されていないのか、半年強の検討を通じて、我々はこうした点を焙り出してしまった


 

これで田中さんたちの本文は終わりである。読み終えた方たちが、我々の様に鬱々とした気分になっていなければ良いのだが。

以上  ジブラルタル海峡の水門解説委員会 著