まえがき「いのちの言葉」(福昌堂)より

 ここに、一人の男の生きた証しがある。
 「おい、紙と鉛筆を持ってきてくれ。いいか、俺が今から言うことを一言もも らさずに記録しろ。じきに俺は話せなくなるらしいから」そう言うなり、若き日 の知られざる側面、芦原会館設立への険しい道のり、そして空手道普及に全力を 傾けた日々などを、赤裸々に語り始めた。
 晩年には、病が進行し、口が利けなくなった。それでも、門下生達、空手を愛 する全ての人々、そして空手界全体のため、という信念から、熱い眼差しをもっ て文字盤を指で追った一文字一文字の結晶が、本書を形作ったのである。
 新国際空手道連盟 芦原会館 館長芦原英幸 平成七年四月二十四日午前二時 十八分逝去 享年五十歳
 十五歳で空手を始め、三十五年間、修行に明け暮れた。持ち前のチャレンジ精 神で、あらゆる困難にもめげず、一流一派を興し、修行過程において編み出した 「サバキ」という独自の修練方法によって、世界中に芦原空手の愛好者を増やし ていった。日本の文化である空手を、より正しく伝えることに全身全霊を打ち込 んだ。
 正に人生五十年、奔馬のごとく空手の道を一気に駆け抜けていった生涯であっ た。その生き様は、傍から見ても壮絶であり、同時に空手家としての姿勢を貫い ていた。
 不治の病ともいわれる難病に冒されながらも、医師が入院を薦めるのも聞か ず、亡くなる前日まで総本部道場三階の館長室で、館長業務を行った。日がきけ なくなり、体の自由もきかなくなってくるこの病。最後には、まぶたと足先の親 指くらいしか満足に動かせない状態で、自分自身を空手に駆り立てたものとは、 何だったのか。
 常に「一空手職人」を自負し、一部のマスコミ以外は、表に出ることを頑なな までに拒み続け、派手さや安易な道に流されることなく、空手界全体に革新とア ンチテーゼを常にかかげてきた。「なぜ俺が派手さに走らなかったかをよく深く 考えることだ。組織作りという概念からすると、日本の空手は、柔道剣道に比べ て二十年近く遅れていて市民権をも得られない状態だ。いや、今はもっとひど い。これから先は、本物が必要とされる時代になる。空手界全体が淘汰されると きが必ずやってくる。襟を正していかないと、そういった時代がきたときでも、 胸をはっていられる組織にならないと……」
 日本の文化である空手に対し、真摯な態度で臨み、修行途上の我々に道標を与 えてくださった師。その実像は、あまりにも人間的で純真であり、そして誰より も空手を愛していた。
 生身の人間なら、誰しも避けては通れない運命、自然の摂理によって、芦原先 生はこの世を去った。しかし、先生の身体がこの世に存在しなくとも、その意志 は多くの門下生の心の中に生き続けており、現に世界中の道場で汗が流され、芽 は着実に伸ぴている。
 現在、日本の空手界は、新しい秩序が模索され、構築されつつある。「二十一 世紀に向かう本物の組織作り」という、先生が与えてくださった課題に向かって 心して取り組まなければならない。
 今、私たちが何をなすべきか−−転換期を迎えた日本の空手社会において、芦 原英幸先生の教えを実践していくこと−−これに尽きる。
 幸運にも芦原先生に約十年もの間、直接ご教授いただいた私が、今できるの は、先生がこれから進むべき道筋を語ったご自身のお言葉を世にお伝えすること である。私の分を超えたこととは承知しているが、芦原先生が長い空手修行にお いて、誰よりも経験を重ね、現実を知った上で、空手の現状から二十一世紀にお ける理想の空手にまで言及している言葉を、より多くの方に聞いていただきたい がために、そして何よりも先生ご自身との約東を守るために、本書を送り出すこ とにした。

平成八年初夏四国松山の芦原会館総本部にて

一門下生記す