「いのちの言葉」広告より
芦原英幸が空手界に投げ掛ける魂の叫びを聞け!
未公開写真を満載した立体構成で、芦原英幸の生涯を再現
「書き残してくれ。これから話していくことを。この病気は次第に口がきけなく なるらしいからね。芦原空手の歴史と、これから進むべき道を話すから。俺が死 んだらね、必ず本にしてくれよ。息子も含めて、組織が壁にぶつかったり、迷っ たりしたときに、俺の遺した言葉をしっかり読んで、慎重に物事を進めるんだ 。」
そういうなり、若き日の知られざる側面、芦原会館設立への険しい道のり、そし
て空手道普及に全力を傾けた日々などを、赤裸々に語り始めた。晩年には、病が
進行し、口がきけなくなった。それでも、門下生達、空手を愛する全ての人々、
そして空手界全体のため、という信念から、熱い眼差しをもて文字盤を指で追っ
た一文字一文字の結晶が、
本書を形作ったのである。
十五歳で空手を始め、三十五年間、修行に明け客れた。持ち前のチヤレンジ精神
で、あらゆる困難にもめげす、一流一派を興し、修行過程において編み出した
「サパキ」という独自の修練方法によつて、世界中に芦原空手の愛好者を増やし
ていった。日本の文化である空手を、より正しく伝えることに全身全霊を打ち込
んだ。
正に人生五十年、奔馬のごとく空手の道を一気に駆け抜けていった生涯で
あった。その生き様は、傍から見ても壮絶であり、同時に空手家としての姿勢を
貫いていた。不治の病ともいわれる難病に冒されながら、医師が入院を薦めるの
も聞かず、亡くなる前日まで総本部道場三階の館長室で館長業務を行った。口が
きけなくなり、体の自由もきかなくなってくるこの病。最後には、まぶたと足先
の親指くらいしか満足に動がせない状態で、自分自身を空手に駆り立てたものと
は、何だったのが。
(「まえがき」より)