世 界 で の ト ラ ン ポ リ ン の 歴 史

   中世期のフランスのサーカスの芸人で、Du-Trampolinという人が空中ブランコの、下に張る「安全ネット」から
   ヒントを得て造ったのが、始まりだと伝えられている。その頃のトランポリンは、安全ネットを四方八方で強く張
   り、そのを上飛び跳ねるといった簡単なものであった。                                
   芸人達の空中曲芸の基本練習の器具であり、そのトランポリン自体を使った曲芸も存在していたようである。
   このように、長い間トランポリンは、ヨーロッパを中心とした、サーカスの芸人達の道具として存在し、今日のよ
   うなスポーツ、体育用具としての価値を見い出されるに至らなかった。                       
   
   ●1930年代-ジョ-ン・ニッセン氏(米国・アイオア州セダラピッツ市出身)によってアメリカに持ち込まれ、トランポ
   リンの、体育的価値と、アマチュア・スポーツとしての可能性に着眼し、改良を重ね、現在の、トランポリンが
   完成された。そして、運動器具として、量産されるようになった。                          
   
   ●1940年代-第二次世界大戦中、アメリカ空軍のパイロットの養成に、トランポリンが活用され、大きな成果を
   あげた。戦後、アメリカの教育界の注目をあび、体育教材として採用された。その間競技として、レクリェー
   ション・スポーツとして盛んになった。                                          
   
   ●1960年代-アメリカにおいて、レクリェーション・スポーツ・トランポリンがブームを呼び、日本におけるボーリン
   グ場のように、施設トランポリンセンターが乱立した。その結果指導者不足によって、脊椎損傷者等重傷者
   が続出した。ライフ誌が死者、脊損者の特集を行い、「トランポリンは危険なスポーツである」と結論づけた
   波がひくように、ブームは去り、センターは倒産、閉鎖され、真の愛好者、アマチュア協会の関係者に打撃
   をあたえた。その間、ヨーロッパでは、逆輸入された形でイギリスを中心に普及していった。         
    


  日 本 の ト ラ ン ポ リ ン の 歴 史 

●1956年(昭和34年)-日本体育協会が、創始者のジョ−ン・ニッセン氏と、1952年、全米チャンピオン
のフランク・ラディ氏を招待し、各地で公開演技や講習会を開いた。                       
天理大学、日本体育大学、早稲田大学、その他幾つかの大学が購入。                   

●1960年(昭和35年)-日本体育大学では竹本正男教授の指導で、吉本幸孝氏、佐藤欣也氏、小野彰
氏、が最初の練習者となった。                                           
天理大学では、ダイビングをやっていた、長谷川輝紀氏がアメリカの指導書を翻訳しながら、練習を始めた
その後、大林正憲氏、塩野尚文氏がつづいた。                               

●1962年(昭和37年)-セノーKKがニッセンKKと技術提携し、日本製の器具が製造されるようになった

●1963年(昭和38年)-日本体育協会の一般体操の一分野として採用され、オープン競技が行われた

●1964年(昭和39年)-正式競技に認められる。以後年1回開催されている。               
同年に関西トランポリンクラブ(西日本トランポリン協会の前身)によってトランポリントーナメント大会が
開催される。                                                    

●1966年(昭和41年)-全日本学生トランポリン競技選手権大会が開催されるようになる。       

●1969年(昭和44年)-日本トランポリン研究会発足(代表者:竹本正男氏)。               

●1971年(昭和46年)-第1回トランポリン指導員資格認定講習会が始まる。               

●1972年(昭和47年)-日本トランポリン協会(浜田靖一会長)が発足、日本体操協会から分離、独立し
競技会を開催する。                                                 
第7回世界選手権(西ドイツ・シュツットガルド)に日本初参加、団長1名、選手3名。           

●1973年(昭和48年)-第1回日本ジュニアトランポリン競技会が開催された。               

●1974年(昭和49年)-第8回世界選手権(南アフリカ・ヨハネスブルグ)は、視察団を含め19名の選手
役員が大会に参加。国際審判員3名誕生(長谷川輝紀、大林正憲。狩俣恵徹)。            
同年、競技規則に国際ルールを採用。                                     

●1975年(昭和50年)-第1回日独対抗トランポリン競技大会(西独・マンハイム)が開催される。    
日本選手団7名派遣。                                               

●1976年(昭和51年)-第9回世界選手権(米・タルサ)に視察団を含む23名の選手、役員が参加。  
男子シンクロ第5位。国際審判員4名誕生(山原雅行、飯田正人、堀田信二、久常武人)。       
同年オーストラリア選手団を西日本協会で招き、大阪、石川で親善競技会を行なう。          
同年全国高等学校トランポリン連盟発足、全国高等学校選手権大会開催。                

●1977年(昭和52年)-ジョーン・ニッセン氏とそのチームを招き、交流を深める。              

●1978年(昭和53年)-日本トランポリン協会会長に塩川正十郎しになる。                 
○検定器具規則改定される ○検定工場5社が誕生。 ○指導員制度の改定               
同年第10回世界選手権(豪・ニューキヤッスル市)に視察団を含む28名の選手、役員が参加     
国際審判員1名誕生(上山 剛)。                                         

●1979年(昭和54年)-第1回国際シンクロナイズド競技会(ドイツ・ベルギッシュ・グランドバハ市)に選手団派遣。                  

●1980年(昭和55年)-第11回世界選手権(スイス・ブリック市)に視察団を含む12名の選手、役員参加、同年第2回シンクロナイズド競技会(ドイツ・ベルギッシュ・グランドバハ市)に選手団派遣。       

●1981年(昭和56年)-第2回国際エルメスタ・ワールドカップ大会(英・ウォーキング市)に選手団派遣。
同年第1回パン・パシフィック選手権(豪・ブリスベーン市)に選手団派遣。                 

●1985年(昭和60年)-非オリンピック種目の祭典-第1回ワールドゲームズ・トランポリン競技がおこなわれ、以後4年に1回開催されている。この大会は毎回オリンピックの翌年に開かれている。       
レクリエーション・トランポリン愛好者・普及指導員の自己アピールの場として、第1回全国トランポリン
・シャトル競技会(石川大会)が開催され、以降年1回開催されている。                  

●1988年(昭和63年)-世界年齢別選手権大会予選を、兼ねた第1回全国日本年齢別トランポリン競技選手権大会が開催され、以後2年に1回行なわれる。