平成18年9月10日 更新

花の美しさに惹かれ、又あることもひとつの切っ掛けとなりお寺参りを始めました。
お寺参りでは、心の安らぎを求め、家族の健康を祈願しています。
西国三十三ヶ所札所 
第42代の文武天皇(697〜)のころ、長谷寺開基の徳道上人までさかのぼる。
上人が冥土で出会った閻魔大王から「苦しむ衆生を助けるよう」依頼を受け、再び地上によみがえって、自ら
三十三ヶ所の観音霊場を、人々を引き連れて巡ったという。その際は後に続くものがなく挫折したが、270年後
第65代花山法皇(984〜)の出家によってその遺志は受け継がれ、他のどれよりも歴史のある巡礼コースとして
今に至るという。これらは正確な史実ではないが、西国巡礼にまつわる伝承として信じられている。
第 一 番  青岸渡寺    第 二 番  紀三井寺  第 三 番  粉河寺     第 四 番  施福寺    
第 五 番  葛井寺     第 六 番  壷阪寺    第 七 番  岡寺       番 外  法起院      
第 八 番  長谷寺     第 九 番  南円堂     第 十 番  三室戸寺    第十一番  上醍醐寺   
第十二番  正法寺     第十三番  石山寺    第十四番  園城寺     番 外  元慶寺     
第十五番 今熊野観音寺 第十六番 清水寺    第十七番 六波羅蜜寺  第十八番 六角堂頂法寺 
第十九 番  革堂行願堂  第二十 番  善峰寺    第二十一番 穴太寺     第二十二番 総持寺     
第二十三番 勝尾寺     第二十四番 中山寺    番 外 花山寺        第二十五番 清水寺     
第二十六番 一乗寺     第二十七番 圓教寺     第二十八番 成相寺     第二十九番 松尾寺     
第三十 番  宝厳寺     第三十一番 長命寺     第三十二番 観音正寺    第三十三番 華厳寺
      高野山奥の院          四天王寺           善光寺
平成18年9月10日 満願致しました
第一番 青岸渡寺(那智山寺)

 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地 п@0735-55-0404

 天台宗 那智山 青岸渡寺 

 座像 聖如意輪観世音菩薩

    ふだらくや きしうつなみは みくまのの
       なちのおやまに ひびくたきつせ

    補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の
       那智のお山に ひびく滝津瀬

1.紀伊勝浦駅の足湯 2.葛の根 3.那智大社への参道 4.参道のお土産屋 5.大社前の階段
6.那智大社 7.大社でのお参り 8.青岸渡寺本堂 9.那智山の扁額 10.お札所 11.三重の塔
12.宝篋印塔(重文) 13.鎌倉式石段古道 14.那智の大滝


第二番 金剛寶寺(紀三井寺)

 和歌山市紀三井寺町1201 п@073-444-1002

 救世観音宗総本山 紀三井山 金剛寶寺

 長身像 十一面観世音菩薩

    ふるさとを はるばるここに きみいでら
       はなのみやこも ちかくなるらん 
(花山法皇)

    故郷を はるばるここに 紀三井寺
       花の都も 近くなるらん

 今から千二百年の昔、唐僧為光上人が佛法弘通のため、この地に至り風光明媚な名草山に千手十一面
観世音菩薩の尊像を感得され、ここに梵字を建立、自ら一刀三礼して造立された十一面観世音菩薩を本願仏
としておまつりになったのが宝亀元年(770)、以来巡礼の姿、織るがごとしとたとえられ、現在も日夜香煙の
絶えることなく、春は早咲きの桜の名所として多くの文人墨客が訪れ、詩歌に絵画に多く残されています。
紀三井寺の名は境内から湧く三つの井戸の清浄水吉祥水楊柳水からきているといわれる。
画像をクリックして下さい。
1.門前町 2.桜 門(重文) 3.三井(清浄水) 石段途中にあります。急な石段は二百三十一段
4.本 堂 5.鐘 楼(重文) 6.ソメイヨシノ標本木
第三番 粉河寺

 和歌山県那賀郡粉河町2787 п@0736-73-4830    粉河駅下車 徒歩15分

 粉河観音宗 風猛山 粉河寺

 長等身 千手千眼観世音

    ちちははの めぐみもふかき こかわでら
       ほとけのちかひ たのもしのみや
    
    父母の 恵みも深き 粉河寺
       ほとけの誓い たのもしの身や

高さ33mの堂々とした本堂は享保5年(1720)の再建。権現造りを変形した特殊な様式である。
童男行者を祀る童男堂はこぶりながら江戸初期の廟建築の形式を留め、欄干の彫刻は左甚五郎作
と伝える。童男堂の前には仏足石がある。重層の中門の扁額「風猛山」は紀州藩10代治宝の筆。
本堂左手前にある庭園は国指定名勝。枯山水の豪壮な石組みの蓬莱式庭園で、桃山時代のものと
いわれる。
                    ひとつぬぎて うしろにおひぬ ころもがえ (芭蕉)
1.大 門 (重文) 2.中 門 (重文) 3.枯山水・蓬莱式庭園(国指定名勝)
4.本 堂(壮大な重層八棟造り) 5.粉河寺縁起絵巻(国宝) 6.たのもしの宮(産土神社)
第四番 施福寺

 和泉市槇尾山町136 п@0725-92-2332

 天台宗 槇尾山 施福寺

 長等身 千手観世音

    みやまぢや ひばらまつばら わけゆけば
       まきのをてらに こまぞいさめる

     深山路や 檜原松原 わけゆけば
       槙の尾寺に 駒ぞ勇める

第11番の上醍醐と並ぶ難所。      空海が得度受戒したという深山のなかにある。
本堂は豊臣秀頼の寄進。
本堂の後堂には馬頭観音が安置され、50〜60年に一度の開扉。
花山法皇が道に迷ったとき駒が道案内をしたという故事にちなむ。
山の名は役行者が法華経二十八品を書写して葛城の峰々に埋めたとき、その巻尾をここに納めたことから
起こったという。
       當山秘伝木由来      略
 當山は七世紀の初めに舒明天皇の勅願により、僧行満上人が建立開山。全山に八百の僧坊を有して
数百の学問僧ら常に千人近い僧達が居たと云う大寺も南北朝の戦乱に会い、又天正五年(1578)早春
織田信長の焼き討ちに会い全山消滅す。
 創建當時は政変、反乱、謀叛、疫病が続発した時代天平五年一月八日(732)に此の秘伝木を建立して
国家も天皇と諸民の為に七難即滅七福即生を祈願し、又諸民 病難、火難、水難、剣難、盗難、起難受難
の消滅を祈願して此の秘伝木を建立して以来、平成の今日まで途絶える事無く、秘伝と書体と字数を
違える事無く毎年一月八日に建替て念願して居ます。
1.駐車場前のお店屋さんこれより八丁 2.仁 王 門このあと急坂が続きます 3.大 日 堂 
4.愛 染 堂(弘法大師の剃髪所) 5.急な148段の石段(途中に弘法大師が髪を納めた髪堂がある)
6.本 堂 7.駒ぞ勇める 8.本堂内での参拝 9.標高530m 葛城連峰を一望茶店前より
第五番 葛井寺

 大阪府藤井寺市藤井寺一丁目16-21

 真言宗 紫雲山 葛井寺

 座像 十一面千手千眼観世音(国宝)脱乾漆造り・日本最古の天平時代の仏像

    まいるより たのみをかくる ふじいでら
       はなのうてなに むらさきのくも


    参るより 頼みをかくる 葛井寺
       花のうてなに 紫の雲

 「ふじいでら」という今の寺名になったのは11世紀の末に藤井安基が伽藍の修築に力を尽くして
からである。
 南北朝時代には後醍醐天皇、後村上天皇から綸旨を賜った。楠木正成が菊水の旗や守り刀を
寄進、子の正行は『大般若経』六百巻を寄進しているし、ここに陣を敷いたこともある。『太平記』に
いう「藤井寺の合戦」である。こんなことから楠木氏の遺跡としても知られ、西門脇にそれを示す
石碑が立っている。
1.南大門(重文) 2.「紫雲山」の額 3.ご詠歌
4. 境 内 5.本 堂(重文) 6.境内にある藤棚 
第六番 南法華寺(壷阪寺)

 奈良県高市郡高取町壺阪3  п@0744-52-2016   http://www.tsubosaka1300.or.jp

 真言宗 壺阪山 南法華寺

 座像 十一面千手千眼観世音菩薩

     いはをたて みずをたたへて つぼさかの
        にはのいさごも じやうどなるらん

     岩をたて 水をたたえて 壺阪の
         庭の砂も 浄土なるらん

本尊十一面千手千眼観世音菩薩を間近で拝めるのが有り難い。
壺阪寺は、大法三年(西暦703年)弁基上人によって開かれた霊山で、正式には「壷阪山南法華寺」
と言います。十一面千手観音様をご本尊として祀る観音信仰の一大道場で、西国霊場の第六番札所
です。古来から眼病に霊験あらたかな寺として信仰され、説話「壷阪霊験記」におけるお里・沢市の話
は、あまりにも有名です。また、日印合同でさまざまな浄業を行っており、境内にはインドで制作された
大観音石像(全高二〇m)や仏伝図石造レリーフ(全長五〇m)大涅槃石像(全長八m)などの大石造
美術が安置されています。壺阪寺は、昔から目の不自由な人々にとっての聖地として厚い信仰と、深
い願いがこめられ、全国各地から訪れる人が絶えません。
また、インドや韓国の救ライ事業に奉仕されている。
1.開創千三百年記念拝観の幟 2.南法華寺の扁額 3.お里・沢市像
4.境内より三重の塔を望む 5.本 堂 6.天竺渡来 大涅槃石像と大観音石像(花崗岩)
第七番 竜蓋寺(岡寺)

 奈良県高市郡明日香村岡  п@0744-54-2007

 真言宗龍蓋寺 東光山 岡寺

 座像 如意輪観世音菩薩(我国最大の塑像で如意輪観音像としては最古)(重文)

     けさみれば つゆをかでらの にはのこけ
        さながらるりの ひかりなりけり
     
      けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔
        さながら瑠璃の 光なりけり

奈良明日香村、石舞台古墳のすぐ近くにある。
四月中旬から五月中旬はシャクナゲ、サツキ、秋は紅葉が美しい。
六六三年(天智天皇二)、草壁皇子のお住みになっていた岡の宮を仏教道場に改め、当時の仏教の
指導者であった義淵僧正に下賜され、創建一千三百有余年の歴史を持っている。このため本尊や
義淵僧正像など国宝、重文七件のほか多数の宝物がある。義淵僧正は奈良東大寺の基を開いた
良弁僧正や菩薩と仰がれた行基、その他奈良時代の仏教を興隆した多くの先駆者の師として知られ
ている。また、『扶桑略記』(平安時代の史書)によると、義淵僧正の父母は子宝を観音に祈った。その
結果生まれたのが義淵。この有り難い話を聞かれた天智天皇は岡の宮で義淵を草壁皇子と共にお育
てになった。
この寺の近くに農地を荒らす悪龍がいた。義淵僧正はその悪龍を法力によって小池に封じ込め、大石
で蓋をした。この伝説が岡寺の正式名称「龍蓋寺」の原点になっており、本堂前に「龍蓋池」が今も
ある。
1.仁王門(重文)(日本最初の厄除け霊場の立て札がある) 2.龍蓋寺の扁額 3.子宝祈願
4.本堂 遠景 5.本 堂 6.本堂前にある龍蓋池
番外 豊山 法起院

奈良県桜井市初瀬776  п@0744-47-8032      http://www.houkiin.or.jp

真言宗豊山派

徳道上人尊像

       ごくらくは よそにはあらじ わがこころ
          おなじはちすの へだてやはある


       極楽は よそにはあらじ わがこころ
          おなじ蓮の へだてやはある 

             (極楽は遠くにあるものではありません。あなたの心の中に求めなさい。
               この世に咲く蓮の花と、あの世の蓮の花とはともに同じ蓮の花です。
               決して違うものではありません。)       

 法起院は上人が晩年隠棲されたところで、本尊は上人ご自作と伝えられる上人尊像を奉安して
います。 本堂の左側には「上人御廟十三重石塔」があり、上人が晩年当院の松の木の上から、
法起菩薩と化し去ったといわれ、法起院の名前もそこに由来します。
上人が松の木にお登りになったときの、「上人沓脱ぎの石」と称するものも残っています。
この石に触れると願い事が叶うと伝えられています。
この寺の本尊の徳道上人は、西国観音霊場の創始者である。
1.番外 法起院正面 2.由来 3.この奥に上人御廟の十三重石塔がある
4.本堂(開山堂)5.納経所
第八番 長谷寺(初瀬寺)

奈良県桜井市初瀬731-1 п@0744-47-7001                           

真言宗 豊山(ぶさん) 長谷寺 

長等身 十一面観世音菩薩(重文)(わが国最大の木造仏)

    いくたびも まいるこころは はつせでら
        やまもちかひも ふかきたにがわ 
 
    
    いくたびも 参る心は はつせでら
        山もちかひも 深き谷川

 長谷寺は 朱鳥元年(六八六)道明上人が 皇室のおん為に 法華説相図銅盤(国宝)を西の岡に
安置されのち 神亀四年(七二七)徳道上人は 聖武天皇の勅を奉じて 民衆のために東の岡に 
十一面観世音菩薩をおまつりになられました。 この上人は観音信仰に徹したお方で 
西国三十三所巡拝の開祖となられた大徳であり当山を三十三所の根本霊場と呼ぶいわれであります
尚 一名花のみてらとも呼ばれ舞台造りの代表建築といわれる本堂や山内の堂塔伽藍が花に
つヽまれる眺めはまことに壮観です
 登廊の周辺の牡丹は唐の皇妃馬頭夫人の献木と伝えられ、現在では百五十種類、七,〇〇〇株に
およぶ日本一の大牡丹園です。
           花咲かば 堂塔埋れつくすべし 花の寺 末寺一念 三千寺 (虚子)
           人はいさ心も知らずふるさとは、花ぞ昔のかににおひける (紀貫之)

1.門前町の賑わい 2.仁王門(重文) 3.牡 丹
4.登廊(重文)と牡丹 5.本堂(重文)外舞台からの五重塔 6.本堂から境内を望む
第九番 南円堂

 奈良市登大路町48  п@0742-24-4920                           

 法相宗 興福寺 南円堂 

 座像 不空羂索三目八臂観世音菩薩(国宝)

身丈3b余りの堂々とした坐像。鎌倉時代初期、運慶の父康慶とその一門によって作られたもの
不空羂索観音を祀る唯一の西国霊場
「不空」とはこの菩薩を信じるならば願いは必ず叶えられないことはない、「羂索」はインドで
投げ縄状の罠で逃がすことなく、全ての人を救うという意味です。

    はるのひは なんゑんだうに かがやきて
        みかさのやまに はるるうすぐも 
 
    
    春の日は 南円堂に かがやきて
         三笠の山に はるるうす雲

興福寺は、藤原氏の祖である中臣鎌足の夫人鏡大王によって建てられた山科の山階寺に始まる。
遷都にともないこの寺も飛鳥では厩坂寺(うまやさか)と名を改め、さらに奈良に移って興福寺と
呼ばれることになったと伝えられている。
南円堂は藤原冬嗣が創建。冬嗣の父内麻呂が弘法大師に藤原氏の繁栄について教えを乞うたところ、
不空羂索観音像を与えられたので、持仏堂に安置して拝んでいた。冬嗣はこの観音の恵みを広く人々に
分かちたいと思い、興福寺の西南の地に白銀で作った1000体の小観音像を埋めてその上に南円堂を
建てて本尊を安置した。弘仁4年(813)のことである。
1.猿沢池より五重塔を 2.興福寺五重塔 3.東金堂 4.南円堂遠景 5.南円堂 6.納経所 
7.南円堂でのお参り 8.南圓堂(八角宝形造) 9.ひっそりとした鐘楼 10.猿沢池より南円堂へ
11.三重塔(国宝) 12.北円堂(国宝) 13.モネ展が開催されていました 14.帰りの夕日
第十番 三室戸寺

 宇治市莵道滋賀谷21  п@0774-21-2067                           

 修験宗 明星山 三室戸寺 別称 御室戸寺 

 長等身 二臂千手観世音菩薩

    よもすがら つきをみむろど わけゆけば
        うぢのかはせに たつはしらなみ 
 
    
    夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば
        宇治の川瀬に たつは白波

 三室戸寺略縁起
約1200年前(宝亀元年)、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩淵より出現された千手観世音菩薩を
ご本尊として創建されました。
開創以来、天皇・貴族の崇敬を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わうこととなりまし
た。宝蔵庫には平安の昔を偲ぶ五体の重要文化財の仏像が安置されております。現在の本堂は約180年前
(文化2年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背後には室町時代の十八神社社殿、東には
鐘楼・三重の塔があります。
五千坪の大庭園は枯山水・池泉・広庭からなり、五月のツツジ(二万株)・六月のアジサイ(一万株)・七月の
ハス・秋の紅葉など四季を通じ美しい花模様を楽しめる。
1.60段の石段を登ると本堂が 2.本堂と阿弥陀堂 3.常勝牛口の中に手を入れて玉を転がすと力が付くとか 
傍らには元横綱若乃花、貴乃花の手形が 4.本堂と庭園の蓮 5.鐘楼
6.三重の塔 7.霊水 8.回遊式庭園の紫陽花とツツジと茶店 9.お抹茶とだんご 10.紫陽花とカタツムリ
第十一番 上醍醐寺

京都市伏見区醍醐醍醐山1  п@075-571-0029

真言宗醍醐派総本山 深雪山 上醍醐寺

准胝観世音菩薩

     ぎゃくえんも もらさですくう がんなれば
          じゅんていどうは たのもしきかな

     逆縁も もらさで救う 願なれば
            准胝堂は たのもしきかな

准胝観音 准胝仏母観音、七倶胝仏母観音ともいう。3目に18本の手を持つ像が普通だが、
2・4・6・8・10・12・32本の手に作る例もある。他の観音との区別がつきにくく、彫像は少ない。
悟りに至る過程で起こるさまざまな障害を除くという誓願から、厄除け・延命や降雨のために
祈るほか、密教では多くの尊を産み出したといわれるところから、子授けの功徳があるとされて、
女性の信仰を集めた。
1.総門 2.仁王門 3.五重塔(国宝) 4.金堂(国宝) 5.女人堂 6.女人堂前のみずかけ地蔵 7.参道
8.不動の滝 9.醍醐水 10.やっと見えた准胝堂 11.准胝堂 12.堂内 13.薬師堂 14.五大堂
金堂は総本山醍醐寺の根本道場で、薬師如来を本尊としている。この建物は慶長3年(1598)
3月15日、花見の宴を前にして豊臣秀吉公が再興を命じ、和歌山県有田郡湯浅・満願寺の
本堂を移築したもので、平安後期の雄大な建築である。金堂の規模は七間五間、一重入母屋造で、
屋根は本瓦葺きである。中央の本尊・薬師如来は左右に、日光、月光菩薩を従え、持国天、多聞天、
広目天、増長天の四天王に護られている。
第十二番 正法寺(岩間寺)

大津市石山内畑町82  п@077-534-2412

真言宗醍醐派 岩間山 正法寺 別称 岩間寺  ぼけ封じ観音四番

千手観世音菩薩(金銅造)

     みなかみは いづ゜くなるらん いわまでら
           きしうつなみは まつかぜのおと
  

     水上は いづくなるらん 岩間寺
           岸うつ波は 松風の音 

 その昔、泰澄大師が、ここ岩間寺にお堂を建立しようとするとたびたび雷が落ち、大師を困らせました。
そこで大師は、自らの法力で雷を封じ込めてしまいました。 雷は、大師に今までの悪業を詫び、岩間寺
に参拝する人々には、今後一切、悪害を及ぼさないことと、千年涸れることのない泉を自らの爪で掘る
ことを約束し、大師の弟子になりました。(雷神爪堀の霊泉)
 以来、岩間の観音さんは、雷除観音≠ニ呼ばれ、雷除けをはじめ、諸々の災難除けの観音さんとして
親しまれています。
                                 古池や 蛙飛び込む 水の音 (芭蕉)

1.元正天皇勅願寺の碑 2.鐘楼 3.仏足石 4.仁王
5.本堂前境内 6.本堂遠景 7.本堂

第十三番 石山寺

大津市石山寺1−1−1  п@077-537-0013

東寺真言宗大本山  石光山 石山寺

如意輪観世音菩薩(半跏像)

      のちのよを ねがうこころは かろくとも
           ほとけのちかい おもきいしやま

      後の世を 願うこころは かろくとも
              ほとけの誓い 重き石山 

 聖武天皇の勅願により天平勝宝元年良辨僧正によって開基され、歴朝の尊崇あつい由緒ある寺院である。
西国巡礼十三番の札所。本堂は懸下木造建築最古のもので、内陣は平安中期。外陣は淀君の修補になる
もの。 本堂観音は勅封になっている。堂内「源氏の間」は紫 式部が「源氏物語」を書いたところと傅え、本堂
下の御堂は蓮如上人の母が石山観音の化身だといわれるので、その形見と傅える蓮如鹿の子の小袖を安置
している。
多宝塔は美しい均斉美をもった鎌倉期の建築であり、鐘楼・大門は共に鎌倉初期の建立になるものである。
境内の奇岩はいわゆる石山の名の出た石で硅灰石からなり、天然記念物に指定されている。
            紫 式部と石山寺
 紫 式部は石山寺に一週間の参籠をされ、本尊如意輪観音菩薩に物語り創作の祈願をされた。
時に寛弘元年(西暦1004年)8月15日、対岸の金勝山よりさし上る明月が眼下の瀬田川に映る風情を
眺めて筆をおこされたのが、須磨、明石の二帖であります。
 その後源氏物語が有名になると共に参籠室が「紫 式部源氏の間」と称され、石山の秋月も近江八景の
一つに数えられるに至ったのであります。

1.土産物屋 2.東大門(重文) 3.石山寺の扁額 4.大理石のくぐり岩 5.池の鯉
6.本堂への急な階段 7.本堂前の境内 8.硅灰石(天然記念物) 9.本堂
10.本堂内 11.源氏の間内 12.紫式部源氏の間 13.多宝塔(国宝) 14.紫式部像

第十四番 園城寺(三井寺)

大津市園城町246   п@077-524-2416

天台寺門宗総本山 長等山 園城寺 

如意輪観世音菩薩

       いでいるや なみまのつきを みいでらの
             かねのひびきに あくるみずうみ

       いで入るや 波間の月を 三井寺の
              鐘の響きに あくる湖

三井寺の名は、絶えることのない霊泉が境内にあるところから御井寺と呼ばれ、中興の祖智証大師が
三部灌頂の法水としてこの水を用いたので、三井寺になったという。また別説では、天智、天武、持統の
三帝の産湯にこの霊泉の水が使われたためという。
                          「三井寺の 門たたかはや 今日の月」 芭蕉
1.仁王門(重文) 2.金堂(国宝) 3.鐘楼(重文)荘厳な鐘の音色は三井の晩鐘として有名 4.閼伽井屋(重文)三井の霊泉 
  5.霊鐘堂(重文)弁慶の引摺り鐘 6.三重の塔 7.唐院(重文) 8.参道 村雲橋 9.微妙寺 10.観音堂  11.堂内 12.堂内
. 13.観音堂を中心に、百体堂、鐘楼、観月舞台、絵馬堂、世継地蔵堂、手水舎が並ぶ 14.観音堂前
近江八景の和歌八首
  洞底湖になぞられた琵琶湖の南部を中心に選定されています
石山の秋月 「石山や鳰(にお)の海てる月かげは 
                    明石も須磨もほかならぬ哉」

勢多(瀬田)の夕照  「露時雨もる山遠く過ぎきつつ
                    夕日のわたる勢多の長橋」

粟津の晴嵐  「雲はらふ嵐につれて百船も
                    千船も浪の粟津に寄する」

矢(八)橋の帰帆 「真帆ひきて八橋に換える船は今
                     打出の浜をあとの追風」

三井の晩鐘  「思うその暁ちぎるはじめとぞ
                     まづきく三井の入あひの声」

唐崎の夜雨  「夜の雨に音をゆづりて夕風を
                     よそにそだてる唐崎の松」

堅田の落雁  「峯あまた越えて越路にまづ近き
                     堅田になびき落つる雁がね」

比良の暮雪  「雪ふるる比良の高嶺の夕暮れは
                     花の盛りにすぐる春かな」
番外 華頂山 元慶寺

京都市山科区北花山河原町13   п@075-581-0183

天台宗

薬師如来

        まてといわば いともかしこし はなやまに
               しばしとなかん とりのねもがな

        待てといわば いとも畏し 花山に
               しばしと啼かん 鳥の音もがな 

1.鐘楼門 2.参道 3.元慶寺の扁額 4.庫裏 5.花山法皇ゆかりの碑 6.本堂
本堂にはご本尊の薬師如来と開山の遍昭僧正の木像、花山法皇の木像等が祀られている。
       「天津風 雲のかよい路 ふきとじよ 乙女の姿 しばしとどめん」 遍昭僧正
第十五番 観音寺(今熊野観音)

京都市山科区北花山河原町13  п@075-581-0183

真言宗泉涌寺流

十一面観世音菩薩   新那智山 観音寺 

        むかしより たつともしらぬ いまくまの
             ほとけのちかい あらたなりけり   
   

        昔より 立つともしらぬ 今熊野
                ほとけの誓い あらたなりけり

1.本堂への参道、鳥居橋 2.子護弘法大師像 3.三重石塔 4.本堂
5.五智水 6.本堂 7.大師堂 8.多宝塔
第十六番 清水寺

京都市東山区清水1−294  п@075-551-1234

北法相宗

十一面千手千眼観世音菩薩  音羽山 清水寺

         まつかぜや おとわのたきの きよみずを
               むすぶこころは すずしかるらん

         松風や 音羽の滝の 清水を
                  結ぶこころは 涼しかるらん 

第十七番 六波羅蜜寺

京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町81−1  п@075-56-6980

真言宗智山派

十一面観世音菩薩   補陀洛山 六波羅蜜寺

        おもくとも いつつのつみは よもあらじ
            ろくはらどうへ まいるみなれば

        おもくとも 五の罪は よもあらじ
              六波羅堂へ 参る身なれば 

第十八番 頂法寺

京都市中京区六角通東洞院西入る堂之前町248    075-221-2686

天台宗(単立)

如意輪観世音菩薩       紫雲山 頂法寺 六角堂

        わがおもう こころのうちは むつのかど
             ただまどかれと いのるなりけり

        わが思う こころのうちは 六の角
             ただ円かれと 祈るなりけり  
 

第十九番 行願寺

京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17    п@075-211-2770

天台宗

千手観世音菩薩      霊ゆう山 行願寺 革堂

         はなをみて いまはのぞみも こうどうの
             にわのちぐさも さかりなるらん

         花を見て 今は望みも 革堂の
             庭の千草も 盛りなるらん 
 

第二十番 善峰寺


         のをもすぎ やまじにむかう あめのそら
             よしみねよりも はるるゆうだち

         野をもすぎ 山路にむかう 雨の空
             善峰よりも 晴るる夕立

1.山門 2.山門の仁王像 3.善峰寺の扁額 4.本堂 5.本堂での参拝
6.遊竜松(天然記念物 全長54b 樹齢600年) 7.護摩堂 8.多宝塔 9.鐘楼 10.茶店での筍づくし
第二十一番 穴太寺

         かかるよに うまれあうみの あなうやと
             おもはでたのめ とこえひとこえ

         かかる世に 生まれあう身の あな憂やと
             思はでたのめ 十声一声

1.山門 2.山門の仁王像 3.本堂 4.穴太寺の扁額 5.多宝塔 6.鐘楼
第二十二番 総持寺

         おしなべて おいもわかきも そうじじの
               ほとけのちかい たのまぬはなし

         おしなべて 老いも若きも 総持寺の
               ほとけの誓い 頼まぬはなし  
 

 総持寺の創建は奈良時代にさかのぼる。藤原氏一族の山蔭中納言政朝が、父・高房の遺志によって
亀に乗った千手千眼十一面観音像を造り、堂の建築に着手した。しかし残念ながら志半ばで亡くなり、
その後、その子供達が遺志を継いで本堂・五重塔・宝蔵などを建立した。政朝の三回忌にあたる寛平
2年(890)ついに大伽藍が完成した。
1.仁王門遠景 2.仁王門 3.補陀洛山の扁額 4.仁王さん 5.本堂 6.大師堂
7.本堂 8.9.10.包丁塚 11.四国八十八ヵ所及び西国三十三ヵ所の本尊を祀る
第二十三番 勝尾寺

大阪府箕面市勝尾寺  п@0727-21-7010

高野山真言宗  応頂山 勝尾寺 別称・弥勒寺

十一面千手観世音菩薩

       おもくとも つみにはのりの かちおでら
            ほとけをたのむ みこそやすけれ 
  

       おもくとも 罪にはのりの 勝尾寺
            ほとけを頼む 身こそやすけれ

縁起によると、この寺は神亀四年(727)善仲、善算という兄弟がこの地に最初に庵を建てたのがはじまり
であるという。
その後、光仁天皇の皇子開成が、善仲、善算の仏弟子となり、大般若経六百巻を書き写し、お堂を建て
十一面観音をお祀りした。開成皇子はまた、自ら薬師如来像を作彫、薬師堂を建てて安置した。
  清和天皇が病気になられた時、住職が天皇の病気平癒を祈願し、効験があったので、天皇の帰依を
受けて寺勢大いに栄え、寺名を弥勒寺から勝王寺と改め、さらに後年、勝尾寺となった。
1.応頂山 山門 2.応頂山の扁額 3.緩やかな階段の参道 
4.参道を上がったところに多宝塔がある 5.願い事が叶った勝ちダルマ 
6.太子堂 四国八十八カ所のお砂踏みがあります 7.本 堂 8.祈願を込めただるま
9.ダールマさん、見ーつけた
第二十四番 中山寺

兵庫県宝塚市中山寺2−11−1 п@0797-86-6517

真言宗中山寺派大本山   紫雲山 中山寺

十一面観世音菩薩

        のをもすぎ さとをもゆきて なかやまの
             てらへまいるは のちのよのため

        野をもすぎ 里をもゆきて 中山の
             寺へ参るは 後の世のため

当山は本邦随一の安産祈願の寺で安産の腹帯を「鐘の緒」という。これは、多田院荘の領主 源 行綱の妻の
不信心を中山寺の本尊さまが戒められた故事によると伝えられ、「鐘の緒」はいまも寺に保存されている。
  女性の厳粛な喜びである出産の大役が無事果たせるよう、「安産の腹帯」として、以後数百年、日夜絶えない
祈りが続けられている。
1.仁王門 遠景  2.仁王門  3.安産祈願の腹帯が奉納されていました
4.中山寺の扁額 5.仁王門から参道を望む 
6.本堂への階段脇にはこのようなエスカレーターが2基付けられていました7.鐘 楼 8.本 堂 9.本堂での参拝
番 外 花山院菩提寺

兵庫県三田市尼寺352    п@0795-66-0125

真言宗花山院派

薬師瑠璃光如来    東光山 花山院菩提寺

       ありまふじ ふもとのきりは うみににて
            なみかときけば おののまつかぜ 

       有馬富士 ふもとの霧は 海に似て
            波かときけば 小野の松風  

 寺伝によると、古くは阿弥陀ヶ峰とも呼ばれ、白薙2年(651)、法道仙人によって薬師瑠璃光如来を
本尊とする密教修行の聖地として開かれたと伝えられる。  その後、観音三十三ヶ所霊場巡行を再興
した花山法皇が隠棲の場所として草庵を結び、のちに、法皇に仕えた源頼光が堂塔伽藍を寄進した。
花山法皇の崩御後は、その菩提を弔う寺として花山院菩提寺と呼ばれるようになった。
第二十五番 清水寺

兵庫県加東郡社町平木1194   0795-45-0025

天台宗 御嶽山 清水寺

十一面千手観世音菩薩

       あはれみや あまねきかどの しなじなに
            なにをかなみの ここにきよみず 

       あはれみや 普き門の 品々に
            なにをか波の ここに清水

御開山法道仙人は印度僧で今より1800年前、人皇十二代景行天皇の御時に中国、朝鮮を経て
当山に止住され、鎮護国家豊作を祈願された。
推古三十五年(627年)推古天皇勅願により、根本中堂建立、仙人一刀三礼の秘仏十一面観音、
脇士毘沙門天王、吉祥天女の聖像を安置された。由来此の地は水に乏しく、仙人、水神に祈って
霊泉湧出し感謝の余り清水寺と名付けられた。神亀二年(725年)聖武天皇は行基菩薩に勅願
して大講堂を建立、永く講経の道場として法灯を中国に輝かされた。
花山法皇西国御巡拝のとき、この堂に詣で給いてご詠あらせられてより、西国二十五番目の札堂
と称するに至る。
1.仁王門 2.仁王さん(金剛力士像) 3.坂上田村麻呂佩刀を奉納す 4.大講堂 5.御嶽山の扁額 
6.本堂での参拝 7.薬師堂 8.根本中堂 9.地蔵堂 
10.おかげの井戸(滾浄水)開山法道仙人水神に祈って湧出した霊泉。清水寺と称される由緒の地。
第二十六番 一乗寺

兵庫県加西市坂本町821−17  п@0790-48-2006

天台宗 法華山 一乗寺

聖観世音菩薩

        はるははな なつはたちばな あきはきく
             いつもたえなる のりのはなやま

        春は花 夏は橘 秋は菊
             いつも妙なる 法の華山

由 緒
 法華山一乗寺は印度鷲山の五百持明仙の随一・法道仙人の開祖である。仙人一日仙苑を出て
紫雲に乗り、中国朝鮮を経て日域に入り、当山に留まって法華経を読誦し蜜観を修し、千手飛鉢の
法を示して有情を教化し、仏法弘通の時機を持ち給えり。
 大化五年(649)時の帝孝徳天皇不予の病あり。即ち左大臣阿部倉内に宣して仙人を宮中に召し
入れ玉躰を加持せしめ給う。仙人一七日の間加持し奉るところ、玉躰たちどころに平癒し給う。
仙人山に帰り、此の年本堂建立の捗り、越えて白雉元年(650)九月落慶法要ありて、孝徳天皇
法華山に行幸あらせられ一乗寺の勅額を賜わる。仙人伝来の観音像を安置して永く鎮護国家の
道場となし給う。
 永延元年(987)花山法皇、西国三十三ヶ所巡礼の砌り、第二十六番札所となし給い、
    春は花 夏は橘 秋は菊
       いつも妙なる 法の崋山
と御詠あり。爾来庶民信仰の霊場として済世利民の益多く、巡礼の同行者た絶ゆる事なく今日尚
盛んである。

平成17年8月12日 お参りさせて戴きましたが、本堂は改修工事中でした。

1.水子地蔵尊 2.法華山案内 3.この石段を登ると本堂 4.三重塔(国宝) 5.三重塔より納経所(常行堂)を望む
第二十七番 圓教寺

兵庫県姫路市書写2968   п@0792-66-3327

天台宗 書寫山 圓教寺

六臂如意輪観世音菩薩

          はるばると のぼればしょしゃの やまおろし
             まつのひびきも みのりなるらん

          はるばると のぼれば書写の 山おろし
             松のひびきも 御法なるらん 

1.ロープウェイ乗り場より書写山を望む 2.石塔婆 3.弁慶のお手玉石
4.舞台造りの摩尼殿(観音堂、如意輪堂) 5.観音堂での参拝 6.大講堂 7.蔀戸に囲まれた食堂
8.奥の院 9.左甚五郎の力士の彫刻 10.鐘楼 11.水子地蔵尊 12.書写弁当(穴子)
第二十八番 成相寺

京都府宮津市成相寺339     п@0772-27-0018

真言宗  成相山 成相寺

聖観世音菩薩
開基 慶雲元年(704)真応上人
寺宝 1紅波離彌陀ぶ画像 重文 2丹後諸庄郷保田数帳目録 重文 3参謂曼荼羅 4八字文珠画 5守影農耕図屏風 6単庵知伝水墨画 
    7悉丹字母釈義 8一色道政法華経八巻 9仏像数十躰
諸堂 1熊野権現社 2十王堂 3観音堂 4一言一願地蔵
         なみのおと まつのひびきも なりあいの
             かぜふきわたす あまのはしだて  
      

         波の音 松のひびきも 成相の
             風ふきわたす 天の橋立 

成相寺由来
 一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修行中深雪の為、里人の来往まなく食料も絶え何一つ食べる物もなくなり、
餓死寸前となった。
 死を予感した僧は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈った。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の
外に狼の為傷ついた猪(鹿)が倒れているのに気付いた。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変え
られず、決心して猪(鹿)の左右の腿をそいで鍋に入れて煮て食べた。
やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の左右の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居た。
それを知らされた僧は観音様が身代わりとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになっ
た。此れよりこの寺を成合(相)と名付けた。
第二十九番 松尾寺

京都府舞鶴市松尾532    п@0773-62-2900

真言宗醍醐派 青葉山 松尾寺

馬頭観世音菩薩

          そのかみは いくよへぬらん たよりをば
              ちとせもここに まつのをのてら   

          そのかみは いくよへぬらん 便りをば
              千歳もここに 松の尾の寺  

第三十番 宝厳寺

滋賀県東浅井郡びわ町字早崎1666   п@0749-63-4410

真言宗豊山派 厳金山 宝厳寺

千手千眼観世音菩薩

            つきもひも なみまにうかぶ ちくぶしま
               ふねにたからを つむここちして

            月も日も 波間に浮かぶ 竹生島
               舟に宝を 積むここちして 

竹生島 本来の島名は斎(いつく)島、すなわち"神を斎き祀る島"である。
1.竹生島への高速船(今津〜竹生島約40分)  2.竹生島と琵琶湖の水質自動監視装置 3.船着場前のお店やさん  
4.船着場から 5.ここから167段の石段 6.石段途中の手洗水 7.上から見た急な石段 8. 弁財天を祀る本堂(弁天堂) 
9.堂内 10.堂内 11.堂右手の不動明王 12.三重塔 13.弁財天 15.都久夫須麻神社(本殿)(国宝)
14.観音堂と都久夫須麻神社を結ぶ渡廊(重文)秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して作られた 
16.かわらに願いを書いて 17.竜神拝殿よりかわら投げ 18.拝殿下の鳥居 此処に向かってかわら投げをする 
19.船着場より観音堂を望む 唐門(国宝)


第三十一番 長命寺

滋賀県近江八幡市長命寺町157  п@0748-33-0031

単立

十一面千手聖観世音菩薩

           やちとせや やなぎにながき いのちでら
               はこぶあゆみの かざしなるらん

           八千年や 柳に長き 命寺
               はこぶ歩みの かざしなるらん

1.本堂への石段 2.やっと見えてきた本堂 3.本堂右の三重の塔 4.本堂からの鐘楼
5.本堂でのお参り 6.本堂より琵琶湖を望む 7.ご詠歌 8.鐘楼よりの境内一望
9.屋根が一円玉や10円玉の硬貨でできていました 10.本堂
第三十二番 観音正寺

滋賀県蒲生郡安土町石寺2   п@0748-46-2549

単立  別称 仏法興隆寺、願成就寺

千手千眼観世音菩薩

            あなとうと みちびきたまえ かんのんじ 
               とおきくにより はこぶあゆみを

            あなとうと 導きたまえ 観音寺
               遠き国より はこぶ歩みを 

1.少し狭い駐車場 2.急で不揃いな階段 少し昇ると息が切れる 3.境内からの眺め「蒲生野」 4.鐘楼
5.境内(右手書院) 6.境内書院の屏風 7.願いを込めて 8.聖徳太子像 9.本堂右の観音 
10.魚濫観音11.本堂右の観音 12.本堂でのお参り 13.可愛いダルマのおみくじがありました 
14.本堂内の柱には風神・雷神が 15.本堂(平成5年5月に消失・再建)
第三十三番 華厳寺


岐阜県揖斐郡谷汲村徳積23  п@0585-55-2033. 55-2646

天台宗

十一面観世音菩薩

             よろずよの ねがいをここに おさめおく
                 みずはこけより いずるたにぐみ

              万世の 願いをここに 納めおく
                 水は苔より 出る谷汲

大口大領と谷汲山華厳寺の由来
桓武天皇の延暦十七年(798) 奥州の黒川郷富岡(現、福島県会津高田町)の役人大口大領が京都で十一面観音像(作、文珠大士)を
作らせ郷里の奥州へ観音像を持ち帰る途中谷汲のふもとで像が急に動かなくなり大領はこの地こそ結縁の地と考え既にここで修行中の
豊然上人とともに寺を建てて観音像を安置した。
この時近くの谷間から仏前に供える灯明の油が湧き出たと云う。それから約百年後に醍醐天皇がこの話を聞き谷汲山の山号を贈るとともに
華厳寺の扁額を下賜されました。
当寺は西国三十三ヶ所霊場の最後の札所であり満願寺とも云われる 大口大領の末孫は富岡屋と号し、現在にいたっている。
1.山門、これより参道 2.参道 桜並木と門前町 3.参道添いのお店 4.仁王門(仁王像は運慶作といわれる) 5.谷汲山の扁額  
6.仁王門に飾られた巨大な草鞋に千羽鶴 7.参道の108基の石灯籠 8.本堂への階段 9.階段を上りきったところにある観音様 
10.本堂の精進おとしの鯉11.本堂、右奥が納経所12.鐘楼 13.笈摺堂に奉納された笈摺や千羽鶴 14.満願堂 
15.満願堂横のタヌキ 16.なぜか寝ている満願堂の布袋様 17.満願そば定食
ご詠歌
 過去(笈摺堂)
     いままでは親と頼みし笈摺を脱ぎて納むる美濃の谷汲
 現在(満願堂)
     よろずよの願いをここに納めおく水は苔よりいづる谷汲
 未来(本堂)
     世を照らす仏のしるしありければまだともしびも消えぬなりけり
高野山奥の院
1.ケーブルカーで 2.参道 3.もうすぐ奥の院 4.水掛地蔵
5.御廟橋(これより先は撮影禁止) 6.向こうに見えるのが奥の院 7.御朱印所 8.凍り付いた手洗い水
四天王寺


1.鳥居 2.極楽門 3.弘法大師 4.天法輪
5.五重塔 6.太子引導鐘堂 7.本堂 8.北鐘堂
善光寺


1.黒部ダム 2.ケーブルより大観峰を望む 3.参道 4.仁王門 5.仁王さん 
6.改築中 7.本堂 8.本堂 9.朱印所 10親鸞上人.