
粉河町長田 JR紀伊長田駅下車 北へ徒歩二分
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山 門 |
長田観音寺本堂 |
如意山厄除観音寺と号する、真言宗山階派の古刹である。
醍醐天皇の時代(897〜930)、念仏によって開かれた寺で、天皇の勅願所として栄え、当時は壮大な堂塔伽藍を備えていたという。その後、天正十三年(1585)、豊臣秀吉の兵火で焼失。寛文年間(1661〜73)、徳川頼宣が参詣の折り寺地を定め、現在地に移転して諸堂宇を再建した。
現在、境内には本堂、庫裏、山門、鐘楼堂などの堂宇が建っているが、本尊の如意輪観音は念仏が春日明神から授かったものと伝えられており、天正の兵火からもまぬがれた。
こうしたことから厄除観音として親交を集めている。
陰陽道の説によると、男は25,42,61、女は
19,33,61が厄年とされる。
この説が民間に広まり、今でもこの年を厄難の年として忌み、神仏に厄除けを祈願する風習が残っている。とくに当寺の本尊は厄除に霊験あらたかとされ、毎年旧暦二月初午、二ノ午の日は、各地から厄年にあたる人たちの参拝客が多い。
山門の傍には「いのるみはいのちながたのくわんおんじ やくをさったのちかいたのもし」と刻まれた歌碑が建てられている。
