2011年11月26日 板倉弘実
済州島、友好・連帯のつどいニュース NO・32

【紹介】
●講演会:「韓国済州島4・3事件と日本」
 講師:高二三(コ・イサム)さん(「済州島4・3事件を考える会」代表、出版社・新幹社 社長)
 報告・話し合い  済州島・カンジョン村海軍基地、他
 2011年12月18日(日) 午後2時〜4時半
 日本キリスト教団篠ノ井教会 参加費:1,000円 
 主催:「韓国・済州島4・3事件を考える会長野」(連絡先:026-293-2334 玉置)
 (詳細は、同封・添付するチラシに)

【情報】
●11/23、済州地方法院判決公判 
姜東均カンジョン村会長 罰金1,000万ゥォン(約80万円)で釈放(拘束92日)

 高権一氏(村基地対策委員長),ソン・ガンホ氏、キム・ドンウォン氏=懲役3カ月(執行猶予2年)
 金某氏=懲役10カ月(執行猶予2年)
 他、カンジョン村民5名に、罰金200〜300万円
 キム・ヨンサム(村青年会長)=無罪

【要約】
『泣くクロンビ! がんばれカンジョン』 権力の「ワナ」=姜東均村会長、「逮捕劇」
●キム・グッサン(済州住民自治連帯 政策室長)
 海軍基地建設事業団(ゼネコンのサムソンとデリムが中心)とカンジョン村会が、基地建設工事の中断を約束していて、工事事業所前に、大型クレインクレイが、2カ月間、分解、放置されていた。
 8月24日。ソウルから、言論機関の論説委員を載せた空軍輸送機・CN235が済州島に到着、委員たちの基地工事現場訪問にあわせて、クレイン車の整備が始まった。
 サイレンが鳴って、村人が駆けつけた。姜東均村会長が近づいた時、30人の私服刑事が近寄って逮捕した。(他の村民、5名も)。現場は、「阿修羅場」になった。
 逮捕者が西帰浦警察署に移送され、住民70程が釈放を求めて座り込み、警察車両が出入りできないなど、警察機能が一時マヒした。ソン・ヤンハ署長が、「深夜零時までに逮捕者を釈放する」と約束し、村民が解散した。(ソン署長は、村人となじみが深くて、姜東均村会長の夫人と同郷で、幼少時、夫人が署長を、「お兄ちゃん」と呼んで後をついて歩いた中だった)。
 中央警察庁の指示があって、釈放の約束はほごにされ、翌日、ソン・警察署長は「電撃解任・更迭」され、カン村会長は、長期間間拘束されることになった。 
 一部言論が、「アカ」「従北(金正日盲従)左派」などの親北勢力による「政府転覆策動」などと書きたてた。8月29日、済州地方法院が海軍基地建設敷地内の立ち入り処分を決定した。
 陸地(本土)から、「水鉄砲車」3台、催涙弾噴射車1台を持つ600人の戦闘警察隊が投入され、9月2日、敷地内の「基地反対構造物」は撤去され、ヘンスと鉄条網で囲まれた。


済州島4・3事件(抗争)
朝鮮半島南部に反共・分断政権樹立
統一政権を求めて蜂起した300人を殲滅するのに、3万余人を虐殺

  先の大戦中。ファシズム・軍国主義打倒のために、ソ連と「連合軍」を組んで闘ったアメリカは、戦後、「共産主義反共封じ込め」に転じ、日本の再軍備を、朝鮮半島南部に反共分断政権樹立を強行しました。
 1948年5月10日に実施された分断政権樹立のための選挙に反対して、4月3日、日本軍の旧式小銃・クワ・カマ・竹やりなどで武装した青年たちが蜂起し、呼応する島民があって、済州島内の二つの選挙区で投票が無効になりました。「大韓民国の正統性」を失わせかねない事態に、アメリカ軍政・国防警備隊(建国後、韓国軍)・警察・西北青年団(「北」から逃れてきた反共・極右)が、村々を焼き払い、非武装民をなぶり殺し、計、3万余人を殺害しました。
 国防警備隊・韓国軍は、将校の8割が旧日本軍の出身者で、大陸で使った「三光作戦」を真似た「三尽作戦」を駆使し、生き延びた「日帝警察」が、特高警察が開発した手法を使って拷問死させました。
 歴代の独裁は、真相を隠し、「共産匪賊による良民虐殺事件」と逆宣伝してきました。

済州道・西帰浦(ソギポ)市・江汀(カンジョン)村の海軍基地
 一九八八年、フィリピンの米軍クラーク基地・スービック湾基地が撤去され、東アジア14か国中、米軍基地を置いているのは、日本と韓国だけになりました。
 アメリカは、対中国の海軍基地を必要としています。
 2001年以来、政府・国防部は、済州島西南部の、和順(ワスン)・為美(ウミ)などに海軍基地を建設しようとしましたが、住民の強い反対運動のために実現しませんでした。
 2007年、海軍はカンジョン村に、「民軍複合型観光美港」を建設する計画を発表しました。
 シドニー港などのように、クルーズ船など豪華客船用の港に、時に軍艦が寄港する「観光美港」を建設するとし、天文学的数字の地域開発計画を、あわせて発表しました。
 権力は、「金が欲しいわけではない。美しい海を子孫に残したいだけ」と反対する住民に、「アカ」「住北(金正日盲従)左派」などの思想攻撃とあわせて、本土から「水鉄砲車」「催眠弾噴射車」を持つ1000名の戦闘警察を派遣して、徹底的に弾圧しています。(村の人口は2000人足らず)。
 「非暴力・徹底抵抗」を貫く村人のたたかいは、道議会、国会を動かし、ニューヨーク・タイムズが「世界の平和につながる運動」と紹介するなど、国際世論を動かし始めています。

大本営、「全島を玉砕型要塞に!」 700ほどの日本軍遺跡
 本土決戦のために松代に巨大地下壕を掘っていた大本営が、同じ時期(1945年2月〜)に、「済州島を玉砕型要塞」にする工事を強行しました。
 「玉砕型」=沖縄のように、降伏することなく民間人も死ぬまでたたかう。
 司令部地下壕(釜岳)、飛行場(アルトゥル)、人間魚雷回天(松岳)他、上陸軍迎撃のための洞窟陣地など、700ほどの軍事施設遺跡が確認され、松代との交流がすすんでいます。


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