2011年12月9日 板倉弘実

■このひと■「江汀村の痛み」伝える 日本の「平和の守り人」
●ハンギョレ  ホ・ホジュン記者

済州(チェジュ)「海軍基地反対」運動をする市民活動家 板倉弘美
「日本人たち 4・3の悲劇 思い出さなければ」
過去の「侵略の歴史」反省を促す
「4・3と江汀基地」討論会 計画
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【写真】≫ 市民活動家 板倉弘実(81)

  「3年前、知人から済州(チェジュ)海軍基地建設反対闘争を行っている江汀(カンジョン)村の話を聞き、訪問し始めました。4.3の悲劇を思い浮かべるなら、日本の人々も江汀村の海軍基地問題に関心を持たなければなりません」。
 去る2日から西帰浦市(ソギポシ) 江汀村に滞在している日本 長野県出身の市民活動家 板倉弘実(81・写真)は、8日このように話した。彼は40年余り高等学校で歴史を教えて退職した。
 江汀村訪問は今回が6回目という。「済州道に残っている太平洋戦争当時の日本軍 軍事施設遺跡と松代大本営遺跡は深い関係がある」と説明した彼は、済州道内の日本軍 軍事遺跡と4・3に関心が深い。松代大本営は太平洋戦争時、長野県に作られた日本軍戦争遺跡だ。彼は、日本の過去の侵略歴史を記憶しなければならないという思いで、25年前「松代大本営の保存を推進する会」を立ち上げ活動してきた。
 西帰浦市 大静邑(テジョンウプ) アルトゥル飛行場など日帝の軍事遺跡を現地調査し、済州市 奉蓋洞(ポンゲドン)の4・3平和公園と、朝天邑(チョチョンウプ) 北村里(プクチョルリ)4・3のノブンスイ記念館も回り見学した。
 板倉は「4・3当時、軍人や警察の中に日帝軍人と警察出身者がいかに多かったか。彼らが焦土化の過程で使ったいわゆる『3尽作戦』は日本軍が中国で使った戦略だ。私たち日本人が4・3について反省しなければならない理由」と話した。こうした考えから「4・3と軍事基地」という文を書いて日本に知らせることもした。
 彼は「韓半島の分断と統一、平和問題が私たち(日本)の問題」とし、「そうした意味で海軍基地問題も私たちの問題にならざるをえない」と説明した。「『美しい海を子孫らに譲り渡さなければならない』というカン・ドンギュン村長の信念に深い感動を受けた」という彼は、「平和は対話で守らなければなければならないと思う」と話した。板倉は、日本に済州海軍基地問題を知らせようと、来る18日長野県で「4・3と江汀基地」をテーマとする討論会を開く計画だ。
 江汀村を何回も訪問したので、彼をよく知っている住民たちが多い。「海軍基地反対運動のためだけでなく、江汀村自体が好きです。自然が美しくて、本当に良い人ばかりでしょう」。彼は村の住民たちに「情を感じる」とも話した。尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩「看板のない通り」にある、「手を握れば 皆 善良な人々」という表現を引用し、江汀村の住民たちはすなわち、そのような人々と言った。

済州/文・写真ホ・ホジュン記者hojoon@hani.co.kr
訳:Tak

http://www.hani.co.kr/arti/society/area/509472.html


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