2011年11月6日 板倉弘実

「観光美港」+「地域開発」+「アカ・従北(金正日盲従)左派勢力」攻撃+1,000名の戦闘警察の弾圧―毅然として非暴力、徹底抗戦を貫く住民

 進歩・革新の蘆武鉉政権も、米英の次に大量の兵力をイラクに派遣しました。
 北朝鮮との戦争が継続していて、武力衝突が絶えない韓国で、男子すべてが軍隊で「北主敵論」=「軍事力・軍事同盟強化による安保論」を叩きこまれます。軍事施設はすべて「北」に向かっていました。
 2002年。政権・国防部が、半島の最南西部の済州島西帰浦市の和順村と為有村に、アメリカ対中国戦略に基づく海軍基地を建設しようとしましたが、住民の強い反対にあって挫折しました。
 2007年。「民軍複合型観光港」=「シドニ−港、シンガポ−ル港などのような、豪華客船のための、時に軍艦が寄港する事がある港」のように虚偽の宣伝をしながら、カンジョン村に海軍基地建設強行しています。

非暴力、徹底抵抗をつづける住民(成人=1,000人足らず)を鎮圧するのに、「陸地(本土)」から、「水鉄砲(放水)車」、催涙弾噴射車を持つ1,000余の戦闘警察隊を派遣しています。 

9月以降、月1回、弾圧を避けて開催した「遊ぼう!遊ぼう! カンジョン文化祭」に、本土から、島内各地から、平和飛行機、平和バスに乗って、1,000人〜2,000人が参加しました。

(10月1日の文化祭に、長野県から「人民の力」の2人と私が参加しました)。

次回は、12月3日。報道では、文化祭文化祭ではなくて、「基地反対集会」を開催』すると。(弾圧を避けない?)

 

今、逮捕・拘留継続70余日になる、姜東均カンジョン村会長への「獄中対談記」(『泣くな クロンビ、がんばれ カンジヨン』)に、「大学を出て済州島に戻って警察官の試験を受けたんだ。一次試験に合格してから母さんに話したら、『警察官になったら母子の因縁を切る』とまでおっしゃったんだよ。それで、警察官にならなかったんだ。警察官になっていたら、今ごろ、カンジョンの村民を逮捕していたかもしれん」。

「そうたでしょうね。ほんとうに、カンジョン村の人を逮捕する警官になっていらっしゃったかもしれませんよ」

「ほんとによかったよ、アハハ−」

済州4・3事件の傷跡と、息子に対する愛が、姜東均村会長さんの人生を変えたのでしょう。今の村会長さんの姿を見ていては、想像もできないことです。

「私は、尊敬されなくてもよい。畑仕事をしたい!」があります。

姜東均村会長さんは「国防部の、軍事力・軍事同盟強化による安保論」を否定し、対話による平和・安全保障を主張されています。

これは、日本国憲法の平和の理念そのものです。

(この本を翻訳しています)

 

朝鮮半島を巡る厳しい状況下で、農漁民を中心に、みごとなたたかいぶり。

私は感動しています。

私には良く理解できませんが、たたかいの根底に、戦時中の日本の軍事施設建設、殖民地支配と、済州4・3事件などのたたかいの伝統があるように感じています。

 

松代出身の詩人・大島博光は、

 ある詩人たちは言う 詩にスローガンを

書きこむとき それは詩でなくなるのだと…

これが詩でなくたってわたしはかまわない

 

と、積極的に政治詩を書き、松代大本営の本質を、朝鮮に対する侵略ととらえ、朝鮮半島の緊張緩和・平和の問題に積極的に組む必要を強調していました。

私は、松代大本営・朝鮮半島の問題に積極的にとりくむことが、詩人を「記念」することになると思っています。

 

私は、パンフ・『松代大本営地下壕と済州島に残された日本軍遺跡』(韓国語)100部ほどを配って、済州島と松代市民との友好・連帯を呼びかけています。

多数の済州島・韓国の人たちが、松代・長野にやってくるでしょう。

私は、既存の団体・潮流の枠を超えた松代大本営地下壕関連の運動の大きな流れをつくりだしたいと願っています。

 


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