海軍基地阻止のための住民たちの壮絶な闘争 済州島江汀村

タルギさん(平和の風)


2011年9月24日、山口県岩国市で、「第4回 沖縄・韓国・日本 米軍基地環境問題シンポジウム」が開かれました。以下の文書は、韓国の「平和の風」のメンバーであるタルギさんが、会議のために作成したレジュメ「韓国地域報告2011」のうち、済州島江汀村に関係する部分を抽出したものです。


 済州(チェジュ)島海軍基地は2002年から公式に推進され始めた。和順(ファンスン)、為美(ウィミ)などが候補地として挙がっていたが、住民たちの強い反対に直面した。そんな中、2007年、急遽、江汀(カンジョン)村が建設候補地として選ばれ、それから4年間、カンジョン村の住民のすさまじい闘争が続いている。
 チェジュ島では同じ日にチェサ(法事)を行う家が多い。その理由は、国家権力による大量虐殺が行われた4・3事件という悲劇的歴史があるからだ。チェジュは「平和の島」に指定され、同じ歴史をくり返さないように努力してきた。しかし、チェジュ海軍基地建設は、この平和の島を破壊するものである。闘争が4年目に入り、カンジョン村は各家庭単位で賛成派と反対派に分断され、お互いに挨拶すらできずに過ごす状況になってしまった。住民たちが最も怒りを感じているのは、村の共同体が国家の一方的な海軍基地推進によってバラバラに砕け散ってしまったことだ。これは時間が経てば修復されるというものではない。住民110名を対象にした精神心理アンケートの結果、「死にたい」と思っている人が40%、鬱の症状がみられる人が50%にも達し、海軍基地推進後、住民たちの不安とストレスが極限まで達していることを表している。
 このように、多くの傷を残す海軍基地建設は、非民主的な推進過程、海軍基地建設予定地の自然破壊、平和の島と軍事基地の両立という問題が争点となっている。

 2002年から推進されてきたチェジュ海軍基地は、ファンスン、ウィミで地域住民の強い抵抗があったため推進不可能となった。そんな状況の中、最も有力な候補地であったファンスンから8kmしか離れていないカンジョン村が不意に有力候補地に挙がった。2007年4月、カンジョン村の住民1900人の内、87人のみが参加して行われた村の会議で、不意打ちのように海軍基地誘致が決議され、5月にはカンジョン村への誘致が確定した。何度も住民の抵抗を受けてきた海軍側が、一部の住民を巻き込んで誘致賛成を組織し、大多数の住民たちの意見の集約手続きを無視して推進したのだ。住民たちはこれに反対し、誘致を決定した村長を解任した。そしてカンジョン住民800人余りが参加する中、94%の反対によって海軍基地反対の立場を強固なものにした。住民たちは透明で民主的に海軍基地誘致が決まったわけではないと、一方的な誘致決定であったという点に怒りを感じている。オープンな討論と説明、住民への説得が行われないまま進められた海軍基地誘致申請と決定を、住民たちは受け入れることができない。

 現在海軍基地建設が推進されているカンジョン村の前の海は、チェジュ島が定めた絶対保全地域であり、ユネスコ生物圏保全地域、文化財保全地域など、様々な機関やチェジュ島が指定した保護地域でもある。天然記念物である軟珊瑚や絶滅危惧種2級のジムグリガエル、絶滅危惧種である赤脚馬糞蟹をはじめとした多様な生物の生息地としてその保護価値が認められている地域である。同じ海を調査したにもかかわらず、市民団体と専門家による調査では発見された軟珊瑚群生地が、海軍の調査では発見されなかったと報告された。海軍は環境影響評価から意図的に保護生物の生息に関する情報を削除・歪曲したのである。このような海の生態系だけではなく、環境の多様性を自負するチェジュで、唯一「クロンビ―」が見られる場所がまさにカンジョン村の海なのである。クロンビ―は800mに及ぶ一塊の溶岩の岩で、カンジョン村の海を囲むように存在し、景観的価値にも優れている。しかし、海軍が建設しようとしている基地はこの溶岩の岩と海をコンクリートで埋めるというものだ。チェジュ島はこのような海軍の意図に合わせて、カンジョン村の海を絶対保全地域から外してしまった。誰よりも住民たちの意見に耳を傾け環境を守るべき義務があるチェジュ島のこのような仕打ちは、海軍基地建設続行の意思表示である。軍事施設が造られる場所はどこでもそうであるが、未来世代へ残すべき自然の価値は徹底的に無視されている。

 最後に平和の島と海軍基地が両立可能かという根本的な問いが残っている。前述したように、チェジュには4・3事件という悲劇的な歴史の傷跡があり、その歴史をくり返してはならないという意味で平和の島と呼ばれるようになったのだ。この平和の島と軍事基地が果たして両立可能だろうか。答えは明確である。その上、韓国政府は「武装なき安保」はあり得ないとして、軍事基地が平和をまもってくれるだろうと主張している。
 しかし、今になって政府も平和の島に海軍基地を建設する事に矛盾を感じたのか、現在チェジュで推進されている海軍基地事業の公式名称は「海軍専用基地」から「民軍複合観光美港」へと変わった。政府と海軍はカンジョン村に建設される海軍基地は非常に小さな規模の埠頭であり、民間のクルーズ船が停泊できる港程度に見せかけようとしている。しかし、実際には1つの機動戦団級の規模を持つ戦略基地として、イージス艦や潜水艦戦隊が配備される戦略基地の性格を持っている。これで全てだろうか。韓国の平和運動家たちはチェジュに海軍基地が建設されれば、いつでもその基地は拡張される可能性があり、基地の性格もまた、いくらでも変えることができる事を知っている。当面は米韓同盟の関係上、米国が要求すれば核航空母艦や潜水艦がチェジュ島に停泊でき、いくらでも軍事訓練を行えるようになるため、このような状況が東北アジアの平和の波紋を呼ぶことも心配される。
 当初海軍基地が推進されたノ・ムヒョン政権の時には、大洋海軍政策がその根幹となった。大洋海軍政策は海上交通路保護と遠洋作戦能力向上を目標としたものであった。沿岸海軍が北朝鮮の挑発に対応する能力を主要目的としていたとすれば、大洋海軍は遠くの海での作戦遂行能力を重要な目標としている。しかし天安(チョンアン)艦沈没事件と延坪(ヨンピョン)島への砲撃の為、今年4月29日、国防部は事実上の大洋海軍政策を放棄し、北朝鮮の攻撃に備えるなど、現存する脅威に対応するよう方向転換をした。このように根幹となった政策内容が転換されたにも関わらず、一度始まった海軍基地建設にはブレーキが効かないのだ。

 住民たちはカンジョンの海を守るために闘争を続けている。現在は海の埋め立ての為の測量作業とクロンビ―を埋め立てるための事業敷地範囲にある住民の農地を奪い取っている状況だ。しかし、住民たちはこれに屈せず、30mに及ぶケーソンが海を埋め立てるのを防ぐために、身を挺して海上闘争を行った。幸いにも台風の影響で、測量などの埋め立て工事は中断している状況だ。それでも海軍は村から海岸のクロンビ―まで続く道をふさぐためにフェンスを立て、地域住民を遮断しようとした。カンジョン闘争の象徴であるクロンビ―への基地が塞がれるのを防ぐため、住民は身体に鎖を巻きつけて24時間寝ずの番をし、キャンドルウォークを行い、粘り強い抵抗を続けている。
 4年に渡る闘争の過程で、4名の住民と平和活動家が拘束・解放され、現在は1名が拘束されている状況である。海軍は告訴を乱発し、各種損害賠償訴訟を起こし、住民にプレッシャーを与えている。しかし、住民はこのような脅迫にも屈せず根気強く闘争を続け、全国的な連帯を求めている。住民の訴えに連帯の声が集まり、良心的な市民と活動家がチェジュに訪れ共に闘っている。カンジョン村の住民の闘いであった海軍基地反対運動が、西帰浦(ソギポ)市とチェジュ市の各市町村へと拡大しつつある。またカトリックやプロテスタントなど、宗教人もやはり、平和の島を守る闘いに賛同し、共に闘っている。
 巨大な権力、特に軍事権力に立ち向かう闘争は、いつでも先の見えない闘いである。しかし、粘り強い闘争により、故郷を守る沖縄辺野古の住民たちのように、チェジュ島カンジョン村の住民もやはり、苦難を何度も懸命に乗り越えて闘いを続けている。同じ痛みを持つ両国の連帯がより強固なものになり、軍事基地の建設によって涙をのむ人がいなくなるよう、共に努力していきたいと切に願う。


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