済州島江汀村の状況
ホン・ギリョンさん(チェジュ島海軍基地汎道民対策委員長)
2011年5月14日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学で、「韓流!ちむ!ドンドン」が開かれました。この集会は、沖縄の市民運動グループが、5月15日の沖縄復帰の日に合わせて開いたもので、沖縄県内の反基地運動・韓国内の反基地運動・上関原発の反対運動などについての報告が行われました。
韓国からは、チェジュ島海軍基地汎道民対策委員長のホン・ギリョンさんが参加し、カンジョン村での反対運動の状況について報告しました。
以下は、ホンさんの報告をまとめたものです。
今年の5・15沖縄平和行進に参加したホン・ギリョンさん
皆さんこんにちは。私は、ホン・ギリョンと申します。チェジュ島からまいりました。いま、チェジュ島海軍基地汎道民対策委員長をやっています。宜しくお願いします。
今日は皆さんに、是非お話したいことがあります。それは、カンジョン村についてです。カンジョン村は、まさにチェジュ島の辺野古と言えるところだと思います。この村について、今日は皆さんと一緒に話し合いたいと思います。
この村は、チェジュ島で一番多く水が湧き出るところです。チェジュ島の農業は、ほとんど畑作です。だけれども、カンジョン村だけは、水を使った田んぼです。チェジュ島でも、とてもいい水が出るところなので、そういうふうに農業をすることができます。
そこには今も、鮎が生息しています。とてもたくさん住んでいます。この鮎を、この村で見られるのは、今年が最後になるかもしれません。それはこの村に、海軍基地が建設されようとしているからです。
そこで、この村の住人達は、この鮎を守るために、またカンジョン村の海を守るために、今も闘いを続けています。
これは最近の出来事だけではなくて、1937年からこういう問題があるのです。その問題の跡が、今もチェジュ島の中に残っています。
日本軍が作った飛行場の跡地が、今もチェジュ島に残っています。海岸を見ると、地下トンネルが今も残っています。戦争をしたがる人達がこの島を軍事要塞化しようとした、その跡なのです。今まで政治政権を握った人達は、チェジュ島をそんなふうに軍事要塞化しようとしてきました。
1993年から、またそのような動きが活発になってきています。韓国政府は1993年に、海軍基地の建設について発表しました。
90年代に初めて海軍基地の建設予定地として挙げられたのが、チェジュ島の西のほうにあるファスンという村です。ここで約10年間の闘いがありました。ファスンの住民たちは、2002年から本格的に反対運動を始めました。そのために、この村に海軍基地を建設することはできなくなりました。
それでも海軍は基地建設をあきらめることなく、次は南のほうにあるウィミ村に建設を計画しました。ここでも、し烈な闘争がありまして、海軍は基地を建設することができなかったのです。
いま闘争が続いているカンジョン村は、建設予定地だった2つの村の、真ん中にあります。2007年の5月からここを予定地として、また闘いが始まっています。
今日皆さんにお話したいのは、このカンジョン村についてです。
2002年からチェジュ島には、海軍基地の建設についての論議が沸き起こっているのです。これはファス村です。最初に建設予定地だったファスン村から、次はウィミ村というところに建設予定地が変わって、そして今、カンジョン村を予定地にしています。
最初に少し映像を見ていただきます。
(映像を見ながら)
この映像は、2009年にチェジュ島の道知事をリコールする時の運動に使ったものです。道知事のリコールには、チェジュ島の11万の島民が参加して運動を展開しました。
これはチェジュ島の人達が、海軍基地の建設に反対する運動をしていた時の映像です。
いま映っている人が、カンジョン村の村長さんです。道知事と対話がしたいと言ったのですけれども、それで揉み合っていたシーンです。道知事と対話することは、その時できませんでした。
カンジョン村の海の近くには島があります。そこに生息している絶滅危惧種のサンゴの写真です。
これは、海にある灯台の下に生息しているサンゴの映像です。
これも絶滅危惧種。絶滅危機2級に指定されているサンゴの写真です。
これも絶滅危惧種ですけれども、これは実はウニなのです。これも絶滅危惧種に指定されています。これも、カンジョン村の海に生息しています。
これは「ヘソン」といって、海の中に生えている松の木のような動物だそうです。これも絶滅危惧種。
これも絶滅危惧種で、さっき見せた赤い松の木のような生物が群落。群になって、たくさんそこに住んでいます。
これは軟サンゴといって、柔らかいサンゴです。
これが、カンジョン村の地図です。こちらが海軍基地の建設予定図です。大きな軍艦が57隻も寄港できる大きさです。1000トンの大きさの船が寄港できるくらいの大きさの基地です。潜水艦もここに寄港することができるように計画されています。
海軍の建設予定図の近くに、先ほど見せた絶滅危惧種のサンゴなどが海の中に生息しています。
ここは、生物圏保存区域として、2002年にユネスコに指定されています。2000年の7月、また2004年の12月には、この海の中が、文化財保護区域として指定されています。この地域はまた、2002年には生態系の保全地域としても指定されている場所です。
なぜこのように、色々な保全区域として指定されているかは、先程の写真を見ておわかりだと思いますけれども、本当に多種多様な生物の生態地域だということで、このように色々な保護地域として指定されているのです。2006年には、チェジュ道立の海洋公園としても指定されています。
問題は、この地域が、法的に完全に保護地域として指定されている場所だということです。法的に完全に保全地域として指定されているということは、私達がそれを守ってあげなければならないということです。
しかし、それが変わりました。保全地域の解除を、道議会と道知事が会議をして決めてしまったのです。
その時に、この決議に反対する住民達は、裁判所にこの問題を訴えました。住民達は、自分達がここで住んでいて、自分達の子孫にここを残していかなければいけない、子孫達のために守っていかなければならない、ということを訴えて運動しました。
その時チェジュ島の議会は、ハンナラ党という与党が多数を占めていました。こんなにたくさんの住民が反対しているにもかかわらず、議会はそれを聞かずにこの議案を通過させてしまったのです。この問題を議会の中で決めてしまった、通過させたということが、不法だったことは明白です。
普段は、電子投票で議会の多数決をとっているのですけども、この時だけは挙手制で多数決がとられました。誰が挙手をするのかというのが誰にもわからない状況でした。
議会の終了を知らせる鐘をたたく人を捕まえよう反対議員がいたのですけども、その人の数まで賛成数に入れてしまった。この問題に関しては、今も法廷で争いが今も審議が続いています。
住民がこの問題を法的に訴えたのですけども、住民には資格がないということで、裁判所もそれを聞かずに住民の訴えを却下したのです。そこで、もう一度住民が控訴しました。控訴した裁判の判決が、来週5月18日に出ることになっています。この5月18日の判決は、とても、とても大切なものです。皆さんもいい結果が出るように願っていてください。
先程は海の中を見たのですけれども、次は陸地のほうを見てみたいと思います。建設予定地となっている陸地を見てみたいと思います。
これは赤いカニです。一番端っこにコレインという植物が映っていますが、2種類のカニと植物は、絶滅危惧種として指定されている動物・植物達です。
特に赤いカニは、カンジョン村にしか生息していないカニです。いま面白いというか、このカニを、どこかに移住させることを政府は計画しています。これは決してコメディー、笑い話ではなくて、本当に計画しているようです。赤い色で地図に示されている地域は、赤いカニが住んでいる地域です。
黄色い枠で囲まれている地域には、トンナンチャンゲという、真ん中の黒いカニが生息している地域です。
チュンチュンコレインという植物ですね。この植物は、海岸を守っている植物です。緑で示されています。
皆さんはカンジョン村に来ると、この友達に会うことができます。
これは、ポム島(ポムソン)です。ポム島・ムン島・ソッ島という3つの島が丸で示されています。この青い丸で囲まれている、島の周りを囲んでいるのは、生物保護地域として指定されている場所です。緑のラインで囲まれているのは、チェジュ道立の海洋公園の地域です。赤いラインで囲まれている区域が、海洋保護区域として指定されています。オレンジのラインで広く囲まれている所は、文化財保護地域として指定されています。
チェジュ島の人々、カンジョン村の人々が、海軍基地の建設に反対するのには2つの理由があります。1つは、この環境が破壊されてしまうという点です。2つ目は、法的な手続きに問題が多いということです。
最初に申し上げたいことは、この村の人々は、海軍基地建設に絶対反対の意志を示しているということです。
2007年に、カンジョン村に海軍基地が建設されるという発表があった時に、海軍は少し違った方法を取りました。まず海軍は村長を誘惑したのです。海軍との話は、村長と村長を支持する何名かの村議員によって、隠密に進められてしまいました。本当に秘密裡に話し合いが進んでしまって、村の人々が知らない所でこの話が決まってしまいました。村長が知っている何人かの議員だけを集めて、会議をして決めてしまいました。しかも参席者達は、拍手をもってこの決定をしました。この時に参席した議員は80名です。80名だけで決めてしまったこの決議は「無効だ」ということを住民達は訴えました。
会議の執行法に問題があったということを、村長も認めました。裁判所でも、誤った方式で決議をしてしまったということを認めました。そこで、村の総会を開いて、新しい村長と指導部を構成しました。
この新しい指導部が、もう一度総会を開きました。この総会には、760名の住民達が集まりました。問題のあった総会というのは80名だけだったのですけれども、新しく構成された指導部のもとで開かれた総会では、760名の住民が集まりました。反対という意思を示しました。
この時から、カンジョン村の闘いは始まりました。
政府と闘う人もいます。しかし政府との闘いよりももっと心が痛いのは、村の中で住民同士が闘ってしまうという点です。父と息子が縁を切ったりしました。家族が破壊されました。村のコミュニティ、集まりが破壊されました。村の祝い事というのが全部なくなってしまいました。本当にお互いが会うこともせず、同じ食堂で食事さえも一緒にしない。友達のお父さんが亡くなっても、お葬式に参加しない。自分の親戚が結婚しても、結婚式に参加しない。本当に、村の共同体というものが、完全に破壊されてしまいました。
村長さんは、今も眠れない夜を過ごしています。夜毎に涙を流していらっしゃいます。これは、海軍基地がこの村に入ってきてはいけない理由の、本当に大きな争点です。
またもう1つは、法的手続きに問題があるということです。最初、先程もお話したように、村の決定や機関に関して問題がありましたし、道議会の決定方法に関しても大きな問題がありました。
そしてまたもう1つの大きな問題は、「安保の問題として、この基地が必要のない基地だ」ということが、わかっているということなのです。軍基地を作ってしまうということは、かえってこの地域の平和を破壊するという可能性があります。
2005年1月27日、ノ・ムヒョン大統領は、チェジュ島を「世界平和の島」と決めました。チェジュ島は平和の島です。沖縄も平和の島です。しかし今チェジュ島の状況を見てみると、戦争したがる人、また戦争を通してお金を稼ごうとする勢力がいます。
その勢力のひとつに、サムソンという会社が入っています。皆さんもご存じだと思います。そのサムソンが海軍基地の工事に関わっています。サムソンは、軍事産業を始めています。もしカンジョン村での海軍基地の建設が失敗したとしても、軍事産業はまた、チェジュ島の他のところで基地を作ろうとする動きを始めるでしょう。これを止めるもの、それがまさに民主主義です。
その闘いの中にいる民衆の姿を写真でお見せしたいと思います。これはカンジョン村のおばあさん達です。沖縄のおばあさん達とも、本当にそっくりです。
これはカンジョン村の住民達です。
これは市内で平和文化祭をやっている時の写真です。
これは工事をする車両が入ってこられないように、道に人が寝転がって工事を止めようとしている行動の写真です。
これは「開拓者」というボランティア団体の人たちです。
この方はカンジョン村の住民の方ですけれども、いつも私達のことをよく世話をしてくださいます。
この方は本当に家にも帰らずこの運動に身を捧げています。
辺野古にあるテントキャンプのように、ここのカンジョン村にもテントを張ってキャンプをしている場所があります。
一番右側に写っているのは海軍の軍人ですけれども、対話をしないということで拒否をしている時の写真です。
これは工事を始めようとしている過程での写真です。鉄条網がこのように張りめぐらされています。
これは私の友達ですけれども、クレーンの上で揉み合いになって落ちてしまっている時の写真です。
警察もまた、このようにして住民達の行動を妨害しようとします。
村長さんから皆さまへ向けての連帯メッセージを、ビデオで撮ってきました。
『沖縄の皆さまお元気ですか?私は、カンジョン村の会長をしているカン・ドンギュンと申します。沖縄から軍事基地を追い払って、平和を守るために闘っている皆さん、本当に尊敬します。ありがとうございました。カンジョン村の市民達も、済州島から海軍基地を追い払って平和を守るために一生懸命に闘っています。私は沖縄と済州島の平和を守ることが、世界の平和を守ることだと思います。沖縄の皆さん、我々は平和を守るために力を合わせて一生懸命頑張りましよう。それでは、お元気にしてください。ありがとうございました。』
次に出てくる方は、この村の中にある対策委員会の委員長からのメッセージです。
『沖縄の皆様、頑張ってください。太平洋の平和の中心は沖縄とチェジュ島だと思います。ありがとうございます。この闘いに負けてしまったら、あとはもう第3次世界大戦の道に進むことしかないと思います。私達が力を合わせて連帯して、運動を続けて、帝国主義を追い払って、民主主義をまた復活させましょう。一緒に頑張りましょう。ありがとうございます。』
私からのお話はこれで終わりにしたいと思います。もし気になること、質問ございましたらおっしゃってください。