カンジョン村の紹介

1.村名の語源
 カンジョンと言う名前はどこからから来ただろうか?
 村の名前から気になる。よく「水が良い事をカンジョンと言った」と言うのだけど、ひとまずその研究を探ってみると、チン・ソンギの済州民俗研究所の「南国の地名由来」に、カンジョンは「水が沢山出る村」ということから付けられた名前、とあった。
 キム・ポンヒョンの国書刊行会「済州島の地名高」には、「カレ(トレ)、カネ」はカンジョンの昔の名前で、カンジョンはカンジョン川流域の平野に出来上がった村という事から付けられたとあった。
 パク・ヨンハの図書出版済州文化「済州島の昔の地名研究」には、カンジョンはカレ川の西の方の川辺に接した村という事から付けられた。オ・ソンチヤンの民音社「済州島土俗地名辞書」によれば、カンジョンは川辺に位置するところから付けられ名前であったとしている。
 カンジョンの昔の名前は「カレ/カネ」ともいうが、これはすべて、「支流(川の水が分れて流れ落ちる筋)」の「分岐点」の古語である。川の周りに村が形成されながら、村の名前も「カネ/カレ」と付けたとされる。「カネ/カレ」がカンジョンと言う名前と呼ばれ始めたのは、古文書資料などの表記を考慮すると、遅くても17世紀後半以前から使われていた。
 カンジョンは「川辺に位置づいた村」であるところから付けられたと見るのが妥当である。

2.設村と歴史
 済州島の場合、新羅の時から村落が形成され始めた。なおかつ高麗時代に至って、14個の県村を形成することができた。そして朝鮮時代には17個の県村を3つに分属させた。そして朝鮮のソンチョン王の時の面里制度を法典に具体化させた。
 カンジョン村は、先にセイチョン王21年(1439年)に、東海防護所(カネ官防)が設置された。この東海防護所には馬や、軍人56人がいた。
 こんな軍事防護施設である東海防護所の周りには村落が形成されて、カンジョン村を成す基礎が出来上がったと考えられる。そして、ソンジョ10年(1577年)に、コドゥン村はゴ・ドゥックジョンの家だったが、以降はコドゥン果園に変貌したことも把握された。1709年の高地図上にも、セス村、コドゥン村、カンジョン村が記載されている。
 しかもこの村が、カンジョン村として発展し、形成されたことを、地理誌と戸口端子を通じて明確に把握することができた。すなわち文献記録上のカンジョン村に関する最初の記録は、セジョン21年(1439年)であったことが分かる。

3. 自然環境
 カンジョン洞の総面積は、15,633,619.1uである。カンジョン村の人口は、約 1,585世帯、で 4,359人である。

<水>
 カレ県でカンジョン村という名前がつけられたのは、水のあまりの多さに始まったこと。それを理解できるほど、いまでも本当に珍しい天然水が絶えず湧出しているのに、なぜ誇らしくないのか。済州のどこへ行っても、こんなに清くておいしい湧天水がたくさん出る所はない。西帰浦市民の80%がカンジョン川水源池水を利用する事だけでも、ご先祖に大いに感謝する。身分の高い者や低い者、貧しい者や豊かな者、家畜も植物も、すべての人に与えても、誇らしいカンジョン川は今日も満ち溢れて海に流れる。カンジョンには、ネッギルリ沼、ソワン水、大きいカンジョン水――の3大湧天水がある。

<海と畑>
 カンジョン洞の海区域は、東・西・南ともに範囲が広い。西帰浦市共同漁場の総海面積は1,666,746haだが、4分の1にあたる4,656haを、カンジョン漁村係で管理している。カンジョンは、海の祝福と水の祝福をとともに受けた所として、サザエ、アワビ、ウニなど海産物とヒジキなどの海藻類も沢山生産されていて、住民の所得増大を大きく助けている。境地面積も、西帰浦市で最大の面積を持っている所が、カンジョン村である。

4. 生活
 西帰浦市民の80%は、カンジョン村カンジョン川の給水地を利用している。済州地域にとって、四六時中、最高水質の水が湧き出るカンジョン村は宝物のような存在だ。こんな清くてきれいな水を利用して、済州では珍しい稲作をしていた。収穫された米は、王様に進上された。
 現在は、田んぼは残っていない。ハウスを利用した花と柑橘類が、農業生産物の中心である。石と風が多い島である済州の、どこにも豊かな暮らしはないが、それでもカンジョン村は半漁、半農で経済生活をしながら足りることなく豊かな村だった。また海軍基地の葛藤が出てくる前までは、少なくとも村落共同体で、お互いに分け合うことや配慮が一杯な、幸せな村であった。

 <カンジョン郷土誌> /1996 / カンジョン村会から抜純

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