ヤナーチェク 30代の注目作「4つの男声合唱曲」から
「ああ、軍隊よ、軍隊よ」


 ISAT

歌詞


Ach vojna, vojna
neščasná vojna,
dyž na ňu jít musím.
(くりかえし)以下すべて4行づつ

ああ軍隊,軍隊よ
いまいましい軍隊よ,
おれはそこに連れてゆかれる。


Sama královna a císařovna
do Moravy psala,
aby Janoška do vojny dostala.


女王様にして女帝であるお方が(*)   
モラヴィアに勅令を出された,
ヤンなる若者を徴兵せよと。
*c.k. オーストリア皇妃兼,ハンガリー王妃

U bíklej vody Janošek stoji,
hlavěnka ho bolí.
Janičku, nestoj, koničky nastroj,
pojedeš do vojny.

渦巻く川辺に立つヤンの,
頭は痛む。
ヤンよ,つっ立ってないで馬に鞍をつけろ。
軍隊に入るんだろ。

Já nepojedu, hlavěnka mě bolí.
Moja hlavěnka vsěcka porubana ;
moja galánka všecka uplakaná.

おれは行かない,頭が痛む。
おれの頭は割れそうに痛み
おれのいとしい娘は泣きはらしてる。

Ach vojna, vojna,
neščasna vojna,
dyž na ňu jít musím.
Mám hezké děvče,
odejít ho musím.
ああ軍隊,軍隊よ
いまいましい軍隊よ,
僕はそこに連れてゆかれる。
おれはいとしい娘を
残して行かなくちゃあ。



ヤナーチェクは1879年から1880年にかけてライプチヒ、ウィーンの音楽院に留学しましたが、ドイツ語圏での音楽教育に馴染めず、また作曲コンクールに落選するなどの屈辱を味わって帰国しました。以後彼は多忙な教員活動と妻との別居生活などの中で、数年間殆ど作品の現存しない時期がありますが、1885年に改めて合唱曲の筆を取りました。それが『4つの男声合唱曲』です。翌年ブルノで初演・出版され、親友ドヴォジャークに献呈されました。この過渡期の作品集には様々な特徴が混在していますが、留学前の20代の習作よりも円熟した書法は明らかです。なかでも目をひくのはこの第3曲でしょう。初期の作品に多い深沈とした抒情は影をひそめ、躍動感に富む旋律が激しい感情を歌っており、後期の「ハルファル先生」、「70,000」といった傑作の萌芽が感じ取れます。

 

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「ああ、軍隊よ、軍隊よ」(77.0KB)


歌詞原作 スシル民謡集 1607番




参考資料 :

Janáček's Work - A catalogue of the music and writtings of Leoš Janáček
Nigel Simeon, John Tyrrell, Alena Němcová, Oxford Uni.Press, 1997
レオシュ・ヤナーチェク全集 男声合唱曲第1巻
Dr.Leos Faltus, Petr Oliva 校訂
Editio Supraphon, 1983



この曲にはヤナーチェクゆかりの「モラヴィア教員合唱団」による素晴らしいCDが残されており、是非御一聴をお勧めします。
CD : Leos Janáček 'Famous Male Choruses, Říkadla '
Moravian Teacher's Choir / Cond. Antonín Tučapský
Czech Philharmonic Chorus & Orchestra / Cond. Jan Kühn
SOMMCD201




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