沢 由紀子/ヤナーチェク ピアノ曲集
Last Update 2006.3.25

ヤナーチェク/ピアノ曲集CDジャケット
Leos Janacek Piano Works
Yukiko Sawa  (Piano)
ART SERVIS- Prague  ART 006
日本語解説付 2500円  (送料込み)

DDD 58'36
Recorded in State Opera House, Prague on 12-19 October 1998
Sound Engineer: Josef Celerin



沢 由紀子
 武蔵野音楽大学卒業。藤井ゆり、宮澤晴子の各氏に師事。旧チェコスロヴァキア政府給費留学生として国立プラハ芸術アカデミーに留学、故ヨゼフ・パーレ ニーチェクに師事('88-90)。プラハ、ピルゼン、東京にてリサイタル('90)。1995年よりほぼ毎年チェコ国内の各地において演奏活動を行う。 プラハ、アトリウムホール、フラホルホールにて日チェコ友好コンサート('95)。モラヴィアの古都、クロムニェジーシュの音楽の夏コンサートシリーズに てリサイタル('97)。98年秋にレオシュ・ヤナーチェクピアノ作品集のCDをリリース。東京にて日本とチェコの友好コンサート('98,02)。ヴィ ソカーのドヴォジャーク記念館にてリサイタル('00)。 チェスキードゥプ、ノヴェー・ストラセツィーにてリサイタル('01)。イチーン・チェルヴェニーコステレツにてリサイタル('02)。

今年6月に立命館大学でチェコ音楽を演奏。また9月にはチェコのイチーン、オロモウツ、ブランディーサ・ナッド・ラベムにてリサイタル。
現在、聖徳大学講師。

 「1905年10月1日,街頭にて」
1.予感
2.死  death.mp3 448kB  冒頭部分

 「草かげの小径より」 第1集
1.われらの夕べ
2.散りゆく落葉
3.一緒においで!
4.フリーデクの聖母マリア   path4.mp3 1258kB  前半部分
   (映画「存在の耐えられない軽さ」でも使用されていた曲です)

5.彼女たちはつばめのようにしゃべりたてた
6.言葉もなく
7.おやすみ!   path7.mp3 1324kB
 
8.こんなにひどくおびえて
9.涙ながらに
10.みみずくは飛び去らなかった!

霧の中で
1. Andante
2.Molto adagio
3.Andantino
4.Presto

※青木勇人氏による日本語解説付き


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CD評

寺西 信隆


二十世紀音楽の中でも特に異彩を放つ音楽家がチェコにいた。
 いわゆる「楽派」や「一門」といったものに関心を持たなかった、あるいは音楽上無縁であった音楽家である。
 たとえばショパン。彼の後継は不可能であった。
 またたとえばロシアのスクリャービン、時代を下ってフランスのメシアン、彼らには弟子はいたものの、スタイルや語法があまりにも属人的であったため、後 を継ぐことができなかったわけである。
 今回採り上げたいのは、やはりスタイルが特異であったチェコの激情家・ヤナーチェクである。

 レオシュ・ヤナーチェク(一八五四〜一九二一)はドヴォルザークと同じチェコの、モラヴィア地方の出身である。
 モラヴィアはチェコ共和国の東側に位置し、首都プラハを中心とする、開けた西側のボヘミアとは色彩を異にしている。余談ながら、かつて同じ国であったス ロヴァキアはチェコの東側に位置しており、ボヘミアは旧チェコスロヴァキアの中部に位置していたことになる。
 国民楽派の祖と呼ばれるスメタナ(一八二四〜八四)やドヴォルザーク(一八四一〜一九〇四)が主に首都プラハで活動していたのに対し、ヤナーチェクはモ ラヴィアの地方都市ブルノを中心に活動していた。
 現代と違い情報量が非常に限られるこの時代に、地方都市でしか活動できないというのはなかなか苦しいものがある。ヤナーチェクはなかなか楽壇に注目され ることはなく、長い不遇の時代を過ごさざるをえなかった。
 自信を持って世に送り出した歌劇「イェヌーファ」は、ブルノで十回ほど上演されたものの、プラハの国民劇場の歌劇監督コヴァジョヴィッツからは高い評価 を受けることはなく、上演は何度も見送られた。
 このとき年齢はまもなく五十歳。
 そのような失意の中で、数曲のピアノ曲が書かれている。

 ヤナーチェク・ピアノ作品集
  ピアノ・沢由紀子
 (一九九七年、アートサービス、ART006)

 (1)ピアノソナタ「一九〇五年十月一日、街頭にて」
 (2)「草かげの小径から」第一集(全十曲)
 (3)「霧の中で」

 ピアノ曲に限らずヤナーチェクの音楽は、特異な音楽の世界を作り出している。ピアノ曲は必ずしも技巧的ではないが、なかなか自分の作品が認められない、 という絶望感のただよう中で書かれた、ため息のようなものを感じ取ることができる。
 臨時記号を多用することで調性を薄めるという手法が、彼のピアノ曲、とりわけ「霧の中で」ではしばしば効果的に用いられている。とはいえ、ヤナーチェク は無調音楽に与したわけではない。彼はこう言っている。
「音符だけを書き連ねて、人間もその環境も無視するものは音楽ではありません。音の響きの性質しか眼中にない音楽など問題外です。わたしが作曲家として成 長し続けるならば、それは民謡と人間の言葉を通じてだけです。(略)音響の性質だけの音楽で頭角を現している連中には、ただ笑ってしまいます。」(一九二 六年、ロンドンでのスピーチ)

 ピアノの沢由紀子氏は、武蔵野音大卒業後、プラハに渡り、ヤナーチェク演奏の名手・故パーレニーチェクに師事した、チェコ音楽のスペシャリストである。
 沢氏の演奏は、きわめて誠実にヤナーチェクの息づかいを表現している。鍵盤上の手の動きまでも感じることができる録音だ。
 この録音では、チェコの名器といわれるペトロフ社のピアノを使用しており、スタインウェイとは一味違った枯れた味のある音を作ることでも、ヤナーチェク の意図を表現できているといえるだろう。

 ピアノ・ソナタ「一九〇五年十月一日 街頭にて」

 この曲の書かれた動機は極めて社会的なものである。社会的な意味を打ち出したソナタは、過去になかったといってよいだろう。
 当時のチェコでは、オーストリア=ハンガリー二重王国の支配階級であったドイツ人とチェコ人の対立が高まっていた。
 この時代、公教育はすべてドイツ語で行われており、裕福な家庭では、家族同士はドイツ語で、使用人同士や家族と使用人の会話でチェコ語を使う、という光 景は珍しいものではなかった。チェコ人はチェコ語を自由に使いたい、という思いは膨らんでいた。
 これはヤナーチェクのいたブルノでも同じであった。
 一九〇五年十月二日には、チェコ人のための大学の設立を目指すチェコ人のデモ隊と、鎮圧に当たったドイツ軍が衝突し、二十歳の労働者が死亡するという事 件が起こった。
 これに憤激したヤナーチェクは、このソナタを一気に書き上げたという。

 第一楽章に「予感」、第二楽章に「死」とつけられたこの曲は、もともと全三楽章からなるソナタであった。第三楽章は堂々たる葬送行進曲だったという。
 しかし、出来に満足できなかったヤナーチェクは第三楽章を焼き捨ててしまった。残る二楽章分も作曲者によって川に投げ捨てられてしまう。
 しかし幸いにも彼の気性を知っていた初演のピアニスト、ルドミラ・トゥチコヴァーが写しを取っていたので、後世に残ることができた。
 ヤナーチェクが七十歳のとき、このソナタの写しがあることが公表されたが、晩年になってやっと世に認められた彼は、出版できることを喜んだという。

 第一楽章「予感」、独自の音楽語法により、絶妙な緊張感を感じられる。彼の音楽全般にいえることであるのだが、一見すると不協和音になりそうなところ を、実際に音にしてみると、微妙なバランスを取って「この音しかない」と思わせるものがある。楽譜により若干の音の違いがあるのだが、正解はひとつであろ うと思わせるものはないだろうか。・・・・・・いや、迂闊なことを言うのはやめておこう。
 また――これは第二楽章でこれでもかと出てくるのだが――随所に内声部のない二オクターブ、時には三オクターブにわたるユニゾンを使用しており、空虚な 響きを出している。
 ドイツ人に対する怒り、チェコスロヴァキアの独立、そういったことが綯い交ぜになって、一風変わった和音になって現されている。
 また、構成はソナタ形式をとっているものの緩やかで、ほとんど全編にわたり第一主題をいじくりまわしているようにも聴こえる。単純さをもって「勝負をか け」ているようなところもある。結果ヤナーチェクの先鋭的な感情はよく伝わってくることになるのだが。

 ここで沢の音を聴いてみよう。
 マイクが近い。いや通常の位置においているとしても、音が近い。
 アクションの音まで聴こえてくる。
 残響が長い。これは異様に響くようにも感じられ、好き嫌いは別れるところだろう。
 しかし、音そのものの作りに注目しよう。
 まず第一楽章の入り。叙情的な旋律がため息をつくかのような音をもって流れてくる。
 それを断ち切る六連譜を決然とした、濃い色の音で挟み込む。
 ここだけでこの先の音楽が楽しみになってくる。
 三十小節目(一分一〇秒)からの短い第二主題は、この上なくきれいだ。淡い色で薄明かりの雰囲気を醸し出している。
 そして第一楽章クライマックス(三分四七秒)、ともすれば尖った音になりがちの右手のオクターブ、沢の音は決してヒステリックにはならない。ヤナーチェ クは激情家であったが沢の音は理性的だ。鋭く流れる感情を御するのは理性である、そう思わせる。

 チェコ音楽において、ピアノ曲は重要な位置をしめているとはいい難い。
 しかし、沢のため息のような、それでいて存在感のある音を聴くと、決して軽視してよいジャンルではないことがわかる。

 「草かげの小径から」第一集

 全十曲からなるこの曲集は、断片的におよそ四年の歳月を経て作曲された。子供向けの曲から、リサイタルで採りあげてもよさそうな曲まで収録されている。
 この曲ができるおよそ四年の間に、妻ズデンカとの不仲に加え、娘オルガの死といった事件があった。こういった事情を踏まえて聴くと、また違った味わいが できるかも知れない。
 とはいえ、もともと私小説的な雰囲気を強くたたえた曲集なので、素で聴いても心に残る名曲集である。素朴で超然とした音楽のスタイルは、東欧の隠れた名 曲といってもいい。
 第十曲「ミミズクは飛び去らなかった!」は娘オルガの死に触発されている。病人の部屋からミミズクを追い払えば病気は回復する、というモラヴィアの言い 伝えに基づき作曲された。早いパッセージはミミズクの羽音を表している。曲集の中でも特に心に残る逸品だ。

 霧の中で

 「霧の中で」は一九一四年の作曲。
 ピアノ・ソナタの発表から十年、「イェヌーファ」のプラハでの上演も拒絶され、六十歳にしていまだ一地方都市の作曲家としての地位に甘んじていた彼の迷 い、あるいは失意の中で書かれたものである。
 ここでヤナーチェクは激情的な音楽を求めるのではなく、きわめて抑制のきいた曲調で作曲し、霧の中を歩いていくような先の見えない不安感や諦念、迷いを 表している。
 ここでも、きわめて冷静で、激情に走ることのない沢氏のピアノが光ってくる。「草かげの小径から」ほどコントラストが明確ではないものの、作曲者の息づ かいがわかるほど丁寧な演奏は、余人を持って換え難い。作曲者に対する深い理解が感じられる逸品である。


【寺西信隆氏のプロフィール】
1973年生まれ。早大法卒。2000年10月より(有)アトリエ・デ・くっきいずの機関紙「EMOTION」に音楽エッセイ「CD誤選!」を連載中。
本稿は音楽エッセイ「CD誤選!」の記事に加筆したものです。




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