チェロとピアノのための「おとぎ話」

関根 日出男(チェコ文化研究家)


 
 
ヤナーチェクのロシア志向は、自身ロシア語に通じ、弟がペテルブルクブルクに住んでいたこともあって、1896年から1904にかけ何度もかの地を訪れ、1897年から1915年までは、ブルノにおけるロシア友好協会の中心人物でもあった。したがってレールモントフ、トルストイ、ゴーゴリ、クリロフ、オストロフスキー、ドストエフスキーらの原作を題材に、オペラ、交響詩、室内楽などを作っている。1910年作のこの「おとぎ話」も、ロシアのV・A・ジュコーフスキー(1783~1852)の叙事詩によっている。

「ベレンディ皇帝は子供がいないのを嘆いていたが、彼の長い不在の間に 息子イワンが生まれたので、心ならずも息子を冥界の不死身王カスチェイに渡す約束をする。成人してこの事を父から告げられたイワンは単身、冥界の王に会いに行く。
ある夕べ湖に来ると30羽の銀色のカモが泳いでおり、岸辺に白いガウンが30ヶ置いてあった。彼はその中の一つを手にする。29羽のカモは衣を着て美しい乙女に変身するが、一羽は必死になって自分の衣を探している。憐れに 思った彼が衣を返してやると、そのカモは一番美しい乙女になった。彼女はカスチェイ王の娘マリアで、たちまち二人は恋に落ちる。
マリアはハエに変身するなどして、イワンが父王から課せられた難題を解 決してやり、二人して父王の追跡をかわして逃げる。だがイワンを自分の娘の嫁にと考えていた、隣国の皇帝夫妻の陰謀は防ぎ切れなかった。
見捨てられたマリアは悲しみのうちに青い花に変身する。だがイワンの結 婚式の前夜、優しい老人により呪いを解かれたマリアは、彼女を思い出したイワンといっしょに彼の宮殿に向かう」。

全曲はロンド形式、一部ソナタ形式で書かれ、叙情と劇的場面が交錯する。

第1楽章:コン・モート、変ト長調、9/8拍子。静かなピアノ・ソロにはじまり、これにチェロのピチカートが続く(譜例1)。このパターンがくり返されてから、アンダンテ、3/8拍子となって下降副主題(譜例2)が、 二つの楽器でカノン風に示される。同じ主題変形によるやや激しいウン・ポーコ・ピウ・モッソ、2/8拍子の部分を経て、最後は副主題で閉じる。

第2楽章:速度記号、調性、拍子は前楽章と同じ。2つの楽器のピチカートによるカノン主題(譜例3)の前奏を経て、すぐアダージオに入り、叙情的な副主題(譜例4)がピアノで示される。この2つの主題が入り混じって展開され、ピウ・モッソからアンコーラ・ピウ・モッソに入ると、ピアノの上向アルペッジオ伴奏のもとに、チェロが副主題の音価を半分にしてクライマックスを 築く。この楽章には情熱と皮肉が混在しており、最後は冒頭部分の再現でしめくくる。

第3楽章:アレグロ、変ト長調、2/4拍子。チェロの民謡主題 (譜例5)ではじまる。伴奏のピアノはリディア旋法で鄙びた感じを出している。ウン・ポーコ・メーノ・モッソではやや息の長い主題(譜例6)が出る。最後は冒頭のピアノ音型で終止する。

第4楽章:プレスト。8分の3拍子、ダカーポ歌謡形式。ピアノと チェロがカノン風にかけ合う、極めて早いスケルツォ風の主題(譜例7)は、後半チェロのトリルとなり、中間部ではテンポを落とし、息の長い叙情主題を奏でる。
第5楽章:アダージオ。下降3音と上下動音型にはじまり、アレグロに入るとチェロがA~G~Fis~F~Eを長く伸ばしてから、第3楽章の民謡主題(譜例5)を奏で、アレグロ・ヴィーヴォでは第1楽章の下降副主題が2度回想され、変ニ長調主和音で終止する。


作曲経緯とさまざまな版について:

1)1910年2月10日にブルノで完成した3楽章のこの作品は、3月13日にブルノのオルガン学校で、同校のチェロの教授でピルゼン出身のR・パヴラタ (1873~1939)とL・プロコポヴァー(1888~1959)により初演された。ヤナーチェクはパヴラタの演奏に触発されて、この作品を作ったらし い。

2)1912年3月28日、最終楽章にアダージオを入れ4楽章とした版は、南ボヘミアはプシーブラム出身のアントニーン・ヴァーニャ(1889~1916 ロシア前線で戦死)とヤロスラフ・クルプカ?(1893~1929)により、9月22日にヴィシコフ(ブルノの東約40キロ)で初演された。

3)1913年2月7日の3楽章版は紛失した。これはクロムニェシーシの音楽会を主催した外科医ヤロスラフ・エルガルトに献呈された。

4)1923年頃の主な改訂(1924年出版)は、第1楽章のウン・ポーコ・ピウ・モッソ以降の再現部(後にカット)とコーダ部分が短縮されたことで、他はイワンを表すチェロの奏法で、アルコからピチカートに変えた程度の些細なものだった。この版での初演は1923年2月21日に、J・ユネク (1873~1923)とR・ネブシコヴァー(1885~1935)のより、プラハのモーツァルテウムで行われた。

1926年にイギリスに招かれ、5月6日のウィグモア・ホールでの自作品演奏会に臨席したヤナーチェクは、弦楽四重奏曲とヴァイオリン・ソナタはともか く、「青春」と「おとぎ話」のひどい演奏には閉口したと嘆いている。

B・シチェドロニュ(1905~82)によると、同じ頃作曲されたチェロとピアノのための「プレスト」があるとし、これが「おとぎ話」の第2楽章として構 想されたというフォーゲル説を、1970年にスプラフォン社から出版したヤン・トロヤン(1926~)は否定し、作風はむしろ1924年作のピッコロとピアノのための「青服の少年たちの行進」に近いとしている。これは1948年6月15日、ブルノのコレギウム・ムジクムのセミナーで、カレル・クラフカ (1921~84)と ズデンカ・プルーショヴァー(1928年生)により演奏された。これには1970年版と、1988年版があり、イジー・フカーチ(1936~2002)と ベッジヒ・ハヴリークが校訂した後者には、第1楽章の元の版とアダージオが含まれている。






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