ヤナーチェク・ブルノ2016

 尾関 陽四



(1) ヤナーチェクと私

私が初めてヤナーチェクの音楽に親しみを感じたのは、1993年、プラハのエステート劇場で、彼のオペラ『イェヌーファ』を聴いた時だった。モラヴィアの山村を舞台にして村民たちが主役のオペラは、演劇の色彩が濃い独特のものであった。それまでは、彼の弦楽四重奏曲や『シンフォニエッタ』にはなじみがあったが、彼はオペラなどの声楽でも興味を引く作曲家であることがわかった。

以来、ヤナーチェクのオペラの公演をチェックしてきたが、日本ではなかなかそれに接することが出来ずにいた。2016年になって、ウィーン国立歌劇場で『イェヌーファ』と『利口な女狐の物語』を聴き、ようやく彼のオペラの真髄を理解した。普通の市民が主役で、リブレットがしっかりとしていて演劇的な要素が強く、切れの良い音楽が伴って、全体的にはコンパクトにまとめたオペラがヤナーチェクのオペラなのだとわかった。


(2) ヤナーチェク・ブルノ2016


2016年10月にブルノで「ヤナーチェク・ブルノ2016」が開催されると知り、参加することにした。この音楽祭は、ヤナーチェクの音楽を中心に、彼に近い作曲家(シェーンベルク、バルトークなど)の音楽も併せて演奏されるものだ。2年に一度開かれていて、2016年は5回目になる。

私は音楽祭の前半に、6日7公演を聴くことにし、チケットはムジーク・ライゼンに手配をお願いし、一部は現地でも購入した。
聴いた曲目は:
オペラ『カーチャ・カバノヴァー』(ロバート・カースン演出、オンドレイ・オロス指揮、ヤナーチェク・オペラ)
『死者の家から』(カリスト・ビエイト演出、マルクス・ボッシュ指揮、ニュルンベルク州立劇場)
声楽『消えた男の日記』の2バージョン(イアン・ボストリッジとオペラポヴェラ/オペラ・ベルゲン)
ほか、コーラス2公演と管弦楽曲1公演

会場は、ヤナーチェク劇場(写真)など4会場。ヤナーチェクの音楽を堪能した。



(3)オペラ

『カーチャ・カバノヴァー』には初めて接した。オストロフスキーの原作戯曲を自由にアレンジしたリブレットだそうだが、カーチャに対する姑のいびりなど、あらすじが通俗的すぎる。
水を張ったプールの上に渡した板で出演者が演技し歌うというカースンの演出は素晴らしかった。場面の切り換え時には、水の妖精のような女性が12名ほど現れるのだが、これはギリシア悲劇のコロスを想起させた。水はヴォルガ河を象徴しているとのことだが、簡素でありながら象徴性の強い演出に感心した。

『死者の家から』はドストエフスキーの原作をヤナーチェク自身が脚色したリブレットが使われている。シベリア抑留中のドストエフスキーの実体験がどのようにオペラになるのか注目した。中に、収容者の飼う鳥が出てきて、これが出獄という「希望」の象徴を担うのだが、ビエイトの演出では、鳥が舞台いっぱいに広がる複葉機として表現される。しかし、「だから、どうなの」という疑問はぬぐい切れない。

一般に、オペラの演出には大きな制約が伴う。それは、作曲家の作った歌詞やレチタティーボはそのまま使わざるをえない点だ。それで、演出家は舞台の時代設定や装置などに凝ってみたり、主要登場人物とは関係のない端役の人物を登場させたりする。また、時代を特定させず、場面を抽象化する試みなども演出家の得意とするところだ。
今回の例でいえば、『カーチャ』の「水とコロス」の演出は、オペラのテーマを象徴化することに成功していた。一方、『死者の家から』の「複葉機」は希望の象徴とは成り切れていなかった。難しい問題だと思う。


(4)声楽とコーラス

声楽とコーラスでは、『消えた男の日記』が最も興味深かった。テノール、アルトと3人の女性コーラスの演奏する歌曲集は、さながら、一つのオペラのような広がりを持つものだった。元となる詩をよく知らないでこの舞台に接したので、物語の詳細は理解できなかったが、それでも、ボストリッジとヴァツラヴァ・ケレチ・ホウスコヴァの歌唱に聴きほれてしまった。

日本に帰って、早速、ボストリッジの演奏するこの曲のCDを買い求めた。彼はこの曲を得意のレパートリーとしているらしく、CDの演奏も見事なものだ。また、ホウスコヴァはブルノ・オペラの専属とのことだが、CDは出ているのだろうか? 彼女は、当日、ほかにドヴォジャークの『ジプシー・メロディ』から6曲歌ったのだが、その紫のビロードのような声はなかなか聴けないような類のものだった。


(5)ブルノの街

初めて訪れたブルノの街は、事前の予想を覆すものだった。「百塔の街」
と称されるプラハに似て、街の至るところに教会の尖塔(写真)が見られる。いずれもゴッシク様式のものだが、尖塔を支える屋根は丸いスラヴ風のものと角ばった
キリスト教会風のものとがある。街が中世以来の古いものであることがわかる。


街の中央にある青果広場には市場があり、野菜・果物などの店(写真)が軒を連ねている。これも、ヨーロッパの街でおなじみの風景だ。


市内にあるシュピルベルク城の石垣の蔦が赤く色づいていた。


街の規模は小さく、宿泊しているホテルから、どの演奏会場にも徒歩で15分かからずに到達できる。公演がハネた後、夜10の通り(写真)は車が少なく、そぞろ歩く人の群れが印象的だ。



(6)これから

9作あるヤナーチェクのオペラのうち、主要5作品の制覇に近づいた。残る『マクロプーロス事件』をどこかで聴きたいものだ。また、できたら、「ヤナーチェク・ブルノ2018」に再び参加して、彼の音楽の真髄を味わい尽くしたいと考えている。


2016/11


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