『ブロウチェク氏の旅』上演レポート

小森 輝彦(バリトン歌手)


僕が所属するアルテンブルク=ゲラ市立劇場で、ヤナーチェクの作品の中できわめて知名度が低いと思われる「ブロウチェク氏の旅」を取り上げ、僕自身も参加する機会を得ました。このプロダクションの稽古から本番までの経過などをご紹介したいと思います。
うちの劇場のオペラ部門では、毎年一本、比較的知られていない作品を上演する習慣がここ数年続いています。首脳陣の一人で現在の総裁である、エバーハル ト・クナイペル氏が、現代音楽に並々ならぬ情熱を傾けている人物で、彼の方針だと思います。後期ロマン派のまだ知名度が低い作品から、現代オペラの委嘱、 初演などを意欲的に行っています。

今までこの枠で上演されたものを挙げてみますと、2001/02年シーズンがコルンゴルト作曲の「死の都市」、2002/03年シーズンがツェムリンスキー作曲の「フィレンツェの悲劇」、2003/04年シーズンが新作を委嘱したカフカ原作の「第六の時」(原作は「流刑地にて」)でした。そして今シーズンが、このヤナーチェク作曲の「ブロウチェク氏の旅」だったというわけです。

これらのプロダクションはすべて現在の音楽総監督であるガブリエル・フェルツ氏によって指揮されました。近代・現代作品ばかりですから、もちろん指揮者と しての力量は他のレパートリー以上のものが求められます。そういう意味で、今までどのプロダクションも例外なく大きな成功を収めてきたことの大きな要因の 一つは、ガブリエル・フェルツ氏の音楽監督としての功績にあります。新作を委嘱した「第六の時」や「ブロウチェク氏の旅」では彼でなければ成功どころか上 演そのものが危ぶまれたのでは、と思います。それほどこの二つの作品は音楽的に難しい作品でした。

フェルツ氏はGMD(音楽総監督)就任の時点では29歳の若さでしたが、抜群の指揮技術と音楽性だけでなく、年齢に似合わぬ経験の豊富さで、数々の公演を 成功させ、またありとあらゆる音楽的危機を救ってきました。最近はコンクールで入賞すると、いきなり大きなポストに就いてしまう若い指揮者が多いせいで、 コレペティトア(オペラの稽古ピアニスト)からキャリアを始めて指揮者になる、いわゆる「たたき上げ」の指揮者がとても少ないのです。指揮者サヴァリッ シュ氏が自伝の中で警告を発していましたが、これは指揮者だけでなく歌い手などにも言えることで、音楽産業全体の構造が変わってしまったせいもあると思い ます。フェルツ氏の場合はリューベックでコレペティトアからスタートして、コレペティトア兼指揮者となり、ブレーメンの常任指揮者を経てゲラのGMDにな りましたので、オペラの経験はいろいろな立場から経験していて、これがまさに彼のオペラ指揮者としての強みになっていると思います。

奇跡というとちょっと大げさに聞こえるかも知れませんが、まさに奇跡的に連続したこのシリーズの成功のもう一人の立役者は演出家のマティアス・オルダーグ 氏です。上に挙げた全ての作品はこのオルダーグ氏によって演出されたのですが、彼はこのハウス専属の演出家ではありません。ゲストの演出家として定期的に うちの劇場で仕事をしている演出家で、来シーズンも、このクナイペル路線のシリーズで、バーバー作曲のオペラ「ヴァネッサ」を演出することになっていま す。そして、これは最新情報なのですが、4月末にこのオルダーグ氏が2006年夏からこの劇場の総裁に就任するという報道がありました。この「ブロウチェク氏の旅」の演出でも大きな成功を収め、著名音楽雑誌で例外なく絶賛の批評を勝ち取っていました。プレミエにはスイスからヤナーチェク協会の一行も来ていたようですが、会長のヤコプ・クナウス氏は「今まで8つのプロダクションでこの『ブロウチェク氏の旅』を観たが、このゲラのプロダクションが最高だ!」と 言っていたそうです。

さて、作品の話に移りましょう。この「ブロウチェク氏の旅」は、大変上演される機会が少ない作品です。現在レパートリーとして公演をしている劇場は、多分 プラハとうちだけであろうという話です。去年はヤナーチェク生誕150年記念の年だったこともあり、数多くのヤナーチェクプロダクションがあったことは、 皆さんもご存じの通りですが、総裁のクナイペル氏が選んだのはこの「ブロウチェク氏の旅」でした。僕はこの演目が発表になった時点でこの作品のことは知りませんでしたが、多分知っていた同僚はかなり少なかったと思います。

先シーズン中に一度キャスティングが発表になったのですが、このキャスティングにはいろいろと問題があることがわかり、何度も変更がなされました。バリトンあるいはバスの主要な役が二つあるのですが、この二つの役の音楽的な条件やキャラクターが今ひとつはっきりわからなかったんでしょう。何しろ情報が少ない作品ですから。その上、版がいくつかあって、どの版を使うのかはっきりしないうちからキャスティングをしていたので、混乱が生じたようです。版に関しては、演出家の強い希望で、デヴィッド・パウントニーがミュンヘンの州立劇場での公演で使用したドイツ語版を使うことになりました。はっきりはわからないの ですが、カバレッティストが訳したもので、元の台本に忠実と言うよりは誇張しておもしろさを増幅してあるもののようです。演出家のマティアス・オルダーグ は「この台本の存在がなかったら僕はこのオファーを引き受けていなかったかも知れない」と後に言っていました。

さて、キャスティングですが、もう一つの問題を引き起こしたのは、チェコのバス、あるいはバリトンの特徴ある発声と歌いぶりでした。僕も何種類かの録音を入手して聞いてみましたが、バリトンの人の声がバスのような太さだし、バスの人もバリトンの音域を平気で歌っているし、ちょっと普通にドイツで考えている バスとバリトンの音域、キャラクターじゃないんですね。だから、彼らの基準に従ってキャスティングしていると、演奏不可能なケースが出てくる。事実、キャ スティング第一案でヴュルフルなど3役にキャスティングされた同僚はいわゆるバスで、この役は楽譜には「バス」と書いてありますが、高い音が上のGまであ ります。これはバリトンである僕にとっても高い音で、バスに要求するのはちょっと無茶な音域です。で、彼は「自分にこれは歌えない」と断ってきました。結 局このヴュルフルなど3役は僕が歌うことになりましたが、僕にとっても低すぎることはなく、ただ、かなり太い声を要求される役なので、ヘルデン・バリトン が歌うべきパートなのだと思います。そして教会の堂守(Sakristan/ザクリスタン)他3役は、楽譜には「バリトン」と書いてありますが、僕らのプ ロダクションでは、もう一人のバス・バリトンの同僚が歌いました。彼はどちらかというとバリトンと言うよりバスなので、表記上と実際の声種が僕らのプロダ クションではひっくり返っていることになります。

この辺はプロダクションの企画者の方でも混乱していたようで、最終的なキャスティングの前に指揮のガブリエル・フェルツから僕に連絡があって、「楽譜を見て、どちらの役が君にふさわしいか判断してくれ」と言うことになったのです。声楽的な精密判断は声楽家がするのが一番と言うことになったのでしょう。それで僕は録音を聴きながら楽譜を見て、どちらの役が自分の声にあっているのか、自分で判断する機会を得たわけですが、どちらの役も音域はかなり広いのですが、音楽的なキャラクターがかなり違っていて、結局リリックな部分が多いことと、芝居的によりインテンシヴなヴュルフルなど3役の方を選ばせてもらいまし た。

それから表題役のブロウチェクに予定されていたテノール歌手が病気になってしまい、降板することになってしまいました。ブロウチェクと言う役は、技術だけでなく、ブロウチェクらしい雰囲気を求められる役です。その点、演出家のマティアス・オルダーグがこの歌手の持つキャラクターを元に演出プランを構築して いた部分があるので、彼が降板したことはマティアスにとっては痛手だったようです。しかしながら、ベルリン・コミシェオパーのアンドレアス・コンラート氏 が快く代打を引き受けてくれて、3週間という、この役にとってはあまりに短い準備期間をものともせずに稽古に参加してくれました。結果的にはアンドレアス の持つ雰囲気はもともとのイメージとはかり違ったようですが、彼が自分のキャラクターの方にプロダクション全体を引っ張っていって、それが成功したと思います。新聞の批評に「アンドレアス・コンラートはブロウチェク氏そのものだった!」という見出しがみられたことは、それを証明していると思います。余談で すが、日本で2004年12月に二期会によって上演された、やはりヤナーチェクの「イェヌーファ」の元のベルリン・コミシェオパーのプロダクションで、こ のアンドレアス・コンラートはシュテヴァを歌っています。友人が日本から二期会のチラシを送ってくれたので見てみると、表面に使われた5枚の写真のうち4 枚に彼が大きく写っています。アンドレアスは自分が出もしない舞台のチラシに大きく彼が写っているのはさぞかし不思議な気分だろうと思い、ブロウチェクの 本番の時に彼にも見せてやりました。

さて、この作品自体が持っている、非日常的というか、半ば狂気を含んでいるとも言えるような物語の設定、進行がいかに演出されるかというのは、このプロダ クションの成功、不成功を大きく左右する部分だと思います。作品の解説が目的ではないので、詳しい作品解説などは敢えてしませんが、家主でビール好きのブ ロウチェク氏が住む19世紀のプラハから、月の世界や15世紀の宗教戦争の時代にジャンプしてしまう、奇想天外なお話しです。演出のマティアス・オルダー グは、設定を微妙に変えながら、この奇想天外な設定を上手く利用したと思います。たとえば、月の世界の第2シーン。月の世界の芸術家たちがあつまる場面では、そこを観客が一人も来ない劇場という風に設定を変えて、僕はその劇場のインテンダント(劇場総裁)。僕の役はツァウバーリヒトと言って、直訳すると魔 法の光ですが、設定的にはこの月の世界の芸術家たちの親分みたいな存在なので、そういう意味では全く違うわけではない。面白かったのは、ブロウチェクがそ の劇場に久しぶりに足を踏み入れた観客という設定。彼を見つけた劇場メンバーが「観客だ!助けて!」と逃げようとするのです。あまりにも長い間観客が来て いなかったという設定ですね。それで劇場全体でこのたった一人の観客をもてなすわけですが、最終的にはブロウチェクが自分たちの芸術を理解してくれないと 言って僕ら月の世界の芸術家たちは自殺をします。上から数十本の首つり用のロープが下りてくるのはかなりブラックな感じですね。総裁の僕もピストル自殺を します。

最終的に僕ら月の芸術家たちを絶望に突き落とすのは、劇場が最後の一人の観客を巡って、劇場の存亡をかけて精一杯の努力をしているところで、ブロウチェク がプラハから持ってきたソーセージを食べること。全員が「劇場が存亡の危機にあるときにこの男は『食べる』事しか考えていない!」と叫びつつ、セリの下に 沈んでいきます。この辺のネックの部分はオリジナルの月の世界の住人が「豚を殺して作ったソーセージを食べている」と言うことに驚愕して気絶してしまう事 を上手く使っていて、この訳詞が上手くできているところです。劇場人にはたまらないような、劇場ギャグみたいなものもたくさんちりばめられていて、この訳詞がマティアスにとって大きなポイントだったのがよくわかります。個人的にはオリジナルをここまでいじってしまうと違う作品になってしまうようにも思うの ですが、こういう奇想天外な設定であることを考えるとこういった操作がプロダクションの成功を導く道であることは良く理解できます。15世紀のフス教徒のシーンでは、資料などから判断して、ヤナーチェク自身の愛国心、ナショナリズムから強い影響を受けているであろうチェコ讃歌が、揶揄されて扱われている部分があり(実際にどう見えたかは別問題ですが)これなどは少し残念に思います。




舞台美術家のアンドレア・カナッペーは、この雰囲気を上手くとらえていたと思います。演出家のマティアスもカナッペーさんと仕事するのはこれが二回目だと 言っていたのですが、前に一緒に仕事したときに、彼女の奇想天外な発想、イメージに感銘を受けて、今回のブロウチェクのプロダクションには彼女しかいない!と思ったのだそうです。簡素でいて、デフォルメされたイメージからは観客の想像力を刺激するものがあります。

僕に関連するところで言うと、衣装はかなり奇想天外でしたね。さっき書いた月の劇場総裁の所では、僕の手はマジックハンドのように長くなり両手を広げると 3メートルくらい。異様な雰囲気を醸し出すのに一役買っていたと思います。僕が歌った3役は、ブロウチェクが常連であるプラハの居酒屋ヴィカールカの主人であるヴュルフル、月の劇場総裁ツァウバーリヒト、15世紀プラハの宗教戦争フス派の幹部シェッフェでしたが、このオペラではどの役も各幕に名前と設定を 変えて登場し、これがブロウチェクをさらに混乱させます。演出家のマティアスは僕の演じた3役に特にこの奇妙な話の道化役というか、デモーニッシュ(悪魔 的)な色合いをつけたかったようで、メイクもちょっと並はずれて派手なものになりました。デーモン小暮みたいな感じ(古いのかな、この表現は)だと言えばわかりやすいと思います。
ヤナーチェクの音楽から僕が受けた印象を最後に少し。僕はヤナーチェクのオペラを演奏したのは今回が初めてだったので、他の作品と比べることはあまり出来 ません。イェヌーファは何度も観ましたし、大学院時代に佐川吉男先生がビデオを見せながら熱心に解説してくださったことも良く覚えています。全体的に、後 期ロマン派の豊穣な響きを持ちながら、シンプルさを持ち合わせ、スタイルの誇張、拡大によってある種真実味を失う危険のあるドイツ・ロマン派とは違って、 木訥というか生の人間性のようなものが赤裸々に表されているように感じました。


これは特にこの「ブロウチェク氏の旅」で顕著な傾向のように想像していますが、音楽、フレージングが言葉のリズムから発生していて、これはチェコ語のリズ ムが理解できないと、万全にフレージングを理解できないのではないだろうか、と思ったことが多々あります。特にこの「ブロウチェク氏の旅」は、言葉、言葉のオペラなので、この度合いが高いと思います。これはドイツ語訳で歌うことをかなり難しくすることで、言葉のアクセントとフレーズのアクセントが意図的で ないのにずれることが非常に多くて、歌うのはかなり難しかったです。

オーケストレーションは、非常に複雑で、これは本当に指揮者泣かせの作品だと思います。実際にガブリエル・フェルツにかわっていくつかの公演を指揮する常 任指揮者は、オーケストラの制御にかなり問題がありました。彼自身がオーケストラの稽古をあまり出来なかったこともあるのですが、とにかくものすごく高度なテクニックと音楽性を指揮者に要求する作品であることは間違いないです。良く聴いてみると、主旋律を演奏する楽器に隠れて余りよく聞こえないような部分 で非常に技術的に高度な要求をされるフレーズが演奏されていたりして、これが聞こえないとしたら、すごい労力の無駄になります。 

僕は、アンサンブルの極意は、「全ての音が聞こえること」をゴールにバランス調正をすることにあると信じていますが、この作業がなされなかった場合に、ヤナーチェクの音楽はその魅力を半減させることになると思います。例えば、一見単純なメロディーが管楽器によって奏されているときに、その裏で第一、第二 ヴァイオリンが弾いている音符のいかに多いこと、そして複雑なパッセージであることか。第一メロディーは単純でも、その裏で響きいている別のパッセージに大きな「うねり」があったりするのです。これが聞こえるか聞こえないかで、音楽全体の深みや色合いというものが全く変わってくるのですが、オーケストラを 何とか滞りなく制御するのが精一杯の状況ではこういう細かいバランスを作ることは出来るはずもありません。とにかく難しい作品で、しかもその難しさの本質 があまり認知されていないのかなぁと思ったりしました。

かなり気まぐれな感じの報告になってしまいましたが、ゲラの「ブロウチェク氏の旅」内部レポートでした。今シーズン最後にはアルテンブルクに場所を移して 上演されますが、今シーズンいっぱいで公演打ち切りになる公算が大です。もしドイツにお出かけの際には是非お立ち寄りください。


【編集者注】
筆者の小森輝彦さんは、ドイツ・テューリンゲン州のアルテンブルク=ゲラ市立歌劇場専属のバリトン歌手で、二期会のドイツオペラの各公演でも活躍されています。アルテンブルクでの『ブロウチェク氏の旅』は、2005年6月12,18,22日、7月1日と3日に上演が予定されています。

小森さんのHP「テューリンゲンの森から」


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