ブルノ散策

Last Update 2001.1.27

ヤナーチェクが生涯のほとんどを過ごしたモラヴィアの首都ブルノ。モラヴィア記念館をはじめとするヤナーチェク関連の史跡が幾つかあります。

ブルノ旧市街はご覧のとおり小さな街です。旧市街は元来は城壁に囲まれた小都市で市街地がその周辺に拡がっています。

ブルノ市公式ページ

※写真は,青木勇人氏,池田和生氏より提供。

Brno Map


旧ブルノ・オルガン学校
1.旧ブルノ・オルガン学校

ヤナーチェクが設立し校長を務めた旧ブルノ・オルガン学校。壁にヤナーチェクのレリーフが飾られています。この学校の裏手に校長宿舎(現ヤナーチェク記念館)があります。
ヤナーチェク記念館
2.ヤナーチェク記念館(晩年の住居)

このオルガン学校の裏手の校長宿舎に,1910年から晩年まで住んでいました。現在は,モラヴィア記念館としてヤナーチェクの書斎等を展覧しています。
自由広場
3.自由広場

旧市街地の中心に位置する広場。
青物市場
4.青物市場

中世から続く青空市場が今も開かれています。また,この広場に面してレドゥダ劇場という小さな劇場があり,モーツァルト父子をはじめ多くの著名な音楽家が演奏しました。背景のゴシック聖堂はブルノのシンボル,聖ペテロ・パウロ大寺院です。
マーヘン劇場
5.マーヘン劇場

旧ドイツ人劇場でしたが,チェコスロヴァキア独立以後はチェコ人の手に渡り,「カーチャ」以後の後期のオペラはここで初演されました。
ヤナーチェク劇場
6.ヤナーチェク劇場

共産主義時代に建てられた味も素っ気もない近代劇場です。ヤナーチェクの銅像があり,顔はともかくポーズが労働英雄風なのが笑えます。
ヤナーチェク銅像
ブルノ・ベゼダ会館


7.ブルノ・ベゼダ会館

ブルノのチェコ人市民会館で,大ホールではヤナーチェクの指揮するベゼダの合唱団やオーケストラが演奏しました。ピアノソナタ「1905年10月1日街頭にて」を書く契機になった事件も,この会館の前で起こりました。記念のプレートが壁にはめ込まれています。

シュピルベルク城
8.シュピルベルク城

小高い丘の上にある中世の城ですが,近世には牢獄として使われました。シンフォニエッタの第2楽章「城」とはここのことです。
ヴェヴェジ劇場
9.ヴェヴェジ劇場跡

「イェヌーファ」が世界初演された劇場はここにありましたが,第2次世界大戦後に取り壊されました。跡に建てられたガラス張りの建物は旧共産党本部です。
聖母マリア大聖堂
10.聖母マリア聖堂とメンデル修道院

えんどう豆の研究により遺伝の法則を発見したメンデルが在籍していた修道院です。ヤナーチェクはここで聖歌隊員として少年時代を過ごしています。
メンデル修道院


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