奥の細道 敦賀篇 |
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福井県敦賀市 |
平成16年(2004) 6月18日 |
元禄二年(1689) 九月二十七日 |
漸、白根が嶽かくれて、比那が嵩あらハる。あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆ハ穂出にけり。鴬の関を過て、湯尾峠を越れば、燧が城、帰山に初雁を聞て、十四日の夕ぐれ、敦賀の津に宿をもとむ。その夜、月殊晴れたり。 「あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたし」と、あるじに酒すゝめられて、気比の明神に夜参す。仲哀天皇の御廟也。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂霜を敷るがごとし。 「往昔遊給ふ行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ、泥渟をかはかせて、参詣往来の煩なし。古例今にたえず、神前に真砂を荷ひ給ふ。これを遊行の砂持と申し侍る」と亭主のかたりける。
月清し遊行のもてる砂の上 十五日、亭主の詞にたがはず、雨降。
名月や北国日和定なき
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遊行上人の持ち運ばれた社前の白砂の上に、月光が降りそそぐ。まことに清浄でうつくしい。
雑記
つるが・・と するが・・をよく間違えてしまう。敦賀といっても原発ぐらいしか頭に浮かんでこない。芭蕉で知ったのだが敦賀は月の名所でもあるらしく芭蕉も4句残している。 気比の神社は直ぐわかったが駐車場がみあたらず、神社を一回りする。境内の広場兼駐車場の一角に、芭蕉の句碑や像が立っている。台座には「月きよし・・」の句が刻まれていた。社を出て少し離れた気比の松原に行く。白砂の浜に松林が続く美しい海岸で、対岸の山に月が昇ったらさぞかし綺麗なことだろう。 本文中に古例を聞くとあるが、これは遊行上人が気比の宮に詣でた折、ぬかるみに参拝人が難渋するのを見かね、砂を運んで泥濘の苦難を逃れたという故事だという。 **遊行二世上人・・時宗の開祖一遍上人の弟子で他阿(たあ)上人のこと |
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