奥の細道 信夫の里篇(文字摺石)
         

    福島県福島市

平成14年(2002) 5月29日

元禄二年(1689) 六月十八日

あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童べの来りて教ける。昔は此山の上に侍しを、往来の人の麦草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたりと云。さもあるべき事にや。
 早苗とる手もとや昔しのぶ摺

                                            

早苗をとっている早乙女達の手元を見ていると、昔、しのぶ摺りをした手つきも同じようだったのかと偲ばれる


雑記


信夫の里文知摺石(もぢずりいし)と書いてあるがどう読むのか解らなかった。二本松を早朝に発ち、福島(信夫の里)の町に入る。信夫山目指して細い道を登ってみたものの、目的地定まらず、二本松駅前で買ってきた朝食弁当を食べて下る。街外れの文知摺観音に行ってみたが、寺は9時開門まだ7時前なので、待っているわけにもいかず次の目的地、飯坂に向かう。
飯坂温泉、医王寺、民家園を見て周り、再び戻って文知摺観音の安楽院を訪れる。木々の茂る薄暗い一角に石柱で囲まれた苔むした大きな岩がある。これがかって「
しのぶもちずり絹」の名残を今に伝える文知摺石である。石には忍ぶ草(しだ)の模様があったと云うが苔や汚れで分からない。ここは「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに」と小倉百人一首にも詠まれている源融(ミナモノのトオル)と虎女との悲恋物語の舞台でもある。麦の葉で石をこすると、自分の思う人影が映るという
鏡石伝説もある。芭蕉が訪れた時この石は土に中ば埋まっていたと云う。