2014年1月 英国宰相 ウィンストン・チャーチルについて
そもそも教養がない上に、大学受験で世界史をとらなかったこともあり、歴史に無知な私ですが、ひょんなことからチャーチルについて多少勉強する機会がありました。
ウインストン・チャーチルは2002年BBCのアンケート「偉大な英国人100人」で、第1位に選ばれています。受賞の理由は以下のようなものと思われます。
「ドイツ帝国の前に風前の灯、存亡の危機に立った大英帝国を指導し、その危機を乗り越えて勝利をもたらした」
「共産主義の悪に鈍感だった米国と違い、反共の姿勢を早くからとり、現在の世界秩序の基礎を築いたと認識されている」
(もちろん英国人にとって偉大という意味です。植民地の虐げられたる人々及び日本人にとっては敵の親玉です。)
そんなチャーチルは、英国最上流の家に生まれたものの、両親から無視されていると感じ、愛情に餓えて育ちました。
16歳のときに母に送った手紙は悲痛です。
「どうか、どうか、どうか、どうか会いに来てください。どうか来てください。きてくださらなかったので、何度も大変がっかりしています。」
チャーチルの学校時代は、スポーツも勉強もできない上に、周囲になじめない子どもでした。教師や上級生にたいして反抗的で(教師のみならず)、上級生から鞭打ちをされています。
(能見俊貴氏は彼の血液型をB型と推定しています。
イギリス上流階級のサディスティックな教育方法がいかにもあわなそうです。)
「学ぶ」ということについて彼の有名な言葉があります。
I’m always ready to learn, although I do not always like being taught.
満たされた心の子どもは円満な社会人になり、満たされない心の子どもは、社会の落ちこぼれか、あるいは偉大な人物になるのでしょうか。
いずれにしろ、英国歴史上で最も尊敬されている人物が、学校教育にあわなかったという事実が、子をもつ父親としては、大変印象に残りました。
学校向きでない子どもに、勇気を与える偉人伝ではないでしょうか。
少し、話がずれますが、ご承知のように大戦中日本は英国領インパールに進攻作戦を行っています。
今でもばかな作戦計画の代名詞のようにいわれますが、歴史家は次のように評価しています。
英国の歴史家・ロンドン大学教授のエリック・ホプスバウ
「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派による非暴力の独立運動によってではなく、日本軍とチャンドラ、ボース率いるインド国民軍(INA)が協同してビルマ(現ミャンマー)経由インドへ進攻したインパール作戦によってもたらされた。」
ルイス・マウントバッテン大将(英国軍東南アジア総司令部司令官)
{かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服や靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力だけであった。日本軍はインパールにおいて、ついに敗れたが、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーがいみじくも喝破したとおりである。すなわち『もし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』}
最後に、チャーチルの名言から好きなものを1つ
You have enemies? Good. That means you’ve stood up for something, sometime in your life.
敵がいる? 良いことだ。それは、人生の中で何かのために立ち上がったことがあるという証だ。
参考文献
(1) チャーチル イギリス現代史を転換させた1人の政治家 河合秀和著 中公新書
(2) ウィキペディア
(3) 「血液型」の世界地図 (青春新書INTELLIGENCE) 能見俊賢著