立ち上がる国祈る 中村茂鎭雄巣鴨チャンギー日記



帯より
英国軍のシンガポール軍事法廷でBC級戦犯とされ、絞首刑になった元タイ俘虜収容所長の中村鎭雄陸軍大佐。巣鴨プリズンとチャンギー刑務所内で克明な日記を書いていた。手紙と裁判記録を含め、初公開。


辞世の句「敗戦のにゑと散りゆく我はまたただ立ち上がる国祈るのみ」


にゑとは、いけにえのことです。自分は生贄として死んでいくけれど、ということです。



中村茂鎭陸軍大佐はタイ俘虜収容所で、俘虜を虐待したとの理由で裁かれました。

実際は、コレラで瀕死の重症のイギリス兵を銃殺した部下を軍法会議にかけたため、左遷されるような人物でした。

裁判は、戦勝国の戦犯がただ1人として裁かれてないことで明らかなように、報復行為以外の何者でもありませんでした。収容所内での虐待についても書かれています。(過去のこととはいえ、英国人は紳士でも何でもなかった。)


戦後、戦犯者は日陰者的立場に追い込まれ、生活面でも苦労を強いられたとのことです。


奥様の挨拶文が全てを言い表していると感じました。


「一体戦犯とは何者でございましょう。理不尽なる裁判、不当なる宣告、しかも硝煙遠く散じはてたる御代に文明の仮面をかぶった大殺戮。之を非人道と言わずして何でございましょうか。」





小林よしのり「靖国論」  (幻冬舎 新ゴーマニズム宣言スペシャル)より



「終戦後の戦争」は戦犯裁判だけではなかった。
シベリアには200万人もの日本人が抑留されていた。



ソ連はまだ有効だった日ソ中立条約を破り
すでに広島・長崎の原爆投下で息も絶え絶えの日本に
火事場泥棒的に宣戦
満州で 殺戮 略奪 強姦の限りを尽くした



日本の戦後は
悲しみを胸に
黙々と働き続けた
名もなき人々がつくってきたのである。



BC級戦犯の遺族は
これに加えて
戦勝国が報復のために
一方的に被せた
「戦争犯罪人」の家族
という汚名にも
耐えなければならなかった。



ほんの50年前に
こんなことが
あったことを
誰もが
忘れさせられている



たった50年前の
日本の歴史を
知らないのである。



その頃 勝者が
報復の感情にかられて
敗者にどんな
償いを求めたか



そして日本が
どんな思いで
それに従ったのか・・・



第二次世界大戦後におきた
朝鮮戦争 ベトナム戦争 湾岸戦争をはじめとする
数々の戦争において
敗戦国が戦勝国に
人身御供を差し出したような例は一つもない



日本だけが
そこまでの戦争責任を
課せられたのだ!



日本は冤罪を受け入れて
相手の報復感情まで満たしてやったのだぞ!!



サンフランシスコ講和条約は
いわば戦勝国に差し出された
1068人もの命と引き換えに調印されたようなものだ!



国破れ つみ人となり
死ぬる身は
世界平和の杭となるなり



7歳と2歳の娘を残して
処刑された
片岡正雄曹長の辞世の句である



数々の遺書にあるように
彼らは祖国の礎石になると
書き残し
その役割を引き受けて
死んでいった



我々の現在は
その人々の死体を
礎石として
成り立っているのである



それを知らず
今の豊かな日本が初めからあると
勝手に思い込み
勝手に後ろめたさを感じて



日本はまだ
戦争責任を果たしていない
などと言い出すやつらがいる



それは死者を踏みにじることを
言っていると気づいているのだろうか?



それともあと100万人くらい
絞首刑にならなければ
戦争責任を果たしたとは
言えないとでも言うつもりなのか?



日本の被害ばかりを
言い立てるのではなく
加害の事実にも目を向けるべきです
などという偽善者もいる



日本人に
「完全に降伏して 
抵抗の術もない者を
報復裁判にかけたような加害の事実」が
あったのか?



日本人に
「都市に原爆を投下して
一般人を大虐殺したような加害の事実」が
あったのか?



それらは
歴史を知らない者の
世迷い言にすぎない
本人は善人になったつもりなのだろう
しかし
歴史に無知な
その善意は



祖先を足蹴にするだけの
畜生道に墜ちた
所業に過ぎないのである!



歴史を知らない者の
善意は
偽善である!



死者の視線を感じよ!



この世界は
先人達の
犠牲の上に
成り立っている!!
    


トップへ戻る