助産師さんとの面談

 2009年4月に、娘の出生時の状況について担当した助産師さんから話を聞きたいと産科に面談を申し出ました。2008年の始めには、病院との話し合いはやめにしましたが、出生時の助産師さんの行動に夫婦で疑問が残っており、このことを直接、助産師さんに聞いておかなければ、娘にも報告できないとの思いと、夫婦としても区切りをつけたいとの思いから申し出ました。

面談までの道のり

 産科師長さんに電話でお願いしましたが、産科で検討したところ許可できないとの返答でした。そこで再び、責任問題や医療訴訟などとは考えていこと、担当した助産師さんは、このときの分娩をどう評価しているのかそこが知りたいという私たちの気持ちを再度伝えました。
 このやりとりを3回繰り返し、1ヶ月がすぎましたが返答は「許可できない」との返事のみでした。大きな理由は、病院の規則で患者と対立的になった医療者との直接の面談は許可できないことでした。「病院の規則」とは患者側が不利でもまかり通るとの判断が自然になっていっているようでした。

 電話でのやりとりで進展がないため、夫婦で直接、病棟窓口に行って面会を求めました。産科では対処できないと判断したようで、病院の医事課の職員と別室で話をしました。その際、私たちが暴力的な行動に出るかもしれないと判断したのか、保安担当者も含まれていました。
 医事課の方と話をすると、私たちの真意はおおよそ伝わったようで、異例の処置で直ちに病院長に伝えられ判断をしてもらうことになりました。また、妻は以前の職場で看護師をしていたとき、病院長がその施設の主治医をしていたことから顔見知りの関係でしたが、結婚して名字が変わり柿原であることは知らなかったため、今回は最終手段としてそのことも付け加えてお願いをしました。

 しかし病院長の返答は「病院の規則から許可できない」でした。そのころ気がついたのですが、妻は産科の患者でもありましたが、同じ病院の精神科の患者でもありました。この精神科の患者を病院がひどく苦しめていることは許されるのか?このことを病院に訴えました。医事課も精神科の主治医も私たちに賛同してくれた形となりました。また妻は、病院長にすぐさま手紙を書き、夫婦の真意を述べました。そして直接、産科師長さんにお会いして、繰り返しお願いをしました。師長さんは私たちと直接会ってイメージが違っていたとおっしゃり、電話では伝わらなかったことが一気に伝わったような感触がありました。
 その後、産科スタッフ、娘の小児科主治医、病院長、精神科主治医などが関わった上で何度かの会議が行われ、面談の許可が下りました。そして、2009年7月末に面談が実現しました。

面談の内容

 面談は、助産師さんと師長さん、私たち夫婦の4人で2時間行われました。面談で助産師さんは、私たち夫婦が疑問に思った点をすべて答えてくださいました。
 また、助産師さんは、あのときこうしていればと反省する点もためらいもなく話してくれました。そして、娘の出生時の教訓をその後生かして助産師として活躍されていることがわかりました。また、後輩の指導にも生かされていることなども伺い、
夫婦として大変うれしく思いました。
 実際に面談してみて、直接本人から語られることで真実であるという確信と、助産師さんが技術的にも人間的にも大きくなって活躍されていることがよく理解できました。同じ内容が文章で語られていてもおそらく確証が持てないと思います。
 

面談を終えて

 面談は、私たち夫婦にとって極めて重要な意義のあるものとなりました。そして、娘の死から立て直しの節目にしていけそうです。
 病院関係者から、今回の面談で私たち夫婦に面識のある人は面談に積極的で、そうでない人は、病院の規則から反対だったそうです。また、助産師さんが面談に前向きでない場合は、不可であったことを聞きました。助産師さんの勇気に私たちは感謝します。また、多くの病院関係者が私たちの心情を理解して、病院のルールを乗り越えてくれました。

 2009年4月から7月まで私たちは、精神的に極めて苦しい思いをしました。人と人が本当の気持ちを話し合う「場」の設定に大変な労力が必要であるである現実がよくわかりました。

 私たちのような思いを今後しなくても、話し合いができる医療の現場になっていてほしいと願うばかりです。

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