日付2007.10.27-28 山域蓼科山 山名蓼科山 同行者H.I
行程
第1日 渋ノ湯「渋御殿湯」着、泊 歩程なし
第2日 渋御殿湯(より車で)-女の神展望台-蓼科山七合目登山口(徒歩で)-蓼科山山頂-七合目登山口
    歩程4時間50分

第1日 10月27日(土) 雨

ぼくの風邪で2週間延ばした結果の山行。まだ微熱あるが寒くなるので決行。
H.Iの車で早朝に迎えに来てもらったが、秋台風が東海を通過、一日中雨でとても登れず。
それでも翌日に希望を託すことに。白樺湖畔でソバを食べたが、高くてまずい。
14時「渋御殿湯」着、かなり古い。廊下は動物のはく製で一杯、部屋は民宿のようで、ヒナ情緒満点。
寒気の中、暖房は電池の入っていない石油ストーブだけで鼻孔を刺激。廊下には「2:20以前の到着には
○割増(忘れた)の料金」とか「昼のフトン使用は500円」などの貼紙がユニーク。
風呂は長い建物の両端にあり、一方の湯は古色豊かでとても良い雰囲気。古い木製の湯殿に浴槽二つ。
ひとつは床に深く埋め込まれ、座ると頭がフチより低くなる。穴の中のようだ。湯はぬるめの白濁した硫黄泉。これは源泉なのだろう。
もう一槽は透明な加熱した温湯で床の上にあるが、やはり入るに高く、座ると深い。昔のこの辺の人は巨人だったのだろうか?  広い床には蛇口も腰掛も、シャンプーどころか石鹸もない。
ここは「浸かる」だけの所のようだ。人の話では、もう一つの湯には洗い場が「ある」という。
感心して湯に入っていたら、60過ぎの男性と話が始まる。埼玉のGASスタンドをやめて人に貸し、全国を車で節約温泉めぐり、車で寝、河原で焚火をしてダッチオーブンで調理しているとか。いいなあ。
部屋に戻って3時。手持ち無沙汰で当然H.Iと飲み始める。雨はいよいよ激しく、4時頃にはもう薄暗くなる。
ストーブが臭いのもあって時々窓を開けては嵐見酒としゃれていたが、ふと見るとなんと雪が降っている。
玄関前の路面もうっすら白い。予想外の歓迎、というべきかな。
5時夕食。下の食堂へ行くと客は半分。料理はそこそこだったが税込\8,550の1割引(ネット予約)で納得。

第2日 10月28日(日) 晴

文字通りの台風一過で快晴。こううまく行くとは。7時朝食、出発は8時ちょい前。
8:20「女の神展望台」。標識はあるが地図(昭和56年発行。古い!)にはない。たぶん女神茶屋の南東1kmあたりかと推測。この辺も昨夜は雪が降ったはずだが、残っていない。
案内板(写真)がとても役立つ。


甲斐駒(中央)のピラミッドがはっきり見える。
中央本線に乗る時はいつも南アには雲がかかり、甲斐駒はほとんど見たことがなかったのでうれしい。
北岳(左)も、この距離から、それとはっきり見るのは初めて。
どっしりした仙丈ケ岳(右)は、未だ登らぬあこがれの山。


木曽駒(右)、
空木(左)はすでに懐かしい。あんなに左右離れていたんだ。



8:50体調自信なしにつき、南側からではなく北側七合目登山口に車をつけ、
鳥居(写真)をくぐって登る。
しばらくはなだらかな道。


夜の冷気で凍りついた斜面を上ると、やがて雪が見られるようになり、
10:15将軍平の蓼科山荘では10cmほどの積雪(写真)。
H.Iの背景は蓼科山。



11:10山頂着。
岩の原がゴロゴロと広がっているサッカー場ほどの不思議な平地。
火口というほどの凹みはないが、道もなくとても歩きにくい。


展望は圧巻。蓼科の位置がいいので、日本の名山のうちのかなりの山が見えたのではないか。 帰宅後調べたこともあり、ある程度は
同定できたつもりだが、すべての山を名指しできなかったのは残念。
穂高連峰(左)、大キレットをはさんで白い山群の一番右が槍。
その右下の青いピラミッドは常念。


中央左の台形状に大きな白い塊りは立山、
右の三角形は剱岳。
遠いので拡大するとつらい。


こちらは八ヶ岳。左から横岳(横に長い)、赤岳、阿弥陀岳、権現岳。
前に登った山(八ツはだいぶ前だが)を確認できるのは、
旧友に会えたようで懐かしくうれしい。
山登りは回を重ねるほどハマッていくものだとすれば、そういう楽しみが増えて行くことも理由のひとつに違いない。


全方位の山々を堪能して、11:25元来たルートへ下山開始。
右下の小屋は蓼科山頂ヒュッテ。



11:35浅間山が前方に大きく存在感を示す。次はあそこへ登らねば、と思わせる力が強力だ。
13:40七合目登山口着。
佐久インター経由後、事故渋滞もあり帰宅は21時。
H.Iさん、運転お疲れ様。

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