表2 立評事例

評名 国名 年代 立評の根拠 備考
水依評 因幡 646   ・因幡国の領域を一評とする

・伊福部臣都牟自を、督に任用

香島評 常陸 649   ・海上国造の部内・那賀国造の部内の六里を割いて立評

・大乙上中臣()子、大乙下中臣部兎子等が惣領高向大夫に申請

行方評 653   ・茨城の地との那珂の地の七〇〇余戸(一五里)を割いて立評

・茨城国造小乙下壬生連麿・那珂国造大建壬生直夫子等が惣領高向大夫・中臣幡織田大夫に申請

石城評 陸奥

・「所部遠く隔たり、往来便よからざるを以て」

多珂国造石城直美夜部・石城評造部志許赤等が惣領高向大夫に申請

・後文参照

信太評 常陸   ・筑波・茨城評の七〇〇戸を割いて立評

小山上物部河内・大乙上物部会津等、惣領高向大夫等に申請

度会評 伊勢 孝徳朝   ・「一〇郷」を割いて立評

・新家連阿久多を督領に、磯連牟良を助督に任用

多気評   ・「一〇郷」を割いて立評

・麻績連広瀬を督領に、磯部真夜手を助督に任用

宍木評 播磨   揖保評を割いて立評
三根評 肥前     ・神埼評と一体であったが、分立

海部直鳥の申請

10 高草評 因幡 658   水依評を「壊す」
11 越智評 伊予 天智朝? 「越智直言さく、『郡を立てて仕へむ』ともうす。」 ・白村江の戦いにおいて唐の捕虜となり、生還したことへの、褒賞

越智直の申請

12 飯野評 伊勢 664   ・多気評から「四郷」を割く

・小乙中久米勝麻呂を督領に任用

13

682 「越の蝦夷伊高岐那等、俘人七〇戸を一郡とせむと請す。」 越の蝦夷伊高岐那等の申請 
参考

匝瑳評

下総 6世紀代? 「物部小事…坂東に出征す。凱歌して帰報す。この勲功により、…始めて匝瑳郡を建て、乃ち以て氏となすを得さしむ。」 後世の伝承

※1)国名は便宜上、基本的に令制国名を用いる。

※2)史料上「郡」とあるものは、すべて「評」とした。

※3)出典は以下の通り。

      bP・10……『因幡国伊福部臣古志』(神道大系本)
      bQ〜5……『常陸国風土記』(日本古典文学大系本。以下、『風土記』については同じ)
      bU・7・12…『皇太神宮儀式帳』(神道大系本)

      bW…………『播磨国風土記』

      bX…………『肥前国風土記』
      bP1………『日本霊異記』(新日本古典文学大系本)

      bP3………『書紀』天武一一年四月甲申条

      参考………『続日本後紀』承和二年三月辛酉条(新訂増補国史大系本)

 

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