表 諸史料に見える印・鎰(駅鈴)の管掌
年次 駅鈴 記述 管掌者 備考 出典
672年 西国諸国 (伝印) 官鑰 以西の諸国司に仰せて、官鑰・駅鈴・伝印を進ましむ × 壬申の乱後の措置 『紀』天武元年七月辛亥条
761年 美作国 × × 美作介…県犬養宿禰沙弥麻呂…独り自ら館にありて公文にし… 長官 介が、守を経ずに独断で公文に捺印し、守に訴えられ解任 『続紀』天平宝字五年八月癸丑朔条
806年 諸国 × × 掾已上の官、共に任所を離れ、を主典に付することあり × ・長官出向の際、掾已上も共に任所を離れ、印を主典に付すことが問題視される
・主典が印を管掌しないことは確認される
『後紀』大同元年五月己丑条
816年 上総国 × 後任真野印鎰を領すと雖も… 長官 ・交替期間中の、官物焼亡の責任について奏上
・印鎰を領した小野朝臣真野は守
『後紀』弘仁七年八月丙申条
865年 甲斐など9国 × × 或いは長官故ありて、主典、を執る × ・介の置かれていない国で、長官に事情がある場合、主典が印を執るのが問題視される
・主典が印を管掌しないことは確認される
『三実』貞観七年五月一六日丙申条
884年 石見国 来たりて、権守上毛野朝臣氏永を囲む。政、法に乖かんがためなり。扔りて印匙を奪い取り、以て傍吏に授く。…すなわち、凶賊をして、印匙鈴などを奪い取らしむ。 長官 ・郡司が、権守(7では守)を襲撃し、印鎰(匙)・鈴などを奪う 『三実』元慶八年六月二三日壬子条
886年 石見国 守…上毛野朝臣氏永を囲み、印匙駅鈴などを奪い取る 長官 ・6と同事例 『三実』仁和二年五月一二日庚寅条
914年 諸国 × その印鎰を領じて、その禁錮を厳しうす 長官 ・次官以下の任用国司が長官を誣告することを問題とした事項。
・引用部は、朝使が理非を弁ぜずに、長官を禁錮する旨を述べているので、印鎰の管掌者は長官と考えられる。
「三善清行意見封事一二か条」
9 939年 常陸国 × 放逸の朝、印鎰を領掌せらる 長官か ・平将門が常陸国府を襲撃
・印鎰の管掌者ははっきりしないが、長官以外の国司は記されていない
『将門記』
10 939年 坂東八国 × 今、すべからく先ず諸国の印鎰を奪い、一向に受領の限りを官堵に追い上げてん。 長官か ・武蔵権守興世王の献言を容れて、将門が朝庭への反乱を決意
・印鎰の管掌者ははっきりしないが、後文の「受領の限りを官堵に追い上げてむ」から長官(受領)としているとも考えられる
『将門記』
11 939年 下野国 × 新司藤原朝臣公(弘)雅・前司大中臣全行(完行)朝臣ら、…先ず将門を再拝して、印鎰を擎げて… 長官か ・平将門が下野国府を襲撃
・新司公雅(弘雅)・全司全行(完行)は、いずれも守*
・ただし、「前司大中臣全行朝臣」とあるので、長官以外も印鎰を管掌していたとも解せる。
『将門記』
12 939年 上野国 × 上毛野介藤原朝臣尚範朝臣は印鎰を奪われ… 長官 ・平将門が上野国を襲撃 『将門記』
13 939年 武蔵・相模国 × 新皇巡検して、皆、印鎰を領掌し… × ・平将門が新皇即位後、武蔵・相模国も掌握 『将門記』

(凡例)
1.対象となる時期は、七世紀後半から一〇世紀前半とした。
2.『後紀』は『日本後紀』、『三実』は『日本三代実録』を示す(『紀』『続紀』については、本文に同じ)。
3.「三善清行意見封事一二か条」(№8)の引用は、『古代政治社会思想』(岩波書店、一九七九年)による。
4.『将門記』(№9~13)の引用は、『平将門資料集』(新人物往来社、一九九六年)による。
5.『将門記』に見える「印鎰」を、「国務条々事」(『朝野群載』巻二二)などにより、「印を納めた印櫃のカギ」と見る見解もあるが(牛山佳幸「印鑰神社と印鑰社の成立」〔『日本歴史』三六五、一九七八年〕)、便宜、正倉の鎰と見ておく。
6.将門の乱に際しては、『本朝世紀』天慶二年一二月二九日条、将門追討を命じた「天慶三年正月一一日太政官符」(『本朝文粋』巻二 官符』)にも「印鎰」が見えるが、煩瑣を避けるため省略した(前掲『平将門資料集』参照)。


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