表1−A 郡の分立・統合事例

郡名 国名 年代 建郡の根拠 備考
長上郡 遠江 709 地界広く遠くして、民居遙かに隔たり、往還に便あらず、辛苦極めて多し。 長田郡から分立
長下郡

甲奴郡 備後 郡家を相去り、山谷阻遠にして、百姓の往還、煩費太だ多し。 葦田郡・品遅郡から分立
多胡郡 上野 711   甘楽郡・緑野郡から分立
能勢郡 摂津 713 山川遠隔にして、道路険難なり。 河辺郡から分立
席田郡 美濃 715   席田君迩近と新羅人を以て建郡
高麗郡 武蔵 716   高麗人一七九九人を以て建郡
菊多郡 石城 718   常陸国多珂郡から分立
佐芸郡 志摩 719   搭志郡から分立
10 大県郡 河内 720   堅下郡・堅上郡を統合
11 賀母郡 佐渡 721   雑太郡から分立
12 羽茂郡  

13 藤原郡 備前   邑久郡・赤坂郡から分立
14 深津郡 備後   安那郡から分立
15 玖珂郡 周防   熊毛郡から分立
16 刈田郡 陸奥   柴田郡から分立
17 山名郡 遠江 722   佐益郡から分立
18 新羅郡 武蔵 758   新羅人七四人を以て建郡
19 藤野郡 備前 766 地是れ薄瘠にして、人尤も貧寒なり。公役を差し科すること、途に触れて怱劇なり。…

治郡に遠闊にして、他界に側近なり。差科・供承、極めて艱辛なり。

邑久郡・赤坂郡・上道郡の計六郷、及び美作国勝田郡の一村を統合
20 多賀郡 陸奥 785 徒に開設の名有りて、未だ統領の人を任ずることを得ず… 権郡から真郡となる

 

21 階上郡

22 磐梨郡 備前 788 …中に大河有りて、雨水に遭う毎に公私通い難し」という。茲によりて河西の百姓、屡公務を闕けり。 和気郡(藤野郡)から分立
23 富田郡 陸奥 799   色麻郡を統合
24 讃馬郡   新田郡を統合
25 登米郡   小田郡を統合
参考1 珂摩郡 備前   八世紀初期に後の磐梨郡に統合されたと見られる
参考2 多賀郡 陸奥 785以前 名取以南十四郡、僻りて山海にありて、塞を去ること懸に遠し。徴発のこと有るに属りて機急に会わず。 宮城郡から権郡として分立
参考3 階上郡

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※出典は、基本的に『続紀』『日本後紀』(新訂増補国史大系本)によるが、参考1は『飛鳥・藤原宮発掘調査出土木簡概報(一〇)』(一九九一年)による。

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