(邪馬台国と大和朝廷を推理する) つまこいし こはははこいし ゆめがはま
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28.九州北部と近畿 |
邪馬台国東遷説の中には、甘木市を中心とする地名群が大和に移植されたとする説もあるようですが、それ
は間違いです。斉明天皇が朝鮮出兵に備えて、一時的に甘木地方に都を移したことがあり、それにちなんで
大和から甘木地方へ地名移植が行われたと見るべきです。
しかし、甘木から北の博多湾岸に目を移すと、また別の大がかりな地理的な対応関係が、九州北部と近畿の
間に見られます。 西の方から、 深江(ふかえ)と・・・・深日(ふけ) 周船寺(すせんじ)と・・浜寺 那の津と・・・・・・・難波の津 若杉山と・・・・・・・多武嶺 笠置山と・・・・・・・笠置山 関門海峡と・・・・・・七里の渡し 中津と・・・・・・・・津 宇佐八幡宮と・・・・・伊勢神宮 姫島と・・・・・・・・神島 基肆(きい)郡と・・・ 紀伊国 英彦山(ひこさん)と・・ 大峰山 という具合です。これは偶然の一致でしょうか。 |
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