「あ」 後ろから聞こえた声に振り返ると、声の主は俺の横を通って前の席に座った。 それから彼女はこちらを向いてにこっと笑った。 「…何、」 「あ、ううん、財前くんええ匂いやなあとおもて」 「はあ?」 「ちょお、嫌な顔せんといて、ええとあれやねん、赤ちゃんの匂いする」 嫌な顔をするなと言われたが、俺は一層顔をしかめた。 (赤ちゃんの匂いがすると言われて喜ぶ男がどこにいるんだろうか) そんな俺の態度に彼女はちょっと焦ったようで、「ちゃうちゃうくて」と繰り返した(何がちゃうねん)。 「ミルクの匂いて言うか、いや、やっぱ赤ちゃんの匂いやねんけど、」 「俺が乳臭いて言いたいんか」 「いや、やからちゃうくって、うちにな、子供おんねん。 もう4歳やねんけど、ちっちゃかった頃は今の財前くんみたいな匂いしとって懐かしいなて」 「あ、うちの子やのうてお姉ちゃんの子やで」と笑う彼女に「ああ」と返事をして、 俺は今朝の事を思い出した(そういえば今朝、甥っ子にミルクをやった)。 その後甥っ子をずっと抱っこしながら朝ご飯を食べたり教育番組を見たりした。 (それでうつったのか) 「俺ん家にも甥がおんねん」 「そうやったんや。ええなあ」 「ええなあて、あー、えーと、」 「」 ふと、彼女の名前を呼ぼうとしてわからない事に気付いた。 うまいことかわせばよかったのだがそれより先に彼女がその事に気付いたらしい、 苦笑しながら自分の苗字を呟いた。 それから「前の席のクラスメイトくらい覚えてえや」と。 「すまん、で、さん家にもおるんやったらええなあはおかしいやろ」 「やから、うちの子ちょっと垢抜けてきてん。子供の成長てあっという間やで」 なんや、若者と言うより年寄りの会話みたいやなあと思いながら俺は小さく笑った。 「悟ってんなあ」 「財前くんも今に驚くで〜」 やはり近所のおばちゃんのような身振り口調で彼女は笑った。 でもその顔は意外にも可愛かった(知らんかった)。 「にしても、財前くんええ匂い。赤ちゃんの匂いて何や安心するよねえ。 これからは財前くんに癒しを求めてしまいそうやわ」 「どういう事やねん」 「うちの子にミルクあげるんがうちの癒しやったんやもん」 「ああ、何なら俺にミルクくれてええで」 「ぶは、ちょおそれ何や変態っぽいで、クールな財前くんがそんな事言うたらアカン」 おなかを抱えるほど笑うを見ながら俺は、 (赤ちゃんの匂いがするといわれて喜ぶ男もいるもんだなあ)と他人事のように考えた。 (にしても、笑いすぎ) |