散々なぐさめてもらった後、 と校門で別れるとまた寂しい気持ちになった。 どっか寄って帰ろうよおごるから、なんて言ってくれたけどそんな気分にはなれなかった。 かといって家にも帰りたくない。 だからなんとなくとぼとぼと来た道を引き返すことにした。
グランドからは元気のいい声が聞こえてきて、体育かんからはキュッという シューズの独特の音が聞こえてきて、 校内に入ると吹奏楽部の楽器の音がこだましていた。 頭で色んなことを考えないように、周りの音に聞き入る事に専念しながら教室へ向かう。 足取りは軽くなかったけれど、それほど重くもなかった。
終わってしまったことを悔やんだって仕方ない。そうだ、教室のゴミ箱にこっそり チョコなんて捨ててしまおう。 自分で食べるなんて惨めな事はしたくないし、 家に持って帰ったって今日のことを思い出すだけだろう。 ならいっそ始まりの場所で終わりにしよう。 忍足くんへの気持ちも捨ててしまおう。そうきっとこの想いは友達の行き過ぎた想いの末路だ。 ちょっと仲良しになれたと思って私は付け上がりすぎていたに違いない。
この想いを捨てたって、友達として好きなのは変わらないはずだ。 今までそうだったように。

2月、陽が落ちるのはすごく早い。 陽が地平線に飲み込まれたぐらいの時間帯、もう校舎のヒーターは落とされたようだった。 息を吐くと白いもやが目の前にあらわれる。 崩れたマフラーを巻きなおして、私は教室の扉をあけた。
目標は扉を開けると一直線に見えるゴミ箱。 鞄から乱暴に包みを取り出すとそっと置くようにそれをまだ掃除された後のゴミ箱の中に捨てた。 それから、あきらかにそれだとわからないように、教卓の中 からあまったプリントなんかをあさって、それで、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱にいれた。 これでわかんないだろう。ゴミ箱漁る趣味のやつなんかこのクラスにいないわけだし。
(これでいい、これでいい、間違ってなんかいないんだ)

じわりとまた溢れそうになる涙をぐっと堪えて、私は二度目の帰路につこうと教室を後にした。


昇降口、緩慢な動作で靴を履き替えて外に出るとまだグランドの方からは声が聞こえていた。 (寒いし暗いしこんな中でよくやるなあ)帰宅部の私はそんな事をのんきに考えた。
ため息を一つ、ついた後だったそれが空から降ってきたのは。

(…かさなんか持ってきてないってば……)

突然の激しい雨だった。でもこういう雨は大抵すぐやむ事が多い。濡れて帰るよりは 時間を浪費した方が得策だ。 どうせこの時間までいたんだから、それがちょっと延びたくらいどうってことない。

どうしても、帰るべきだったと数分後私は後悔するけど。



さん?」
「え?」

控えめな声に顔を上げると、控えめに微笑んだ忍足くんが立っていた。 いやいやまさか。どうしてこういうタイミングってあるものか。 朝悪い事があるとその日一日ずっと悪い事ばっかりあるもんなのだろうか。 何となく顔を見ることが出来なくて下を向くと、 忍足くんの足元に水溜りが出来始めていた。 たえず上から滴ってくる雨粒が、それを大きくし始める。
じょじょに上へ視線を上げていくと、頭のてっぺんからずぶぬれだった。 反射的に鞄からハンカチを取り出すと、忍足くんに向かって差し出した。でも「すまん」と 言った忍足くんはそれを受け取ろうとはしなかった。

「…外で部活してると、こういう突然の酷い雨はきついよね…」
「ああ、そやな。みんな今頃コートでひーひー言うてるんちゃうかな」
「…?何でそんなに他人事なの?」
「お譲ちゃん相変わらず鈍いなあ。制服でテニスできると思うか?」
「あれ、そういえば…」

言われて見れば制服だ。濡れそぼったシャツが、ぴったりと忍足くんの身体に張り付いてるのが、 ブレザーの隙間から見てとれる。 一度濡れた髪を掻き揚げた忍足くんの顔には、いつも表情を隠してる邪魔な前髪が存在しない。 めがねも雨粒でやられたのか、今はかけていなかった。
色っぽくて、ドキっとするような男の人だ。見てはいけない気がして、思わず再び視線を逸らした。

「今朝ショックな事があって部活集中できなくなってな?部長にしぼられた挙句に 俺の事つかいっパシリにしよってん。せやから今おつかい終わって帰ってきたところだったんや」
「そう、だったんだ…お疲れ様…」
「ん。」

向き合ったまま、忍足くんは去ろうとしなかった。 おつかい頼まれてたんだったら、急いで部室に帰るはずなのに。 今日一度も視線が絡む事はなかったはずの忍足くんの視線が今、じっとこちらを見ているようで ちょっと怖かった。

「………なあ、聞いてええか」
「………なに、を?」
「…ほんまはあのチョコ、誰にあげるつもりやったん?」
「………あれは…その、でも…ほら、忍足くんには全然、関係ないし…」
「…あんな、さん鈍すぎや。俺その言葉に傷ついてこんな目おうてるんやけど気付いてくれへんかな。 こんな脅迫みたいな言い方で悪いんやけど、ちょっとでも今悪いと思たら せめてそれだけでも教えてくれへん?意味、わかるか?」
「え?あの、…あ、え…よくわかんないんだけど…」
「………好きや言うてんねん。ほんでさんの好きな輩のことが気になっとんねん。 せやのに朝から晩までお譲ちゃんときたら俺だけにはチョコあげたないとか言い張りよるし、 挙句の果てには俺には関係ないて暴言吐くわ…流石の俺も傷つくわ」

精一杯頭の中でその言葉を処理してやった。バッと顔を上げると 恥ずかしそうに頬を染める珍しい忍足くんが見れた。

「忍足くん、」
「……なんや」
「お、忍足くん…」
「…せやから、何?」
「ごっ、ごめんなさ…っ」

それだけ言うのが精一杯だった。 出したまましまうことも強引に渡すことも出来ずに手の中で握り締めていたハンカチを、 もっともっと強い力で握り締める雨の中を走り出した。 容赦なく叩きつける強い雨がちょっと痛い。 ぬかるみに足をとられる。 目の前がちょっと滲む。
運動部の忍足くんに敵うはずもなく、ハンカチを掴んでいた腕は呆気なく拘束された。

「ごめんてなんやねん!!わけわからんわ!」
「わっ、私も、ッ…よく、わからなっ」

息切れとしゃくりで言葉が搾り出せない。おまけに頭も働かない。
ただ雨粒の冷たさと、つかまれたところが猛烈に熱いことだけを認識する。

「だってが好きなんだもん」
「は?さんがか?」
「ちがくて!!私の中の忍足くんは、のことがすきなんだもん!」
「ちょ、待ち、よおわからん、整理して言ってくれへん?」

大雨のせいで必然と声は大きくなる。 もどかしい距離のせいも、あったと思う。 つかまれた腕を、振り払おうともしない私と、離そうとしない忍足くんとの間に、 なんとなく微妙な距離が生まれていた。 遠すぎない、近すぎない、でも、逃げられない。

「忍足くんが を好きでも、 は野球部の人が好きで、だから忍足くんとは一緒になれないんだけど、 でも私一緒にいたくて、忍足くんとも とも一緒にいたくて、だから」

自分でも何を言っているのかわからなくなった。 けれど頭に浮かぶのはそれだけで、整理して言ってくれなんていわれたって、 処理できるほど容量はたりてない。 だって今日は、いろんなことがいっぺんにあったんだもん。

「肝心なさんの核心の気持ちに触れられてへんよその言葉。さんは俺の事、どう思ってるん?自分ずるいやん。俺の告白流さんといてよ…頼むから…」

ずっと、ずっと好きだった。 焦がれていた、望んでいた、でもそれはただの憧れだった。
私だってどうしたらいいのかわからない。

「好きだけど、そうじゃない、チョコは確かに、忍足くんにあげたかった、けど、でもっ、もう、」

何もかも、遅いんだよ



よくわからない意識の中で、熱い腕に抱かれた。
よくわからないままにわんわん泣きながら、 びしょぬれになったハンカチはもう役に立たないな、なんて冷静な事を考えた。


理解からも誤解からも遠いところで