遅刻しそうな時間帯、いつもより少しだけ早足で歩いていた。 今日の生活指導の先生はちょっとくらいの遅刻なら見逃してくれる先生だから、大丈夫。 と思っていると道端にしゃがみ込む大きな人影を見つけた。
(千歳くんや)
彼は今年になってうちの学校に転校してきた噂の人だ。テニスがめちゃくちゃ強いらしい。 私と彼は4月以来クラスメイトになったわけだけれど、 ろくに学校に来ないし本当にマイペースで誰が話しかけてもそんなに盛り上がっているところは見たことがない。
彼はどこかカゲのある人なんだろうなと私は思っていた。 それでも放っておけない感じの人柄で、クラス総出で世話を焼いている。

「何しとるの?遅刻すんで」

一応制服を着ているし、通学路にいるということは今日は学校に来るつもりがあったのだろう。 けれどそこを動く気配がないし何をやっているのだろうと覗き込むとそこには一匹の子猫がいた。
茶色の毛をぼさぼさと立てているその子猫は、 千歳くんの大きな手のひらの中でふるえながらにいにいと鳴いていた。

「わあ、かわええ。どないしてん」
「んん。母親に見捨てられたのかもしれん。ここで鳴いとっとね」
「そっかあ…」
「うちのアパートでは飼えんけん、うっちょけとった方がよかったいね」
「うっちょけ?」
「ほっとくっちゅうことばい」
「ああ。でももう千歳くんに懐いとるみたいや」

子猫はぺろぺろと千歳くんの手のひらをなめていた。頬をすりよせる様はとてもかわいらしい。
そして千歳くんは「困ったもんたい、こっから動けん」、と動く気が果たしてあるのかわからないような口調で言った。

「そやなあ、うちで飼えるかも。もう1匹いるんやけど、増えても変らんと思う。お母さん、猫好きやし」
「おお、ほんなこつね?」
「うん」
なら安心ばい」

(あ、私の名前知ってたんだ)
正直、普通に話しかけたものの私の事を知っているのか不安だった。 けれど彼の口から私の苗字が出て安心する。 他人にはあまり興味がなさそうに見えるのだけれど(失礼かもしれないが)、観察はしているようだ。 それに、優しい。

私はちらりと腕時計を眺めて、これは完璧門閉まるなあと諦めの気持ちが沸いた。 このまま子猫(と千歳くん)を放っておくわけにもいかず、 一度家に帰って子猫にご飯をあげることにした。

「うち、その子連れて一回帰るわ。お腹すかしとると思うし洗ってあげたい。 千歳くんははよ学校行き。きっと走れば間に合うで」
「家まで送っていくばい。ばっかり遅刻させるのはよーなか」

そう言って千歳くんは子猫を抱いたまま立ち上がった。
座っていても存在感があるけれど、立ち上がるとまるで壁である(何を食べたらそんなに大きくなるのだろう)。
それにしても、義理がたいというか頑固者というか。 出席日数の危ない彼だからこそ遅刻しないように誘導しようと思ったのに、 なぜだか私は彼の隣に並んで今歩いてきた道を引き返すことになってしまった。

「にしても、千歳くん猫似合うなあ。付属品みたいや」
「なんねそれ」
「セットでかわええってこと」

こんなに大きくてがっしりとした人が、とても小さな子猫を抱えている姿を見たらものすごいギャップを感じそうなものだけれど。 千歳くんにはすごくマッチしている。
というよりも、彼自身が猫に似ているのかもしれない。 気まぐれで自由奔放で。

の方がむぞらしか。こん子猫と同じでこんちゃかで」

(どういう意味だ)
聞きなれない方言に首をかしげながら、子猫と同じでってところと今までの会話の流れからして、 まさか可愛いと言われているんだろうかと思い当たる。
意外と軽い人なのかなあ(というよりも素っぽいなこれは。こういう人懐こい人柄なのだろう) なんて思って苦笑すると、「こん後どけ行くと?」と千歳くんが私を見降ろした。
(どこって、学校に決まっているだろう)
そう思ったけれど、折角打ち解けるチャンスだしなあと思って 「千歳くんのおすすめの場所に行こ」と私は笑った。


何でやねん何がやねんどないやねん


「むぞらしか」=かわいい、「こんちゃか」=ちいさい という意味です。
熊本弁がさっぱりわかりません。