匂いフェチ、とまで自分では思っていないけど匂いには結構敏感な方ではあると思う。
香水が苦手な友達から言わせて見れば、デパートの香水売り場とか 体育の後の女子更衣室(微香料の制汗剤とかふり直した香水の香りが詰まっている)は、 絶望に近い吐き気を覚えるらしいけれど。 私にとっては色んな匂いの玉手箱のようなものである。
まあ、あんまり色んな匂いがすると流石に友達みたいに「くさい」って思うんだけど。
街角でふと、すれ違った人の残り香にもそそられる。 割とすぐに忘れてしまうのだけれど、今のいいにおいだったなあなんて思うだけで 何だか心に潤いが与えられた気分になる。

そんな私は、ある日学校でとてもそそられる香りに出会った。
友達と楽しくおしゃべりをしながら移動教室先へと向かっているときだった。 すれ違った誰かの残り香が、とても強烈な既視感を思い起こさせたのだ。
幼い頃の自分が、若い女の人に抱かれて喜んでいる。
それは歳の離れた従姉妹のお姉ちゃんだった。今は遠くにお嫁に行って中々会えないけれど、 小さい頃はよく遊んでくれた。 いつだって甘くていいにおいのする、子供の私にとって憧れの、大好きなお姉ちゃんだった。

「あ」と声を上げると、隣に居た友達がびくっと肩を上下させる。 自分で思ったよりも大きな声だったみたいだ。 その、大きすぎる声にすれ違った人の波も一瞬動きを止めた。
誰だろうか、この香りはと振り返ってみると一人の男子生徒と目があった。 おいしい蜜を探し当てる蝶みたいに、私は香りを辿ってその人へと吸い寄せられる。
近づいてみると、さっきよりもずっと嬉しい気持ちが蘇ってくる。

「白石、知り合いか?」
「いや、」
「ちょっと、何やっとんの」

思い出を掘り起こして感傷にひたっていた私は、周りからしてみれば頭のおかしい人だったのかもしれない。 友達の名前を呼ぶ声にハッとして目の前の人を見ると、訝しい顔で横にいる男子生徒と話していた。

「あっ、その、ごめんなさい!懐かしい香りだったからつい」
「何や、告白とちゃうんか。今日のネタにしたろ思たのに」
「謙也」
「冗談やって」
「あの、香水ですか?シャンプーかな?私、その香りが何だかずっと知りたくて」

そう、ずっと知りたかった。
けれどお姉ちゃんは、「にはまだ早いね」と教えてはくれなかった。

「ああ、そういやお前今日ちょっと臭うで」
「…謙也が言うと腹立つなあ。臭い、みたいに言わんとって」
「せやかて女っぽい匂いやから」
「ああ、そう。これ、姉さんの香水の匂いや多分。昨日、酔って帰ってきた姉さんに香水振り掛けられてん。 このシャツ、アイロンかけたばっかりやったのに」
「お姉さんの香水…」
「悪いなあ、銘柄まではわからんわ」
「そうですか…」

折角知りたかった香りに出会えたのに、結局わからず仕舞いかあととても残念な気持ちになった。
手の届くところにあるのに、答えは未だ闇の中かあ。

「姉ちゃんから聞いてきてやったらええやん」
「それもそうやな。君、何組なん?」
「3組のです」
「何や隣やったんか。俺、2組の白石。今日にでも聞いてきたるよ」
「本当?ありがとう。足止めしてごめんなさい、じゃあ」
「別にええよ」

心で物凄いガッツポーズを取ってその場を後にすると、「あいつテニス部部長の白石だよ。 めっちゃ有名人やけど知らんかったん?」と待ちくたびれた友達に小突かれた。 「人気者やし、声かけるとか勇気あるわあ」と。
そんな声も遠くに聞こえるほど、私は明日の事ばかり考えていた。


続きのない自覚


(何や白石、顔にやけとるで。さっきの子、好みやったん?)
(別に。そやけどあの子、ちょっとええ匂いやった。多分シャンプーやな)
(うわ、えらい変態っぽいでえ白石。引くわ)
(謙也にはデリカシーゆうんが足りんようやな)
(お前には自覚が足りひんと思うわ)

((女に話し掛けられてそんな嬉しそうなお前、初めて見たわ))