突然のどしゃぶりの雨だった。 午後になってから退屈な授業の合間に覗き見た窓の向こう、たしかに 雨を降らしそうな雲が遠くに見えたのを思い出す。 一緒に帰り道を歩いていた白石君も同じ事を考えていたのだろう、 「やっぱ降りよったかあ」なんて暢気に言っていた。
結局それは、夏の夕方特有のどしゃぶりの通り雨であって長いこと雨に打たれる ことは避けられたのだけれど。

「濡れてもうたな」
「うん。びちょびちょ。明日から教科書ぱりぱりになっちゃうよ」
「っはは、せやなあ」
「やだなあ」

なんて他愛無い会話を楽しんでいるとふと白石くんが立ち止まって目を細めた。

「なあ、うちで服乾かしてから帰りや」
「えっ、いいよ、大丈夫」
「遠慮せんと」
「白石君ち濡れちゃうし」
「俺も濡れとるから一緒や」
「でも、ほら…その…」
「嫌なん?」

耳元でそんな風にささやかれて、嫌だと言えるはずもなく。 強引に手をひかれて白石君の家への道のりを歩いた。
その間、白石くんはずっと喋り続けていたけど私の耳には半分も届いていなかった。 別に白石くんの家に行くのが初めてというわけではなかったのだけれど、 さっき立ち止まった白石くんの顔が何だか凄く面白いいたずらを考えているような 顔になっていたのが、ちょっと引っかかっていた。



「これ、着替えな。濡れたん乾燥機の中入れたってな。ほんで先部屋行っとって」
「あ、うん、ありがとう」

家についてから白石くんはテキパキと私に指示を出して自分は台所の方へ向かったようだった。
ここまで来てしまったからには従う以外に私に出来ることもなく、 雨をたくさん吸った制服もべったり肌に張り付いて気持ち悪かったので ありがたく着替えを借りる事にした。
お風呂場で少し制服をしぼった後、パンと少し皺を伸ばして軽くたたみそれを乾燥機の中にそっと置いた。
その後、主の居ない部屋に足を運んで白石くんを待った。 しばらくして階段を上ってくる音が聞こえて、 その音が近づいてくるたびに跳ね上がりそうになる心臓をどうにか落ち着かせようと 私は必死だった。

「やっぱでかいな」

彼が着たらかっこよく着こなすであろうTシャツと短パンをもてあましている私を見て、 白石くんは少し笑った。 私は精一杯「うん、そうだね」とだけ言って笑った。

「はい、ホットミルク」
「ホットなの?」
「夏の雨でもあんだけ当たったら冷えるやろ」
「確かに、ちょっと寒いかも」

私の隣に腰を下ろした白石くんはそういってホットミルクの入ったマグカップを手渡してくれた。 しばらく二人とも無言でそれを啜り、 その間も大きくなっていく心臓の音が隣の白石くんに聞こえまいか不安だった。
いつになったら乾燥機の中の服は乾くのだろうか、何か気のまぎれるような話題は無いだろうか と必死に考えていたら白石くんが先に沈黙を破った。

「…あかん、俺ちょっと緊張してるみたいや」
「えっ、なんで?」
「そういう雰囲気にしとるの俺やけど、緊張しすぎやから」
「だ、だってなんていうかその…」
「そんな期待されるとどんな風に応えてやろうか迷うわ」
「き、期待してないよ!」
「きっぱり言うなあ」

そう言って白石くんはまた目を細めた。
(またその顔)
直視できなくて目をそらすと、マグカップを机に置く音が聞こえて頬に白石くんのきれいな指先が触れた。
(あ、キス、される)
そう思って反射的にぎゅっと目を瞑ると、白石くんの笑い声が聞こえた。

はいつまで経っても慣れんなあ。必死すぎや」

離れていく指先に、(ああ、からかわれたのか)と頭の隅で考えながら少しだけ名残おしさを感じた。

「だって…」
「そこが可愛くて苛めたくなるわ」
「いつかその言葉そっくり返す」
「へえ、楽しみや」
「ん、」

白石くんの唇がふと重なった。瞬間、体中の熱が唇に集まってしまうんじゃないかと思うくらい、 くらくらした。 段々深くなっていくそれに、手に持ったマグカップを持て余していると さりげなく白石くんがカップを受け取ってテーブルに置いた。
自由になった両手で、精一杯の気持ち返しとばかりに背中に回すと体が浮いた。 ベットのスプリングが二人分の重みで少し軋んで、ふわっと白石くんの香りが鼻を掠めた。

「雨降るとコート環境悪くなるから嫌やったけど」
「テニスコート?」
「そう。けど家に誘う口実になってええなあ」
「…やっぱり最初からこういう事するつもりだったんだ」
「あかんかった?」
「……嫌じゃ…ないけど…最初からそういうオーラ出されるとどんな顔したらいいかわからなくなる」
、わかりやすくてついな、苛めたくなるんや」
「さっきもう似たような事聞いたよ」
「そやった?」
「白石くんのドS」
「名前で呼んでや」
「やだ。呼ばない」
「ふうん。まあそのうち絶対呼ぶで」


結局、頭の中までとろけそうなくらい白石くんの熱に翻弄されてしまう。 真っ白になった世界で、いつも私はただ白石くんの言う通りにするしかない。
身体は私の意識から遠いところに置き去りになって、いう事をきかないから。

部屋の中では、マグカップの中で冷えていくホットミルクに薄らと皮が張り始めていた。


膜を張ったホットミルク