木曜日、本来なら今日はある意味で一週間前の今日よりもずっと注目される日のはずだった。 今日は白石くんは学校へ来るだろうか、目覚めてカーテンの外をのぞくとしとしとと雨が降っていた。 傘におちてくる雨粒の音をききながら、憂鬱な気分で学校へ向かうと偶然途中で謙也くんと会った。 「おはよう」と笑う謙也くんの顔は、少し困っているように見えた。 「おはよう。朝から雨でいやな感じだね。体育は中になるからいいけど」 「せやな。俺は外の方が思いっきり走れてええけどな」 「あはは、確かに謙也くんは走るの好きだもんね」 「は足遅いからなあ」 「ちょっと、失礼な」 ぱしゃんと小さな水たまりを踏ん付ける。ぱしゃと音をたててコンクリートに泥水が跳ねた。 「なあ、ほんまにマネージャーやらん?」 「ええ、何それ。すごい脈略ないけど」 「やって学校やとの友達ガード堅くてしゃべれんやんか」 「そうかなあ」 「そうなんやて」 まあ確かに最近は、白石くんのことで私に興味を持って近づいてくる人が多くて、 そのたびに私が困ってしまうのを友達は知っていたから常に傍にいてくれていたかもしれない。 その何気ない心づかいが、とてもうれしかった。 「他のマネとも仲良くなったんやろ?また喋りたい言うて待っとるで」 「ああ、そういえば結構趣味合う子ばっかりだった」 「、真面目やったし。部員内マネチャートでも上位やったで。出てたの二日間だけやったのに」 「ぶ、何それ」 「女子禁制、秘密アンケートや。女子かてそういうことするやろ」 「ランク付けしたりしないって。何組の誰それは格好いいとかはおやつ時のネタだけどね」 「同じようなもんや」 ぶーんという音をたてて通り過ぎて行く車が、水たまりをはねさせて、 道路側を歩いていた謙也くんが「うお」と少し大きな声を上げた。 その反射神経に「おお」と感嘆の声をもらすと「おおげさやなあ」と謙也くんが笑った。 そして何となくお互いに無言になって、謙也くんが隣でそわそわしているのが伝わって来た。 「ちゅうかな、白石がその…」 ぼそぼそと呟くように謙也くんはそう言った。 それが逆に私の地雷を踏んでいるのだと彼は気付いていないだろう。 (別に気を遣わなくていいのに、むしろ遣われるほど悲しいのに)とは言えなかった。 「白石くん、どうしたんだろうね。2日も休むなんて」 平静を装うように、私はそう言った。 「あいつ、頑固やからな」 「学校休むのと頑固なのって関係あるの?」 「たぶん、待っとんのやろ」 「何を?」 「、白石にメールしてへんのやろ?」 「あ、…うん、なんか、ちょっといろいろあって」 「…あんまり詮索したないし、人の恋愛に首突っ込むのって苦手なんやけど、 白石は親友やしかて大事な友達やから言うけどな、」 「うん、」 「あいつ、真面目な男やで。冗談で女作るとかせえへんし、遊んでるやつともちゃう。 見た目イケメンやし、ちょいチャラってるかもしれんけどほんま、ええやつやねん。 彼女に振られたら普通に泣き腫らすし、逆ナンの軽っぽいノリごっつう嫌いで」 見た目イケメン、というワードのところが引っ掛かって私は思わず笑いそうになった。 彼が話しているそぶりはいたって真面目で、きっとその話の内容だって本当のことなのだろう。 「あんな、こういうの他人の口から聞いてもあれやと思うし、あんま本人以外が言うことやあらへんけど、 白石ほんまにのこと好きやで」 (そんなわけあるか) (本人が言ったって今の私は信じられないだろうことなのに) 「1年の頃から俺らクラス一緒やったやん、白石たまにうちのクラス来とったん覚えとる?」 「え、うん、だって目立つから」 「その頃から白石、の事気にかけとった」 「嘘だあ、私ドラマで言うと、主役の横を通り過ぎるエキストラみたいな感じの存在だもん」 「ほんまテレビ見過ぎ。人生ん中で自分が主役になったて考えてみいや」 「だって私、白石くんと話すようになったの3年になってからだし」 「やから白石、真面目な奴なんやって。テニスやって平部員のうちやと格好つかへんから、 もっと上手なって目立つようになってから注目してもらいたいと思ってたみたいやし、 自分から声かけていったら不自然やと思って自然な出会い待っとったんやんか。 俺、は白石の事苦手みたいやでってあいつにチクッた事あったし」 偶然、というのが本当にこの世に存在するのだろうか。 内気ちゃんが白石くんに告白する、私がレンタル人間の話をする、レンタルカノジョの話が持ち上がる。 いや、それがもし、本当にたまたま起こった偶然から派生した彼の造った必然だったとしたら。 (だって皮肉にも、私が自分の想いを自覚したのは彼女の存在があったからだ) 「俺、最悪なことしてもうたかもしれんて。とどんな顔して会うたらいいかわからんて、 月曜の部活終わった後突然言い出して。この世の終わりみたいな顔しとった」 「月曜日…、」 「次の日二人して学校休むから、どないしてんて白石にな、全部聞いた。すまん、俺もう事情知っとる」 (偶然、というのが本当にこの世に存在するのだろうか) 私は何度も繰り返し心の中でつぶやいた。 「知ってて白石ん肩持ったんは卑怯やったかもしれんけど、いや、正直一番卑怯なん白石かもしれんけど… せやかて今の白石見てほっとけへんし、かてほんまに嫌やったら断っとったはずやろ‥?やん、な?」 急に尻すぼみになる謙也くんに、私は返す言葉が見つからなかった。 「あいつ肝心なとこで意気地なしやで、追い詰めたん自分やったくせに逃げ出しよって」 「じゃあ、やっぱり、」 「うん?」 「蔵ノ介くん、わざと私に逃げ道作らなかったんだ、」 「…本人に聞いたれ。おもっきし怒ってやったらええねん。あいつ何がバイブルやパーフェクトや」 「…怒る資格とか、私無いし…」 不思議と、嬉しいと思うわけでもなかった。 彼の所作がすべて、今の私の気持ちを肯定して受け入れてくれるものだったとしても。 なぜだか実感がわかなかった。 ただ、彼が私を傷つけた(これは私の勝手な考えだけれど)ように、 私も彼を深く傷つけていたのだろう。 (なんだ、痛み分けだ) お互いに、ちょっと卑怯だった。 お互いに、素直ではなかった。 それだけの話だ。 「せめてメールしたって。これは白石のためやなくて、俺自身からの願い、な?」 「うん、そうする。私もすっきりしないから」 「ほな、良かった。あーほんまぐずぐずやな君たち」 「あはは、ごめんね、ありがとう。何か良かった、謙也くんがいてくれて」 「止めろやかゆいねんそういうの。ちゅうか俺が今言ったこと全部白石に内緒やで、ほんま何かはずいわ」 「大丈夫、ほとんど覚えてない」 「おい!人がええこと言っとるときに!」 久し振りに、心から笑った気がした。 本当にちょっとだけ頬を赤く染めた謙也くんに、もう一度「ありがとう」と言った。 「もうええっちゅうに!」と顔をそむける謙也くんがかわいかった。 不思議な縁だ、本当に。 彼がいなかったら、白石くんと私はきっと二度と笑えなかったろうと思う。 私が傷つかないように、と守ってくれる友達とは違う。こんなふうに背中を押してくれる友達もいてくれて、 本当に良かったと思う。 もちろん前者の友達だって、私にとってかけがえのない存在だ。 彼女たちがいなかったら、私はもっと深いところにおちていたろうと思う。 彼女たちが作ってくれた心の準備期間があったからこそ、謙也くんの言葉を聞いて私は前向きになろうと思えた。 教室に入って謙也くんと別れて席につくなり、私は携帯を取り出して一通のメールを作成した。 もちろん白石くんへ、「待ってるよ、蔵ノ介くんが居ないとさびしいから」と。 レンタルのリップサービスとか、もうそういう自分を押しとどめるような考えは捨てた、 私の本当の心からの言葉だった。 そのメールの返事は授業中にかえってきて、「ほんま?行く」とそれだけの内容だった。 午後になってから、白石くんは真赤な顔でマスクをして教室へ入って来たのだった。 「ズル休みかと思った。本当に具合悪いんだったら無理して来ることなかったのに、蔵ノ介くんって結構頭弱いね」 結局、学校に来たものの熱のある体では話にならないと5限目の先生に怒られて彼は保健室へ連行された。 白石くんは放課後までベットに縛り付けられて安静を保たれ、 私がお見舞いに行った頃には少し顔色が良くなっていた。 「このタイミング逃したらアカンと思ったんや」 「大袈裟だなあ」 私が笑うと、白石くんは拗ねたように唇を尖らせた。 確かに顔はイケメンでちょっと見た目はチャラく見えるかもしれないけど、 彼が本当はあまえたがりで強引ででも精一杯なのはわかる気がする。 「…、あのね、ごめんね、私蔵ノ介くんの事本当に好きになっちゃったんだ。 レンタルカノジョ失格だね。もう、レンタルカノジョですらないけど」 それは自然に口から出ていた。 あの日の放課後と同じように、保健室では開け放たれた窓から風が入り込んでいて、 カーテンがばたばたと音を立てていた。 「…正直言うとな、かけとった」 「何を?」 「ちょっと避けられとったんわかっとったから、レンタルから始めて周りに気おされて流されてくれたら、 逃げ場はなくなるやんか。したらがそう言ってくれるんやないかと思った。 あれや、被害者が犯人と一時的に時間や場所を共有すると特別な依存感情抱くことがあるっちゅうやつ。 ああいうの狙っとってん。俺卑怯やろ」 「ねえ、」 (やっぱり私は意図的に追い詰められていたのか) じゃあまんまとしてやられたというわけだ。 今更そんなこと言われると、逆にこの感情がそういう効果によって生み出されてしまった偽りの気持ちのように思えてくるじゃないか。 かわいそうな私の気持ち。 いろんなところでもみくちゃにされて流されて。 「そんな風に言わないでよ、私、これでもすごく考えていっぱい泣いて一回大失恋したんだよ」 「ほんま?」 「そうだよ。だっていろいろあったんだもん。昼ドラみたいに女の子に呼び出されて、 蔵ノ介くんとどういうことなのって聞かれたりした」 「何て言ったん?」 「ごめんなさい、って言った」 今思えばごめんなさいって、めちゃくちゃ肯定してるじゃんか。 「蔵ノ介くんは彼女もいないし好きな人もいないって聞いたから」 「結構諦めとったもん。レンタル出来んかったらその日のうちに失恋して泣こうと思とったし」 「ていうか、蔵ノ介くん、私返事きいてない」 さっき好きだと、告白したのにこの男。 今更何も言ってこない。 やっぱり卑怯だ。私も卑怯だけれど。 白石くんは布団をめくって上半身を起こして、私と同じ目線になった。 「…ごめん」 そう言って白石くんは口元を片手で押えてうつむいた。 それはどういう意味で「ごめん」なの。 「今更、恥ずかしいやろ」 「ちょっと、何それ」 キスまでしようとしたくせに、クールな白石くんは一体どこに行ったというんだ。 のぞきこむと真赤な顔をして、白石くんは泣きそうだった。 見なきゃよかったと思って私は思わず立ち上がった。 けれどその腕はつかまれて、私はただ立ち尽くした。 「レンタル、延長で頼むわ」 「もうレンタルは受け付けてません」 (ルール8、別れ際の挨拶は「また明日」) あなたの周りにもレンタル人間がいるかもしれません。 彼らはそっと、本物の中に混ざって秘密を共有する共犯者になっています。 |