満開のさくらがひらひらとその花びらを宙に遊ばせていた。
その下に、大勢人が集まったそんな中、私達はキスをした。



「ロミオとジュリエット?」
「そ。で、あんたがジュリエット」
「はあ?」

用があるから部活に行く前にちょっと教室に残って欲しいと学級委員に引き止められ、何だろうとそわそわしながら自分の机で大人しくしていた。
私を呼び止めた学級委員と言えば、なにやら忙しそうに帰りの号令が鳴るなり教室を出て行ってしまい戻って来ない。
まったく、いつまでここにいたらいいのだろうか。
そう思った時『ごめんごめん』と片手を顔の前にたてて謝りながらその人は入ってきた。
で、いきなり突きつけられた台本の表紙に書いてあったのが『ロミオとジュリエット』。それをそのまま口に出すと、学級委員はにっこり笑って私を指差した。

こっちは何のことだかわからない。
いきなり『あんたがジュリエット』だなんて言われたって何のことだか…。

「今年のお花見の出し物、それになったの」
「ああ、クラスの出し物の事?へえ、演劇かー。で?」
「だから、あんたがジュリエットなの」
「何でそうなんの?」
「ロミオのリクエスト」
「誰そいつ殴る。ついでにあんたも殴る」

昨年も同じクラスだった学級委員とは割りと親しい間柄だった。まあ、四六時中一緒にいるような親友とはかけはなれた感じではあったが。
そんな学級委員は私の性格を少なくとも今年初めて顔を合わせたクラスメイトよりは理解しているだろう。
私は皆の前で演劇をやれるような肝っ玉の据わった人間ではない。どちらかというと誰かの影に隠れて裏方を進んでやるようなタイプだ。
それが何故よりによってヒロインなんかやらなきゃいけないんだ。
ロミオのリクエストだと?そんなの関係あるか。大体、

「ロミオって誰なの?」
「んふふ。何と佐伯君。あの美貌、ロミオを演じられるのは彼しかいないと思って」
「…………………」

佐伯君と言えば笑顔が顔に張り付いたようなやさ男ではないか。
見ればいつも女の子に囲まれているような気がする。まあ確かにロミオにははまり役だと思うが、私がジュリエットにはまるかといったらそれは大間違いだ。
佐伯君が何を考えているか全くわからないが、私は彼の策にはまる気は毛頭ない。

「ロミオが佐伯君なのはいいけど、私ジュリエットなんかやらないからね。 裏方なら喜んで引き受けますけど」
「そういうと思ってもう手はうってあります。 私が何で遅れたかその理由をお教えしましょう。 既にキャスティングの載った台本をこのクラスの人数分、印刷してもらうように手配してあります」
「それが?」
「鈍いなー。もう訂正はきかない、って言ってるの! 他のキャスティングもアポとってあるんだから!逃げられません」
「…凄い卑怯ですね」
「賢いと言って欲しいんだけど」




そんなこんなで逃げ道の無いまま、ずるずると稽古は始められた。
このお花見での出し物というのは、新しいクラスが団結するきっかけになる大事なイベントだ。
私一人のわがままでそれを取り壊すわけにはいかなかった。

ああ、きっと全校生徒の前で佐伯なんかと共演したら佐伯のファンの子に目をつけられるんだろうな、って私はそればっかり考えていた。
それにロミオとジュリエットと言ったらラブストーリーじゃないか。当然、書き換えられた簡易台本だとしてもキスシーンは含まれる。 当たり前のようにそれはしたフリ、で演じられるが妙に歯痒い。というかむずがゆいというか気色悪いというか。
相手の吐息がすぐ近くにあって、何だか笑いたくなってしまう。
どうしようも無くなったとき、笑いってこみ上げてくるものだろう。


そんな私の気持ちも置いていかれたままに、ついに本番がやってきた。

『絶対成功させよー!!』なんて気合の入った円陣の真ん中に佐伯君と二人でいれられて、これはもう本気でやるしかないなと改めて責任がのしかかってきた。
もちろんここまできたからには最初から捨てる気はなかったのだけれど。



そして、ラストシーン。
仮死状態になったジュリエットに、ロミオが口付けをするという見せ場がやってきた。
教室を使った稽古で何度もこのシーンを演じてきたが、やはり見ている人の数がクラスメイトの数とは比べ物にならないくらい多いと緊張する。
しかもそのキスシーンの相手が佐伯君だとあってはそれは益々だ。
始まった瞬間から、嫌な汗を背中にかいている。女の子の視線というのはそれ程に何かすさまじい念を感じさせるものなのだ。

「ああ、ジュリエット…!!こんなことになるなら君を離すんじゃなかった!!!」

熱演する佐伯君の腕が、私の身体を強く抱きしめる。遠くで女の子の悲鳴が聞こえた。
ああ、私は明日からどんな顔でこの学校の廊下を歩けばいいんですか。

今すぐ佐伯君を突き飛ばしてこの場から逃げ出したかったが、今ジュリエットは仮死状態の身。 そんなことしようものなら物語の結末が変わってしまう。

「ジュリエット…」

嘆かわしい声、この声がそう名前を口にした次が、キスシーンだ。
顔を近づけてしたフリをする、何度もやってきた。そう、何も緊張することはない。

そう思っていたら、ふっとくちびるにやわらかい何かが触れた。


何か、というか…くちびるだ。


一際大きい悲鳴と、男子の冷やかしの声が耳鳴りのように聞こえた。
頭の中が真っ白になったけれど、かろうじて毎日稽古してきた身体は、次にとるべき行動をきちんと覚えていて。なんとか終幕まで行き着くことができた。
いろんな意味で大歓声の中、うちのクラスの出し物はほんとある意味大盛況で終わった。
演出を努めた学級委員は凄く喜んで私と佐伯くんの手を握ってぶんぶん振り回した。



衣装を脱ぐために教室に戻ろうとすると、当然佐伯君も一緒の方向に歩きだす。
教室はついたてで仕切られていて、着替えは同じ部屋の中で行われるのだ。
無言のままただ隣を歩く佐伯君の顔を覗き見て、すぐ正面を向いた。

「さっき、ほんとにキスしたよね」
「うん。そうかも。やっぱり気付いた?」
「気付いたっていうか、普通気付かない人いなくない?」
「や、さん鈍いから気付かないんじゃないかなーって思ってた」

笑顔でなんて失礼な事を言うんだこいつは、と憎らしく思った。

「ファーストキスでしょ?」
「答える義務がありません」
「俺はファーストキス君に奪われちゃった」
「佐伯君が勝手にやったんでしょうが!!!」

まるで私がやったかのような口ぶりに、少しムッとして隣を振り向くと視界が暗くなって。

「セカンドキスまで奪われちゃった」
「…もうほんと何……」
「そんなごしごしやられるとショック受けるんだけど」

衣装の袖でくちびるがひりひりするまでぬぐってやった。
困ったような苦笑が隣から聞こえてきたが知るものか。
だけどそれにめげずに、これを恋の始まりにしようよ、 なんて言ってる佐伯君をどうしても振り返ることは出来なかった。

だって顔が真っ赤で、それを見られたくなかったんだから。


ジュリエットの憂鬱