(どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう)

授業中も休み時間も頭の中は『どうしよう』の5文字でいっぱいだった。 朝の事件以来、すっかりキャパオーバーした私の頭は思ったとおり使い物にならなかったわけだ。
思考が停止寸前のところまでいくと、必ずキス、したことを思い出す。 頭で考えなきゃわからないことと、身体が覚えてる記憶とがごちゃごちゃに交差して もう私の心臓と精神ははち切れる直前だった。



(あ、日吉くん)

お昼になっても食欲がまったくわかなかった私は友達に外の空気吸ってくると適当に言い訳をいって 校内をうろうろしていた。 と、そこで日吉くんの姿を発見した。中庭の隅の木陰で本なんか読んでいる。 几帳面にカバーのかかった本の中身は七不思議だろう。
そろそろと近づいて、何も言わずに隣にそっと腰を下ろす。 そんな私を日吉くんは一瞥すると、心底めんどくさそうに目を細めてため息をついた。

「お前…頭悪いな。学習能力無いのか?いや、知ってたが」
「もう死にそう…」
「お前が死のうが何しようが俺の知ったことじゃないな」
「冷たい。うん…知ってたけど」
「…喧嘩売ってんのか」
「うそです。…んふふ…ひへははは」
「気持ち悪い笑い方するな」

日吉くんの隣は居心地がいい。(何か電波が出ているのだろうか)
何となく私の精神状態を汲み取ってくれているからかもしれない。 触れてほしくないと思ったところには触れてこない、それが私にとっての日吉くんだ。
日吉くんはねちねちしてて嫌な奴だ、って思ってる人が多いけど本当はとっても優しい人だ。 ただちょっと言葉が鋭利だったりぶっきらぼうだったりするだけだ。
(友達に言わせてみれば、私たちはただ会話がかみあってないだけだという)

「もう心臓がもげそうだよ…おとこのこってよくわかんないね」
「女の方が複雑だろ。言っておくが俺とあいつを同じ種類に分別するなよ。 あいつは女々しいから女の部類にいれておけ」
「日吉くんさ、………………やっぱりいいやごめん」
「…途中で止められると気分が悪いんだが」
「うーん…でもなー…うーん…やっぱりいいや」
「殴られたいか」
「やだ」

へへへと力なく笑うと涙が出そうになった。なんでだかわからなかった。
(長太郎くんのこと、こんなに好きなのに。なんでこんなに怖がってるんだろ。 恋ってこんなに苦しいのかな。すりむいた傷がじくじく痛むみたいに、 ひりひりして焦って困ってつらい思いしなきゃいけないのかな。)
(キス、ってもっと甘くてふんわりしたものだと思ってた。 優しくてあったかくて、とっても嬉しいものだと思ってた。)
(なのにどうして、なんで、こんなに震えちゃうんだろう)

「は、はは…なんか、おかしいね」
「そうか」
「ごめん」
「俺に言うな」
「だって」
「めんどくさい奴だな」
「ごめん」
「嫌な事は嫌だとはっきり言わないと伝わらないぞ」
「え?」

日吉くんは読んでいた本をひざの上において、ぽつりとつぶやくように言った。 急に真剣な空気になった日吉くんにちょっと驚いて、 横をちらりと盗み見ると日吉くんの髪が風にさらさらと揺れていて。 太陽にすかされたそれがすごく綺麗に輝いて見えた。
不覚にもドキッとして、なんだか急にいけないことをしている気分になってしまった。
今朝長太郎くんに、日吉くんとの関係を問われたからかもしれなかった。 (だってこんな風に意識して日吉くんを見ているなんて、おかしいもん)

「お前、今俺をかっこいいと思ったろ」
「えっ!」
「わかりやすすぎ」
「ち、ちが、ちょっ、それ自意識過剰!」
「どうでもいいけどな」

ふふんと鼻で笑った日吉くんの横顔はやっぱりきれいだった。
だけどふと、その瞬間に私は日吉くんの向こうに大好きなあの人を見た。

(ふわりと笑う長太郎くんの笑顔はいつもやさしい。初めて見たときから その笑顔が好きだった。もう気づいたときには目で追っていた。 いつからなんだろう、私の隣にいることで長太郎くんが前みたいに 私の大好きな顔で笑ってくれなくなったのは。)

いつから、辛そうに笑うようになったのだろうか。
いつから、目をそらすようになったのだろうか。

「私のせいで長太郎くん、笑えなくなったのかな」
「本人に聞いてみればいいだろ」
「聞けたらこんな風になってないよ」
「ところで俺はお前の相談係じゃないんだが」
「独り言だから気にしないで」
「だったらよそでやってくれ」
「なんで長太郎くん、私と付き合ってくれたんだろ…」
「………………」
「もっとかわいい子いっぱいいるのになあ…」
「じゃあお前は鳳がそのいっぱいいるかわいい子とやらと付き合ったら満足なのか」

(どうだろう)
答えは一瞬で出る。そんなの嫌に決まってる。
だけどそれが正しい答えなのかがわからない。
(だって好きだからこそ嫌われたくない。わがまま言って嫌われるくらいなら、 好きでいてもらわなくてもいい。だけどそれは嫌だ)

「…わかんないよ…わかんない、何にもわかんない。私という存在がわかんない」

昼休みが終わりを告げる鐘が鳴って、私は逃げるようにそこから立ち去った。
その背中を少しだけ日吉くんの視線が追ってきた。

(日吉くんに対する気持ちと、長太郎くんに対する気持ちが違うのは明確にわかるのに。 長太郎くんに対する気持ちが本当はどんな形をしているのかがわからなくなってきているんだ。)

「なんでこうなっちゃったんだろ…」


The smart wound
(痛む傷)