最近、長太郎くんが妙によそよそしい態度をとるようになった。 いつからそうだったのか、とかはわからない。 ただ何となく最近そう思う。 勘違いかもしれない。むしろ、そうであって欲しい。
付き合って早半年。長太郎くんはいつも優しくて紳士的だった。
もともと私の片思いだったから、告白をしていいよって言われて それで半年も続いたのだからそれだけで満足をするべきだ。 長太郎くんは誰にでも優しくてかっこよくてスポーツもできるし頭もいいし、 おまけに芸術肌でもあってとても人気がある。 そんな彼と一時でも恋人同士という夢を見れた事に感謝するべきだ。

けれど人間とは、どこまでも理想を高くし続けてしまう特性を持っている。
手に入れたものを手放したくない。
と、いうか。そんな難しいことではなく私は長太郎くんが大好きで大好きで、 わがままな事を言うがこれからもずっと一緒にいたい。 本当は私以外の誰にも優しくして欲しくない。笑顔だって私だけに向けて欲しい。
だけどそんな事を口に出したら、長太郎くんに嫌われてしまうだろう。

『贅沢なおんな。ちょっと付き合ってやってるからって調子に乗るなよ』

優しい彼はそんな言葉口に出さないだろうが、きっと心の口でそう吐くのだ。
(ああ、こんなこと想像してる自分にも嫌気が差す)

「はあ…」

そうして何度目かのため息をついた時、教室に日吉くんが入ってきた。

「…何だその目は。朝から俺と会って残念そうな顔をするな失礼な奴だな」
「違うよ自分に残念になってるだけ。おはよう日吉くん。あれ?そういえば今日朝練ないの? だいぶ早い時間だけど…」

おはようと短い返事をかえして、日吉くんは私の隣の席にのっそりと腰を下ろした。 日吉くんとは1年生のころから同じクラスだった。 なぜか割と席替えをしても席が近くなる。クラスメイトからは、 と日吉は電波で通じ合っている、なんてひやかされる事もある。 (断じて私は電波なんかじゃないが、友達に言わせればじゅうぶん電波らしい。)
まあそんなこともあって男子が苦手な私も日吉くんとは結構仲がよかったりする。

「今日は無いぞ。練習試合で他校が来るから朝からコート整備なんだ。 鳳から聞いてないのか?」
「え、あ…んー…うん……」
「なんだその生返事」
「うーん…あのさ、長太郎くん、最近変じゃないかな?」
「は?あいつがまともだった事が今まであったか?ついでにお前もいつも変だがな」
「日吉くんもいつも変だよ」

勇気出して聞いてみたのに茶化されたので、仕返しとばかりに言ってやると 日吉くんは目を細めてあからさまに『失敬な!』という態度をとった。

「最近長太郎くんに避けられてる気がする。メールもあんまりしないし… あんまり話す機会なくなったし……今日の事だって知らなかったし…」
「倦怠期なんじゃないのか。というか何故俺がお前の相談をきかなきゃならないんだ」
「だって日吉くん、長太郎くんと友達でしょ?」
「違う」
「男の子の気持ちは女の子にはわからないし…」
「いや、人の話きけよ」
「妙によそよそしいっていうか…うーん……そわそわしてるっていうか…ぎこちなくて、 なんだか変。すごくもやもやする。ほかに好きな人出来ちゃったのかな… そしたら潔く引くべきだよね私。うん、…応援する…うん…」

はあ、と深いため息をつくと日吉くんがしんそこ面倒そうな空気を漂わせながら、 「深刻に考えすぎ」とフォローをいれてくれた。
なんだかんだ、優しいのである。

「お前ら付き合ってもう半年だろ」
「うん」
「だから、」
「うん」
「…」
「うん」
「……こういう相談は忍足さんあたりにでもしてくれ」
「ええええここまで期待させておいてなんでそうなるんですか!」
「俺はそういうキャラじゃないんだよ。お前も敬語使うな気持ち悪い」
「忍足先輩怖いもん…」
「俺は鳳の方が怖い」

日吉くんがそう言ったのと同時に、教室の扉がガラリと音をたてた。 この早い時間から登校してくるメンバーというのはお決まりになっているので、 てっきり友達かと思ってそちらに顔を向けて「おはよう」の準備をしていたら よく見るとそこに立っていたのは長太郎くんだった。
発声の準備が整った口許をどう変化させたらいいか迷って結局にこっと笑おうと 思ったらうまくいかず、引き攣った顔になってしまった。

、ちょっと」

そう私を呼ぶ長太郎くんは、半年間側にいてくれた彼ではなく、 かといって恋人同士になる前ずっと眺めてきた彼でもなく。 なんとなく、怖かった。不機嫌そうに見えたからかもしれない。
(ああ、ついにこの日がきちゃったのかな…どうしよう、さっき潔く引いて応援するとか 言ったけど、やっぱり嫌だなあ…)

「あ、うん…」

引き攣った顔のままで精一杯の声を出して立ち上がると、日吉くんが深いため息をついた。



私を呼んだかと思えば長太郎くんは、何も言わずにずんずんと一人足を進めた。 私はただそれについて歩くだけで。 いつもより早足な長太郎くんについていくのに、私は少し駆け足になった。
朝は人が滅多に通らない、昇降口から一番遠い階段へたどり着くとやっと長太郎くんの足が止まった。 ちょっとだけ息があがったのを悟られないように、俯いて浅い呼吸をしていると 上からすごく視線を感じていたたまれない気持ちになった。

「あのさ、」
「うっ、うん、」

低くて、力強くて、大きい声。
全身が縛られるみたいに硬直する。(嫌だな、何か、聞きたくない)
(こんな長太郎くんの声も、その話の内容も)
(嫌だな、嫌だな、嫌だな、苦しいな)
心臓がばくばく言って、頭に血が上ってきた。 久々に長太郎くんがまっすぐな視線で私を見ているような気がして居心地が悪かったせいもある。 最近よそよそしく視線をそらされていたこともあって、久々にこっちを見てくれて 嬉しいと思うべきところなのだがこの雰囲気ではそうもいかなかった。

にとって日吉って何なの」
「   」

耳をふさぎたくなったが、長太郎くんが発したのは別れの言葉とは検討が違う方向にいっている気がした。 思わず吸い込んだ息を吐き出すのも忘れ声が詰まった。

「えっ」

やっとのことでそれだけを言葉に出来た。が、 その返事は長太郎くんを満足させなかったというか、むしろ苛立たせたようで。 巧みなステップで私を隅っこに追いやると、逃がさないとばかりに両手を壁について 圧迫感を与えられた。(要するに、閉じ込められた)

「火のないところに煙は立たぬって言うよね」
「え、意味が、え?日吉くんが、なんか、え、?」
「…最近日吉と妙に仲良さそうにしてるって。やっと二人が付き合い始めたっていう噂まで あるんだけど、どういうことかな」

意味がわからなかった。仲良さそうにしてるのではなく、実際仲が良い。 二年間もクラスが一緒だと男女関係なくそういう風になるものだろう。
付き合い始めた、なんていうのはよくひやかしで言われる事で慣れっこだしそんなのは みんなが盛り上がるためのネタとして使うもので。
何を今更、といったらそれだけなのだが。長太郎くんの目が怖くてそんな風にはいえなかった。

「い、いや、どういうことも、なにも…、そんなの初めて知ったし、日吉くんは、
「聞きたくない」
「え?ッ、ちょっ、ちょっとたんま!」

何がなんだか意味がわからなかった。とにかく私はパニック状態に陥りそうになりながら、 顔を近づけてくる長太郎くんの口許を両手で覆った。
(キ、キスしようとしたんだよね、?今、まさか)
そんな私の対応にますます怒りオーラを発しながら長太郎くんが私の手を力ずくで剥ぎ取った。

「…あのさ、こういう風に拒否されるってことは日吉との事を肯定してるってとっていい訳?」
「ちがっ、なんで、なんでそうなっ、ぜんぜん意味わかんない、ん、だけど…」

長太郎くんとは半年間付き合ってるけど、キスは一回しかしたことがない。 すごくどきどきして、心臓がはち切れそうだからいつもそういう雰囲気になるのが苦手だった。
それでも長太郎くんが『キスしたい』って言葉に出してきた事が一回だけあって。 その時私たちは触れるだけの短いキスをした。
(それだけでトチ狂う程緊張を爆発させた私を見て長太郎くんは困ったようにちょっと笑った)
けど、長太郎くんはそれ以来無理強いとか押し付けがましくそういう行為を求めてこなかった。 内心すごくありがたいと思っていた。(だって私、ぎゅって抱きしめてもらったり手をつないだり、 一緒にいるだけですごく幸せだから。というか、それだけで十分だから)

なのに今、すごく強引にしようとした。
いつもの長太郎くんじゃない、彼の姿だった。

「俺すごい我慢してんのには全然気づかないしいい加減腹立った。 ていうか俺が我慢してんのにが日吉と仲良くしてるの見てまた腹立った。 むしろ、めちゃくちゃにしてやろうかと思った。 でもしてないのはがすごく好きだから。大切にしたいから」

ここで私に効果音をつけるなら、絶対にぽかーんって感じの音だ。
詰まることなくすらすらと駆け抜けていった長太郎くんの声は今までに聞いたことのない 微妙なトーンの音程だった。

「…ねえ、大切にさせてよ…」

反応の無い私の唇に、長太郎くんのあったかい唇が重なった。 今の声は、いつもの優しい長太郎くんの声に近かった。

「え、えと、なに…話してたんだっけ…か、」

あきらかなキャパオーバーであった。私の思考はすでに考えることをストップしていて さっぱり使い物にならない。 今日一日どうやって過ごしたらいいんだろう、こんな風にふにゃふにゃになった気持ちで。 たぶん顔はこれでもかというほど真っ赤だと思うし、耳も熱い。
手にはじんわり汗をかいてるし、きっと時間がたつにつれてさっきの長太郎くんの 言葉を思い出すだろう。 そのたびにわーっってなって頭が爆発しそうになるんだろう。
それから最後に、長太郎くんとキスしたって事を思い出して、それでトドメだ。

「とりあえずこれ以上いじめるの、かわいそうだから朝はこのくらいでかんべんしてあげる」

長太郎くんはそう言い残して去っていってしまった。
残された私はずるずると壁を伝ってそこに崩れ落ちた。


So the story goes
(こんな噂があるんだ)