「ああもういい加減ほんま腹立つ!まず何が腹立つっちゅうとあの顔やな!」

擬音でいうとぷんすかという言葉がとても似合うような怒り方をしながら、 わざとらしく大袈裟に地面を蹴りつけて謙也が私の隣にやってきた。 水飲み場で汚れた手を洗っていた私は、そんな彼の言葉を半分聞き流しながら (なかなか落ちないなあ)と手についたサビくさい匂いを気にしてた。

大体、独り言なのか聞いて欲しい事なのかよくわからないタイミングで喋っていた謙也の事だ。 まあいつも、彼は話し出すタイミングがどうにもおかしいのだけれど。



ところどころ聞き取ったところによると、 彼がぷんすかきているのは後輩の財前くんの態度やら、 白石の謙也をバカにしたような態度やらが原因らしい、 まあ私にとっては謙也を茶化したい気持ちが大いに分かるので何とも言えない。
(謙也は本気で怒らないから)

とりあえず、声に出しているという事は何かしらのレスポンスを期待しているんだろうなあ、 と「そっか」だの「だよねえ」だの適当な返事を返してやる。
最初はそれで満足していたようだけれど、段々噛みあわなくなってくる会話に謙也が 「、聞いとんのか」とやっと私に対して話しかけているのだと主張してきたので、 カリカリと擦り合わせていた手を休めて私は顔を上げた。


肩に置かれた手や、聞こえる声だけじゃ測れていなかった謙也との距離は改めて見ると意外と近くて、 至近距離で見る彼の表情が驚いて強張り、肩に力が入ったのがわかった。
(ほら、そうやって隙を見せて構えるから)(いじりたくなる)


怖気づいて離れようとした謙也のジャージを濡れたままの手で掴んで、踵を浮かせた。 「な、っ、」と慌てながら私の名前を呼んだ謙也は私が顔を近づけるとぎゅっと目を瞑って両手を変な位置でふらふらさせる。
その様がなんとも面白くて「ぷっ」と噴出すと、目を開いた謙也が真っ赤な顔で私にチョップを喰らわせた。

「お、お前なあ!」
「痛いやん、」
「お前が訳わからん事を」
「訳わからんかったんちゃうやん、謙也目つぶったし。何されるかわかったからつぶったんちゃうん?」
「バッ、そういう事言うてんちゃうわ!屁理屈こくな!」
「ほら、せやから白石たちにも構われんねんて」
「はあ?」
「一々反応がおもろい」
「そんなん、」
「今の、白石やったら多分、あっちから手出してくるくらいサラッとするで」

うん、白石なら平然と、悪戯すら許容してみせるだろう。
仕掛ける方こそ本気じゃないから、逆に「やめてー!」って言いたくなる、それが白石。


「まあええやん、そういうスキンシップは謙也が愛されてる証拠やで。 必死になるところが可愛くてしゃあないねん、白石にしても財前くんにしても(私にしてみても)」

そう言って私は手の平の匂いを嗅いで、(やっぱりサビ臭いのとれやん)と再び手を擦る作業に戻った。 何も言わないまま謙也がすぐ傍に立っているのを感じ、 怒らせたかな、と頭の片隅で多少不安になっていると、 ぐいっと片腕を引っ張られて私は反射的に振り返った。

途端、なびく前髪越しに柔らかい感触が肌に伝わった。


「なん、っ」


瞬間、妙に生々しく、謙也の首筋が目にうつって、 今起こっている事を理解すると共に頬が熱くなるのを感じた。

(不覚、だ)



「俺やってこんくらい、出来るわ!」

そう言って肩をいからせながら来た時と同じようにわざとらしく地面を蹴りながら謙也はコートに戻って行った。 一体何がしたくて私のところに来たのだろう、 手を洗うわけでも水を飲むわけでもなく、私の濡れた手によってジャージが汚れ、 そして一抹の恥を晒しただけではないのだろうか。

(まあそれは、私にしてみても同じ事)


ただし、吐き捨てる言葉はそんなに真っ赤な顔して言っては意味がないと、 謙也の後姿を見ながら私は今しがた彼の唇が触れたおでこをごしごしと擦りながらなってしゃがみこんだ。


しんとした一番奥で、
真芯だけが燃えさかる


巻き込み事故のようなもの。